9-5 夜戦


 突然、警報が未明の空を引き裂き、低い丘の上に円陣を組んでいる筏の照明が一斉にともった。

「敵襲だあ。起きろ、敵襲だぞーッ」

 拡声器の叫びに、小銃や刀を抱えたまま眠っていた隊商夫たちがとび起きた。

 動力筏の休憩室で仮眠していた翔馬は、急いで防弾外套を着ながら前部の操舵室に移った。広い窓から外を見おろす。

 探照灯の強烈な白色光がなだらかな斜面を撫で、腰まである夏草の中を忍び寄ってきた山賊の群れを照らしだした。見える範囲から推測して、全体でざっと五百人、いやそれ以上か。小銃を手にしている者は三人に一人もいない。あとは短槍に刀。弓まで見える。盗賊稼業も存外、儲かってはいないとみえる。

 中腹から信号弾があがった。

 伏せていた男たちが一斉に立ち上がった。喊声をあげ、銃を撃ち、刀を振りかざし、一面の夏草が山賊と化したような勢いで押し寄せてくる。

「すげえ……」

 蜂屋の助手が怯えた声でつぶやいた。

 翔馬は唇を噛んだ。先手をとられた。このままでは気迫負けしてしまう。

 加賀はまだ反撃を命じない。敵を引きつけてから円陣の防禦力を活かして叩くつもりのようだ。長年練り上げてきた彼の得意芸だ。経験豊かな部下がいた頃ならそれでよかったろうが、今のあの連中では……。

 翔馬は両手で顔をこすって不安の表情を消した。

 外套の肩につけた指揮官用の通信器が短く鳴り、耳元で加賀の声が叫んだ。

「告げる。護衛隊長より各指揮官へ――」

 翔馬は次の命令を待った。だがそれだけで通信器は沈黙してしまった。

「蜂屋、発光ひかり電話で護衛隊長を呼びだしてくれ。秘密連絡だ」

「了解」

 発光電話は到達距離が短く敵に傍受されにくいので、筏同士の連絡に使われている。通信光を糸ほどに絞りこめば他の筏に傍受されることもない。

 加賀はなにをやっているんだ。翔馬は腕を組んで苛立ちを隠した。このまま敵が筏に取りつくのを許しては、勢いと人数の差でこちらに勝ち目はない。

「護衛隊長の筏につながりました」

 翔馬は通話器をとった。

「秋津だ。加賀隊長はどうした」

「隊長の通信器に炸裂弾が命中して、あの、首が半分――」

 と電話の向こうでうわずった声がいった。

「わかった。負傷したことは黙っていろ」

 あえて戦死とはいわない。だがこれで態勢を立て直せる。翔馬の頭は盤面に向かう棋士のように激しく回転した。人の死にほっとしたことに心の隅で咎めるものがあるが、自己嫌悪にひたるのはこの戦いが終わってからだ。生きていなくては悩むこともできない。

 翔馬は制御盤に手をのばし、拡声器の全回路を開いた。

「告げる。護衛隊長代行の秋津だ。加賀隊長が負傷したので、今からわたしが戦闘の指揮をとる。繰り返す。今から秋津代行が指揮をとる」

 ひと呼吸おき、腹に力をこめて叫んだ。

「撃てえ。敵を押しかえせ」

 押しかえせといっても、敵の先頭はすでに筏に取りついている。だが今は指揮官が健在なのを知らせ、味方を安心させなくてはならない。

 実際、恐慌寸前だった円陣内の動揺が、翔馬の命令でたちまちおさまった。蜂屋や助手の顔まで生色を取り戻している。やはり皆、加賀の指揮に不安を抱いていたのだ。

 翔馬は肩の通信器をとり、〈高原語〉でいった。

「始めてくれ。南東だな。わかった」

 急いで動力筏をおりると、堀田が部下と待っていた。全員が防弾外套に陶製のかぶとをかぶり、馬の手綱を握っている。

 翔馬も兜をかぶり、防弾布を着せたカイザンにまたがった。カイザンは戦いの空気に興奮している。

「南東だ、行くぞ」

 駆けつけたときには、すでに筏の間から侵入しようとする賊と隊商夫たちのあいだで白兵戦がはじまっていた。

 翔馬は馬をとめ、堀田たちに小銃を構えさせた。

「秋津だ、前をあけろっ」

 怒鳴ると、斬り結んでいた隊商夫たちが急いで左右に逃れた。一瞬、賊と翔馬の間に誰もいなくなった。

「撃てっ」

 活性化された炸裂弾の突風が敵を吹き飛ばし、筏の間に通路が開いた。

 翔馬はカイザンを駆って円陣の外に躍り出た。山賊たちが驚いて後退する。翔馬は鞍から腰を浮かし、すばやく戦場に眼を走らせた。賊の後方の一角を中心に混乱が広がりつつある。あそこか。

