8-2 芹沢
翔馬が芹沢と知り合ったのは、北方森林地帯へ向かう交易隊でだった。
半年前の初夏、岩間村からひそかに北回廊に出た翔馬は、天山連邦屈指の商業都市である古都
天山連邦は温室群の建造にたずさわった〈旧世界〉の技術者とその家族たちによって築かれた。そのためか〈旧世界〉出身の両親をもつ翔馬には、初めての土地なのに故国に戻ったような懐かしさが感じられる。
隊商は十四台の動力筏と四十一台の貨物筏、二台の補給筏で構成されていて、その半分以上が稲城の所有だった。筏を持っている経営者は他に三人いて、この四人の合議で隊商を運営している。むろん発言力は持っている筏の数に比例する。
隊商の構成員は三つに分類される。動力筏と貨物筏を所有する経営者、自分の体だけが元手の雇われ隊商夫、そして翔馬のように馬や騾馬しか持っていない筏借りの交易商だ。
馬を持って交易商として自立しても、整備された道しか通れぬ馬車では村まわりの行商しかできない。大きく儲けたかったら、浮揚筏を持つ大手の交易商の隊商に加わって遠距離交易を行なうしかない。無給で隊商夫と同じ作業をしなくてはならぬが、食事と規定量の飼料が支給されるので、自分の馬や騾馬には商品だけを運搬させればよい。また貨物筏に余裕がある場合は、有料で荷を載せてもらえる。才覚次第ではかなりの利益をあげることができるのだ。
隊商のなかに翔馬よりも年少者はいるが、いずれも平の隊商夫だ。
――あの齢でもう筏借りなんて、きっとどっかの交易商の跡継ぎだな。現場で修業してこいと家をだされたんだ。
――ハッタリきかすためにあんな馬に乗ってるわけか。
カイザンという名馬、しかも去勢されていない牡馬に乗っている翔馬の評判はあまりよくなかった。気の荒い種馬をあえて乗用にしている連中はたいてい奇を
それでも旅の日数が重なり、翔馬の力量がわかってくると、男たちの態度ははっきりと変わってきた。実際、若くても翔馬は中堅の隊商夫なみの経験を積んでいる。
旅に出て二カ月ほどたったある夜、翔馬が日課の刀術の稽古を終え、川辺におりて汗をぬぐっていると、
「いい体をしているじゃないか」
と声をかけた者がいる。芹沢だった。それまでは挨拶するくらいで、親しく口をきいたことはなかった。齢が十以上離れているせいもある。
「ずいぶんと激しい稽古だったけれど、実際にその……人を斬ったことはあるのかな」
「あります」
一瞬、ボルドの息子の姿が頭に浮かんだ。まさかあそこで出くわすとは――。
「銃の腕前は?」
隊商夫が銃といった場合、小銃をさす。それも銃身の短い騎兵銃だ。拳銃はほとんどの国で所持が禁止されているばかりでなく、服の下に隠し持てることから、
――卑怯者の武器。
として、隊商夫や傭兵たちのあいだでは軽蔑されている。実際の問題としても、小銃を手にした兵士や馬賊に拳銃などふりかざしたところでかないっこない。顔をつきあわせる接近戦になったら刀のほうが役に立つ。
翔馬は服を着ながら、
「十メートル先の牛にも当たりませんよ。どうしてそんなことをきくんです」
「明日の朝早く、山賊が襲ってくるかもしれない」
翔馬は驚いた。
「大変じゃないですか。おたくの社長には教えたんですか」
「いや、手引きをしている奴の見当はついているんだが、証拠がないんだ」
「なるほど、へたに騒げないというわけですね」
根拠のない噂は混乱のもととして軍でも隊商でも固く禁止されている。経営者に警告しても、もし山賊たちがそれに気づいて襲ってこなかったら芹沢の立場はなくなる。場合によっては隊商を追放されることにもなりかねない。
「かといって、ほうっておくわけにはいきませんね。こっちの命もかかってますから」
芹沢は眼をあげ、まっすぐ翔馬の顔を見た。
「わたしを信じるのか」
「あなたは根拠もないのにこんな事を口にする人じゃない。ふた月も一緒に旅をしてきたんだ、それくらいわかりますよ」
翔馬と同様、芹沢も自分の経歴を語ろうとはしないが、それでも言葉づかいと仕事に対する自信から、かなり高い教育を受けており、実務においても責任ある地位にあったことが察せられる。それだけの男が三十になってもまだ筏借りなのは、この世界に入ったのが遅かったからだ。
