07「また会えそうな気がした」

『――ああ、最近出てきた新参者じゃな。若えのは勢いがあっていいが、勇敢と無鉄砲を間違える』


 電話の向こうで大きなため息が聞こえた。

 古めかしい黒電話――『桜雲館』では現役の通信手段だ。


「手綱はきちんと握っておいてね榧。組織が大きくなると末端の管理が疎かになりやすいから」

『悪いな、豪禅ごうぜんのやつみてえにゃあうまくゆかんもんじゃ』

「ま、今回が初めてだしいいんじゃない?今後の課題ってことで」

『へいへい、じゃあな。ぬしも体にゃあ気ぃつけろよ』

「はいはい、じゃあね」


 受話器を置き、<紅姫>――膠は後ろを振り返った。


「……さて、今日はおしまいかな」

「久しぶりにお腹いっぱいですね、膠君」


 紅凱が微笑み、膠に近づくとその小さな体を抱き上げた。


「わかっているならその顔やめてくれないかなあ」

「その顔とは」

「完全にやる気満々じゃねえかお前」


 膠は紅凱の額をぱちんと弾いた。無論力がないので、じゃれる程度の衝撃しかない。


「夜は私の特権ですから。そういうお約束でしょう?」

「それはそうだけれどさ……今日は凛龍にちゃんと譲ってよ、彼は仕事をしたんだから」

「関係ないですねえ」

「あるだろ馬鹿」


 今度はビンタ。紅凱にとっては愛の鞭である。


「……おい、紅凱。本気で独り占めしたら奪うからな」


 凛龍の恨み言に、膠を抱いたまま紅凱が振り返った。凛龍の顔は敵意に満ちていた。悪意も殺意もない――好敵手の表情だった。くだらない衝突こそするものの、基本的にこのふたりの関係は良好である。膠から見れば、という話だったが。


「奪うなんてひどいですねえ、私達は絶賛片思いで燻る想いを受け止めた膠君のやさしさに免じてご一緒しているんですよ?寧ろ感謝して譲っていただきませんと」

「……なんだとてめえ」


 にわかに散り始めた火花を察して、紅錯が素早く腕の中の膠をさらった。


「あ、ちょっと……紅錯!?」

「……お前達はいい加減にした方がいい」

「え、達って俺も含まれてるんすかそれ」

「……無論そうだが」

「……でも、紅錯さんだって紅凱の言い分はふざけてるって思うでしょう」

「ずっと思っていたのですが何故紅錯はさん付けで私は呼び捨てなのです?」

「あ?……てめえにさん付けする義理ねえよ」

「年上を敬えと当主として教育されませんでしたかあ?」

「てめえは俺の親でもなんでもねえだろうが」

「――君たち、いい加減にして」


 うんざりした調子で仲裁したのは膠だった。


「煩いとどっちも今日――おあずけにするよ」


 その一言が覿面に効いた。ふたりともぐっと押し黙り、そのまま火花を散らせている。仲が悪いわけではないのだ、決して。折り合いが悪いと言ったところか。


「……ごめんね、紅錯。君に負担ばかりかけてしまうけれど」


 紅錯はいずれとも争わない。もともと凛龍とは友好的であったし、紅凱は彼に自身の役目を担わせるくらい信頼しているので文句を言うことはない。膠も控えめな彼がふたりの緩衝材になってくれていると思っているので、なにかと頼りにはしていた。


「……いや。……寧ろ負担になっているのはあなただろう」


 紅錯が首を振る。彼の返答に笑って、膠は頬に口づける。


「あ!」

「ちょっと!?」

「――紅錯は良い子だから、今日はいっぱい食べさせてあげるね」

「……!」


 膠の言葉に、露骨な反応を示すのは紅凱だった。


「膠君ッそれはずるいですよ、夜は私の特権って――」

「うるせえ、てめえいい加減にしろ!」


 凛龍がそれを制し、今度は火がつきかける。

 最早紅錯はそれを鎮火しようとは思わなかった――言いたいことがあるなら存分言い合うといいだろう、と諦めたのである。


「……風呂に入ろう、膠」

「うん」


 紅錯はやんややんやと言い合う二人を置いて、膠を抱きかかえ、風呂場へ向かった。

 長い廊下の道中、偽物の星明りに照らされた紅錯が眼前を見据えたまま言った。


「……そういえば」

「うん?」

「……何故、名を教えたんだ?」


 名は体を表す。膠自身が言ったように、彼女の名もまた本来ではあれば来客程度には教えるべきものではない。

 紅錯の言葉に咎めるような感情はない、単純に疑問に思ったから聞いたという風だった。


「……うぅーん……なんか、また会えそうな気がしたからさ」

「……そうか」

「……ねえ紅錯」

「……なんだ」


 紅錯が立ち止まって、腕の中の<紅姫>を見る。夜空が蠱惑的に輝いて、紅錯のオッドアイを見つめていた。


「ふたりにお風呂でもしよっか?」


 そう言って首を傾げて誘惑する膠の姿は、無邪気な子どもで、愛らしい小悪魔だった。

 紅錯は頬を緩めて、


「……俺ばかり腹一杯になってもな」


 と言った。


『桜雲館』の<紅姫>。

 彼女もまた世界でいちばん幸福になるために、夢を見続ける――ひとりの少女である。

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