ある深夜のお夜食事情

香月読

ある深夜のお夜食事情

【ある深夜のお夜食事情】


「赤です」

「いいえ、緑です」


 色を口にするだけの静かな言い合いを初めてどれくらい経っただろう。数秒かもしれないし数分かもしれないし、もしかしたらもっと長いかもしれない。テーブルの上に置かれた丸い赤と緑のカップ麺。二つずつ並べられたそれを見つめながら、何故か僕達はプレゼンを始めていた。


「インスタントだというのにコシのある麺、上に乗せられた甘いお揚げ。どちらも寒いこの時期体を温めるのに最適です」

「成程、続けて」

「スープの量を調節することでお好みの濃さで作れます。しかもスープに入っているナルト……カマボコ? はピンク色でとっても可愛い」

「スープに関しては正直どこのインスタントも同じだと思う」

「お揚げがそんな出汁に染みて美味しい、寒い時は天国のようですよ」

「一理ある」


 別にこれは商品会議ではない。ただお互いが好きなものをプレゼンしているだけだ。あちらは赤いきつね、僕は緑のたぬき。どちらも譲らないのだから仕方ない。自分達が頑固なことは理解している故に、こういう時は下手すると会話自体が破綻するくらいの舌戦になる。毎回やっていても仕方ないし時間をドブに捨てたい訳ではない。僕も相手も妥協と言い合いを重ねた結果、会社のようにプレゼンをしようという結果に落ち着いてしまった。冷静に考えると謎だ。


「では次は自分が」

「はいどうぞ」

「出汁に関してはこちらも似た主張になるので一度置きます。ここはやはり蕎麦ということを全面に推していきます」

「つまりいつでもあなたの傍とかそういう」

「駄洒落を披露したいなら自分の手番にお願いします」

「はい」

「自分としてはやはり蕎麦の喉越しが良いと思うのです。老舗蕎麦屋で出されるものとも、駅にある立ち食い蕎麦屋とも違う味。そして縮れ麺がつゆに絡んで最高」

「うん」

「天ぷらは先乗せ故に蕎麦の味を邪魔しない! 海老の風味も程好くつゆの味に絡んで最高です!」

「なんかテンション上がってきたね」

「これが幸せの味ってやつですよ」

「大きく出過ぎだと思う」


 彼女と話すといつもこうだ。漫才や大喜利をしたいわけではないのに、どうも脱線してしまう。相手との会話が好きなのかと問われたらそうだと返してしまうから、理由としてはそういうことなのだろう。普段話せない分、機会がある時はお互いこうやって饒舌になる。

 テーブルに並べられた赤と緑のカップ麺。手作り料理に拘る人はまず目にすることはない代物。けれど僕達にとっては何よりも新鮮だ。家主の子が好んで食べるから幾つもストックがあるが、それらを食べたことは一度もない。今まで並び立てていた台詞だって、みんな誰かが言っていた受け売りに過ぎない。

 不意に会話が途切れた。食事に関して語る言葉を多く持たない僕達にとって、これ以上は紡げる評価がなかった。人の言葉を借りているだけの時間に何の意味があるのだろう。


「お湯でも沸かそうかぁ」

「そうだね。きっともうすぐ帰ってくるよ」


 時計の長針はもうすぐ12を指す。窓の外は暗く、街灯がその中に一筋の道を作っていた。そろそろあの子が帰る時間だ。テーブルの上にカップ麺を並べたまま、僕達はお湯を沸かし始める。冷たい空気に蒸気が白く上がる頃、玄関が開く音がした。



***



「寒い寒い……!」


 凍えた指を解すように擦りながら、乱暴に扉を閉めた。後ろ手にチェーンを掛けようとしたけれどかじかんだ指は言うことを聞かず、仕方なく振り返ってやる羽目になる。保護のない手が赤く荒れていることに気が付き思わず舌打ちをした。まったく冬だからって何て寒さなんだ!

 誰が聞いているわけでもない愚痴をぶつぶつと零しながら、靴を脱ぎ捨てて部屋に上がる。室内は何故かほんのり暖かい気がしたけれど、凍えた身体は外気温から守られるだけでそんな錯覚をしたのかもしれない。


「お茶でもいれようかなぁ」


 独り言を吐きながらキッチンに来たところで違和感を覚える。正体はすぐにわかった。テーブルに並んだ赤いきつねと緑のたぬき。いつでもストックを欠かさない、私の非常食だ。特に赤いきつねには受験の時からお世話になっている。

 しかしテーブルになんて置いただろうか。首を傾げつつ彷徨った視線は、床の上に置かれた段ボールに留まった。そういえば実家から送って来たっけ、出してそのままだったかな。ぼんやり考えながらコンロに近付くと、やかんから湯気が漏れている。あれ……?

 身に覚えのないことが二つも三つもあれば、普通怖がるなりするんだろうけども。この時私はとても疲れていたし寒さに負けていた。すぐにでも温まりたい欲に理性はいとも簡単に負けるのである。

 やかんにお湯が沸いていることを確認してから、赤いきつねを手に取った。蓋をびりびりと開けて粉末スープの袋を取り出し中に入れる。油揚げを避けて入れることで溶け残しを作らない。ゆっくりとお湯を注いでから蓋をして、捲れないように小皿を乗せる。呆、と

5分、ただ赤いカップ麺を見ていた。


 くすくす。

 どこかで誰かが笑った気がする。部屋の中を見回しても当然私しかいない。沸かしてあったやかんのお湯を見て、私は『小人の靴屋』というお伽噺を思い出した。

 この家にも小人がいるのだろうか。いるのだとしたら、寒い外から帰る私の為を思ってこんなことをしてくれたのかな。

 答えなんて出ない疑問を頭に浮かべたら5分なんてすぐだった。蒸気でふやけた蓋を開けると、ふわりとお出汁の香りが鼻をくすぐる。日が変わる時間だというのに、お腹はくう、と小さな音を鳴らした。

 麺を啜る前につゆを一口。寒さに痺れた舌を伝わる熱が、飲み下されて身体全体を広がっていく。冷えた身体が温まるのを感じながら、幸せだなぁ、なんて呟いた。


 部屋に置いてあった鞄につけられたお守りが揺れたことに、気が付く人はいなかった。

 今日もお疲れ様。ゆっくり休んでね。


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