草原の風

タイ国

シインが安陽へ来て10年が経った。

ここに来た頃のシインは幼子おさなごであったが今はもう大人の体つきへと成長してきている。シインの父シキョウの血を色濃く受け継いでいるのか、並の者よりもやや大きい体格である。

シインとランソクはシインの祖父にあたるシンカンのつてで学舎や武芸などを学ぶことが出来た。素直に学ぶ二人はどんどんと吸収していき、その優等生ぶりは近隣では知らぬものは居ない程であった。特にシインは武芸で、ランソクは学問で抜きん出ていたが、それはそれぞれの立場を色濃く表しているかのようであった。シインは父シキョウを目指し、ランソクは父ランキを目標に日々学んでいたのだ。

彼らに従うテキ、シン、ガンの三人は並の町人であるが故に学舎へ通うことは出来なかったが、シインとランソクが代わりに教えた。


この日もシンカンのいえの庭でシイン達が三人に武芸を教えていた。

「シンは中々上達が早いな。」

戟に似せた棒で打ち合いをしていたシインはそう言いながら流れる様にシンの攻撃を捌いている。

「いずれは車に乗れるようになって、シイン様の車右しゃゆうを致します。」

かつては丸い目をした可愛らしい童子であったシンであるが、環境の為か顔つきもしっかりとした少年に成長している。

「はは、そうか。ならば馬の扱いにも慣れておかねばならんな。」

兵車は三人乗りである。左に将がのり、中央に馬を操る馭者ぎょしゃ、右に武器を携え将を守る車右が立つ。この中で車右は将を守るという重要な立場であり、将の最も信頼のおける者が選ばれることになる。故に車右になるものは文武両道、優れた能力を持つことが自然と求められる様になっていた。

「それと、射や礼にも明るくならねばならないな。」

「そうなると先は長そうだ、シンは覚えることは少々苦手だからな。」

脇で休んでいるテキとガンが笑いながらそうからかった。

「まだまだ、これからやるのです。」

相変わらず打ち込めないシンは二人の言葉に駆られ、躍起になってシインに突っ込んだ。

それも軽くいなしたシインは気持ちの良い音を響かせてシンの尻を棒でうち据えた。

再び笑いが起こった。

「さあて、次は私が。ランキさま、お相手願います。」

待ちきれぬ、と言わんばかりに立ち上がったテキは元気よくランキを指名した。対するランキは沈着そのもので、ゆっくり立ち上がるとテキに向かって静かに棒を構えた。

溌剌はつらつなシンとは違い、互いに呼吸と距離を量りながらの膠着した立合たちあいになった。

落ち着いた棒先のランキに対して、テキの棒先は鳥の尾の様に一定の拍子で跳ね上がる。

先に仕掛けたのはランキであった。呼吸の合間を突かれたテキは反応が一瞬遅れ、それ故に押し込まれて体勢を崩された。ランキは容赦なく追撃を加える。

テキはなんとか数打を防いだものの、最後は足を取られ倒れたところに、棒を喉元に突き立てられた。

ランキの勝ちである。

「ううむ、まだまだ勝たせてはくれませんか。」

「はは、何度も相手をするものだから、そなたの癖を覚えてしまったんだよ。」

構えている時とはうって変わって、ランキの表情は既に穏やかである。

「ええい、ガンよ。次はお前とだ。」

「おいおい、悔しさ紛れに言ってるが、俺に勝てるとも限らんぞ。」

ガンはそこまで良い体格ではないのだが、技量の高さは人一倍である。

結局、テキはガンにも負けた。

「ああ、もう今日は駄目だ。また日を改める。シインさま、飯でも食べに行きましょう。」

「うん、もうそんな時か。よし、行こう。」

薄雲が流れる青空に浮かぶ日はまだ中天にある。

シインの周りは穏やかで平和な日々が続いていた。

先の莫野での戦いがあったのはもう六年も前のことになる。

ユウ国の覇者カン公のお陰で中原、とりわけジ国内では争いが皆無であった。

周辺の諸侯同士での諍いは頻発していたものの、その度にカン公が仲裁を下していた。


外患に悩まされることのない環境で理想的な学習が出来たことは、シインにとっては幸いであった。

このまま順調に時が過ぎれば、シンカンの推薦でジ国での仕官も可能である。更に武功を立てることが出来れば采地さいちを得ることも夢ではない。

薄い望みであるが、不可能ではない。しかしこれを成し遂げてこそ死したシキョウにも顔向けができる。

この様な望みを胸中に秘したシンユウにシインの成長ぶりはとても頼もしい。

(この子は必ず大成する。私がさせてみせます。)

