第一章(07) ヨハンナ

 気付かないうちに、ゲルトは眠りこけていた。


 すぐ隣には、全滅したと信じられていた生きた竜と、まるで人形のような銀の少女がいる。そんな状況にもかかわらず、人というのは眠れるものなのだと、まだうとうとしながらも思う。


 ふと、微睡の中、考える――もしかすると、全て夢なのではないか、と。本当は全て夢で、これからもう一度森に行くところなのではないだろうか。そう、病院での手伝いを終えて、再び森へ行く前の、仮眠の中で見ている夢――。

 いや、そもそも『戦竜機』が出たというところからが夢――。


「――何かが来ている」


 低く、力強い声に、ゲルトは現実に引き戻される。


「……『戦竜機』か?」


 脳はすぐに警告に覚醒する。先程メサニフティーヴから引き抜いた槍は、傍らに転がっていた。それを拾って、ゲルトは立ち上がる。


 外はまだ赤かった。夜。赤い光に、鼓動が速くなる。

 もし『戦竜機』だったのなら、勝てるのだろうか。もう仲間はいない。竜の弱点は竜であるが、メサニフティーヴはひどく苦戦していた。


「……いや『戦竜機』ではないな。音がしない」


 と、黒い竜が気付いて、外に目を凝らす。確かに『戦竜機』独特の駆動音は聞こえない。


「……『屍竜』ですか?」


 いつの間にか目を覚ましていたフェガリヤが首を傾げる。

 だがゲルトは、何よりも可能性の高い存在を思い出す。


「人かもしれない」


 『戦竜機』を退治しに来た者か、あるいは逃げて来た者か。


「仲間が俺を探しに来たのかも……あるいは逃げてきたか『戦竜機』を探しているか……」


 そこではっとして振り返る。


「……メサニフティーヴが見つかるのはまずいかもしれない」


 生きた竜は、宝の山。命の恩人を殺すなんてゲルトには考えられなかったが、他の人間も同じだとは限らない。事実、そうであったために、メサニフティーヴは槍を一本受けた。

 助けを求めるようにフェガリヤがこちらを見上げていた。


「もし人間なら、俺が何とかする。ちょっと見てくる――」


 助けを求められなくとも、そうするつもりだった。

 そうして洞窟内に反響したゲルトの声に。


「――お兄ちゃん?」


 ……若い女の声が、反響して返ってきた。


「……ヨハンナ?」


 いやまさか。しかし。驚くと言うよりも、呆れかえってゲルトは槍を下ろす。外から赤い月光が差し込む中、歩いて来る人影があった。


 長い茶色の髪。森に入るには、馬鹿にしているのか、と言われてもおかしくないほどひらひらしたワンピース。それはまさしく自分が作ったもので、けれどもそれを着る彼女は、服装に全く似合わない無骨な槍と、汚れたリュックを背負っていた。


「――お兄ちゃん! 生きてたぁ!」


 紛れもなく、妹のヨハンナだった。

 黙っていれば美人。動かなければ可憐。絵で見せたのならば、誰もが嫁にしたいと思うような顔立ちであるが。


「ヨハンナ……お前……嘘だろ……一人で来たな……」

「うん! 『戦竜機』、見てみたかったし、生きた竜も出たっていうし? あと夜の森ってぞくぞくするし……それからこれが一番大事! お兄ちゃんが帰ってこなかったから!」


 恐怖心と危機感が全くなく、好奇心で動く。「お転婆暴走娘」と誰が言ったか。


「いやぁ~信じたらそうなるもんね! お兄ちゃん、生きてるじゃん! 町長達がぼろぼろになって帰って来てさ、お兄ちゃん達のグループは全滅したとか言ったの! も~嘘吐きじじいめ! って思ってね!」

