第一章(08) ゲルト
洞窟に差し込む赤い光が徐々に薄れていく。『戦竜機』の気配がないことを確認して、まずはゲルトが外に出る。続いてヨハンナ、フェガリヤ、そしてメサニフティーヴと続く。
ここが森のどこであるのかは、ヨハンナが把握していた。街があるのはあの方角だと、コンパスを手に指さした。
「資材の回収をしなくちゃだけど、いまは帰るべきだよね?」
来た時と同じく槍を手にしたヨハンナは、全く重さを感じていないようにずんずんと進む。自分が持つより勇ましいと、ゲルトは溜息を吐いた。
「ところで、フェガリヤとメサニフティーヴはどうするんだ?」
はたと思い出して、ゲルトは奇妙な兄妹に尋ねた。森の入り口まで送ると言ってくれたが、その後はどうするつもりなのだろうか。
「私達は引き続きあの『戦竜機』を探します……探して、助けないと」
フェガリヤの声は、どこか小鳥のさえずりを思わせる。そういえば、彼女は言っていた。
「――『彷徨う竜を月に導くため』?」
口にすれば、花開くように銀色の少女は笑った。
「はい! それこそ、私の使命……『戦竜機』や『屍竜』、この地上に彷徨う竜を、月に還すのです。『戦竜機』は、竜の全てを使った兵器……歪んだ魂が、身体に結びついてしまっています。だからその魂を解放し、導かなくてはいけません……」
あの『戦竜機』も例外ではありません、と、小首を傾げれば、銀の髪が揺れた。
しかし意味がわからない。そもそも彼女達はどこから来たのか。『戦竜機』が竜の全てを使ったものだとは知っているが、歪んだ魂とは何なのか。それ以前に――。
「魂って?」
そう尋ねた時だった。
轟音に木々が震えた。赤を失い明るくなってきていた空が、暗くなる。殺戮を繰り返す駆動音が耳をかすめた。
刹那、ゲルトは思い出す。
仲間が『戦竜機』の奇襲を食らった際、奴はどこから来たのか。
「飛び込めぇっ!」
考えるよりも先に身体が動いていた。槍を手放し、両手でヨハンナとフェガリヤを掴み、前方に転がるように飛び込んだ。茂みの細い梢で肌を切ろうが、気にしてはいられない。
直後に、背後に重量のある何かが落ちた。振動が広がる。涙のように木々から葉が舞う。
そして咆哮に肌が粟立つ――振り返れば、奴はそこにいた。
竜の全てを使った故に、竜に似た造形。まるで詰め込んだものが溢れているかのように、生々しく体表に現れている人工物。
――『戦竜機』が命を奪うことだけを考えた瞳で、三人を睨んでいた。
「これが『戦竜機』かぁ……」
わずかに漏れたヨハンナの声。言葉こそいつも通りだったが、妹の声がかすかに震えていることにゲルトは気付いていた。
しかし『戦竜機』は突然悲鳴を上げて振り返る――背後に飛び退き、奇襲を逃れたメサニフティーヴが、その身体に噛みついていた。けれども『戦竜機』が大きく暴れると、比べて体格の小さな黒い竜は振りほどかれてしまう。
初めての戦いでも傷つけ、昨晩も槍を受けたはずの『戦竜機』。不死身と言われるその兵器の身体に、いまは傷一つなかった――一晩で治ったのだ。
人間が生み出したという恐ろしい兵器の特徴は、その破壊力と治癒力。
誰も手をつけられなくなったそれは、もはや災害。
「ゲルトさんとヨハンナさんは逃げてください!」
鋭くフェガリヤの声が響く。素早く立ち上がった彼女は、凛と『戦竜機』を見据えていた。
「あの子の相手は私達がします。ですからどうか、急いで――兄様! 大丈夫ですか!」
「――ああ、大丈夫だ。私は負けない」
木々の向こうではメサニフティーヴが体勢を整えていた。飛び込んできた『戦竜機』の爪を避けて、反撃に息吹を吐く。しかし『戦竜機』は再び爪を振り下ろし、息吹を切り裂いた。
「兄様!」
息吹を切り裂いた爪は、そのままメサニフティーヴの顔を切り裂いた。けれども黒い竜は退かず体当たりをすれば『戦竜機』は油断していたのだろうか、耐えられず地面に転がった。
「どうやら、私の竜としての力は、こいつにかなわないらしい……」
メサニフティーヴは悔しそうに牙をむくが、その牙の隙間からはまた光が漏れていた。
「しかし弱らせていけば、今度こそ――」
だが次の瞬間、転がったままの『戦竜機』の背中のパイプから破裂するかのように紫色のガスが広がった。たちまち辺りを染める。メサニフティーヴが再び吐き出した息吹すらも打ち消す。
「毒ガスだ!」
ゲルトが声を上げれば、ヨハンナは素早くマスクを身に着けた。フェガリヤもぼろぼろの服の裾で鼻と口を覆う。そして再び彼女は叫ぶ。
「さあ早く、逃げてください!」
できることは、ない。
ゲルトは頷けばヨハンナの手を引いて走り出した。いまは妹を連れて、逃げなくてはいけない。
だが一瞬振り返ったそこで、濃いガスの中から鞭のようにしなった何かが、小さなフェガリヤを弾き飛ばしたのを見た。
「フェガリヤちゃん!」
ヨハンナが叫ぶ。ゲルトも立ち止まる。
『戦竜機』の長い尾。それがフェガリヤを弾いた。銀色の少女は地面に転がり、動かない。
続いて響いたのは竜の悲鳴。『戦竜機』のものではなく、メサニフティーヴのもの。空気を汚したガスの向こう、大きな竜が、自身よりも小さな竜の身体に牙を立てていた。よく見ればメサニフティーヴは苦しそうに口を開けていた――至近距離で毒ガスを受けたのだ、早くも毒に冒されているらしい。
「早く……にげ、て……」
ゲルトが愕然としていると、弱々しい声が聞こえた。フェガリヤ。何とか顔を上げているが、苦しそうに咳き込む。それでも。
「早く……」
――何故、この奇妙な兄妹が『戦竜機』と戦っているのか、ゲルトにはわからなかった。
この兄妹は普通ではない。それは十分にこの目で見た。
だからこそ、言われた通り逃げようと足を出したところで、改めて強い疑問が浮かぶ。
何故、フェガリヤとメサニフティーヴは戦っている?