「つづけーッ」

 翔馬は叫んでカイザンをあおった。堀田たちが後を追う。

 眼前に巨大な獣の群れが地を轟かせて迫り来るのをみて、恐怖をおぼえぬ人間はいない。翔馬たちは慌てて逃げまどう賊の中に割り入り、容赦なく斬りたて、炸裂弾を浴びせかけた。立ち直る余裕をあたえれば、たちまちこちらが射撃の的になる。

 肩の上を矢風がかすめた。

 おもわず振り向くと、一人の男が弓でこちらを狙っている。その横で矢をつがえているのが今放った男らしい。

 とっさにカイザンの馬首をまわして避けようとした瞬間、ふたりは見えぬ手で払われたように横に吹っ飛んだ。

 トゥムルだった。第二筏主任の宇野たちを率いて岡を駆けのぼってきたのだ。

 翔馬は小銃を手にしたトゥムルとすばやくうなずき合い、合流して敵の群れに横から襲いかかった。たまらず山賊は浮き足立った。動揺が波のように伝わる。

「今だ、追い落とせ」

 翔馬は通話器に叫んだ。通話器は動力筏の拡声器と無線回線でつながっている。

 響きわたる翔馬の声を合図に、円陣から隊商夫たちが走りでて反撃する。

 こうなると敵は、数は多くとも寄せ集めだけに踏ん張りがきかない。たちまち崩れてわれ勝ちに逃げだした。

「とまれっ。ここまでだ」

 麓の森の縁まで追撃した翔馬は、岡を駆けおりてきた隊商夫らの前に騎馬で立ちはだかった。夜の森の中まで深追いすれば、手痛い反撃をくらう。鼻息を荒くするカイザンの上で血刀をひっさげて睨みつける翔馬の気迫に、興奮した隊商夫たちも思わず足をとめた。

「筏ががら空きだぞ。はやく戻れ」


「では、加賀隊長は戦死ではなく、芹沢に殺されたというのですか。誰がそんなばかげたことをいっているのです」

 翔馬は運営会議の面々を見まわした。みんな黙っている。出席者は経営者である役員だけで、芹沢やトゥムルら筏借りの顔はない。議題を考えれば当然ではある。

「そういう、噂が、流れているんだ」

 簡易寝台に横たわったまま議長をつとめている稲城が弱々しい声でいった。稲城は先夜の戦いで肩の下から左腕を吹き飛ばされてしまった。炸裂弾を受けて劣化した防弾外套の同じ場所に、運悪く二発目をくらったのだ。人工血液の輸血を受けて命はとりとめたが、失血で重体だ。本来なら会議に出られるような体ではない。

 だが嫌疑をかけられている芹沢は、役員ではないとはいえ運営会議の一員だ。しかも今や護衛隊長を兼ねている翔馬の腹心とあっては、どうしても稲城自身が議長をつとめるしかない。

「つまらぬ噂に踊らされる稲城さんとも思えませんが」

 誰が告発したのか見当はついているという眼で、翔馬は役員たちをにらみまわした。

「そんなことはどうでもいい。芹沢は加賀隊長を殺したのか、どうなのかね」

 役員の一人がいった。稲城に次ぐ筏の所有者だが、最近は翔馬の前にやや影が薄い。

「もちろん、っていません」

 翔馬は断言した。

「そもそも芹沢が犯人という証拠があるんですか」

 あるなら出してみろ、と言わんばかりに相手の顔を見た。役員は眼をそらせた。いつにない翔馬の強硬な態度に、他の役員たちもいささか戸惑いの表情を隠せない。

 翔馬は肚を据えていた。ここは一歩たりとも退くわけにはいかない。

 ふたりに確かめてはいないが、加賀の死に芹沢とトゥムルが関わっているのは、おそらく事実だ。なにしろ戦死の状況が不自然だった。戦闘が始まったとたん、いきなり顔にあてた通信器に流れ弾が当たったなんて、簡単に信じる方がどうかしている。きっとキタン遺跡でおなじみのやつを使ったのだ。

 この件については翔馬自身、強い責任を感じている。本来ならこうなる前に自分の力で指揮権を握らなくてはならなかったのだ。

 正直、山賊の襲撃前に加賀を暗殺することも考えた。だが踏み切れず、トゥムルに小部隊を率いて別行動をとらせる次善の策をとった。

 おれに欠けているのは、厳しい決断をくだす勇気だ。翔馬は自分のこれまでの行動をかえりみて思った。アドラ山のときもそうだったし、桐花の父――沢井のときもそうだった。誰かを傷つけることになる決断を避け、結局は当人だけでなく、多くの人を傷つけ苦しめてしまう。

 その点トゥムルは、非情とも見える決断を躊躇なくくだし、結果として被害を回避、あるいは最小限に抑えてきた。今度の加賀の件についても、おそらくトゥムルが、本来おれのくだすべき決断を代わってくだしたのだろう。おかげで芹沢まで巻きこんでしまった。