「……止められなかったのか?」

「止められなかったよ? 誰にも言ってないしばれずに出てきたもん? みんな『戦竜機』をどうするかって悩んでたから、簡単に出られちゃったね?」


 額に手をあて、ゲルトは天井を仰いだ――可愛い妹よ、どうしてそう危険を冒すのだ。


 けれども今の会話でわかったことがある。町長達は『戦竜機』とまた一戦交えたのだ。だが恐らく撤退した。そしてこの森には未だ『戦竜機』が潜んでいる。

 と、ヨハンナは青い目を大きく見開いた。


「竜! 生きた竜だ!」


 奥の暗がりにいたメサニフティーヴを発見したらしい。駆けよれば更に目を輝かせた。


「うわぁ! 本当にいたんだ! 鱗つやつや! 牙と爪も最高! うわぁ……これ……へへ……資材にしたらどれだけ貴重なものになるかな……?」

「ヨハンナ、メサニフティーヴは俺を助けてくれたんだ。命の恩人なんだ」


 しかしそう戒めた次の瞬間には、ヨハンナの目はフェガリヤへと移っていた。


「……すごい、綺麗な子」


 普段は大声で叫んでばかりいる妹が、感嘆の声を漏らしたものだから、ゲルトはぎょっとしてしまった。

 フェガリヤは困ったようにヨハンナを見上げていて「こんばんは……」ととりあえずの挨拶をしている。


「――でーもぼろぼろ! 何これ! ひどーい!」


 嵐の停止は一瞬だけ。次の瞬間、ヨハンナはフェガリヤの小さな肩を掴んでいた。驚いて震えるフェガリヤ。そしてメサニフティーヴが低く唸る。


「人間! 私の妹に触れるな!」

「『私の妹』ぉ? 何? あんたこの子の兄なの? ねえちょっとこれひどいわよ! もっと大切にしてあげなさいよ!」


 ヨハンナは臆することなくメサニフティーヴの鼻を指で突いた。それに驚いたのか、はたまた言い返す言葉が見つからなかったのか、黒い竜は目を丸くして身を引く。

 ヨハンナは再びフェガリヤへと視線を向ければ、頭から爪先までを眺めていた。


「ふん……ふん……いい服仕立ててあげようか? 私じゃなくて、お兄ちゃんがやるけど。あっ、そうだ、お腹空いてる? はい、お兄ちゃんも!」


 そうして彼女が荷物から取り出したのは小袋だった。クッキー数枚が入っていた。

 甘い香りに、ゲルトは空腹を思い出した。


「ありがとう。外には『戦竜機』がいるし、夜になっちゃったしで、動けなかったんだ」


 一枚を受け取って齧る。ヨハンナの手作り。フェガリヤも差し出されたものだからそろそろと受け取っていた。小さな口で齧ってみる。


「……おいしい! 私、あまり食事はしないんですけど……こういったお菓子、久しぶりに食べました……」


 続いてヨハンナはメサニフティーヴにも餌付けするようにクッキーを差し出すが、黒い竜はあたかも拗ねたように丸くなって地面に頭を置いてしまった。


「竜は食事を必要としない」

「あっそー。本で見たことあったけど、本当にごはん食べないんだね?」


 代わりにヨハンナはそのクッキーを齧りつつ、ゲルトの隣に腰を下ろした。

 こうして並んで食事をしていると、不意にゲルトは泣きたいほどの安心感を覚えた。ふつふつと、胸の内から湧いて来る。クッキーの甘さが拍車をかけて、じわじわと染みわたっていく。


 けれども泣いている暇はない。ヨハンナまで来てしまったのだ。

 とにかく生きて街に戻らないと。


 いまは何時くらいだろうか。立ち上がって、洞窟の外を確認する。空すらも血色に染める赤い月は、頂上からはもう傾いていた。 

 夜明けが近い。耳を澄ませば風の音だけが聞こえる。そろそろ、洞窟を出てもいいかもしれない。


 奥へ戻ると、ヨハンナとフェガリヤが楽しそうに会話をしていた。


「ヨハンナさんは、ゲルトさんを探してここまで来たんですね。すごく……兄想いですね」

「ま、唯一の家族だしねぇ。それに、死んだって言われても信じられないじゃない?」


 どうやらヨハンナは、すっかりメサニフティーヴへの興味を失ったらしいが、念のためゲルトは繰り返す。


「ヨハンナ、いいか、そこの竜……メサニフティーヴは俺を助けてくれたんだ。だからひどいことをしないでくれよ」

「わかってるよぉ。最初こそ竜だ! って思ったけど、絵で見てきたのと変わんなかったし。それにフェガリヤの兄さんなんでしょ? 友達の家族にひどいことはしないわよ!」

「……それから、そろそろ夜明けだ。もう少し休んだら、ここを出発しよう。街に戻るんだ」


 それを聞いて、フェガリヤがメサニフティーヴへ振り返る。


「兄様、私達もこの人達と一緒に出ましょう。十分に休憩できました……けれども森にはおそらくまだ『戦竜機』がいます。ですから、この人達を森の外までまず送りましょう」

「ああ、そうしよう……」


 そう答えたメサニフティーヴの瞳が、もの言いたげにこちらに向いたものだから、躊躇いつつもゲルトは近づいた。


「……私達のことは、人間には黙っていてほしい」


 仲良く会話している妹達に隠れるようにして、彼は囁く。


「特にお前の妹。口が軽そうだ」

「ああ見えてしっかりしたところはあるから、安心してくれ。俺達は言わないよ」


 兄達は妹達を眺める。フェガリヤがヨハンナの纏う綺麗な布について質問していた。


「……思えばあの子の身だしなみを、あまり気にかけてあげられなかったな」


 そんな黒い竜のぼやきを、ゲルトは耳にした。

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