7-2 黒幕


 その朝、一人用天幕の中で毛布代わりに防弾外套をかけて寝ていた翔馬は、固いもので肩をつつかれて目を覚ました。

 頭上の天幕がまくれあがり、まだ薄暗い空を背景に、防弾外套を着た大柄な中年の男が小銃の銃口を翔馬の顔につきつけている。

かねはどこに隠してある」

 男はいきなり〈草原語〉でたずねた。

「誰だ」

 翔馬は横になったまま、男の顔と銃口を見上げていった。

「きいているのはこっちだ」

 銃口は微動もしない。翔馬は抵抗の意志がないのを示すために体の力をぬいた。この体勢では反撃どころか逃げることもできない。

「いきなりカネといわれても……」

 困惑した顔でつぶやいた。半ば芝居、半ば本音である。

「起きてもいいか。小便をしたいんだ」

 男は一瞬ためらったが、

「いいだろう。だが妙なまねはするな。銃に狙われているのを忘れないことだ」

 といって天幕から離れた。

 翔馬は靴をはくと、相手が驚いて引金をひかぬよう、外套を手にゆっくりと天幕から這い出した。

 外套を羽織り、男の視線を背中に感じながら近くの草むらで用をたした。早朝の冷気に触れ、溜まっていたものをだしてすっきりすると頭の回転も滑らかになった。

 こいつは何者だ。猟師か。いや、猟師なら枝にひっかかりやすい防弾外套など着ない。ズボンの内股に皮が当ててあるのは一日中鞍にまたがっている証拠だ。馬賊だろうか。だが馬賊がなぜこんな山奥に――。

 翔馬は時間をかけて服をなおしながら、そっと視線を左右に走らせた。加地さんの栗の樹に馬がつないである。なるほど、あそこから歩いて忍び寄ってきたのか。

 両手をひろげて大きく伸びをし、油断なく銃を構えている男に、あらためて何も持っていないことを示した。天幕に戻っていつも焚火にあたる石に腰をおろすと、そのまま黙って火の跡に視線をおとす。

 男はいらだった。

「おい――」

「ボルドからの連絡で、おれがここに来ると考えたのか」

 男の機先を奪って声をかけた。男の眼に動揺が走る。やはりだ。

「なぜわかった」

 翔馬は苦笑した。

「まさか七年前からずっとここでおれを待っていたわけじゃないだろう」

 どの家の地下室も荒らされた跡があり、貨幣が一枚も残っていなかった。翔馬が村を出てから盗まれたのだ。問題はそれが村を襲った連中のしわざか、それとも偶然ここをみつけた猟師かだったが、この男の出現で猟師の線は薄くなった。となると――。

「おまえがキハラか」

 翔馬は鎌をかけた。

「馬鹿をいうな」

 男は吐き捨てるようにいった。

「あの野郎はおれたちを裏切って、皆殺しにしようとしやがった」

「すると、ボルドの話は本当だったんだな。あいつもあれだけ血が出て、よくたすかったな」

「いや、だめだった」

 男は銃口を翔馬の胸に向けた。

「だが死ぬ前におまえのことを女房に言い残すことはできた。おれに連絡してきたのは女房だ。仇をとってくれってな」

「おれを撃ったら、カネの隠してある場所はわからなくなるぞ」

 翔馬は冷ややかな声でいった。

 男は黙ってこちらを見ている。眼が迷っている。翔馬はもうひと押しした。

「どうだ、取引をしないか。村を襲った件についておまえの知っていることをみんな教えろ。そうしたらカネの半分をやる」

 男は鼻でわらった。

「そのあとでおれを殺して村の連中の仇をとろうってか」

「カネがみつかったらおれを殺して一人占め――と顔に書いてあるぞ」

「じゃあどうする」

「ふたりとも銃と刀を捨てるんだ。防水布に巻いて、そうだな、あの川の中に沈めるというのはどうだ」

「川の中……」

 男はためらった。

 水に恵まれた回廊一帯とちがい、草原や高原地帯では流水を汚すのは禁忌タブーに近い。泉の水を飲むにもじかに口をつけることはなく、必ず椀に汲む。まして川で泳いだりは絶対にしない。水は神聖であると同時に恐ろしいもの――つまりこの男はカナヅチなのだ。

