第7章 天山の桶の底で

7-1 岩間村再び

  


 発破で山を崩したらしく、村の入口へ通じる道はすっかり岩でふさがっていた。えぐれた山腹や積もった土砂には草木が生い茂って、人の手が加わった跡はとうに消えている。これなら村が発見されることもあるまい。

 執拗な追跡でボルドをあそこまで怯えさせたことといい、この入口への細工といい、木原という男、中途半端な性格ではないようだ。もしボルドたちが本当に姉さんたちを殺さなかったとしても、たぶん木原に……。

 翔馬は首をふった。考えるな。死んだのを確かめるまでは無事を信じつづけるんだ。今のおれにできるのはそれしかない。

「カイザン、下から行くぞ」

 馬に声をかけて手綱をとった。出入口はここだけではない。村が襲われる一年ほど前に掘られた隧道ずいどうだから、村の娘が教えてなければ木原も知らないはずだ。

 足元をたしかめながら、カイザンの手綱をひいてゆっくりと谷をおりた。岩の間には砂と土が固く詰まっている。傾斜も緩やかで、見かけほどは歩きにくくない。二頭の替馬――ロナンとレーナもカイザンにおとなしくついてくる。

 さして深い谷ではなく、すぐに河原についた。すねまである流れを渡り、滝を迂回して上流へ向かった。

 馬たちの足元に気をつけなければならぬので時間がかかったが、ようやくその場所に着いた。両側の崖に大小の洞窟が幾つも口をあけていて、澄んだ水を吐きだしている。

 翔馬はひとつの洞窟の前で足をとめた。穴の直径は三メートルほどで、水に押し出された石が堆積たいせきして扇状の坂になり、その上を清流が陽にきらめいている。

 十歳のあの日、村を出た翔馬は、賊が待ち伏せしているかもしれぬ出入口を避け、排水道から外にでた。それがこの隧道のはずなのだが、記憶は風化し、周囲の景観や穴の形なども変わったようだ。それに当時は秋だったが、今は春だ。

 念のためいくつか他の洞窟も見てまわったが、やはりここに間違いはない。

 翔馬は馬をひいて堆石の坂を登り、隧道に入った。懐中電灯の強力な光が、足元の流れと、壁や天井の不気味な陰影を照らしだす。手綱をひかれた三頭の馬は翔馬を信頼しているのか、おとなしくついてくる。

 ようやく先に薄い光が見えたときは、さすがに地下遺跡帰りの翔馬もほっとした。子供のおれはどうやってこの闇を手さぐりで通り抜けられたのだろう。あの時持っていたのも今と同じ手回し充電式の懐中電灯だったが、左腕が使えぬせいで充電が足りず、かなり光が弱かった記憶がある。

 隧道から出た。暗い。まるで井戸の底だ。数メートルを隔てて迫る両側の絶壁をはるかに見上げると、糸のような空が白く輝いている。上空から見おろせば、きっと〈大変動〉でできた岩山の亀裂にしか見えまい。

 事実そうなのだ。木原がふさいだのは、村と外界をつなぐこの切通しの出口である。

 翔馬は馬首を北に向けた。足元には目の粗い格子状の陶板が敷きつめられていて、その下を豊かな水が流れている。この水が曲者で、秋の雨の季節になると全山脈の雨水を集めたかのように岩壁の間をつっぱしる。

 幸いこの谷には自然の亀裂、洞窟が多く、それを利用して水を逃がす工夫がされている。今通ってきた隧道もその一本というわけだ。

 馬で小一時間ほども進むと突然切通しから抜け、大きな岩棚の上に出た。両側に松の林が迫り、谷川が音をたてて岩棚の下へ流れこんでいる。

 眼を上げれば、梢の上にひらけた視界いっぱいに壁のような峰々がそびえている。まるで巨大な天然の桶を底から見上げている気分だ。雪でおおわれた稜線と青い空が、薄暗さに慣れた眼にまぶしい。

