第28話 お菓子の効果

 そうして始まったエリシアさんとのお菓子選びは、とても単純なものになる予定だった。僕がいくつか知っているお店を案内し、そこでエリシアさんがめぼしいものを食べてみてジゼルへのお詫びの品にふさわしいか見定める。ただそれだけの単調な繰り返し。


 実際、最初のお店から次のお店に向かうくらいまではそんな感じだったのだけど……。


「……」

「……あの、エリシアさん? もしかしてあの屋台が気になってます?」

「え……あ、いや…………ええ」


 寄り道。


「ねぇクロス。アレはなにかしら?」

「え? ええと、確か王都にあるカフェってやつを真似たお店ですね。コーヒーとか軽食が楽しめるっていう。……えと、入ってみます?」

「す、少しだけ」


 寄り道。


「なんだかあっちは雰囲気が違うのね。大きな建物がたくさんあるわ」

「あっちは劇場とか、演奏ホールとか、娯楽施設が密集してる区画なんですよ。僕みたいな孤児には縁の無い場所なんですけど……周りだけ見てみます?」

「……うん」


 寄り道。


 興味津々。子供のように周囲を見回すエリシアさんにつられて、お菓子選びは途中から種類を問わない買い食いとお店巡りの旅に変わっていた。最後の方なんてまだ開いてもいない劇場の外観を見るためだけに歓楽街まで足を伸ばしてたし……。


 そうしてお菓子選びを終える頃にはすっかり日も暮れかけていて、僕はようやく選び終えたお菓子を抱えながら、最初の待ち合わせ場所である教会前広場のベンチにエリシアさんと並んで腰掛けていた。


 相変わらず心臓はバクバクしていて全身が緊張しっぱなしだったけど、この頃になるとどうにか失礼がない程度にエリシアさんと雑談を交わせるようになっていた。


 ……本当にギリギリ取り繕っているだけで、いまも指先が震えているし、緊張しすぎて今日1日の記憶が曖昧だけど……。


「あなたはたくさんのお店を知ってるのね。よく誰かと行くの?」

「いえ、お店の場所や概要についてはそこそこ知ってるんですけど、自由に使えるお金が少ないので、実際に利用したことはほとんどないんです」


 いろんなお店の情報を知っていたのは雑用クエストの際に街を探検していたのと、孤児院の先輩冒険者からたまに話を聞いていたからだ。


「なので実は今日、エリシアさんと一緒に入ったのが初めてで、結構楽しかったりして……」

「……私も楽しかったわ」


 僕が頬を染めながら呟くと、エリシアさんもぽつりと声を漏らす。


「こんな風にいろんなお店を回ったり、気ままに食べ歩きするなんて初めてで」

「え、でも、いままでいろんな街を修行で回ってたんじゃあ……」

「修行のためだけよ」


 不意に、エリシアさんの声が硬くなる。


「こんな風に街を回る時間なんて、いままでほんの少しもなかったわ」

「……っ」


 感情の抜け落ちたようなその声に僕は言葉をなくす。

 それはあの日、『〈無職〉が冒険者になんかなれるわけない』と断言したエリシアさんと似通った雰囲気で……。なんだか深く聞いてはいけないような様子に気圧されて、ただでさえ緊張しきっていた僕はなんと言えばいいのか全然思いつかなかった。