「溺れるほどの深さじゃない。せいぜい膝までだ」

 翔馬はさりげなくいった。

 また沈黙。やがて男がいった。

「本当にカネのある場所を知っているんだろうな」

「もちろん知らないさ。ここで暮らしていた頃はまだガキだったからな」

 翔馬は肩をすくめた。

「だがこの谷間はおれたち子供の遊び場所だった。大人が宝を隠しそうな場所の心当りなら幾つかある。そのうちのどこかだということは間違いない」

 しばらく考えて男はうなずいた。

「いいだろう。おれはゴントだ」

「アキツだ。この防水布の中に銃を置け」

「おまえの銃と刀を縛るのが先だ」

「勝手にしろ」

 ふたりの小銃と刀、小刀まで巻いて縛ったので、包みはちょっとした重さになった。ふたりで両端を持ち、声を合わせて大きく振り、川の中に投げこんだ。翔馬は両岸の岩と木を目印に包みの沈んだ場所を頭に記録して、言った。

「それでは生簀に入れておいた鱒で朝飯にするか。食い終わったらおまえの話を聞かせてもらおう」


「キハラの素性だが、〈旧世界〉出身らしいという他は、あまり大したことはわからない」

 ゴントは語りだした。それによると、木原は護衛屋として南回廊の一部で多少は知られた存在だったらしい。若い頃から傭兵として各地を転戦し、やがて自分の部下を抱えて独立したのだという。なるほど、村を追われてからはそちらの方面で才能を伸ばしたということか。

「それからは隊商の護衛や盗賊退治なんかを請け負ってそこそこ繁盛していたんだが、七年前の秋、おれのところに依頼をもってきた。荒っぽいのを集めてくれってな。むろん雇い主は秘密という条件だ」

「変だとは思わなかったのか」

「思ったさ。それまで堅い仕事ばかりしてたやつが、自分でいうのもなんだが、おれのような裏稼業の口入れ屋に人集めを頼むなんて、どう考えたって何かある。そしたらどうだ、山奥の村を襲うという汚れ仕事だ」

「なんで引き受けたんだ」

 ゴントは、くだらぬことをきくな、といった顔をした。鼻の脇を指で叩いて、

「カネの匂いがぷんぷんしたからさ。おれたちを雇うというのも、てめえの手を汚して、それまで築いたご立派な評判を落としたくないからだ。そうまでして襲おうってんだから、チンケな村のわけがない。案の定、〈旧世界〉人の開拓村だ。となればどこかにお宝が隠してあるはずだ。連中が〈旧世界〉の特権を使ってしこたま貯めこんだのはわかっている。それをバカどもが、仲間がやられた腹いせに、隠し場所を訊きだす前に村の連中を殺しちまった。クズは何をやったってクズだな」

 自分がそのクズどもの頭目だという意識はないようだ。翔馬は焚火に小枝をくべるふりをして顔にでた怒りを隠した。なんとか気を静め、

「ボルドの話では、キハラの依頼は村人の皆殺しだったそうだな」

 ゴントはうなずいた。

「お宝をかっぱらって、村の連中を生かしておくわけはないだろう。おれがやりましたと宣伝するようなものじゃねえか」

「すると、娘たちは――」

「村においてきた。たぶんキハラに殺されたんだろう」

 ゴントは言って、肩をすくめた。

「もっとも、その場を見たわけじゃない。ただ、おれたちが殺していないのだけは誓ってもいい」

 おまえの誓いなんぞに、牛糞バースほどの価値もあるか。翔馬は胸のうちで吐き捨てた。だが、あれだけ探したのに娘たちの遺体はみつからなかった。あるいは本当に逃げることができたのか……。

