永久不変
@Natulemon
第1話 黒龍 前編
キーンコーンカーンコーン……
聞き慣れた音が響くと、教室の中は一瞬賑やかになる。それが終わると、やっと終わったと言わんばかりに、大半の生徒が駆け足で教室を出ていく。
だいぶ静かになった二年の教室の中には、三分の一ほどの人が残っていた。いつも通りだなぁ、と感じる。俺はぼぅっとしながら、黒板の右斜め上に掛かった時計に目をやる。そのとき、後ろからかなりの勢いで肩を叩かれた。
「よう、封真。今日は部活あるのか?」
「晃輝か。驚かすなよ」
「ごめんごめん。で?今日も助っ人すんの?」
悪びれた様子のないクラスメイトの晃輝は、憎めない笑顔で聞いてくる。これも、いつものことだ。
「いや、今日はないよ。結と帰る約束してるからな」
「また結ちゃんかよ。このシスコン」
「うるさいなぁ、違うから!」
「封真は立派なシスコンだろ」
横から唐突に口を挟んできたのは、同じくクラスメイトの慎吾だった。今年の春に転校してきて、まだ二ヶ月ほどしか経っていないが、すぐにクラスに馴染んだ。
「だから違うってー!」
「でもシスコンになるのもわかるかも。結ちゃん、結構かわいいもんな」
「渡さないからな?」
「かわいいって言っただけだろ」
二年になって、この二人と一緒にいることが多くなった。いつものメンバーというやつだ。会話の調子も、いつも通り。今日も本当に、いつも通りの一日で終わりそうだ。
「お兄ちゃん。おまたせ」
比較的廊下側で話していた俺に、少し高めのかわいらしい声が聞こえた。振り返ると、ドアのところに妹の結が立っていた。
結は腰より長い、毛先の方だけピンクっぽく色の抜けた黒髪を、少しだけ右上の方でおだんごにしている。おだんごのしたには、幼少期に俺があげた“叶結び”の髪飾りをつけている。制服はきちんと着ており、すれ違った人が振り返るくらい整った顔立ちをしている。
「結。今日は部活行かなくて平気なのか?」
「うん。バレー部、怪我して休んでた人が復帰したから、助っ人終了したの」
はにかんだ笑顔で答える結は、やっぱりかわいい。こんな妹がいることが、本当に幸せだと思う。
「結ちゃん、今バレー部の助っ人してたんだ」
そう後ろから声をかけてきたのは、そばに座ったままの晃輝だった。晃輝は小学校からの付き合いなので、結とも知り合いなのだ。
「はい。人数あわせで」
「へぇ。凄いよなぁ、二人とも運動神経抜群だし」
「そうだよな。封真も、ちょっと人間離れしたレベルで運動神経いいし」
慎吾も混じって、そんなことを言い出した。
たしかに、自分で言うのも何だが、俺も結も運動神経はかなり良かった。運動に関係していれば、とにかくあらゆることが優れている。あちこちの部活から勧誘されるため、決まった部活には入らず、助っ人をする日々だった。結に関しては頭も良く、教師達からも気に入られている優等生だ。
「人間離れは言い過ぎだって」
「いやいや、五十メートル二秒はやばいだろ。十分人外だって」
晃輝がすかさず口を入れる。春の体力測定が、よほど記憶に残っているのだろう。
「はいはい。じゃぁ、俺ら帰るから。またな」
「「またなー」」
教室を出るとき、結が二人に会釈していた。律儀で礼儀正しく育ってくれて、俺は嬉しい。
俺たちには両親がいない。十二年前、俺が五歳、結が四歳の時に、交通事故で死んだらしい。といっても、そんなこと知らないし、両親のことだって覚えてない。俺たちの叔父叔母から聞いたのだ。
俺たちは今、普通のマンションに住んでいる。俺もバイトはしてるけど、基本はさっき言った叔父叔母が養ってくれている。本当に、いい人達なのだ。俺の一個上の従姉もすごく優しいし、身内に恵まれていると思う。
結と並んで歩きながら、空を見上げた。もう六時は過ぎているはずだが、まだ空は暗くなく、赤っぽかった。
いつも通りの、帰り道だった。今、この瞬間までは。
「叶封真だな」
突然、声がした。顔を上げると、いつの間にか目の前の道に、男の子が立っていた。
暗い藍色の髪が、左目を隠している。二次元にいそうだなぁと、のんきなことを思った。瞳は髪色よりは明るい藍色で、見ていると吸い込まれそうな気さえしてくる。背格好から、おそらく俺や結と同い年くらいだと思うが、雰囲気が普通ではなかった。