シンユウの賢明なところは、こうした願いをシインには直接口にしないことにある。自らの意思で未来へ進んで行けるように心を尽くしている。

一方のシインも思いは同じである。或いは母の思いを察していたのかも知れないが、シキョウのような大人になりたいという憧れは、そのままシンユウの願いと合致する。


この日もシインはランキと共に学舎へ通っていた。

安陽には学舎は幾つもある。そのそれぞれで優秀な者が自然と噂されるものであるが、そのうちの一人にヒセキという者があった。

彼は頭脳明晰な弁舌家で名が通っている。その舌鋒の鋭さは、完膚なきまでに相手を論破し尽くすまで収まらぬという。言い負かされた相手は二度と学舎へ来ることはないとまで言われている。

シインも街を行く中で時折この男とすれ違う事があったが、常に彼のシインに向ける目は豺狼さいろうの如きものであった。

何故ならば、この男は他でもない、幼少の頃にテキら三人を強請していた少年だからである。

シインを見る目からも分かる通り、彼は未だにシインに怨嗟の念を持ち続けていた。近頃のシインらの評判を耳にして益々その怨みは強くなっているようである。

何でもない幼年の出来事であったはずだが、あの一件はヒセキの自尊心を激しく揺さぶったものらしい。今の彼の胸中にはシインを含む全ての同世代の者達よりも上に立ってやる、という顕揚欲がすっかり支配していた。

「まずは学に勉め、父の跡を継ぎ夏官かかんになり、そこから上卿じょうけいまでのぼりつめてやる。」

この王都で上卿になるということは、則ち天下の諸事を周旋出来るということである。彼の中ではこれが己の得ることの出来る位の極みであった。

ヒセキの父はジ王朝下の六官のうちの夏官の下級仕官であった。細分化された役職の中でも下から数えた方が早い。

その立場に甘んじているかの様に見える父をいつ頃からか歯痒はがゆく思っていたヒセキは、次第に地位に固執する様になった。そんな童子であれば、なにかと周りに上下をつけたがり、格下には居丈高に振舞うものだが、そんな折に家格も上の、しかも年下のシインに面と向かってやり込められたのだから、彼の心の傷は決して浅くはなかった。

この彼の逆恨みの念は、凄まじいまでの向上心を招き、結果として彼の弁才と度胸を開花させた。成年を過ぎ仕官する頃には、出世する為の術を全て我がものとしておく、そう見据えて彼は勉励していた。周りから見たらさぞや勤勉に見えたであろう。しかしその腹中はこの通り陰黠いんかつさを孕んでいた。

とは言え、ヒセキとシインはお互いを目にする事はあっても対峙することはなかった。遠巻きに互いの噂を耳にする、そのような距離感を保ったまま年を重ねてきた。



さて、時の天下の情勢はどの様なものであったか。

実はこの時より三年前にユウ国のトウシュクが逝去していた。この出来事がユウ国の衰退のきっかけとなった。国力を十分に蓄えたはずのユウ国であったが、この大国を統御出来るのはやはりトウシュクのみであった。

自らがいなくなってもやっていけるようにと、色々と手を尽くした彼であったが、彼の下で妄動する輩がいた。勿論その者達の存在を察知していたトウシュクは生前カン公に、

「この者達はいつ何時であってもお近くに置くことの無きよう。」

と再三再度奏上していた。

しかし、トウシュク亡き後でこの諂巧てんこうな者達が黙っていようはずがなかった。あらゆる手を尽くしてカン公へ近づき、媚諛びゆを尽くしてカン公の信頼を掌握した。この佞臣たちの侈傲しごうがユウ国の朝廷を大いに乱した。これによりカン公の威光は隕墜し、国は荒廃した。

因みに後にカン公が薨じた際にはこの紊乱びんらんが尾を引き、またしても後継者争いが起きた。その間カン公の遺体は放置され、蛆が湧き、亡骸の安置された部屋の扉からも這い出てくるほどであったという。

ユウ国が覇権を握る時代はここで終わった。


代わりに、というわけでもないのだが、このユウ国の裏で力をつけていた国がある。

タイ国である。

このタイ国はジ国より南方に位置している。この国より東は数多の遊牧民の駆ける広大な草原が広がっている。中央の人間からすれば最早生涯行くことのない果ての地とも言える。タイ国の多くの土地はこのような草原や、草もまばらな涸れた地が多い。

