第3話 私、軍師を得る

「わしは隠居することにした」

 寝台に腰かけていた父、周異しゅういは告げた。その言葉には強い意志のようなものを感じる。

 私、周瑜しゅうゆは最初、「へ?」という感じで聞いていた。

 それから、その言葉の意味の大きさに我へと返った。

 父が隠居するということは、その跡を私が継ぐことになる。父には私以外、子供がいない。私はひとりっ子なのである。

 目の前にいる父は、ずいぶん憔悴しょうすいした感じだった。

 ここ最近、父は床に伏していることが多い。

 病気で寝ていたわけではない。過労と精神的ショックで寝込んでいた。

 父を襲ったショックの原因。それは漢王朝の首都『洛陽らくよう』が焼け野原になったことだ。

 漢の都が焼き払われたのを聞き、父は倒れた。

 それから起き上がっても寝室から出ることはない。

 まぁ、無理はないかなぁと思っている。倒れる前から父はオーバーワーク気味だった。

 その要因として上がるのは漢王朝内で権勢を振るっていた董卓とうたくと、それを討伐しようとした十七諸侯連合軍じゅうななしょこうれんごうぐんの戦だろう。

 朝廷での権力争いに勝利して、幼い皇帝の後見人になった西涼の将軍、董卓。

 中央の政治と相性が悪かったのか、自分の欲望が大きすぎたのか、とにかく政治は暴虐の極みを見せた。

 さらに董卓には帝の他に呂布奉先りょふ ほうせんという武将を配下に加えていた。

 人中じんちゅうの呂布、馬中ばちゅう赤兎せきと。そんな言葉を聞いた。

 大陸全土に名を轟かせる天下無双の将軍ようする暴君は好き放題やらかした。

 そんな董卓に対して、「董賊を討伐せよ」との檄文げきぶんがどこからともなく出回った。

 檄文を受けて十七人の太守や将軍が挙兵、連合軍を結成して董卓陣営に戦を挑む形となった。

 その檄文を見て、父も参加したかったろう。今は蘆江ろこうで自分の領地を管理している身だけれど、心は漢王朝の臣下なのだ。

 しかし、参加している諸侯が万単位の兵を率いているのに比べ、父の領地では千、二千を集めるのがやっと。

 父は参陣を諦め、支援へ尽力することにした。幸いにも近くに漢王朝では名門中の名門である汝南じょなん袁家の当主である袁術えんじゅつ、そして、私の親友、孫策そんさくくんの父親である孫堅そんけんさんが出陣。どうやら、その時に孫堅さんと会っているようだけれど、残念ながら今の私はまったく知らない事実。

 父は袁術を通して、後方支援を頑張った。

 袁術から兵糧の提供を求められたら、自分の蔵と領地からかき集めさせ届ける。馬や武具が足りないと言われれば、必死に集めた。戦功を挙げている武将に恩賞を与えるための資金が必要だと言われれば、父は私財をなげうつこともいとわなかった。

 すべては漢王朝のためであると父は思っていた。それははたから見ていた私もよく分かる。

 しかし、ある要求から父の想いと現実がズレ始めを見せた。

 袁術は戦に明け暮れる将兵を慰労いろうするために宴を開きたいから大量の酒を求めてきた。ここで、父と私も「ん?」となった。

 が、まぁ、戦の大将が配下を思いる気持ちも分かるので、これは送った。

 ただ、次の「武将たちの無聊ぶりょうなぐさめるために美女を送れ」という書簡には、「おい!」とツッコんだ。父も「何しに戦場へおもむいているのだ!」と手にした書簡を床に叩きつけるほど激昂げっこうした。

 さらに追い打ちをかけるように、ある噂が舞い込んできた。

 快進撃を続ける孫堅軍に袁術が軍需物資の補給を怠ったため、孫堅軍は一転敗走を余儀なくされた。しかも今まで提供していた物資を袁術が全て中抜きしていたという話まで流れる始末。

 それ以来、袁術からの要求はガン無視することにした。ただ、袁術は父を自分の臣下だと思っているのか何度も無茶な要求を送り続ける。ずっと無視されていても、さらに要求してくる袁術のメンタルの図太さに、少し感心した。

 それから数か月後に洛陽が燃え、長安に遷都されたという報が入った。董卓を討つことができず、連合軍は無駄骨を折った。

 一体、今までしてきたことはなんだったのか?

 徒労感や喪失感、無常感などが父を一気に襲い、身体と心をダメにしたんだろう。

 そして、現在。

「本気なのですか?」

「無論、本気だ」

 私の問いに父はやや食い気味に答えた。もう隠居する気満々である。

「父上が隠居された後、この領地をどうなさるのですか?」

「息子であるお前に任せる」

「……私は十七歳の若輩者です。荷が重すぎるかとおもいますが……」

「昔のお前なら、わしも心配であった。が、ここ最近はわしを超える才を見せておる。優れた子とは思っておったが……」

 軽く過去をディスられながらも、お褒めの言葉を頂いた。しかし、ここで素直に「はい、そうですか」と言うわけにはいかない。

 私は「隠居いいなぁ、代わってください」という言葉を飲み込んで、なんとか隠居を撤回できないか口を開いた。

「しかし、いくら才があるとしても、若輩者に変わりありません。他の豪族たちからは軽く見られるでしょう」

「案ずるな。しょうに後見するよう頼んである。何かあれば、頼るがよい」

 尚――周尚しゅうしょうというのは、父の弟、私の叔父さんにあたる人。近くの土地で太守をしているということだけ聞いている。もちろん、前世の私はどんな人か知らない。

 なら、叔父さんに領地を託せばいいじゃないの? と思ったけれど、叔父さんも叔父さんで支配している土地がある。こちらまで手が回らないというのが実情のようだ。

 それにやはり家は嫡男が継ぐべしという考えが当たり前の世界。道理からすれば、私が継ぐべきなんだろう。

 結局のところ、いくら話しても父の固い意志を崩すことはできなかった。

「これより、お前の父母は亡き者と考えよ」

 なんかカッコいい言葉で、父の隠居が確定した。

 ただ、そういうセリフはこういったシチュエーションで使わないんじゃないのでしょうか? と私は心の中で言った。

 隠居確定後の行動は早かった。事前に用意していたという長江が一望できる屋敷に使用人を連れ、さっさと出て行った。

 この事前準備を私に気づかれず遂行していたところをみると、やはり父も只者ではなかったということを思い知らされた。

 両親と使用人がいなくなり、ほぼ空き部屋という広い我が家で、私は蘆江周家の新たな主となった。


 両親とは別に、もう一つの別れがあった。

 孫策くんが家族を連れて、孫堅さんがいる長沙ちょうさへ帰ることになった。

 今まで孫策くんが蘆江にいたのは、連合軍の参加で長征していた孫堅さんの家族を周家で預かっていたからだ。

 戦をしている間、家族を領地に残しても護る者がいない。どうしようかと思案していたところに、周瑜くんが声をかけたらしい。

 名門である周家の御曹司からの申し出は、孫堅さんにとって渡りに船だった。これで家族を心配せずに戦へ集中できる。さらに名門周家とのパイプも繋がるという一石二鳥な感じである。

 その連合軍も洛陽から長安へ逃げた董卓を追撃するわけでもなく、自然消滅するように解散した。

 それで孫堅さんも洛陽から陣を払い、領地である長沙へと戻った。

 別れ際も孫策くんは熱血だった。

「また会おう、公瑾!」

 と私は力強くハグされながら耳元で叫ばれた。

 孫策くんの声は私の耳を撃ち、私の身体は剛腕で悲鳴を上げた。前世の私なら別の意味で奇声を発したかったけど……。それよりも、身体的ダメージの方がデカかった。孫策くんのお母さんが止めなければ、私は再び天に祈ることとなっていたかもしれない。孫策くんの兄弟たちも軽く引いていたように見えた。