 とはいえ、非情な決断ばかりが最善とも翔馬には思えないのだ。

 おそらく加賀自身も、今の自分では山賊を追い払えぬとわかっていたはずだ。だがそれを認めて翔馬に指揮権を譲るのは、護衛屋の誇りからできなかった。きっと加賀は山賊と戦って戦死するつもりだったのだろう。

 もしおれが引退の花道を提供できていたら、加賀も円満に指揮権を譲れたかもしれない。今となっては繰り言でしかないが、考え方としては決して間違っていないと思う。なによりもおれのしょうに合っている。ならば、今後もこの方向を目指すべきではないか。トゥムルはトゥムル、おれはおれだ。

 とにかく今はふたりを庇いぬくことだ。もしふたりに汚れ役を押しつけたことになれば、おれは今後、ふたりの前で社長づらなどできなくなる。

 会議をしている天幕の外では隊商夫たちが集まって耳をそばだてている。翔馬はその気配を感じながら、むしろ彼らに聞かせるように大きな声でつづけた。

「わたしの言葉が信じられず、どうしても疑いが晴れぬというのなら、わたしは役員をつづける資格がありません」

「別に君を疑っているわけじゃない」

「同じでしょう。かりに芹沢が殺したというのなら、当然それは社長であるわたしの指示によるものですから」

「役員をやめてどうする」

「残念ながらここから別行動をとらざるをえません」

 天幕の外のざわめきが急に大きくなった。

 役員たちは困惑を浮かべた顔を見交わした。稲城が重傷を負った今、翔馬とイワマ交易に抜けられては残った隊商夫たちの動揺をおさえきれぬことに、やっと気づいたのだ。

 先夜の戦い以来、山賊の再度の襲来にそなえて隊商の指揮も翔馬がとっている。もちろん稲城が回復するまでの暫定的なものだが、役員たちはこのまま翔馬が稲城の後釜におさまるのではないかと警戒しているようだ。今度の告発にも、これを梃子てこに翔馬の頭をおさえようという思わくが見え隠れしている。

 実のところ、彼らの懸念は当たっている。芹沢、トゥムルの件とは別に、翔馬はこの機に隊商を率いる決心でいた。

 迅速な対応が必要な組織には、迅速な決断をくだせる強力な指揮者が必要だ。ところがこの連中は稲城に従うことに馴れ、自分たちでは運営方針さえなかなか決められない。彼らの合議にまかせていては次に賊が襲ってきても対処できない。話し合いや多数決が最悪の結果を生むことだってあるのだ。

「秋津君も、そこまで、することは、あるまい」

 稲城がやっとの様子で声をだした。


「――ということで、軽野宮カルノミヤに戻るまでわたしが隊商の指揮をとることになった。護衛隊長はトゥムルにやってもらう」

 翔馬は待っていたトゥムルと芹沢に会議の結果を報告した。

「よく役員たちが承知したな」

 とトゥムル。

 翔馬は肩をすくめた。

「われわれのおかげで命拾いしたことは、連中もわかっているのさ」

 あの夜の戦いで隊商側は加賀を含めて四人が死亡し、負傷者は三十人以上もでた。だがあのまま加賀が指揮をとっていたら、さらに多くが命を落とし、積荷も筏ごと奪われていただろう。賊を追い払えたのは芹沢の警告、それに翔馬とトゥムルの奮闘によるものだというのは全員が認めている。

「わたしの件はどうなったんだ」

 芹沢がたずねた。

「あれは不問ということになった。とくに謝罪はないが、納得してくれ」

「わたしはいいが、役員たちはどうなんだ。まだ疑っているんじゃないか」

「芹沢は無実だ」

 翔馬はきっぱりといった。

「誰がどう疑おうと関係ない」

「事実を明らかにする必要はないというのか」

 芹沢はこだわった。

「事実は作るものさ」

 トゥムルが笑って〈草原語〉でいった。

「作られた事実が記録されて歴史になる。歴史なんてそんなものだろう。セリザワの無実は事実として記録に残る。気に病むことなんてないじゃないか」


    *   *   *


「すると秋津は戦闘の指揮もとれるというのか」

「はい。しかもなかなかのいくさ上手です。扱う品も確かということで、北の交易業界ではちょっとした評判になっているそうです」

「目先の利益より信用――北回廊にしっかりと会社の根をおろそうというわけか」

 将軍はうなった。

「どうやら大望を抱いているようだな。あの小心な父親の息子とは思えん」

「先ざき危険な存在になるかもしれません。早めに始末するべきではないでしょうか」

「そう慌てることもあるまい」将軍はかすかに笑った。「危険な毒ほど、よくきく薬にもなるというじゃないか。うまく泳がせば西宮ニシノミヤの眼をそらす囮になるかもしれん。それに彼の成長にも興味がある。ここは、もうしばらく様子をみようじゃないか」

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天馬の回廊 天ノ川 清 @tenma124

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