その為、都市など重要な拠点はどこも永河やその支流に近いところに置かれている。永河の東南域はほとんどがタイ国の地と捉えて差し支えない。

タイ国の祖は三代目ジ王の同母弟である。それ故に爵位も高く、侯爵である。

南東の要として長く続いてきたタイ国であるが、ユウ国のカン公が即位した年より百年ほど遡る頃、一つの出来事があった。


この時のタイ国の主はボク公といった。戦に長じた君主であり、度々近隣の国と戦っては勝利を納めていた。丁度、隣国に勝った時分に男子をもうけた。辛勝であったので、その気分を乗せてその子をシュウと名付けた。続けて第二子も程無くして生まれたのだが、この時は快勝であったので、今度は気分の良いままセイキョウと命名した。

このセイキョウの母をボク公は愛寵していたのか、長男のシュウよりもセイキョウを愛した。

その様子を知った大夫の一人がこう予言した。

「我が君の命名の仕方は誠におかしい。そもそも名というものは義(正道)を定め、義は礼をいだし、礼が政をていし、その政によって民を正しく治めるものである。これと反するようなことをすれば国が乱れるであろう。古に悪いぐう(配偶者)をシュウと言った。我が君は今太子にシュウと命名された。これは命名の道を誤るもので、はやくも乱の兆しが見える。おそらく弟が栄え、太子が廃れることになろう。」

それを仄聞したボク侯であったが、最後まで態度を改めることなく没した。

その後ボク公の弟が立ったが、太子シュウに攻められ弑されると、シュウが即位した。

候位を得たシュウはブン公と呼ばれたが、彼もまた予言を耳にしていたので、それを憂いセイキョウには地位も寸地も与えなかった。これに対してセイキョウは一切の不満を上げず、黙してブン公に従った。そのひた向きな態度と才能に魅かれた臣がいつしか彼の下に集まり支援するようになった。

一方のブン公はまるで凡庸であった。セイキョウの噂を聞くたびに蒼白じみた顔を引きつらせ、その地位を脅かされまいと終生腐心していただけの君主であった。

そのブン公もセイキョウよりも早く世を去り、後を子のビン公が継いだ。この代になり、セイキョウを支援する大夫達が活動し、遂にセイキョウに食邑を得ることに成功した。苦節二十年余り、漸くセイキョウは首都から離れた地で羽を伸ばすことが出来た。彼と彼に従う大夫達の尽力で目覚ましい発展を遂げた邑は首都を凌ぐ豊かさを有することとなる。

ビン公は若くして亡くなったので、その子であるアイ公を後継に据えたのだか、これを好機とみたセイキョウの陣営が工作活動を行い、この宗家の大夫の数人を抱き込みアイ公を暗殺した。このまま首都を奪う算段でいたセイキョウらであったが、首都の民の猛反発を受け、結局引き返すこととなった。

このまま首都を奪う機会を見出だせないままに、セイキョウは世を去ることになったが、跡を継いだコウハクがこの悲願を継ぎ、宗家打倒に生涯を捧げることとなった。

コウハクは中原の支援が得られていなかったことに着目し、ジ国近隣の国々へ工作を始めた。

この工作が功を奏し、当時強勢であったコ国の協力を得ることが出来た。さらにジ国の卿士をも味方につけることに成功したため、この勢いを借りて首都へと攻め込み、アイ公の後を継いでいたコウ公を放逐した。

このままタイ国の君主たらんと画策したコウハクであったが、ジ王室はコウ公の子のガク公に継がせた。宗家側でも中央の権威を借りんと必死に工作を行っていたものらしい。この頃には既にジ国の力は衰微していたが、それでもこのように権力は依然保っていた。結局、コウハクも宿願を果たせないまま、子のショウに後事を託すこととなった。

このショウの代にも幾度となく宗家と衝突を繰り返した。戦えば勝てるショウであったが、何度もジ王室の介入に悩まされた。

ショウは宗家を打倒するためにはまずジ王室に手を加えられてはならないと、ジ国の有力な卿士を抱き込むことに専念した。粘り強い工作の結果、卿士の懐柔に成功したショウはこの機を逃すまいと乾坤一擲、宗家のいる首都へと攻撃を行った。

この激しい戦いは多数の大夫を犠牲にしつつもショウが勝利を掴んだ。三代の悲願がここに成就されたのである。

宗家を乗っ取ったショウは抜かりなくジ王室へまいないを惜しみなく送り、正当にタイ国の君主の地位を得た。この賄賂により、タイ侯室の宝物は空になったという。

この一連の出来事は絶対的権力であるはずのジ国の存在意義と、力を持って宗家を打倒するという所謂いわゆる下剋上を容認せざるを得ない世界へと変化を見せた象徴的な出来事とみることが出来るであろう。


長い騒乱を経て漸く統一されたかに見えたタイ国であるが、波乱はこれで終わりではなかった。

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