第8章 ジャルマ雪中行

8-1 依頼


 吹雪はいっこうにやむ気配がない。

 翔馬たちがここジャルマ市の隊商宿に足止めされてもう三日目になる。宿は天候の回復を待つ隊商でいっぱいだ。

 この市は山の間を縫うようにつづく広い峡谷の途中にあり、山腹にぶつかった風が複雑に変化することで知られている。無理して浮揚筏をだせば、吹き流されて岩や樹木にぶつかるか、へたをすれば崖から転落するのがおちだ。

 翔馬が食堂で朝飯を食べながら昨日から値上がりした宿代と馬の飼葉料を暗算していると、芹沢が向かいの席に坐り、長い上体を傾けた。

「大金を稼ぎたくないか」

「儲け話はいつでも大歓迎さ」

 翔馬は饂飩うどんをすすりながら同じ〈回廊語〉で言った。

 芹沢は三十歳だが、童顔のおかげで五、六歳は若くみえる。翔馬と同様、馬や騾馬は持っていても自前の筏を持っていない〝筏借り〟の交易商だ。

「ジャルマ野草園を知っているか。『不老草』という稀少植物を栽培しているので有名な植物園だ」

「名前は聞いたことがある。ここからは遠いんだろう」

「山道を馬で一日の行程だ。昨夜、市の交易互助会に依頼が入った。その野草園に薬を運ぶ仕事だ。報酬額は交渉しだいだそうだ」

「おいしそうな話だな。くわしく聞かせてくれないか」

 と翔馬は汁をすすった。

「野草園の所有者はジャルマ製薬。若返りの特効薬で知られる会社だ。『不老草』の花から抽出した何やらが原料で、本当に効くかどうかはともかく、重さ当りの薬の価格はなんと純金と同じだ。ところが二日前、園で大量食中毒が発生して職員の半数以上が倒れてしまった。で、その薬を至急届けてほしいというわけだ」

「至急というのは、どれくらい」

「明日の正午まで」

 翔馬は思わず顔をしかめた。

「今すぐ出発しても一日ちょっとしかないじゃないか。この吹雪だ、少なくとも二日はみなくちゃ」

「急ぐ理由があるんだ。野草園では『不老草』の花を一年中採取するため、四季の環境で栽培しているが、変化に弱い植物だけに温度や湿度を絶えず微妙に調整しなくてはならない。ところがそれのできる技術職員四人がみんな中毒で倒れて、このままでは花が枯れてしまうらしい」

「それにしては、食中毒の発生から仕事の依頼までずいぶんと時間があるな」

 芹沢は苦笑して、

「四人のうち二人は、昨夜まで元気だったらしい」

「つまりジャルマ製薬は、花さえ無事なら職員のために薬を運ぶつもりはなかったのか」

「ここで君が怒ってもしかたないだろう。むしろこうした会社のほうが、花のためにはいくらでも金をだすかもしれないぞ」

「なるほど」

 一理ある。それにこんな相手なら、どれほどべらぼうな報酬を吹っかけたところで心は痛まない。

「問題は、明日の正午までに届けられるかということだな」

 翔馬は窓の外の白い流れに眼をやった。自宅の庭さきで遭難してもおかしくない吹雪だ。まして山道を急行軍するなど、自殺するようなものだ。

 ふと芹沢をみて、

「なんでこの情報をおれに?」

「君は早く隊商を持ちたいんだろう」

「まあね」

 たしかに今のままでは、自分で隊商を組むまでに十年はかかってしまう。

 岩間村に隠した交易貨を資金にはできない。今の翔馬がいきなりそんな大金をみせたらその出所を疑われる。だいいち拾った金で事業をはじめたところで、人はついてこない。だが自力で稼いだ金となれば、その将来性を期待して人も資金も向こうから集まってくる。

「まだ依頼が有効か、みてみよう」

 翔馬は席を立った。

 隊商宿の造りは南も北も似たようなものだ。四辺を煉瓦や石を積んだ窓のない高い壁で囲み、外からは小さな城か監獄のようにも見える。門は筏の通れる大きいのが一つだけで、夜になると頑丈な扉が閉められる。門をくぐると壁の内側がぐるりと宿舎になっていて、一階に倉庫や廏舎、食堂、事務所があり、その上に泊まり部屋がある。筏は広い中庭に並べてとめる。交易市場に隣接して建てられているのがふつうだが、宿の中で取引を行なうことも多い。

 事務所の受付に置かれている広報端末で市の交易互助会オルタクの情報を調べたが、芹沢の説明のほうが詳しい。どこで調べてくるのだろう。翔馬はいつもながら感心した。

「まだ誰も引き受けていないみたいだな」

 芹沢は翔馬の顔を見た。

「どうする」

 運ぶ薬の重量は梱包をいれて約四キログラム。荷物とさえいえないほどだ。やはり明日の正午までという点で、みんな二の足を踏んでいるようだ。この天候では無理もないが。

「すまないが、頼まれてくれないか」

 翔馬は芹沢に、調達してもらいたい品の名を言った。

「おれはこれから報酬額を交渉してくる」

「本当にやるのか」

 芹沢は窓の外の吹雪を見た。自分で持ってきた仕事ながら、あらためてその危険さに気後きおくれしたようだ。

「当り前のことをしていれば、当り前の金しか稼げない。そうだろう」

「ああ、そうだな」

 芹沢は中庭にならぶ雪の小山のような筏の群れを見ながら、やっと聞こえる声でつぶやいた。


 南回廊や草原地帯の町はたいてい堅固な城壁で守られている。だが北では壁に囲まれているのは市の中心にある領主の城くらいだ。ジャルマにいたっては天山連邦の属領なのでその城さえない。元来が宿場町から発展した市だけに、今も旧街道沿いの市場が賑わいの中心になっている。隊商宿はむろん、官庁や会社、有力者の邸宅もこのまわりに集まっている。