「でも、どうしておれにこの話を」
「キタン遺跡の叛乱を指揮した男に話さず、誰に相談しろというのかね」
「北回廊では知られていないと思ってましたが」
「グラレフ交易の取締役副社長だということもね。なぜ秘密にしているんだ」
「いったら、みんな信じると思いますか」
芹沢は喉の奥で笑った。
「南回廊ならともかく、こちら側では、哀れなほら吹きだと思うだろうな」
「そう、結局は肩書より実力です」
芹沢は真剣な顔になって、
「あるいは君のことをもっと早く皆の耳に入れておくべきだったかもしれない。そうすれば対策も立てやすかった。君の気持を
「芹沢さん、もっと詳しいことはわかりませんか。相手の人数とか、どんな連中かとか」
翌早朝、野営地が朝食と出発の支度で活気づく頃、森をすっぽりと包んだ乳のような濃い霧が流れ、樹々の梢が上から姿を現わした。
突然、銃声が重なり合い、焚火のまわりで土や草、小石が沸きかえるように跳ね上がった。朝食をとっていた隊商夫たちが、突風にあおられたように地面にころがる。筏や天幕の銃をとろうと駆けだした隊商夫も次々と倒れた。無事だった連中は筏の陰に飛びこみ、窪地に伏せて、身動きもできない。
激しい銃声がやむと、東の森から大きな喚声とともに百人以上の男たちが一斉に湧いてでた。馬に乗っているのは十人ばかりで、あとは徒歩だ。一気に隊商夫を追い払う勢いで、銃を撃ち刀を振りかざして駆け寄ってくる。
隊商夫たちが浮き足立ったその時、川上の小さな林から三騎が飛び出し、山賊たちの背後に襲いかかった。翔馬と二人の隊商夫だ。
カイザンにまたがった翔馬は、左右の敵に小銃を乱射しながら蹂躙する。密集しているので撃てば誰かに当たる。圧倒的に人数の多い敵は、逆に同士討ちをおそれて銃が使えない。
「なにをやっている。相手は三人だぞ」
敵の騎兵は馬首をかえし、翔馬たちを迎え撃つ態勢をとった。攻から守に転じたのだ。これで翔馬の目的は半ば達した。
「こいつらはおれにまかせろ。おまえたちは
ロナンとレーナに乗った隊商夫に命じ、翔馬は騎兵銃を鞍の鞘に納め、長くて反りの深い騎兵刀を抜いて敵騎兵に立ち向かった。白兵戦には刀だ。どのみち翔馬の騎射の腕では当たらない。
「包めっ、押し包んでしとめろ」敵の頭目が叫ぶ。
カイザンが天性の戦馬であるのを立証したのはこの時だ。まるで敵の動きを読むかのように攻撃をかわし、すばやく死角にまわりこむ。
防弾外套は炸裂弾の衝撃は防いでも刃には弱い。翔馬の騎兵刀も以前持っていたような棍棒まがいの石刀ではなく、焼結ダイヤモンドで刀身を補強した日本刀仕様の薄刃の
翔馬がつづけざまに二騎を斬り落とすのを見て、残りの敵騎兵は動揺した。
――
馬上で長い刀を扱うのはむつかしい。うっかりすれば自分の馬の首を斬ってしまう。それをこんな鮮やかな手並みをみせるとは、よほど稽古と実戦の経験を積んでいるにちがいない。
翔馬は血のついた刀の切先を天に向けて肩にかつぎ――これは抜身を持って移動するときの作法だ――ひるむ敵騎兵に迫った。
「秋津、がんばれ!」と叫ぶ声がする。
見ると、味方が山賊と斬り結んでいる。筏の荷の上によじ登って狙撃している者もいる。一時の混乱をこらえて反撃に転じたのだ。
「
賊の頭目が叫んだ。
とたんに山賊たちは、吸いこまれるように森のなかに消えていった。
「戻れ。待伏せしているぞ」
稲城が、追おうとした部下を制止した。
「やってくれたな、秋津」
翔馬がカイザンからおりると、芹沢がどこからか駆け寄ってきた。
「さすがにコライの傭兵相手に叛乱を成功させた男だけはある」
結局この襲撃で荷こそ奪われなかったが、隊商夫二人が死亡し、十一人が重軽傷を負った。さいわい隊商夫の多くは、早朝の冷たい霧に濡れぬよう防弾外套を着ていた。そうでなかったら死傷者はもっと増えたはずだ。
この戦いの後、翔馬は稲城から小番頭として正社員にならないかと誘われた。独立を捨てる気はないので断わったが、以来、翔馬を小僧あつかいする者はいなくなった。
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