独り言にはご用心!
里岡依蕗
1.
「はぁ……終わった……」
ようやく何時間も見つめたパソコンをシャッドタウンし、帰る身支度を始める。もうこのフロアには俺以外は誰も残っていない。窓の外から空を見ると、小さい幾つかの星が真っ暗な空を照らしていた。さっきまでの俺もあの星みたいな沢山ある星の一つだったのかもしれない。今日も隣のオフィスビルはまだ明かりがついている。
「……今日は、俺がお先に失礼しますね」
ボソッと向こうのパソコンに向かっているであろう見知らぬ明かりの主に声をかける。勿論、何も答えは帰ってこない。
力尽きた体に鞭を打ち、ゆっくり会社を出ると、辺りは街灯の明るさと楽しそうな人混みの楽しそうな声でとても眩しかった。俺と同じような会社帰りのスーツ姿で駅に向かう会社員や、時代を先取りしたようなファッションで駅から出て市街地へ歩く若者、スクランブル交差点では沢山の人間が行き交っている。
恐らく、どんなに頑張ったとしても、この中の何かの一番になれない。顔も、学歴も給料も何もかも平凡。一ヶ月の平均残業時間の多さくらいが少数派になるのかもしれないが、全く自慢にならない。いろんな傾向に歯止めをかけてしまっていて、申し訳ないとは思う。
駅の改札を通り、ホームの何十人か並んだ列の一番後ろに並ぶ。スマホのブザーがなったので確認すると、急な用事ができたと足早に帰ったはずの同僚の通知だった。
その近くの席の同僚は、断れない用事ができたと申し訳なさそうに俺に残業を擦りつけて、さっさと定時に早足で退社した。いつ友達になったか分からない某アプリの近状報告には、何人かの男女の飲み会の画像が貼られている。飲みニケーションとやらか合コンなのか知らないが、お前らがチューハイゴクゴク飲んでる間に、こっちは他人の業務までパソコンカタカタやってたんだぞ? 何なんだ本当に。
「まもなく、〇〇、〇〇です。お降りのお客様は…」
一体何のためにこんなに働いているのか、何故他人の尻拭いをしているのか、最近ふと考えてしまう。最低限生活できればそれでいいのに、何故部署一残業しているのか。たまにもういなくなりたいと身を投げ出したくなるけれど、乗り物にも乗客にも迷惑をかけたくないので決してそんな事はしない。そんな勇気もない。
今俺のイヤホンには音楽が流れている。声量のあるはっきりとした芯のある声で、様々なジャンルを歌う女性歌手だ。ネットで見つけた動画で、声に魅了された。顔を出さないで歌っていらっしゃるので、どんな方は知らないが、きっと声のようにしっかりした方なんだろう。毎回選ぶ曲の歌詞が良く、残業で疲れた体に沁みる。毎日応援歌のように聴いて歌声で生かされていると言っても過言ではない。
「まもなく、〇〇〇、〇〇〇でございます、お降りのお客様は……」
連日吊革につかまって真っ暗な中に点々と灯る明かりが流れ星みたいに動く様をボーッと眺める。これを見て綺麗だと感動するのか、まだ起きているとか、働いているのかと同情するのかで、その人の今の状況が分かるんだろう。俺はもうそのような感情は無くなってしまい、とにかく帰って寝たいとしか思わなくなってしまっている。
「まもなく、〇〇〇〇、〇〇〇〇です。お降りのお客様は……」
最寄りに着いた。ベッドタウンではないのでそんなに乗客はいない。何人かと共に電車を降りる。近くのコンビニで缶チューハイと弁当を買い、自宅に向かう。ほぼ毎日同じことの繰り返し。正直、平凡な生活にも他人の後始末な仕事にも飽きてきていた。
何か非日常があったっていいのに! ……なんて事を思った矢先に、ある日突然異世界に飛んだり、何か魔法が使えたりしたらかっこいい。小さい時に両親に話したら、変なアニメの見過ぎだと鼻で笑われた。
しかし、現実はそんな事は現実あり得ない。例えば、コンビニの駐車場の車止めにガニ股で座ったバーコード頭のお爺さんが、カップ酒を片手に煙草を吸いながら何かブツブツと誰もいない方を向いて熱弁してたりとか、服や髪まで全身ピンクのガタイのいい性別不明な人がヒールをカツカツ鳴らして駅に向かって歩いていたりとか、うちの街は元から変わり者が多い。多少の変わり者がいても馴染みそうな少し変わった所だ。
俺にはそんな変わった事はない。気弱な断れない性格なのを見透かされ、今日も同僚の仕事を引き受けて残業してしまった。人を見透かせる超能力とか、空を飛んだりとか、何か非現実的な事をやってみたいものだ。
少し歩いた公園で、黒髪ツインテールの細身の女子が木の枝が何かで描いた一つ、二つと並べた丸をケンパッ、ケンケンパッ! と声を出しながら飛び跳ねていた。最後までジャンプしたら、また初めに戻ってまたケンケン跳ねている。こんな夜中に何してるんだろう。近づいて分かったが、少女ではなさそうで、俺と同じくらいの二十代くらいだと思う。あまりにも真剣にやっているので、足を止めてしばらく眺めてしまった。昼間のカップ麺以来、栄養がいつまでたっても届かないので、腹が鳴り始めた。
「こんな夜中に何やってんだ……」
思わず本音が声に漏れてしまった。しまった、不審者と思われてしまう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます