第一章(02) 生還

 街に戻ることができたのは、早朝だった。

 幸いにも、ゲルトはほとんど怪我を負わなかった。小さな擦り傷、切り傷は、慣れない森の中を歩いたため、逃げる時に転んだだけのものだった。


 だが生還したことに、安心している時間はない。眠る時間もない。怪我をした仲間を病院に運べば、手当てに回った。

 『戦竜機』に噛まれた者、突き飛ばされた者、そして毒ガスを多量に吸い込んでしまった者――負傷者は多かった。しかしあれほど巨大なものを相手にしたと考えれば、少ない方だった。その理由は。


「あの黒い竜、一体何だったんだろうな……お前も見ただろ!」

「見たよ……見てない奴の方が少ないよ。だから落ち着いて、包帯が上手く巻けない」


 ゲルトが頼めば、興奮していた患者は口を閉ざした。それでも目を大きく見開いていることから、とにかく話したくて仕方がないらしかった。

 病院内を染めるのは、勝利と生還の歓喜でも、負傷と喪失の悲壮でもない――あの黒い竜の話題だった。


「あの竜が俺達を助けてくれたんだ! あの竜のおかげで、俺達は帰ってこれたんだよ! あいつが『戦竜機』を追い払ってくれたんだ!」

「でもおかしくないか? あれは本当に竜だったのか? だって竜は……『生きた竜』はもういないはずだろ?」

「それにしても、どうして『戦竜機』を襲ったんだ?」


 黒い竜が突如戦いに乱入してきたあの後。襲われた『戦竜機』は、絡まるようにして黒い竜と争い始めた。もう人間達など、眼中にない様子で。それは黒い竜も同じらしく、ただ『戦竜機』に立ち向かっていた。


 このままでは激しい争いに巻き込まれかねない。そして毒ガスが広がっている。人間達は、その場から離れるほかなかったのだ。

 けれどもそのおかげで『戦竜機』との厳しい戦いをせずに済んだのである。


「まさに救世主って感じだったよなぁ! あのまま、黒い竜が『戦竜機』を追い払ってくれていたなら……!」


 足の手当てを受けている若者が、はしゃいで声を上げていた。はしゃぎ過ぎたのだろう、直後に、いてて、と顔を歪め、足を跳ねさせる。手当てをしていた女が、呆れの声を漏らしていた。


「……なあ、あの竜の背中に」


 そこでようやく、ゲルトはそろそろと、目の前の患者に尋ねてみた。

 ――誰も「あれ」の話をしていない。


「あの竜の背中に、誰か乗ってなかったか?」

「……はぁ?」


 間をおいて、目を細められた。彼は周囲の仲間達へ、聞いたか、と目で尋ねる。すると周りの男達も首を傾げる。


「誰か乗ってなかったかって、竜の背中に?」


 一人が尋ね返す。

 ゲルトは自分が信じられなくなってきていたが、頷いた。


「何言ってんだか……ま、そこまで見る余裕はなかったから、何とも言えないけどよ」

「俺は……誰かが乗ってるように見えたんだけど……」


 周りの男達は釈然としない顔をしている。逃げるようにゲルトは顔を上げ、病室にいる他の仲間達を見て、また耳を澄ませるものの、誰も「竜の背中に誰かが乗っていた」なんて話はしていないようだった。


「幻でも見たんじゃないの? 仕立て屋のお兄さんっ!」


 と、治療を手伝いに来た中年の女に、背中を叩かれる。思わずうおっ、と声を漏らす。女はてきぱきと怪我人の傷に薬を塗っていく。


「あんた、街を出る時にひどくびくびくしてたじゃない! そりゃあもう槍を抱きかかえて! だからその竜が来た時に、神様が来たって思ったんじゃないのかい?」

「あんな状況だったからなぁ! 幻覚を見ても仕方がないか!」


 仲間の一人が声を上げて笑った。


「そもそも生きた竜も絶滅したはずだし、もしかすると俺達は、全員で妙な幻を見たのかもしれないぞ!」

「じゃあなんで『戦竜機』は逃げた俺達を追って来なかったんだよ!」

「そりゃあ……酔っ払って頭がいかれたような人間の集団を見たら、あの『戦竜機』だってびびるだろう!」


 どっ、と笑い声が響き渡る。だがゲルトは笑うことができず、溜息を吐いてタオルを絞った。


 笑わなかったのは、ゲルトだけではなかった。


「……もし、あれが本当に生きた竜だったなら」


 不意に、ベッドで横になっていた男が口を開いた。毒ガスを多量に吸い込み倒れていたものの、生きた状態でここまで運んでこられた者だった。薬が効いて落ち着いてきたらしいが、声はひどく弱々しい。だからこそ、皆が黙って彼の言葉に耳を傾けた。


「ありゃあ……資材の山だよ。武器を増やせるだけじゃない……鱗で鎧や服や網が作れる。血や肉で薬が作れる。牙や目玉だって役に立つ……全部が役に立つんだ」


 彼は咳を一つしたが、目をぎらぎら輝かせながら続けた。


「もしまた『戦竜機』が来た時に……対抗できるものが作れる……!」


 皆が言葉を呑んだ。ところが、ゲルトは思わず怒鳴った。


「何言ってるんですか! あの竜は……俺達を助けてくれたんですよ。命の恩人ですよ。それを資材にしたら、なんて……」 


 けれども彼の言っていることが、ゲルトにも理解できないわけではないのだ。

 ――生きている竜はもういないはずだった。それがもし、まだいたのならば。

 竜由来の素材は、生きている竜からしかとれないと言う。『戦竜機』または『屍竜』が現れた時、生死を決める道具の素材――。


「――怪我人の状態はどうだ?」


 と、声が室内に入ってきて、思わず全員がそちらに視線を向けた。『戦竜機』退治の指揮をとった町長がやって来ていた。片腕に吊り包帯をしているが、目立つ負傷はそれだけだった――聞いた話によると、前線で槍を二本、あの『戦竜機』に突き刺したらしい。彼は既に初老であったが、これまでにも何度か、街のために『戦竜機』や『屍竜しりゅう』と渡り合ってきたという。


 町長は院長から話を聞くと、広い病室内を見回した後で、声を上げた。


「皆、よく戦ってくれた……が、戦いはこれで終わったわけではない。街のために、もうひと働きしてもらいたい……動けるものは、昼過ぎにまた森へ行く。私も行こう……森に置いてきてしまった資材の回収と、行方不明者の回収、それから『戦竜機』が去ったかどうかの確認をする……そして例の黒い竜についての調査を行う」


 ああ、足を捻挫しておけばよかったな――心の中でゲルトは呟く。

 またあの森に行かなくてはいけないのか。街から出るのすらも恐ろしいのに。そして恐らく、またあの重たい槍を手にして。


 静かに服を仕立てていたかった。織物を作って、そして服を作って、妹に着せて……。


「そんな顔をするなよゲルト」


 ベッドに横になっていた仲間に言われて、自分がひどく嫌そうな顔をしていたのだと気付く。


「そんなに行きたくないのなら、俺の代わりにベッドで横になっててくれよ……俺は行きたいぞ、何せ生きた竜がいるかもしれないんだ」


 そこまで言って彼は再び咳をする。無茶するな、と他の仲間が心配そうに覗き込む。だが彼は笑って顎で示す。


「そんな顔してると、お前のお転婆暴走娘な妹が行っちまうぞ……」

「……ヨハンナ! 何してるんだあいつ!」


 顎で示された先。町長に絡む茶髪の女の姿があった。

 ゲルトが慌てて向かうと、残された仲間達はげらげらと笑っていた。

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