 するとそんな空気を察したのか、はっとしたようにエリシアさんが顔を上げ、


「だから今日は、本当に楽しかった。あなたがいてくれたから知らないお店にもたくさん入れて……なんだかお礼とお詫びになってないんじゃないかってくらい」

「えっ、そ、そんなことないですって!」


 急にそんなことを言って申し訳なさそうな顔をするエリシアさんに、僕は慌ててエリシアさんに選んでもらったお菓子を掲げる。


「……そう、ならよかった」


 そう言ってエリシアさんが小さく笑ったとき。


 カランカラン――カランカラン――。


 狙い澄ましたかのように教会の鐘が仕事終わりの鐘をつく。夕暮れはいつの間にか夜に近くなっていた。


「さすがにもう帰らないといけないわね」


 エリシアさんがベンチから立ち上がる。僕もつられて立ち上がり「あ、あの、今日は本当にありがとうございました!」と何度も頭を下げた。


 けれどエリシアさんはいつまでもその場から動かない。そうして鐘の音が鳴り終わった頃、


「ねぇクロス。そのお菓子の結果、また教えてね。あなたがあのガラの悪い子とちゃんと仲直りしてくれないと、お礼とお詫びにならないから。……なにかあったら、また私に相談してね?」


 これも、僕の思い上がりなのだろうか。

 エリシアさんは柔らかい声音で名残惜しそうにそう言うと、この時間が終わるのを少しでも先延ばしにするようにゆっくりと僕に背を向け、人混みの中へと消えていった。


「……」 


 僕はそれから、エリシアさんが消えていったその人混みをバカみたいにずっと見つめていて。


 そうして、ともすれば白昼夢かなにかだったのではないかと疑わざるを得ない時間は夜に沈む夕日のようにあっさりと終わってしまったのだけど――その翌日。



「どうだった?」

「え、ええと……」


 その日の講義が終わった直後。講義室を出た僕はその瞬間、待ち伏せでもしていたかのようにして現れたエリシアさんに驚く間もなく攫われた。一瞬にしてまた人気のない闘技場の陰まで運ばれたかと思うと、エリシアさんは開口一番ジゼルとの顛末を聞いてきたのだ。


(周りの目を気にするのはわかるけど、毎回こんなことされたら心臓がもたない……!)


 エリシアさんに詰め寄られて小さくなりながら、僕は心の中で悲鳴をあげる。

 けれどいま口にすべきはそんなことではなくて、


「それが……その、お菓子作戦は上手くいかなくて……」


 僕はおずおずと、作戦失敗の顛末をエリシアさんに報告した。

 リオーネさんたちにも悟られないようお菓子をギルド受付に預けていた僕は、朝一番にこれを回収してジゼルに渡そうと試みた。直接渡すのはどう考えても無理だったので、元ルームメイトに頼んで間接的に渡してもらったのだ。けれど結果は大失敗。ジゼルは僕からの贈り物と知るやお菓子を粉砕。その怒りは増すばかりだったらしい。


 さすがにお菓子粉砕のくだりは言いづらかったので、そこは省いて説明する。けど、


「そう……」


 それでもエリシアさんはしゅんと肩を落としてしまった。

 一気に罪悪感が噴き出し、僕は大慌てで補足する。


「あ、でも、でもですね! ジゼルの周りにいる孤児院組の評判は凄く良かったみたいなんです! ジゼルが受け取らなかったお菓子をもったいないからって食べてくれたみたいなんですけど、そっちからはお礼の声が届きました! エリシアさんの審美眼は確かだったんです!」


 ぴくり。


「……いけるかも」

「え……?」


 なにやら僕の言葉に反応したエリシアさんが瞳に力を取り戻す。


「周りの人たちから切り崩していけば、少しずつあのガラの悪い子の態度も軟化していくはずよ。うん、こういうのは根気と誠意だから。同じ作戦を続けていけばきっと大丈夫。……多分」


 エリシアさんは最後になにか付け足すと、


「だから、また付き合うわ、お菓子選び。すぐには無理だけれど、また周りの目を盗――都合の良い日を見つけてあなたに教えるから」

「え……でもそんな、エリシアさんに何度も付き合ってもらうなんてさすがに申し訳なさすぎるというか、畏れ多いというか、いくらなんでもご迷惑をおかけしすぎるというか……」

「そんなことないわ」


 エリシアさんはやたら力強く断言し、それからどこか悲しそうに目を伏せると、


「……それとも私とのお菓子選びは、もう嫌かしら?」

「いえそんなことないですこちらからもお願いします!」 


 辞退などできるわけがなかった。

 こうして僕はエリシアさんの気迫(?)に押し負けるように、またしばらく彼女憧れの人との密会を続けることになったのだけど……それには一つ、大きな問題があった。


(お金、どうしよう……)


