第4話 私、忍者を得る

「ふ~ん、人かぁ……」

 パチリと音をたてて、黒石が盤上に置かれた。

「そう。人なんだよ」

 私はそう言いながら、静かに白石を打った。

 私、周瑜公瑾しゅうゆ こうきんは昼下がりに食客となった幼い女の子、華万葉か まんようと囲碁をしていた。

 華万葉。

 御年十歳の女の子。頭はすごく良かった。いや、良すぎだった。年に反して色々とこちらの意図を理解してくれるし、知識もある。もしかして、私と同じ転生とかしたんだろうか? とそれとなく聞いてみた。が、違った。ただ単に相当賢すぎる少女のようだった。

 彼女は蘆江出身ではない。家族とは家業で旅をしている最中に意見が合わず、飛び出した。文字通りの家出少女というやつだ。家を飛び出してからは賭け碁をしたりしながら、フラフラと放浪していたらしい。とても、十歳の女の子がすることじゃない気がする。今まで何事もなさそうだったのは、奇跡なのか要領が良かったのか。

 ちなみに、彼女がいつも手にしている羽の団扇――羽扇うせんも、賭けで分捕ったものらしい。

 彼女が家族といた頃、近所にいけ好かない男の子がいた。お互い、頭が良く、問答など舌戦では勝負がつかなかった。

 さすがに力で勝負するわけにはいかず、二人が出来る得意なこと――碁で勝負することになった。

 ボコボコにした。それはもう完膚なきまでにボコボコに負かしてやったそうだ。そして、その男の子が持っていたお気に入りの羽扇を勝利の証として分捕ぶんどった。

 そこから、万葉の賭け碁人生がスタートしたのだった。

「相手の名前は……たしか、諸葛……諸葛亮とかなんとかだったかな?」

 ……その少年に出会うことがあったなら、羽扇を返すように万葉に言おう。

 家族の事を聞いてみたけれど、万葉は答えなかった。まぁ、しつこく聞くのもなんだし、私はそっとしておくことにした。何か事情があるのだろう。万葉が自分から話す気になったら、その時に話してくれればいい。お姉さんも、そんな時期があった。うん、思春期だ。

「確かに、美周郎がやろうとしていることには人が必要だな」

 しばらく、おとがいに指を当てながら考えていた万葉がパチリと石を打った。

「でも、美周郎が一声かければ、それなりに人なんて集まるんじゃないのか?」

「……そうなのかなぁ?」

 私もパチリと石を置いた。

 ここ最近は午後に碁を打ちながら会話をするのが、日課になっていた。私に碁で負けたのが、よほど悔しかったらしい。ほぼ、毎日といっていいほど対局を挑んでくる。

 ちなみに『美周郎』というのは、私のあだ名のようなもの。周囲の人間からは、そういう風に呼ばれているらしい。訳すると、「美しい周家の若君」。

 そりゃ、自分で言うのもなんですけど、私の外見は色白で細面のイケメンだ。29歳女子である前世の私が鏡を見ても溜息が出るほどの端正な顔立ちをしている。だからといって、『美周郎』は持ち上げすぎじゃないだろうか? いや、厨二病ナルシストという前科があったのは認めますけど、あれは私であって、私ではない。29歳の私が転生する前の行いなのだ。

 万葉が来てから、私は楽隠居を決め込んだ父に代わって領地の統治に力を入れ始めた。万葉も私の施策に興味を持って、手伝ってくれた。が、やっぱり、十歳の女の子だ。すぐに飽きて、駄々をこね始める。まぁ、役所にいる文官に比べれば、数倍の仕事をこなしてくれているのだけれど……。

 というわけで、仕事をするご褒美として、碁の勝負をしているのである。決して、私も仕事に飽きた……わけじゃない! 人には息抜きが必要だ、うん。

「あと、間者かんじゃが欲しい……そういうことか」

 間者。この世界では忍者やスパイといった諜報活動をする人のことを、そう呼ぶらしい。確かに、前世の私も戦国物で、そんな単語を聞いたことがある。

「そう、できれば、私専用のが欲しいのよ」

 パチリと私は石を打ちながら言った。万葉の口から息が詰まったような呻き声が漏れた。どうやら、嫌な場所に石を置かれたらしい。幼いのに妙に大人びた表情をする可愛らしい顔が、ほんの少しだけ動いた。普段は何かを見通しているような澄まし顔を動かさない。