それに、何だか変わった服を着ていた。全体的に真っ黒な詰め襟の服で、襟の一番上には灰色のラインが入っている。そのラインの向かって右側にボタンがついていて、そのボタンは金色だった。その横から、服の重ね目なのか、線が入っている。
横向きのカードケースみたいなのを左腰に着けていて、右腰には堅そうな、カッチリした小物入れみたいなのが付いていて、それらをベルトで繋いであるようだった。
マントを羽織っていて、両肩にやはり金色のボタンで留めてある。マントに隠れてよく見えないが、左腕にはスマホでも入りそうな形と大きさの袋がついている。
そして、ものすごくこちらを睨んでいた。
「えっと、そうだけど。君、誰?会ったことあるっけ?」
「大人しくついてこい。嫌だというなら力ずくで連れて行く」
冷淡な口調でそう言われたが、だからといって、はいわかりました。とついていくわけにも行かない。
「何で?ついていかないといけない理由は?そもそも、君は誰なんだ」
「……」
彼はため息を着くと、左腕についている袋から何かを取り出した。
「化物討伐部隊“忍”、階級『灰』鴉魔羽闇だ。俺は上からの命令で動いている。大人しくついてこい」
警察手帳みたいな物を広げてみせられたが、呪文みたいなことを言われても、ピンとこない。理解できたのは、彼の名前くらいだ。
だがーー結は違うようだった。
ふと隣を見ると、結が真っ青な顔で立ちすくんでいる。こんな結は見たことが無かった。
「結?どうした、大丈夫か?」
「……お兄ちゃん。逃げて」
「え?」
「早く……じゃないと、……!」
そう呟くように言った結は、ますます青い顔になる。一体、どうしたというのか。
「叶結。お前もだ」
突如、彼……鴉魔羽闇が、結に向かって言った。
「……私?何で?だって、だって……」
「結?どうしたんだ……」
「やっぱり嘘だったんだ……」
結は顔を上げると、彼に近づいていった。俺は戸惑ったが、結はスタスタと歩いていく。
「連れて行くなら私だけにして。お兄ちゃんには手を出さないで」
「……そう言うわけにはいかないな。お前より、そいつの方が優先されている。なにせ、災害指定化物だからな」
何を言っているのか、わからなかった。それでも、災害指定化物と彼が言ったとき、確実に俺のことを見た。
「そんなの関係ない!お兄ちゃんはこの十年大丈夫だったでしょう!下手に刺激しなければ大丈夫に決まって……」
「お前がいることがいけないんじゃないのか?」
「……!」
二人が何の話をしているのか、俺にはわからなかった。それでも、彼が俺を連れて行こうとしていて、結が俺をかばってくれていることはわかる。
「私は……」
「はーい、ストップストップー」
「「「!?」」」
結の言葉を遮って、背後から声がした。反射的に振り返ると、そこにはまた、同い年くらいの男が立っている。でもこの人は……どこかで見覚えがあった。
赤っぽいオレンジの髪に、同じく赤みがかった瞳。さっきの鴉魔と同じような服を着ていたけど、詰め襟のラインが黄色だった。それに、マントも羽織っていない。
「あなたは……このっ、どんなつもりで……!」
結はその人を見た途端に、顔色を変えた。怒っているようだった。
「久しぶりだねぇ、結ちゃん。それに、封真くんも」
「俺のこと、知ってるんですか?」
この人に見覚えはあったが、全く思い出せない。この人は、俺を知っているのか。
「もちろん!十年前、君の暴走を止めたのは僕だからね~」
「……暴走……?」
「あれっ?そっか、覚えてないよね!君、暴走状態って自我無いんだったもんね~」
「ちょっと待ってください!どういうことですか?暴走状態って……あなたたちのことも、何もわからないんですけど……」
俺は不安になって、まくし立てるように問い詰めた。この空間で、一人だけ状況が飲み込めていないことが、不安だった。
そして、その人は赤みがかった瞳でまっすぐ俺を見据えると、呟くように答えた。
「君はー……人じゃないんだよ、封真くん」
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