 新興のジャルマ製薬の本社は、だがここではなく、新街道沿いに開発された商業地区にある。宿からは雪垣でおおわれた街路を歩いて十五分ほどだ。周囲に石垣と樹木を配した大きな石造りの建物で、門の中には小型の筏が数台、雪に埋もれている。

 始業時刻には早いが、受付で宿直の社員に来意を告げると、すぐに社長室に通された。

 暖房をいれたばかりの広い部屋には初老の男が待っていた。大柄で油断のない眼をしている。

「社長のシカノフだ。いま薬を渡すから、すぐに出発してくれ。これが地図だ」

 と、翔馬の挨拶もろくに聞かずに記憶結晶クリスタル・メモを手渡した。

「その前に報酬の額を決めておきたいのですが」

「いいだろう。金貨五枚だ」

 さすがに社員の命より草のほうが大事という男だけあって、財布の紐は固い。

 翔馬はあらためて厚い絨毯の敷かれた部屋を見まわした。四隅には青銅の立像や陶製やきものの胸像が置かれ、大きな骨董机の正面には壁を覆うほどの肖像画がかかっている。描かれているのは正装のシカノフ本人だ。よく見ると四隅の像も本人だ。趣味のよしあしはともかく、金をかけていることだけは間違いない。よし、向こうがそう出るのなら、こちらも思い切って……。

「この吹雪です。交易金貨五十枚はいただかないと」

「よし、五十枚だ。だが明日の正午までには届けられるのだろうな」

「精一杯努力します」

「間に合わなかったら金は一枚もやらんぞ」

「その時は薬を持って引き揚げてきます」

 しばらくふたりは無言でにらみあった。

「よかろう」

 やっとシカノフは言った。

「正午に一秒でも遅れたら四十枚だ。そのあと三十分遅れるごとに十枚ずつ減らす。どのみち二時間も遅れれば『不老草』はたすからん」

 職員がたすかることには関心がないらしい。

 シカノフが電話で命じると、すぐに社員が鍵のかかった手提げ箱と一枚の書類を持って現われた。

 シカノフはすばやく書類に眼を通しながら、

「薬箱の鍵は向こうの職員が持っている」

 といった。

「報酬額について念書をいただきたいのですが」

 シカノフは書類から眼をあげて翔馬をにらみつけた。

「若いの、このジャルマ市では、わしの言葉がそのまま契約書だ。わしもキタン遺跡の英雄から薬のあずかり証文をもらおうとは思わん」

 どうやら書類はおれの調査資料らしい。やはり食えぬ親爺だ。だがこうしているうちにも時間は過ぎていく。

「いいでしょう。薬はたしかに預かりました」

 翔馬は薬箱の負い紐を肩にかけた。


「そんな口約束を信じたのか」

 芹沢がなじるようにいった。

「報酬の十倍値上げをあっさり呑んだのは、払う気がないからだ。なにが預証文だ。いくら高価な薬だといったって、全部で銀貨三枚にもならんだろう」

 宿の部屋で翔馬を手伝って箱を断熱布と緩衝材で包みながら、芹沢は腹立たしそうにいった。

「そんなに熱くなることはないさ。すまないが、おれが戻るまでにシカノフとジャルマ製薬について調べておいてくれないか。とくにシカノフの行動や自宅については詳しい情報がほしい」

 翔馬は財布から小銭だけ抜いて上着の隠しに入れ、残りの金を財布ごと芹沢に手渡した。

 芹沢はわずかに眉を寄せた。

「なんのつもりだ」

「帰るのは二、三日遅れるかもしれない。もし帰ってこなかったら、あとの始末はよろしく頼む」

 翔馬は薬箱を背負子しょいこに縛りつけ、外套を手に二階の部屋を出た。

「刀と小銃はどうする」

 受付の前を通りながら芹沢がたずねた。宿泊客は武器を預けなくてはならぬ規則があるのだ。

「いらない。まさか山賊もこんな天気には仕事をしないだろう」

「だが狼は休業していないかもしれんぞ」

「そうだな……じゃあ銃だけ持っていこう」

 廏舎では、すでに芹沢によって三頭の馬の支度ができていた。ゴントの馬はとうに売り払ってしまった。

 脚にかんじきを履かされ、体力のつく燕麦をたっぷり食べさせられた馬たちは、これから苛酷な旅にでることも知らず、翔馬の顔に鼻面を寄せてきた。

 翔馬がレーナに鞍をおくと、芹沢はカイザンとロナンの背に燕麦の袋と背負子を載せて固定した。

 翔馬は毛皮の裏のついた防弾外套を着こんで防寒頭巾をかぶった。天山テングリオーラの北では肩布ケープをまとう習慣はなく、かわりに外套が発達している。用途と目的によって種類も多いが、この防弾外套は実用性に重点をおいた全天候型だ。頸にかけた位置表示器にはシカノフから受け取った地図情報が入力されている。

 カイザンの手綱を手に廏舎を出ると、中庭を迂回し、門にまわる。芹沢がレーナとロナンの手綱をひいてつづく。

 鍵を持ってついてきた宿の若い従業員が門の厚い木の扉を細く開けた。白い風が吹きこみ渦を巻いた。

「じゃあ行ってくる」

「無理するなよ。金を稼ぐ機会なんて、これからいくらでもあるんだからな」

 翔馬はうなずくとレーナにまたがり、二頭の馬を引いて白い闇の中に入っていった。


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