 この世界で痛感したのは、情報入手の大変さだった。

 前世の私がいた時代のように指一本でニュースや情報を見られる媒体がない。基本的には人から聞いた噂話のようなものがほとんどだ。しかも、その話も伝言ゲームのように途中で話が盛られたり、欠落している部分が多々あるので信憑性に乏しいことこの上ない。

 そんなわけで、私の『長生き計画』を成功に導くため、正確な情報をより多く手に入れることにこしたことはない。私の中では人と同様に欠かせない物のひとつだと思っている。

「ふうん……美周郎だけの間者ねぇ……」

 おとがいに指を当てながら、万葉が呟いた。視線は碁盤を見ていたが、別の事を見ているのだろう。碁石を打つことをせず、パタパタと羽扇を動かしている。

「……うん、ちょうどいいヤツを知っている。これから会いに行くか」

 そう言って、万葉は椅子から飛び降りるように離れた。

「善は急げだ。ほら、美周郎、さっさと出掛ける準備をしろ」

 そう言うと、彼女は急かすように羽扇で仰ぎながら部屋から出て行った。

 盤上の結果は、万葉の負けだった。今日も万葉が私に勝つことは叶わなかったようだ。

 私は先に行く万葉を追いかけた。


 私と万葉は商家の前にいた。

 中に入ると、売り物の壺や皿、調度品や織物などが数多く並んでいる。また、米や馬、武具に値段が書かれた木でできた札が壁に掛けられていたり、棚の上に置かれていた。

 すたすたと奥に進む万葉の後を、私は周囲を眺めながらついて行った。物珍しい品がいっぱい並んで……。

 ん? 私の目にある品物が見えた。あれ、なにか引っかかった。けれど、先に店の奥にいった万葉に呼ばれて、私はその場を離れる。

 私が品物に気を取られている間に、万葉は店の中にいた店員さんらしき男の人に声をかけていた。

あるじに会わせろ」

 いきなり、十歳くらいの幼い女の子にこんなことを言われて、店員さんも困惑……というよりも、「何言ってんだ、こいつ」という表情になった。ただ、背後にいる私を見て、どうしようか迷っているように見えた。なにせ、今の私は腰に剣をぶら下げているのだ。

「華万葉が来た、と言えばわかる」

 何もしない店員さんに、万葉は短く言った。

 店員さんは訝しげな態度を隠さずに、そのまま奥へ下がった。店の奥に店の主がいるのだろう。

 しばらく待たないうちに、先程の店員さんが慌てた様子で帰ってきた。前までの態度とは百八十度の変貌を遂げ、まるで大お得意様に対するような扱いだった。店員さんは幼い女の子に平身低頭といった感じで、私と万葉を奥に案内した。

 店の奥にある主の屋敷は、そこそこ立派だった。

 木々や季節の花が植えられた中庭を望める部屋に案内され、「しばらくお待ちください」と言い残すと店員さんは部屋から出て行った。

 私は中庭の花をぼんやりと眺めながら、店の主はどんな人なんだろうかと色々と思い浮かべていた。万葉の方は相変わらずのすまし顔でパタパタと羽扇を動かしている。

 そんなに待つことはなく、この屋敷の主はやって来た。

「ちょっと、万葉! 取り立てには早いんじゃないのかい!」

 女の人だった。艶やかな長袍を着て、結い上げている髪に装飾の施したかんざしをさしている。二十代後半から三十代。本当の年齢が分からない、年齢不詳の美人さんだった。

 その美人さんは万葉に文句を言っている最中に、隣に座っている私に気がついたようだ。自己紹介しておこう。

「初めまして、周公瑾と申します」

 私の自己紹介に、美人さんはひどく驚き、軽くうろたえていた。そして、さっきまでとはうって変わって畏まったかしこ声と口調になった。

「まぁ……周郎様が、こんな小さな商人の家に……私、姓はこう、名は紫依しいと申します」

 と軽く身体を低く下げて、名乗った。そして、紅さんは私たちと向かい合うように椅子に座ると、卓の上にあった鈴を鳴らした。おそらく、来客のためにお茶か何かを持ってくるように鳴らしたのだろう。鈴を置くと、今度は私と万葉の取り合わせを探るような目を向けた。この二人の関係性や、なんで一緒にいるのか、つかみ取ろうという視線だった。