 そんなこんなで孫策くん一行は長沙へと旅立って行った。

 ああ、ひとり、私の前から知り合ったイケメンがいなくなる。なんか、寂しくなった。

 その帰り道。

 城街まちの中を歩いていると、市場の一角で人だかりが出来ていた。ちょうど、酒場の端っこあたりだ。

 私は興味を惹かれて、そちらの方に向かった。大勢が集まっているが、騒がしい感じはない。何かを一心に見ているようだ。

 人の間をすり抜けるように近くに来てみると、どうやら碁の対局を観戦しているようだった。

 ただ、勝負している内容の違和感がハンパなかった。

 碁を打っているのは、かなり年のいっている男性と……女の子だった。

 おそらく、十代前半の女の子だろうか? 灰色がかった道士服のような服装で、手には羽の団扇を持っていた。

 黒髪を背中の辺りまで伸ばして、切れ長の目は落ち着いた感じで盤上を眺めている。艶やかな口元には余裕の笑みが浮かんでる。

 男の方は、明らかに頭を抱えていた。男性の方が黒石なんだろうけど、まったく石を置こうとしない。

 盤上も圧倒的に白が優位に進めていた。というより、ほとんど白が盤を支配していた。

 しばらく、長考を続けた後、男は負けた。

 決着がついた後、周囲の観客から深いため息と小さな賞賛の声が上がった。

 そのあと、少女は竹簡に筆を走らせる。それから、男に「賭け金」を要求してきた。

 どうやら、この二人は賭けをしていたようだった。いわゆる賭け碁というやつなんだろか?

 男は懐から銅銭を取り出し、卓の上に置いた。少女は「また勝負に来なよ」と言いながら、銅銭を自分の袋に入れた。

 対局が終わると群衆が徐々に散らばっていく。他に勝負する人がいるかと思ったけれど、少女に挑む者は現れない。

 なぜ、誰も挑まないのか、と観客の一人に聞いてみた。どうやら、少女は今まで誰にも負けていない。老若男女問わず、挑戦者を全員ボコボコにして、お金を巻き上げているらしい。

 ただ、賭け金が支払えない場合、貸しがきくらしい。そこらへんは彼女なりの優しさなのかな?

 碁か……。

 碁なら前世の私も、よくやっていた。理由は、囲碁将棋が戦国武将の嗜みだったから。それに前世の頃は携帯端末のゲームで気軽にできた。AI対局やオンラインで対人戦もよくやった。囲碁ゲーム内のランキングも上位に名を刻んだことがある。

 あと、孫策くんが大好きなのか、よく対局していた。孫策くんは強かったけど、私が負けたことは一度もなく、今日の別れた。

「お、あんた、勝負していくかい?」

 少女に声をかけられるまで、自分の周りに人がいなくなっていることに気がつかなかった。なんか、残っていたら、賭け碁に興味があるように思われたみたい。少女の顔には幼さに釣り合わない不敵な笑みが浮かんでいる。

 しかし、私は何故にこうも幼い少女に絡まれる? 前世に何かあったんだろうか?

 と思ったら、前世は私だ。心の中の私は自分の胸に手を当ててみた。これといった心当たりはない。

 ということは、私の前前世に何かカルマがあったのか? なんだか訳が分からない状態におちいりそう。

 私は雰囲気に流されるように碁盤を挟むような感じで椅子に座った。

「いくら賭ける?」

 少女は開口一番、訊いてきた。なんか、賭けるのが前提みたい。そういえば、あまり手持ちはない、というか持ってない。今日は孫策くんの見送りだけだと思ったのでお財布を持って来なかった。

 ほんとにそのときの私は何を考えていたのだろう?

 日頃の業務の疲れのせいなのか、孫策くんとの別れがあったからか、一人だけの周家のことが面倒くさくなってきていたのか。

 あとで思えば、少しどうでもいいやって感じと目の前の少女に意地悪な反応をしてみようという気持ちはあったんだと思う。

「この身を含めた全財産を賭けようかな」

 再び勝負が始まりそうなので集まってきた野次馬がざわついた。

 訊いてきた少女も澄ましていた表情が、幼い女子の驚いた顔になった。けど、すぐにそれは先程の不敵な笑みに変わった。

「見たところ、良いとこのお坊ちゃんみたいだし……ふんだくって、この城街まちを出るときの下男に使うのもいいか」

 負けることなんて考えていない。そう思わせる言い方だった。実際にそう思っているんだろうけど。

 ここでまだ名乗っていないことに気がついて、「あ、私は……」と言おうとしたところで、少女に手で払われた。

「あ、名前は後で聞くよ。いくら負けたか、こいつに書いてるから」

 少女はポンポンと碁盤の傍らに置いてある竹簡を叩いた。さきほど、筆を走らせていた竹簡だ。ここに今まで対戦した者の名前が書き込まれているんだろう。貸しがあることを考えると、そういった物があるのも納得した。