「口封じというのなら、おまえたちもられるとは考えなかったのか」

「考えたさ。だから切通しを出る手前で絶壁の洞窟に隠れ、様子をみたんだ」

 掠奪した品を、これまた奪った馬の背に積んで最後尾を歩いていたゴントたちは、出口近くで先を行く仲間に気づかれぬように馬の手綱を引き、横の洞窟に入った。

 間一髪だった。ゴントたちが隠れた直後、先行した仲間は待ちかまえていた木原たちの銃撃を受けたのだ。ゴントはボルドらに馬をひいてもっと奥に隠れるよう命じ、自分は洞窟の岩蔭から外の様子をうかがった。

 仲間はどうやら全員が殺されたらしく、激しい銃声が止むと、ゴントの隠れている穴の前を木原が数騎を率いて村の方角へと駆けていった。おそらく村に生き残りがいないか確かめに行ったのだろう。となると、村に残った馬賊の死体を調べてゴントらが逃げたことに気づくにちがいない。

 ゴントはそっと穴の奥に進んだ。こうなったら木原たちが洞窟の中に捜しにくるのを、今度はこちらが待伏せて一人ずつ片付けていくしかない。そう考えて進んでいくうちに、意外なことに外に出てしまったのだ。

「すると、ここに来たのも、その洞窟からか」

「そうだ。おまえもか」

 翔馬はうなずいた。どうやら木原は隧道の存在を知らなかったらしい。知っていたらゴントらを逃がすことはなかったにちがいない。だが村を調べたのなら、なぜ地下室の翔馬たちを見逃したのだろう。ゴントは地下室に気づかなかったようだが、村に住んでいた木原なら、子供の死体がなければ地下室に隠れていることは容易に推察できたはずだ。焼けた家を見て子供たちも死んだものと判断したのだろうか。