「紫依、喜べ。あんたへの貸しをチャラにしてやる」

 十歳の少女が偉そうに、そうのたまった。とても十歳の女の子といい大人の会話とは思えない。ま、万葉らしいといえば、万葉らしいけれど。

「え? 本当かい! え、なんで?」

 紅さんも、さっきまでの私への態度を忘れた。というか、おそらく、これが紅さんの素の部分なんだろう。

「わたしは、ここにいる美周郎に賭け碁で負けてね。今は美周郎のとこで食客をしてる」

「へぇ~、あんた、この方に負けたんだ。あんたでも負けることがあるんだねぇ」

 紅さんは不思議そうに万葉を見た後、今度は少し興味深げに私の方を見た。というか、紅さんも万葉の賭け碁の餌食になってたんですか?

「そんなわけで、あんたの負け分をなかったことにしてやる。その代わりに何個か言うことを聞いてもらう」

「……ま、普通にチャラになるなんて思ってもなかったからね。で、何をすればいい?」

「それは……」

 と万葉が話し始めた時、部屋の中に人が入ってきた。

「失礼いたします。お茶をお持ちいたしました」

 質素なほうを着た少女が大きな盆を持って入ってきた。……ん? なんか、どっかで聞いたことがあるような声。

 少女は顔を俯かせたまま、部屋の中央にある卓の上にお盆を乗せた。そのまま、少女は立ち去ろうとした。

 が、ちょっとした瞬間に少女と私の目が合った。

「あ!」

 ほぼ同時に声が出た。少しばかり、少女の方の声には濁音が混じっていたような気がする。

 彼女は、この前、うちに盗みに入った幼い女の子に似ていた。というか、この反応だと、ご本人なんだろう。わかりやすいほど、あたふたし始めた。

「なんだい、風鈴ふうりん。周郎様と知り合いだったのかい?」

 どうやら、彼女の名前は風鈴というらしい。風鈴は、どうしようといった感じを隠すことすらできずに、さらにあたふたする。

「その子は、うちに盗みに入ってきたことがあるんですけど……」

 私は大丈夫かな? と思いつつ、風鈴との出会いの時のことを話した。そして、店の中に自分が渡したぎょくの置物があると告げた。

 それを聞いた紅さんは見てて分かるくらい慌てた様子で、「風鈴、あの時のことかい!?」と本人に確認して、それが事実だと分かると、風鈴同様、あたふたしはじめた。……本当に大丈夫なんだろうか? 見てるこっちが心配になるくらいの動揺っぷりだ。

「なんだ、まだ金持ちから盗んだ品を売買してたのか? あれはほどほどに稼いだら辞めるように教えといたろ」

 万葉は平然とした顔でお茶をすすっている。え、今、あなた、教えたとかおっしゃいましたか? それは犯罪の幇助ほうじょではないのでしょうか?

「ああ。碁を打ってる時に相談されたから教えてやった」

 と、なんともない顔でお茶を飲んでいる。う~ん、十歳の女の子とは思えない言動だ。というか、この子はホントに大丈夫なんだろうか? 賢いのは認めるけど。

 そして、風鈴は『あの時』と同じように床に正座する羽目になった。紅さんもこれから起こりえる『最悪な状況』に備えて気持ちを落ち着かせるために、お茶を一口飲んだ。

「こりゃ、二度と美周郎に逆らえなくなったねぇ、紫依?」

 十歳の女子がしてはいけないくらい、万葉は悪い顔をしながら言った。もう脅迫する気満々の悪さを、幼さが残っている端正な顔立ちに浮かべている。

「……お望みはなんだい? 私の全財産かい? それとも、この身体かい?」

 あれ? なんか既視感デジャヴ

 いやいやいやいや、なんで、ここで服を脱ごうとするんですか! はい、風鈴も脱ごうとしない!

 私は慌てて、ふくよかな胸元から着物をはだけようとしている紅さんを止めた。……風鈴に色々と吹き込んだのは、あなただったんですね、紅さん。

 そんなやり取りを冷ややかに見ていた万葉は、お茶を一口すすってから口を開いた。

「あんたの身体なんか興味ないよ。それに金が欲しけりゃ、さっさと負け分全部を返してもらうに決まってるだろ? こっちは言うことを聞いてもらえればいい」

「言うことってなんだい?」

 紅さんと風鈴が神妙な面持ちで、こちらの言葉を待っている。この部屋に少しピリピリとした緊迫感が漂い始める。

「なに、美周郎が自分で間者が欲しいって言うんで、紫依のところで都合をつけてほしい」

 ことなげに万葉が言った。いや、いくら、商人だからって間者まで手配できるとは……。

「なんだい、それでいいのかい? 私は別に構わないけどさ」

 なんですと? この世界の商人はスパイとかも取り扱っているのですか?