 それから、先を打てる黒番も私だった。碁は先手が圧倒的に有利だ。彼女は今まで対局してきた全員に同じように黒を取らせてきた。これも少女の自信と余裕の表れなんだろう。そこらへんには、むかつきはしない。

「では、一局お相手お願いします」

 私はずいぶんと年下の女の子に礼をする。彼女は澄ました顔で羽の団扇を仰ぎながら軽く頷いた。


 囲碁や将棋、チェスとかは打ち手の性格や思考パターンが出やすい。

 目の前の少女は強かった。確かに余裕のすまし顔ができるのも納得できる。

 彼女は強気で大勝の攻めが得意な打ち方だった。それでいて、時々、搦手を使って、相手を惑わせる布石を置いてくる。前世の私がAIやオンラインで鍛えられていなかったら、速攻で負けていたのかもしれない。

 私の得意な打ち方は堅実に守り、相手の囲いを潰しながら、陣地を確保する手だ。それを彼女に気がつかれないように石を打っておく。そのためには少女の猛攻の手を打ち続けさせる必要がある。

 彼女はテンポよく囲いを大きくする石をバシバシ打ってくる。私はそれを凌ぎつつ、自分の石を置く。久々にオンラインで上位ランキングの人と対している緊張感。一手間違えれば、戦況はガラリと変わるギリギリの状況。それを顔には出さないように打つ。

 序盤から少女の優勢が続いた。いつの間にか出来ていた見物人も負けパターン確定だと思ってるようだ。

 私以外で最初に異変を察知したのは、少女だった。

 最初は余裕で澄ました顔が少し動いた。盤上を見て、何かを感じたようだ。勝っているのに、何かが違う。そんな彼女の心の内を表情ではなく、仕草で分かった。

 顔色は変わっていないが、動かしていた羽の団扇が止まった。そして、時折、何か考えるようにおとがいに細い指を当てた。その仕草が幼い顔に相反して、なんとなく大人っぽさを感じさせた。

 中盤から、その仕草が多くなり、逆に少女の方が考える時間は多くなった。周囲の見物客がざわつく。常勝の少女を追い詰めている。外野が騒がしい中でも、涼しい顔をしているのはさすがだと思った。

 お互い石を打ちあい、終局の流れになった。

 周囲がどよめいた。私の八目半の勝利。

「……負けたよ」

 少女はあっさりとした表情で言った。

「生まれて初めて碁で負けたよ。さて、賭け金はどうしようかねぇ……」

 そう言って、再び、おとがいに指を当てる。そういえば、賭けをしていることを忘れていた。私は全財産を賭けている。前の盗人の女の子みたいに「身体で……」というのは勘弁してほしい。お姉さんは、そういうのは望んでいない。

「……うん、あんたの食客になろう。その上で、今までの稼ぎや貸しから賭け金を払おう。それでいいだろ、美周郎?」

 ……なんでそうなった? それに美周郎って何? 私の頭の上で複数のはてなマークが浮かんでいる。

 美周郎とは、私の巷での呼び名らしい。……ん、その呼び名を知っているってことは……?

「あんたのことは一目見た時から分かってたよ。まさか、周家の御曹司が全財産を賭けるとは思ってもみなかったけど」

 目の前の少女は心の中を見通しているような笑みを浮かべながら言った。そして、少女は姿勢を正した。

「姓は、名は万葉まんよう。これからは美周郎の食客としてお役に立ってみせましょう」

 と自己紹介された。万葉と名乗った少女は、これから私の下で働くということになったようだ。

 幼い少女だけれど、頭脳は大人な感じがするので、念願の軍師を得たのかもしれない。

 

 こうして私は華万葉という幼女軍師を賭け碁で得ることができた。

 私の『長生き計画』の大きな一歩目を進み始めた気がした。

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