 たった一度の、それもかなり自制していたはずの街歩きで孤児院時代の蓄えをほとんど使ってしまっていた僕は、正気に戻って途方に暮れるのだった。


      *


 そこは広い敷地を有する冒険者学校の中に数ある談話室の一つだった。

 主に冒険者同士の情報交換の場として使われることの多い談話室はしばしば特定勢力の溜まり場となり、排他的な領域と化すことも少なくない。


 その談話室も例に漏れず、冒険者ギルドの運営する孤児院からほど近いという理由で、代々孤児たちの中心グループが占有する排他的な空間と化していた。


 夕方。その談話室には講義やクエストなどの用事を終えた十数人の孤児が集まっていた。

 普通はこれだけ集まればなにかしらバカ話に花が咲くものだが、今日に限っては……いやここしばらくはそんな気配はみじんもなく、ピリピリとした空気が場を満たしていた。


 その空気の発生源――集まった十数人の中でも飛び抜けて不機嫌で場の空気を支配していることが一目でわかる少女――ジゼル・ストリングは隣に座る孤児の1人に声をかける。


「で、準備はどうだ?」

「あ、ああ。使えそうなクエストはいくつか仮押さえしといた。簡単なクエストばっかだし、いざとなればすぐ消化できるから怪しまれることもないと思うぜ。西の森の順路も採取クエストのついでに再確認しておいた。あ、けど一つ気になることがあって……」


「なんだ?」


「最近、西の森で獲物が減ってんだ。時期的に、下位の危険度リスク3モンスターかなにかが迷い込んで森を荒らしてんじゃねーかって話で、ちょっと危ねーかも」

「はっ、下位の危険度リスク3程度ならむしろ好都合じゃねーか。が起きて調子に乗った駆け出しが半殺しになっても、全部そのモンスターのせいってわけだからな。よし、じゃああとはあの0点野郎が調子に乗って動き出すのを待つだけだ」


 報告を受けたジゼルが昏く笑う。

 と、そんなジゼルを横目で伺っていた取り巻きの一人が意を決したように口を開いた。


「な、なあジゼル。本当にやんのか?」

「……ああ?」

「さすがにちょっとやりすぎっつーかさ、ちょっとくらい加減してやっても……ほら、あいつが持ってきてくれたお菓子も美味しかったし」

「てめーアレ食ったのかよ!!」


 ボゴォ! 制裁。ジゼルが椅子を蹴り飛ばし、取り巻きを何度も踏みつける。


「ぎゃああああああっ! わ、悪いジゼル! 美味しそうでつい!」

「ったくバカが。その程度のことでほだされやがって」


 ジゼルは吐き捨てるように言うと制裁を終え、その場にいた全員に鋭く目を向ける。


「手加減なんざありえねーし、中止なんざもっとありえねぇ。あの〈無職〉野郎は私の面子を潰しやがったんだぞ!」


 孤児院組の頭を張っている自分の面子を潰す。

 それがなにを意味するのか、ヘラヘラと復学してきやがったあのバカはなにもわかっちゃいない。だから、


「絶対にぶっ潰してやる……っ!」


 どんな手を使っても。

 当初、弱いくせに冒険者になりたいなどとほざいては弟のことを思い出させてくるクロスに苛立ち、「冒険者を目指す資格などない」とイビっていたときとはまるで違う。


 揺るぎない敵意とともにジゼルは低く呟いた。


「「「……」」」


 そしてこの場に集められた孤児院組の面々は顔を見合わせつつ、しかしジゼルの言葉に逆らう者など誰もいない。〈無職〉に破れてもなお、ジゼルのリーダーシップは強烈に彼らを統率していたのである。


 ゆえに――計画はもう止まらない。


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