Smolder Blood, Sweet Smell それらは全て、復讐のために
メグリくくる
序章
序章
この世界は、不条理で出来ている。
弱いものは強いものに虐げられ、蹂躙され、朽ち果てていく。
この世界は、不条理で出来ている。
人間は吸血鬼に虐げられ、蹂躙され、朽ち果てていく。
それが、この世界の理だ。吸血鬼たちは血を楽しむために、各々の『集落(ヴェスニィツァ)』に『牧場(ランシ)』を作り、そこで人間を飼っている。人間が束になった所で、吸血鬼には到底敵わない。敵わないなら、弱いものたちは、俺たち人間は、せめて叶う範囲内で幸せを見つけ、日々慎ましい生活を営んでいた。
そう、営んでいた、のだ。
それが、何故こうなった?
両親は、優しい人だった。二人が吸血鬼に血を吸われに家を出る時はいつも、希望だけは捨てるなと、俺の頭を撫でてくれた。俺が夜中、突然不安で泣き出してしまった時も、こんな生活だからこそ、強く生きていかなければならないと、俺が眠るまで、背中を撫で続けてくれた。俺は二人に、愛されていた。
それが、何故こうなった?
『牧場』に建っていた家どころか、『牧場』を囲う壁は破壊され、周りは火の海に包まれている。その炎は、闇夜すら燃やし尽くさんばかりに、煌々と燃え上がっていた。
壊滅状態なのは、『牧場』だけじゃない。『集落』にある吸血鬼たちの住まう『居住区(オビトゥナ)』も『牧場』同様、崩壊し、倒壊し、今もまた、この『集落』の『管理者(ウピエル)』が住んでいた城が決壊した。崩れ落ちる瓦礫の中に、赤い物体が混じる。
それは、炎だった。延焼した木々が焼け落ち、木っ端になりながら、煙を上げて落下していく。
それは、肉だった。切り刻まれた腕が、足が、顔が、鮮血を撒き散らしながら落下していく。
落下する肉片は、人間のものだけではない。吸血鬼のそれも混じっていた。そう、吸血鬼同士の、抗争が起きたのだ。
この世界は、不条理で出来ている。
弱いものは強いものに虐げられ、蹂躙され、朽ち果てていく。
それは吸血鬼であっても適用される、世界の理だ。しかし、それに巻き込まれる俺たち人間は、たまったものではない。
俺は両手に口を当て、震えながら、倒壊した瓦礫の中、その隙間から、赤い、朱い、赫い、淦い、丹い、明い、紅い、絳い、緋い、血塗られた世界を見ている。俺の潜んでいる瓦礫の傍に、何かが飛んできた。生首だ。それの頭部は破損し、地面にぶつかった。その拍子に、桃色の脳みそが零れ落ち、湯気を立てる。顎から下は陥没しているが、上顎の刃のような犬歯から、それは元々吸血鬼だったことが窺い知れた。
俺は思わず、それが飛んできた方へ視線を向けてしまう。今まで見ないようにしていたのに、俺は、見てしまった。
そこには一人、吸血鬼が立っている。
その傍らには二人、人間が倒れていた。
俺の、両親だ。この『集落』を襲った吸血鬼から、俺が隠れる時間稼ぎとして、二人は自ら勧んで、自らの血を、あの吸血鬼に差し出したのだ。両親のおかげで、俺はまだ生きている。吸血鬼にとって、極上の味と言われる二人の血が貪り食われるのを、その後奴が猛り狂うのを、声を押し殺しながら見て見ぬ振りをすることで、俺はまだ生きていた。
それでも、俺の目にはまだ、焼き付いている。両親が生き血を吸われ、干からびていくさまが。
「いやはや、流石に自分たちで美味いと言うだけありますね。久々に血を飲んだ後、我を忘れて暴れてしまいましたよ。こんなに激しく暴れたのは、久しぶりです」
この『集落』を、たった一人で絶滅させた吸血鬼は、血の色から青銅色に変わった髪をかきあげ、骨と皮だけになった二体のそれを、何の頓着もなく踏み潰した。俺の両親だったそれは、渇いた音を立てて、崩れ去る。
「さて、あらかた血も飲んで、殺して、満足しましたが、食べ残しというのは、どうにも僕の性分には合いませんね」
そう言った瞬間、その吸血鬼は、俺が隠れている瓦礫の前に立っていた。
「出てきなさい」
吸血鬼の青白い肌が、炎に照らされる。背筋が凍る程に整った容姿のそれに、俺は何も言うことが出来ず、震えて動くことも出来ない。
「ふむ」
やがて、何も言わない俺に痺れを切らしたのか、それとも、そもそも俺の答えなど、どうでもよかったのか、吸血鬼は無造作に腕を振るう。刹那、俺とともに、瓦礫を吹き飛ばす程の突風が巻き起こった。台風に弄ばれる木の葉の様に地面を転がる俺を、吸血鬼が雑に首を掴んで持ち上げる。苦悶の声を上げる俺を欠片も気にした様子も見せず、吸血鬼は俺を舐めるように眺めた後、匂いを嗅いだ。
「これは、まだ飲み頃じゃないな」
そう言うと、興味を失ったのか、吸血鬼は俺を放り投げると、こちらを一瞥もせずに去っていった。その足取りは、散歩に出かける様な軽やかさで、一つの『集落』を壊滅させた事も、俺の両親を貪り殺した事も、そしてたった今、投げ捨てた俺の存在すらも、もう奴の中には微塵も残っていように見える。
その後姿を、俺はただ泣きながら、土の味と砂利を噛み締めながら、見送ることしか出来なかった。
……何で、こんな目にあわなければならないんだ?
俺たちは、ただ慎ましく生きていただけじゃないか。どれだけ足蹴にされようとも、ささやかな希望を持って、生きていただけじゃないか。
俺を守るため、両親はその身を吸血鬼に差し出したのに、その首に二本の杭を深く差し込まれ、血を啜られ、命を吸われ尽くしたのに、あっさり俺は見つかり、見つかった俺に吸血鬼は興味を示さず、放り捨てた。俺は、生き残った。両親の行動は、全くの無駄だった。まだ背を向けて、あいつから逃げ出せば両親が助かる可能性はあったのに、完全な無駄死にだ。二人の献身的な愛は、無残に散った。
許せない。人間を路傍の石ころの様に扱う吸血鬼も、俺を愛してくれた両親を、ゴミ屑みたいに惨殺したあの吸血鬼も、そして何より、両親がゴミ扱いされているのに、何も出来なかった、俺自身を。
この世界は、不条理で出来ている。
弱いものは強いものに虐げられ、蹂躙され、朽ち果てていく。
でも、だからどうした。俺は、果てずに生き残った。偶然だろうが何だろうが、生き残ったのだ。
ならこの不条理、覆してみせる。吸血鬼を、俺の両親を殺したあいつを、必ず殺してみせる。あの二人の死を、無駄死にになんてさせない。そして何より、その復讐心しか、今の俺には残っていない。だから俺は、それを燃やし続ける。
燃え落ちた家屋が崩れ、周りに散乱する、人間と吸血鬼の臓物を押しつぶし、その熱で、肉と血を焼いていく。有機物が燃焼する独特の匂いと煙が、夜空に立ち上った。
それを見て、泣きはらした俺も、立ち上がる。命は朽ちなかったが、俺の涙は、とうに朽ち果てていた。
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