8-5 シカノフ


 ジャルマ製薬の本社は四階建で、最上階がシカノフの休憩所になっている。休憩所といっても、寝室はもとより台所から浴室、食堂、居間までそなえた立派な住居だ。シカノフは妻のいる郊外の自宅に帰るよりもここに泊まるほうが多い。

 かけだしの小僧に商売の厳しさを教えてやってからすでに五日たっている。しばらくは監視をつけていたが、裏稼業の連中を雇う様子はない。どうやら諦めたらしい。監視も昨日で打ち切った。この季節、徹夜の見張りなどそう何日も身をいれてできるものではない。彼は部下の忠誠心に過大な期待を抱いていない。

 それにしてもあの小僧、もっと骨があるかとおもったが、案外だった。今度の一件では交易屋たちの嗤い者になっているらしい。おそらくシカノフ自身の評判はもっと悪いだろうが、望むところだ。憎まれ嫌われても、軽くみられさえしなければいい。要は勝つことだ。シカノフは小僧を屈服させたことに満足だった。

 そっと扉が叩かれた。

 シカノフは休憩所に泊まる夜は必ずいつもの店に女を手配させる。その女が来たのだろう。今夜の女は、先ごろ倒産した企業貴族の令嬢だという。触れこみ通りならまだ〝お姫さま〟だった過去を引きずっているはずだ。捨てようとして捨てきれずにいる娘の誇りを爪先でなぶりぬく期待に頬をくずし、扉を開けた。

「今晩は」

 シカノフは笑みを顔に貼りつけたまま硬直した。先日の小僧が、衝撃棒を鼻先につきつけながら部屋の中に踏みこんできた。

「これを持っていた用心棒なら、今はぐっすりと眠っている。それにおれの仲間たちが見張っているから、しばらくは邪魔も入らない」

 仲間たちといっても実は芹沢だけで、それも建物の中にはいない。

「女はどうした」

 とシカノフ。

「なるほど、まずそれが気になるか。心配いらない。店のほうには断わりの電話をいれておいた。あとで解約料の請求がきたら払っておいてくれ」

 芹沢の調べでは、よばれた女はいつも裏口の専用扉から階段を登って四階のシカノフの部屋に行く。階段は途中に小さな換気窓があるだけで、他の階に通じる扉もない。しかも警備員は専用扉を入ったところにある詰所にいるだけだ。警備はこの一カ所を押さえておけば充分というわけだ。

「だがそこが弱点ともなる。詰所の警備員を黙らせれば、あとはシカノフの部屋まで邪魔はない」

 と芹沢は説明した。

「だが、いくら堅気の警備員じゃないといっても、殺傷ざたはお断わりだ」

「それはだいじょうぶ。わたしに考えがある。ただ……」

 と、面目なさそうに口ごもった。

「悪いが、わたしは荒事が苦手なんだ。だから……」

「いいさ、のこぎりを渡してくれればくのはおれがやる」

 はじめから翔馬はそこまで期待していない。山賊と戦ったときも芹沢は最後までどこかに隠れていたし、揉め事が起きそうになるといつの間にか姿がみえなくなる。

 当初は軽蔑する気持がないでもなかったが、決して責任逃れをするような男ではないとわかって、見る眼を変えた。つまりは臆病といっても性格にすぎないのだ。なによりその頭脳は向こう見ずな隊商夫数十人にまさる価値がある。

 今も芹沢は裏口で、逃げずに退路を確保してくれているはずだ。きっとありったけの勇気を絞りだしているのだろう。それだけで充分だ。

 裏口の呼び鈴を鳴らしたのは、店の女のかわりに芹沢が雇った街の女だった。かつてシカノフの相手をしたこともあるということで勝手もこころえており、シカノフをやりこめると聞いて大いに乗り気をみせた。

 扉の小さな窓が開き、硝子板ごしに警備員の眼がのぞく。女が芹沢の用意した店の証明書をかかげると、錠がはずれ、扉が開いた。

 瞬間、横に隠れていた翔馬は女の脇をすりぬけて中に飛びこんだ。手にした噴霧器を警備員の顔につきつけ、霧を吹きつける。警備員はたちまち眼を押さえて倒れ、声も出せずにのたうちまわった。

 噴霧器の中身は液状の唐辛子成分だ。こいつを顔に吹きつけられれば一時的に目が見えなくなり呼吸も困難になる。ただし水で洗えば元に戻る。

 翔馬は詰所の中で立ち上がったもうひとりにも霧を吹きつけ、足元でもがいている警備員の腰から衝撃棒を抜きとった。電源を入れ、警備員たちの首筋を軽く叩く。動かなくなったふたりの手足を用意した紐で縛る。