 よほど、私がポカーンとしていたんだろう。万葉が説明してくれた。

 目の前にいる紅紫依は、かつて北方の生れで戦争孤児だった。彼女は芸妓を皮切りに旅芸団、才を見出され、いつしか間者として働いていた。ただ、いつ頃から商人に憧れを抱き、この蘆江に移り住んでから、それまで稼いだお金を元手に商売を始めたのである。いわば、現在はビジネスマンになった、元スパイといったところだ。

「いいでしょう、間者の件はお引き受けいたしましょう。ただ、こちらからいくつかご条件を申し上げます」

 かしこまった口調と表情を見ると、これからの話は万葉ではなく、私に向けられる感じだった。こちらも自然と神妙な面持ちになった。なんか、前世の働いていた頃を思い出した。

「まずは、我が紅商家を周郎様の御用商人のように扱っていただきます。周郎様が必要とされる物は私を優先的に商売させてくださいませ」

「……いいでしょう。つまり、情報もお金で、ということですね」

 紅さんの美しい顔がにっこりと微笑んだ。これは想定内の話だ。周家と紅さんとの関係をバレないようにうまく繋がるようにしないといけない。

 それから、紅さんは少し暗い顔をした。

「……間者は使うことは、汚れたこともしなくてはならない場合もあります。それもご了承くださいますか?」

 彼女は謀略や暗殺のことを示唆している。スパイを使って情報を集めて行動していれば、いずれ直面する問題だった。それに領地を護るため、戦と同様に、そういったものは必要悪のようなものだろう。そう割り切らなければ、生きてはいけない世界だと思う。

「分かりました。ただ、勝手な真似だけはしないでください」

 そう言うと、紅さんも了解したように頷いた。逆を考えれば、私たちも謀略や暗殺の対象になるわけだ。『長生き計画』を達成するために、十分注意しなくてはならない。

「では、これから紅家は周郎様だけの間者となりましょう。さて、呼び名はいかがしましょう?」

 ここで名称を決めることになった。確かに、ただ『間者』だと他のと区別するのが難しいし、何か組織名があった方が動きやすいのかもしれない。

 私はしばし、考えた。ここで伊賀者とか甲賀者とか色々、浮かんだ。ただ、厨二病的なネーミングが頭の中でちらつくのは、周瑜くん自身のセンスなのか?

しのびというのは、どうでしょう?」

 結局、安直な名前で落ち着いた。

「忍……ですか。なかなか良い名前かと思いますわ、周郎様」

 と紅さんは好意的に受け入れてくれた。隣の万葉も別段、変な反応はしなかった。やれやれ、厨二病的なものには触れなかったようだ。よかった、よかった。

「これから、忍として働くとして、まずは風鈴を周郎様お付きの者にします。よろしいですか?」

 と訊かれた。特に反対はしないけれど、大丈夫なんだろうか? さっきまでの様子を見ていると、少し不安になるのですが……。

「この子は、うちの中でも一番に近い腕を持っています。剣や刀なども使えますし」

 紅さんの言葉に、風鈴もコクンと頷いた。確かに、あの時は、私以外、屋敷の住人は風鈴の侵入に気がついていなかった。下手したら、私だって気がつかなかったかもしれない。ここは二人を信用するしかないってことか。

 風鈴を繋ぎ役にすることを了承すると、風鈴は少し嬉しそうに顔をほころばせながら、

「よろしくお願いします、主様」

 と礼をした。

「それから、紫依のほうで美周郎が人を集めていることを広めといてくれないか」

 商談が終わった頃を見計らって、万葉が紅さんにそう頼んだ。それに関しては、紅さんも「かまわないよ」と請け負ってくれた。

 こうして、私は『忍』という私専用の諜報部隊を手に入れた!

 そして、商人でもあり元スパイである紅さんの実力を、私はすぐに知る機会がやって来た。


 私、周瑜の下に、さっそく採用希望者が訪れたのである!

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