 川岸に沿って坂道を登る。水力発電用の堰堤えんていと土止めの石垣がまだ崩れずに残っている。

 ふと、すべてが夢だった気がしてきた。あの先の林道を曲がれば、昔のままの岩間村のたたずまいが眼の前にひろがって……。

 ひろがっているのは村の廃墟だった。七年半の歳月は、人々の営みも生々しい傷口もひとしく風化させていた。

 燃え残った壁の前で翔馬は馬をおりた。これがわが家か。焼け焦げた柱は土に戻り、雨に打たれながら築いた両親の塚も崩れて草におおわれている。

 翔馬は馬具を解き、三頭とも草のなかに放してやった。

 地下室の湿った床には、なげだされたままの布団が朽ちている。散らばった防水箱や棚に載ったままの包みには、どれにも母の筆跡で中の品名が記されている。穀物の種や保存食もかなりある。保存食がまだ食べられるかはわからぬが、種は村を再建するときに役に立つだろう。

 翔馬は葉月と自分の古着の箱を抱えて地上に出た。まだ陽が沈むまで二時間はある。

 納屋の焼け跡から陶製のすきくわもすぐにみつかった。あの日さがしてもみつからなかったのは、焼け落ちた木材や土の下に隠れていたらしい。それに掘り返してさがしているだけの気持の余裕もなかった。

 水だけは昔と変わらない。四方の山々からは滝が落ち、泉は川となって東の湖にそそいでいる。

 桶は底が割れていたので、隣の加地さんの家の跡に行き、使える桶をみつけた。ここの草陰にも半ば土に埋もれた遺体があった。

 砂利の間から両親の遺骨をひとつずつ取りあげては、小川から汲んできた水をかけて洗い、地面に広げた自分の古着の上に積んでいく。

 すっかり拾い集めたのをたしかめ、遺骨を二つの包みにし、家の礎石の上に並べて置いた。宗教に関心をもっているわけではないが、自然に掌を合わせていた。

 葉月の箱の中に見覚えのある服があった。手にとってみて小さいのに驚いた。袖と襟にひだ飾りがついて、何色もの薄い布が花をかたどって縫いつけられている。そうだ、これは姉さんが十歳くらいのとき、村の祭りに着た晴着だ。

 母が居間でこの服を縫っている光景が鮮やかによみがえった。母の横で姉がはしゃいで色とりどりの布を選んでいる。

「ね、これ。つぎはこれ」

 姉がぴょんぴょん跳びはねながら布を母に手渡す。

「あぶない、針が刺さっちゃうでしょ」

 翔馬はいかにも素人っぽい作りの花の飾りにそっと触れた。子供心に万能だと信じていた母も、どうやら裁縫はあまり得意ではなかったらしい。

 花飾りを指先でいつくしむように撫でながら考えた。母さんが他に苦手だったのはなんだろう。好きだったものは。嫌いだったのは。父さんはなぜ〈旧世界〉に戻らず、開拓者になったのだろう。この村にどんな夢を抱いていたのか。ふたりは姉さんとおれにどんな将来を願っていたのか。

 知りたいことは果てしなく頭に浮かんでくる。だが今やそれをたずねる手だては永遠に失われてしまった。

 暮れなずむ岩間村を虚ろに眺める翔馬の胸を、悲しみとも怒りともつかぬ狂おしい衝動が揺さぶった。知りたい。父さんと母さんのことをもっと知りたい! なのにおれは、今ではふたりの声すらはっきりと思い出せない。

 こらえきれずに翔馬は黴臭い晴着に顔を埋めた。獣のような叫びが腹の底からつきあげた。


 翌朝、干肉とかゆで朝飯をすませると、両親の遺骨を包んだ古着と鋤を持ち、歩いて北の山腹にある墓地に向かった。

 墓地といっても、陽当りのよい緩斜面に墓標代わりの自然石が十二個、不規則に置かれているだけだ。よそ者が見ても墓とは気づくまい。村の歴史の浅さにくらべて墓石の数が多いのは、開拓初期に事故、とくに雨期の増水による事故が多発したからだ。