使命があると言ったが、何故、そんな使命を背負っている?
何故――先祖が作ったものを、一人と一体に押し付けて、自分は逃げようとしている?
信じがたく、受け入れがたく、理解もできないが。
人間があの恐ろしい存在を作り出したのは、確かなことなのだ。
竜を犠牲にして。
それを、手を付けられなくなったからといって、竜に押しつけるのか?
「……ヨハンナ、お前は森を出ろ。とにかく街に戻るんだ」
突き放すように、妹を前へ押す。
そしてゲルトは『戦竜機』を見据えた。落としてしまった『竜血鉄』の槍を握る。
妹が何か叫んでいるのが聞こえた。フェガリヤも何か言っていたようだった。けれどもゲルトは止まらなかった。『戦竜機』に圧されているメサニフティーヴが目を見開く。
『戦竜機』は、小さな存在に気付かなかった。
ゲルトは毒ガスを切り裂いて――『戦竜機』の身体に槍を突き刺した。
伝わる肉の感覚、溢れ出る血。そして跳ね上がる『戦竜機』の身体。
『戦竜機』が暴れたものだから、ゲルトの身体は宙に浮いた。しかし槍からは手を放さない。抜けさせるわけにはいかない。この槍は、刺さっているだけで竜を弱らせることができるのだから。
自由になったメサニフティーヴが血を流しながらも一度退いた。『戦竜機』はまるで馬のように暴れたが、それも一瞬だけ。槍を握り続けるゲルトの姿を発見すると、ぐいと首を伸ばす。
だがその顔に、先程のお返しと言わんばかりに、メサニフティーヴの爪が振り下ろされた。顔を裂かれ『戦竜機』は天を仰ぐ。
このままどうにか、メサニフティーヴが仕留めれば――そう考えつつ、地面に足をついたゲルトは槍を深くに押し進める。そこで突然苦しさがせり上がってきて、まるで喉と肺が焼けているかのように息ができなくなる。
毒。徐々に身体の力が抜けていき、ついに槍を手放してしまった。しかしまだ動ける、ひとまずは薬を――。
大きな影が、覆い被さる。
はっとして見上げれば、命があるものとも、命がないものとも言えない瞳が、こちらを見下ろしていた。殺すためだけに磨かれた牙のある口が開く。
ところが殺戮兵器がゲルトに噛みつこうとした瞬間、何かが『戦竜機』に被さった。それに絡めとられてしまった兵器は、驚いて頭を振る。
網。
「――ヨハンナ!」
見れば、逃がしたはずの妹が槍を手に立っていた。網に絡め取られて慌てている敵に、まっすぐその切っ先を突き刺す。
『戦竜機』は悲痛の叫びを上げた。だが未だ暴れ続けている。周囲にいる生き物全てを殺さんと言わんばかりに、またしても背中のパイプから濃い毒ガスを広げる。
いよいよガスに辺りが見えなくなる。これほどに濃い毒、助からないかもしれない――。
力強い羽ばたきが聞こえた。
纏わりつくかのように漂っていた毒ガスが動き出す。どこからともなく吹いてきた強風に、洗い流されるように紫は薄れ、消えていく。
それはメサニフティーヴの羽ばたきだった。大きな黒い翼は、冷たい風を生みだし、木の葉と共に毒を散らした。
そして黒い竜は『戦竜機』の喉笛に牙を立てる。
深く、深く。砕くように。ちぎれんばかりに。悲鳴すらも上げさせないほどに。
果てに、小気味のいい音がした。
もがいていた『戦竜機』の身体から、力が抜ける。
「これで……十分だろう」
ようやくメサニフティーヴが口を離せば、どん、と『戦竜機』は地面に落ちた。手足や尾はまだひくひくと動いている。弱々しい声も漏らしている。けれどももう行動ができない。背中のパイプからは、もう何も出ない。
やっとのことで『戦竜機』を行動不能にできた。
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