第40話 サッチウィーブ

 「敵編隊接近、距離七〇浬、その数約二〇〇」


 敵機接近の報を受けた第三艦隊司令長官の小沢中将と第四艦隊司令長官の桑原中将は一切の迷いなく直掩戦闘機隊に全力出撃を命じた。

 発見された米空母は四隻だから、二〇〇機というのは妥当な数字であり、これだと敵の第二波攻撃は無いかあるいは有ったとしても小規模なものにとどまるはずだった。


 上空警戒任務にあたっていた「加賀」と「赤城」、それに「蒼龍」と「飛龍」のそれぞれ一個中隊、合わせて四八機の零戦が速度を上げて西の空へと進撃していく。

 その間に八隻の空母からこちらもそれぞれ一個中隊、合わせて九六機の零戦が飛行甲板を蹴って大空へと舞い上がっていく。

 一四四機の零戦をもってすれば、二〇〇機程度の戦爆連合を撃退するのはさほど難事ではない。

 最初、誰もがそう思っていた。






 「すべて戦闘機なのか!」


 先発した四八機の零戦が敵の護衛戦闘機を引きはがし、その間に後続の九六機の零戦が敵の急降下爆撃機や雷撃機を片っ端から平らげていく。

 そう考えていた新郷少佐は、しかし米艦上機隊のあまりにも偏った編成に信じられない思いだった。

 ここから導き出されるのは、敵の狙いは艦艇ではなく航空機。

 つまりは自分たち零戦隊の撃滅だ。

 想定外ではあるものの、それでも新郷少佐は現実は現実としてあっさりと受け入れる。

 聞くところによれば、欧州では第一波に戦闘機だけで固めた部隊で制空権を獲得し、第二波の戦爆連合が目標を空爆するということが珍しくないという。

 おそらく、米機動部隊もまたそれに倣ったのだろう。

 艦隊を守るための洋上防空戦闘から戦闘機同士が潰し合う航空撃滅戦のそれへと新郷少佐は意識を切り替えた。


 この戦いに投入された零戦はそのいずれもが最新の三二型だった。

 発動機は一一〇〇馬力を発揮する四〇系統の金星から一三〇〇馬力の五〇系統へと更新され、さらに武装も七・七ミリ機銃四丁から一二・七ミリ機銃四丁へと大幅に打撃力がアップしている。

 武装や防弾装備の充実などで重量が増え、最高速度こそ微増にとどまっているものの、それでも二〇〇馬力アップの恩恵はそれなりに大きく、加速や上昇力は明らかな向上を見せていた。


 「前型の二一型でさえF4Fに対しては優勢だった。三二型であればその性能差はさらに隔絶しているはずだ」


 そう思っている新郷少佐の目に、だがしかし零戦が火を噴いて墜ちていく姿が次々に映りこんでくる。

 信じられない思いでいる新郷少佐だったが、よそ見をしている暇は無かった。

 単純な数で言えば自分たちよりも敵の方が圧倒的に多いのだ。

 F4Fから吐き出される六条の火箭を躱しつつ、零戦得意の急旋回をかけて新郷少佐はF4Fの後ろをとる。

 後は金星発動機の太いトルクを生かして加速、一気に距離をつめて一二・七ミリ弾を浴びせればF4Fを撃墜出来る。

 七・七ミリ弾よりも遥かに威力に優れる一二・七ミリ弾であれば仕損じることはほとんど無いはずだ。

 照準環に敵機をとらえつつ、だがしかし同時に新郷少佐は背後に不穏な気配を感じる。

 脳が命令するよりも早く手と足が動いた。

 機体を横滑りさせた瞬間、つい先程まで機体があった空間を曳光弾が駆け抜けていく。

 嫌な汗が流れるのを感じつつ、新郷少佐は己の本能あるいは戦闘機乗りの勘のようなものに感謝を捧げる。

 それが無ければ今日が自分の命日となっていたはずだ。


 新郷少佐が紙一重で機銃弾を躱した時には撃ちかけてきたF4Fは何事もなかったかのようにさっさと身をひるがえして乱戦の渦へと消えていく。

 新郷少佐は知らなかったが、米軍はこの戦いから本格的にサッチウィーブあるいは機織り戦法と呼ばれる空戦術を使用し始めており、それを知らない零戦搭乗員は面白いように囮と仕留め役を持つ相互支援の罠に絡めとられてしまったのだ。

 それでも、多数の熟練を擁する零戦隊には奇襲効果が薄れるとともにそれも通用しなくなる。

 さらに、遅れてやってきた第二陣の九六機の零戦がF4Fの側背を突くようにして戦闘機同士の潰し合いに乱入する。

 このことで、空戦は一気に日本側有利となるが、その一方で仲間を失った零戦の搭乗員たちは冷静さを欠き、視野が狭くなったまま戦友の敵討ちとばかりにF4Fを追いかけまわす。

 だから、その空戦域からわずかに離れた空域を東へと向かう敵第二波一〇八機の爆雷連合に気づいた者はいなかった。

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