「話の腰を折ってすまなかったな。つづけてくれ」

「あとは簡単だ。先に出ていた連中と合流し、川に沿って山を下りた。ところがキハラが追ってきて、逃げられたのは結局、おれとボルドだけだった」

「で、キハラは今、どこで何をしている」

「おれを間抜けと思っているのか」

 ゴントはせせら笑った。

「カネがみつかったら、やつの今の居場所をおしえてやる」

 翔馬は立ち上がった。

「いいだろう。そこの鋤を持ってついてこい」


「なんだ、これは。まるで墓みたいじゃないか」

 翔馬について北の山腹を登ったゴントは、まだ新しい盛り土の群れを見ていった。

「墓なんだよ。その下にはおまえらの殺した人たちが眠っている」

 毒のしたたる言葉をかけられてもゴントは顔色も変えない。翔馬は顔をそむけた。やはりこいつは人間じゃない。

「で、この墓の中にカネが埋まっているのか」

「そっちじゃない。こっちの古いほうだ」

 翔馬は手をふって場所をしめした。墓標が自然石であるうえに位置もばらばらなので、村人でなければ墓とは気づきにくい。それも狙いの一つだろう。

「この古い墓の数が、亡くなった人の数より一つ多いんだ。ただ、それがどれかわからない」

「掘ってみりゃわかるさ」

 ゴントは外套を脱ぎ、鋤を持ち直すと、翔馬に教えられた墓を、骨をくわえた犬が土を掻くような勢いで堀りはじめた。翔馬も外套を脱ぎ、無駄だとは思いながら声をかけた。

「カネでなければ人が埋葬されているんだ。気をつけて掘れよ」

 案の定、ゴントは聞いてはいない。翔馬は舌打ちして隣の墓に鋤を突き入れた。新しい墓を掘ったときより楽に刃が入る。

 腰くらいの深さまで掘ったところで、腐った布の端がみえた。そっと確かめてから穴から出た。土を戻そうとすると、早くも二つ目の墓を掘っていたゴントが飛んできた。

「待て。おれに見せろ」

 そういって穴におりると、鋤の刃で無造作に布を掻き分けた。

「乱暴をするなっ」

 翔馬は思わず怒鳴ったが、ゴントは無視して穴からあがり、掘りかけていた墓に戻った。むろん遺体はそのままだ。

 翔馬はやっと怒りを押さえ、遺体を元に戻してから穴を埋め戻した。

 次の墓を掘っているときだ。すでに三つ目の墓にかかっていたゴントが穴から躍り出て、いきなり手にした鋤で襲いかかってきた。

 こうなるのを読んで眼の端でゴントの動きに注意していた翔馬は、すかさず穴から飛び出た。が、相手のすばやさは予想以上で、不覚にも右腿の裏に鋤の刃を受けてしまった。

 さいわいゴントも翔馬の掘った穴越しで腰が浮いており、骨や腱が傷つくほどの打撃ではなかった。それでも立ったとたん激痛がはしり、思わず右足がぐらついた。

 ゴントは間をおかずに鋤で殴りかかる。翔馬はそれを自分の鋤で受けた。こうなると右足が動かなくとも翔馬の刀術がものをいう。二、三度受け流し、柄をからませてねじると、鋤はゴントの手からはなれ、翔馬の背後へと飛んでいった。

 ゴントは一瞬呆然としたが、たちまち背をみせて斜面を駆けくだった。翔馬も追う。足の速さなら馬に乗ってばかりの馬賊に負けぬ自信があるが、鋤を手に右足をかばいながらでは、懸命に走っても間がひらくばかりだ。

 かなり遅れて川岸についたとき、ゴントはすでに川の中に入って包みをみつけ、流れに逆らいながら、縛ってある紐を解こうと苦闘していた。だがしっかり結んであるうえに濡れているのでなかなかほどけない。

 翔馬も靴をぬぎ、鋤を手に川に入った。足の裏で川底をさぐりながら慎重に近づく。

 紐と格闘していたゴントは、翔馬が数歩まで迫ったのを見ると、銃を取りだすのを諦め、重い包みを頭上に抱えあげた。

 翔馬は投げつけられた包みをかわした。が、その拍子に足元の石が動いて体が大きくくずれた。すかさずゴントがつかみかかる。翔馬は鋤を手放した。こんな接近戦では柄の長い鋤はかえって邪魔だ。

 組み合ったとたん、翔馬は相手の強い引きによろめいた。さすがならず者の口入れ屋だけあって、刀術は下手でも、格闘技と腕力では翔馬より上だ。ゴントの口の端に余裕の笑みが浮かんだ。

 翔馬は体ごとぶつけるように肘を水月みずおちに突きいれた。が、軽くかわされ、逆に腰車をかけられた。脚が宙に舞う。とっさにゴントの皮帯をつかみ、もつれ合って水の中に倒れこんだ。

 思わず手をはなしたのはゴントの方だった。生まれて初めて頭が水の中に沈み、鼻と口から水を呑んで恐慌をきたしたのだ。あわてて起き上がろうとしたところを流れに押し倒された。手足をばたばたとさせながら川の中をころがり、下流へと流されていく。

 同じく流された翔馬は無理に立とうとせず、川底の石をつかんで流れに頭を向けた。膝をついて水の抵抗を最小にしながら腰を上げ、それから顔を水面にあげた。

 ゆっくりと立ち上がって下流を見た。五十メートルほど先をゴントがころがりながら流されていく。おそらくもう意識はあるまい。深さは膝まででも、川の流れの力は時として大人の力を上まわる。翔馬のように子供の頃から水の中で遊び、川とのつきあい方を体で知っている者でも危険なのだ。ましてゴントでは……。

 結局、木原の今の居所を聞きだせなかったのに気づいたのは、ずっと下流の岩にひっかかっていたゴントの死体を岸に引き上げた後だった。

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