 それぞれの墓に摘んだ花をたむけたが、自分が埋葬に参列した墓以外は記憶もおぼろだ。当時は幼くて墓などに関心がなかったとはいえ、あらためて七年半の長さを感じる。

 足場をたしかめて掘りはじめた。

 小石が多く、一メートルばかりの穴を堀るのに一時間近くかかった。両親の遺骨を古着ごと納め、土をかぶせた上に、大人の頭ほどの自然石を置いた。

 村に戻り、家々の跡をまわって遺体をさがし、あわせて役に立つ物が焼け残っていないかをしらべた。

 どの家も地下室を持っていたが、秋津家をのぞく二十五世帯のうち十四世帯の地下室には火が入っていた。しかし貯蔵されている物品が全焼している例は少ない。酸素の欠乏で火が消えてしまったのだろう。

 衝撃であり、やりきれなかったのは、いくつもの地下室に幼児をふくめた子供の遺体があったことだ。焼死とみられるのが十六体で、他の九体はいずれもミイラ化している。姿は変わり果てても赤ん坊の頃から一緒に遊んだ仲だ、誰かはわかる。

 安奈アンナもいた。翔馬と仲のよかった同い年の女の子で、その黒く干からびた指には爪がなかった。

 しばらくその小さな指を見ていた翔馬は、いきなりわっと叫んで地下室から飛び出し、土の上に倒れこんだ。

 見える。ふるえる手で眼を押さえても、瞼の裏にはっきりと見える。爪がはがれ、血だらけになった指で必死に扉をかきむしる安奈の姿が。

 もしおれがいつまでも地下室に隠れていなかったら安奈を救えたかもしれない。いや、あの雨の日でもまだこの子たちは生きていたかもしれないのだ。翔馬は草の上に額を擦りつけて号泣した。なぜおれはあの時、徹底的に一軒一軒を調べてみることを思いつかなかったのだろう。

 疲れるまでいたあとも、翔馬はそのまま放心したように坐りこんでいた。

 どれだけ時間がたっただろう。やがてのろのろと立ち上がったときには、涙はすっかり乾いていた。

 使えそうな材料を集めてそりを組み立て、布でくるんだ子供たちの遺体を乗せて墓地まで曳いていった。皆、驚くほど軽かった。

 四日かかってすべての遺体を埋葬してしまうと、翔馬は眼下に村の跡を眺めながら、虚脱したように立ちつくした。これだけの村人たちの遺体を眼にした今、姉の無事を信じたくとも、すがるべき綱さえみつからない。

 翔馬は肩をおとした。この世に独りきりになって、誰のため、何のために生きていけばいいのだ。

 語る相手もなく焚火にあたりながら、夕陽を浴びて黄金色に輝く峰々を眺めていると、自分が人間であることさえ忘れそうになる。実際、この巨大な自然の桶の中に人間は翔馬しかいない。あとは獣ばかりだ。

 いっそ獣になれたらいいのに。

 ビスビューで剣術の師匠に教えられたことがある。

 ――迷ったら原点に立ち帰れ。人間の原点は一匹の獣だ。

 戦うときの教訓と理解していたが、キタンの遺跡やその後の脱出行で、生きようとする意志の強さが生死を分けるのを何度も眼にした。それこそ心臓の鼓動が止まるまで生きることを諦めない獣の心ではないか。それに獣なら思いわずらうこともない。

 翌朝、翔馬は暗いうちに起きて刀を振った。日課としている刀術の稽古だ。切先にはおもりをつけて重くしてある。いつもは疲れを残して仕事にさしつかえぬようにほどほどで切りあげるのだが、この日は身の内の炎につき動かされるまま、腕が上がらなくなるまで振り、走った。頭の中が空っぽになるまで体を痛めつけ、胸の底で煙をあげてくすぶっているものを全て燃やしつくしてしまいたい。

 朝食をとってからカイザンに乗って狩りにでかけた。以前から山に棲んでいた動物にくわえ、村で飼っていた牛や豚、鶏などが逃げてふえたため、獲物をさがすには困らない。ただ翔馬の目的は獲物よりも、カイザンを乗りこなせるようになることだ。