 そのあいだに芹沢は、縛られた警備員を仰向けにして気道を確保し、簡易酸素吸入器をつけてやった。これで窒息することはない。

 女は翔馬が飛びこむと同時に逃げ出していた。それも計画通りだ。


「金がほしいのか」

 長椅子に坐らされたシカノフは、せせら笑った。

「脅したって無駄だ。たとえ殺されたって金は出さん」

「誰が殺すなんていった。人聞きの悪い」

 翔馬は大げさに顔をしかめた。

「ではどうする気だ」

「ちょっとあなたに注意したくてね。ジャルマ野草園の栽培室の環境管理はうまくいっているかな」

 沈黙が流れた。

「なにをした」

 やがてシカノフが、ささやくような声で訊いた。

 翔馬は肩をすくめ、

「心配ならたしかめてみればいい」

 と、顎で机の上の電話を示した。

 シカノフは翔馬をにらんだままゆっくりと立ち上がり、受話器をとった。

「園長か、わしだ。そちらに何か異常はないか。なに、よくわからん、はっきり答えろ。おまえの責任なんてきいちゃおらん、何がおきているのかだけ言え」

 険しい顔できいていたが、叩きつけるように受話器を戻した。しばらく無言でいたが、やがて落着いた声で言った。

「いくらだ」

「約束の残金」

「ここにはない」

 翔馬は黙って首をふった。往生際の悪い男だ。本社に交易金貨の百や二百、ないはずがなかろう。

 さきほど芹沢が野草園の光脳に侵入し、栽培室の環境管理機能を停止させたのだ。今ごろ野草園でどんな混乱がおきているかは想像がつく。

 原因はすぐに判明するだろうし、対策として光脳による自動管理から手動に切替えるだろうが、それまでの不老草への影響は大きい。それにいつまでも手動のままというわけにもいかない。

「そういうことなら、これで失礼しよう」

 翔馬は衝撃棒を手に立ち上がった。

「待て。わかった、払う」

 シカノフは壁の前に立った。壁には手のひら大の正方形の木の板が一面に嵌めこまれている。一枚を奥に押しこみ、周りの板をすばやく上下左右に動かして別の模様をつくると、五十センチ四方の壁が手前に開いた。

 シカノフは隠し金庫から透明な繊維膜で包まれた金貨の棒を四本とりだし、机の上に置いた。縁の擦り減った西宮ニシノミヤ自治政府発行の金貨が十枚ずつ包まれている。交換価値はせいぜい交易金貨の五割か六割といったところだ。

 翔馬は手を触れずに、

「約束は交易金貨で、ということだったが」

「これしかないんだ」

 翔馬は無言で待った。しらじらしい芝居をしている間にも不老草は枯れつつある。

「くそっ」

 シカノフは吐き捨てるように言い、今度は交易金貨の包みを四本とりだした。一つの封を破って四枚を除く。

 翔馬は残りの封も破いて、全てが連邦の交易金貨であることを確かめた。

 これまでのシカノフをみていると、なんとか相手に一杯食わせようとする執念すら感じられる。間に贋金をはさむくらいのことはやりそうだ。

 すべて本物らしい。〈旧世界〉や天山連邦が発行する交易貨独特の精緻な刻印と、無色透明なダイヤモンド薄膜の被覆は容易に模造できない。偽造のダイヤモンド被覆は空気中の窒素が不純物として含まれるので褐色がかっている。

「たしかに残金は受けとりました」

 翔馬は丁寧にいって、腰にさげた鞄に金貨をざらざらと入れた。

「あと手数料が残っています。交易金貨四枚」

「ふざけるな。なんの手数料だ」

「いやだなあ。取立の手数料に決まっているじゃないですか」

 意味ありげに衝撃棒を立ててみせた。

「持っていけ」

 シカノフは抜き取った四枚の金貨を机の上に投げだした。屈辱と怒りに顔がゆがんでいる。

「野草園の環境管理が元に戻る保証はどうなるんだ」

 翔馬は金貨を鞄に入れ、安心させるように言った。

「すぐ正常に戻ります。おれの言葉がそのまま保証書ですよ。むろんおれや仲間たちの身になにかあれば話は別ですがね」

 扉を開けてふりかえり、

「忘れるところだった。これは返しますよ」

 衝撃棒をシカノフの膝の上にほうった。

「わっ」

 シカノフは毒蛇を投げつけられたかのように跳び上がった。

「だいじょうぶ、電池は抜いてあるから」

 翔馬は安心させた。ただし――。

 廊下に出て階段をおりようとした時、扉の裏で悲鳴があがった。

 ただし回路を短絡させておいたので、電池を入れたとたん、持っている者は衝撃を受けることになる。

 芹沢は裏口の外で待っていた。

 ふたりは急いで市場裏の歓楽街に向かった。

「まずはここからいこう」

 翔馬は一軒の酒場の扉を開けた。

 店の中は交易業者や隊商夫でいっぱいだった。彼らは翔馬を見て気まずそうに眼をそらせた。逆に興味ありげに見る者もいる。皆、翔馬がシカノフに報酬を踏み倒されたことを知っているのだ。