 ボルドが教えこんだらしく、カイザンの動きはガルダン遊牧民の戦い方にのっとっている。翔馬自身もトゥムルから騎馬戦の基本は習ったものの、あまり身についてはいない。

 なんといっても遊牧民の戦いは騎上射撃が主だ。ところが翔馬の騎射の腕はさっぱりで、これにはトゥムルも意外だったらしい。それでも、

「いきなり上手にはなれないさ。これまでろくに小銃をいじったこともないんだろう」

「ああ。だがいくら練習しても、とてもおまえの真似はできそうもない。やはりおれにはこっちが向いている」

 翔馬は腰の騎兵刀を叩いた。だが刀術を騎馬戦で活かせるようにするには、独自の工夫と練習が必要だ。迂闊に振りまわせば自分の馬の頸を斬ってしまう。

 午前中いっぱい駆けまわり、戻って鞍からおりると膝が笑った。立っているのがやっとだが、休む前にカイザンの馬具をはずして汗を拭いてやった。濡れたままにしておくと馬体が冷えるだけでなく、皮膚が鞍と擦れて傷になりやすい。

 ひと休みしてから、つぎは自分の足で山まで走った。坂を駆け、岩だらけの斜面をよじ登る。山から駆け戻ると、またひとしきり刀を振った。

 陽が傾く頃には、足がふらつき、腕があがらなくなっていた。小川の膚を切るような雪解け水で汗を流し、乾いた服に着替える。汗に濡れた下着は水洗いし、焚火のそばに干した。今夜は全身の筋肉が悲鳴をあげるにちがいない。だが体のなかは軽く、爽快だった。

 トゥムルはどうしているだろう。翔馬は焚火にあたりながら考えた。頭を空にしようとしたのに、過ぎたこと、別れた人のこと、これからのことがとりとめもなく浮かんでくる。それもいい。たまには落着いて自分を見つめるのも悪くはない。

 トゥムルは約束通り、野営地で待っていてくれた。翔馬はその冬をトゥムルの家族のもとですごし、冬の終わりに天山テングリオーラ山脈に向かう馬交易の一隊に同行して高原を後にした。

 トゥムルは南回廊までついてきてくれた。別れ際、ふたりは互いのがっしりとした肩を抱き合った。

「ショーマ、誰かの力が必要になったら、おれを忘れるなよ」

「ああ、もちろんだ。トゥムル、キタン遺跡じゃひどい目にあったが、おまえと知り合えたことで釣りがでたよ」

 トゥムルの精悍な顔に、夏の陽のような笑いがうかんだ。

 そしてベールヘーナ姫。

 あれからもう二年になる。結局、ビスビューには立ち寄らなかった。ベールヘーナとの約束を忘れたわけでも、公女への想いが消えたのでもない。ただ――。

 翔馬は胸元から紅玉ルビーの頸飾りを取りだした。噂では、婚約は相手が病死したため解消されたという。今ならおそらくストレイに連絡して会うことはできるだろう。だがそれでどうなる。翔馬は襟の中に頸飾りを落とした。結局は互いにつらい思いをするだけだ。棲む世界がちがうことを、あの頃は子供でよくわかっていなかった。


 翔馬の若い体は連日いくら痛めつけても一晩で回復する。頭を空っぽにすることはできなかったが、気力はよみがえった。もともと悩みを大事に抱えていられる性分でもない。

 翔馬は毎日の稽古の合間に、家々の焼け残った地下室を調べた。木原とはどんな男か。そして村を襲った狙いはなにか。村に帰ってきたいちばんの目的はそれを知ることだ。南回廊をここまで旅しながら調べてはみたが、木原という名だけが手掛りでは何もつかめなかった。それにあまり熱心にたずねてまわると、かえって木原の耳にこちらの噂が入ることになる。

 もともとこの村は土壌が豊かで水も森もある。だがいくら農業、牧畜に向いているといっても、狭い桶の底ではたかのしれた規模だ。外界と隔絶しているので発展性もない。いったいどんな価値がこの村にあるのだろう。鉱物資源か。それにしては誰も採掘などしていなかった。なにかあるはずだ。おそらくはとてつもない価値のある何かが。たぶんそれは……。


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