 翔馬は店の中央に立ち、一同の視線が集まるのを待って声を張り上げた。

「亭主、ここにいるみんなに酒だ」

 とたんに男たちは、どっと亭主の前に押し寄せた。

「アキツ、さてはシカノフの野郎からとりたてたな」

 と誰かが叫んだ。

「みんな、シカノフさんを悪くいうのはやめてくれ」

 翔馬は芝居がかった仕草で金貨を一枚頭上にかかげてみせた。

「頼んだら、こころよく色をつけて払ってくれたんだからな」

 一同は歓声をあげ、どのように〝頼んだ〟のかをききたがった。

 翔馬は適当にはぐらかし、ほどほどに呑んでから勘定をすませ、芹沢とそっとぬけだした。

 その晩のうちに交易関係者の集まる酒場を四軒梯子はしごし、同じようにその場にいた全員に酒をおごってまわった。

「ここまでする必要があったのか」

 と芹沢は宿に戻って言った。

「シカノフは手強い男のふりをしているが、要するに見栄っぱりなんだ。おれに金を払ったのが知れわたったからには、自分の意思で払った、ということにしたいはずだ」

「なるほど、取り返そうとすれば、脅し取られたのを白状するようなものだからな。君は本当に十八歳か」

 だが翔馬の真の目的は、シカノフを牽制することより、

 ――アキツは泣寝入りしない男だ。

 と知らしめることにあった。その宣伝費用とすれば酒代なんて安いものだ。

「あんたの協力には感謝している。気持を金に換算するつもりはないが、黙って受け取ってくれ」

 と金貨一枚をさしだした。この地方では、これで並みの馬五頭は買える。

 芹沢は首をふった。

「そうだな、情報料と手数料を合わせて銀貨二枚いただこう。それで今回の件に関しては貸し借りなしだ」

「それじゃ少なすぎる。シカノフの情報を集めたり、野草園の光脳に侵入するのは、あんたでなければできなかった」

「だがわたしは君のように命をかけたわけでも、愛馬を二頭なくしたわけでもない。礼金を取らずに貸しを押しつけるようなまねはしたくないが、受け取りすぎて借りをつくる気もない。銀貨二枚だ」

「わかった。ありがとう」

 銀の相場は金の十分の一だ。このあたりで交易銀貨二枚もあれば、普通の一家が三月は楽に暮らせる。庶民にとっては大金だが、むろん芹沢への感謝はそれだけではすまない。が、それは心にとどめておこう。

「とにかくこれで君も筏持ちの交易商になれる。よかったな」

「そのことだが、これからもおれに力をかしてくれないか。会社組織になれば、どうしてもあんたのような人の力が必要だ」

 芹沢は驚かなかった。

「わたしでよければ精一杯協力させてもらおう。わたしも長い間、君のような人にあえるのを待っていたような気がする」

 イワマ交易発足の瞬間だった。


    *   *   *


「閣下、例の秋津の消息ですが、なんと北の森林地帯にいました。ジャルマという地方都市で男を上げたそうです」

 執務室の机から顔をあげた将軍は椅子に深く坐りなおした。

「詳しくきかせてくれないか」

 副官の報告を聞き終わって将軍は小さく溜息をついた。

「イワマ交易ね。やはりあの秋津夫妻の息子だったか」

「本名を名乗って、しかも会社の名に岩間村を使っているところをみると、われわれには気づいていないようですね」

「さて、それはどうかな」

 将軍は小首をかしげ、

「ゴントがあれきり消息を絶ったままだということは、おそらく秋津に殺されたにちがいない。たぶん秋津はゴントの口から、連中を雇ったのが誰か知っただろう。しかも北回廊に現れたということは、岩間村が縦貫道になることにも気づいているはずだ。となると、問題はこれからの秋津の動きだ。イワマ交易などと称しているのは、案外、わたしへの挑戦状のつもりかもしれんぞ」

 将軍は薄い笑いをうかべた。

「で、どうなさいます」

「もっと詳しく調べてくれ。キタン遺跡以前のことも、全てだ。ただし本人には手をだすな。今後の成長次第では、うまい使い途がみつかるかもしれない」

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