4-3 トゥムル
やがて翔馬は、ここでは食糧が通貨の代用になっていることを知った。固形食あるいは棒食(棒形の携行食)さえあれば医薬品、道具類はもとより、女まで手にいれられるという。
むろんここに女などいるはずがない。妄想が噂に化けたのだ。
問題はその保管だ。個室どころか私物入れもないし、どこかに置いておくわけにもいかない。だから眠る時はもとより、地下にもぐる時も持ち物はすべて身につけたままだ。古顔の坑夫たちが袋を腰から放さない理由がわかった。
むろん身につけていたって襲われる危険はある。看守たちは見ても止めたりはしない。
その看守たちも、元は坑夫だった。仲間を売って楽な地位を手にいれた彼らも、自分の担当の穴から掘りだされるお宝の量が規定に達しなければ、たちまち坑夫に逆戻りだ。かつての仲間たちの憎悪の的になっているだけに、それは死刑の宣告にひとしい。そこで彼らはますます苛酷に坑夫たちの尻を叩くことになる。
看守たちに命令を下しているのは翔馬たちを捕えた兵士で、坑夫たちは監督兵と呼んでいる。一日おきにどこからか
彼らはいつも看守としか接触せず、装甲筏から離れない。しかも
だが翔馬にはそんな詮索をしている余裕はなかった。わずかひと月足らずのうちに一緒に捕まった仲間の三分の一が死んでしまい、秋を生きのびた者は半数にも満たない。ふつうなら二、三日寝ていれば治りそうな風邪や、ちょっとした怪我さえ命取りになった。班長の言葉は本当だった。
身体をこわせば作業ができず、食糧ももらえない。しかしそれだけなら、自分の貯えや友人からの援助があれば、なんとかしのげぬこともない。
だが回復してどうなる。また暗く暑く息苦しい地の底を這いずりまわるのか。それも自分をこんな目にあわせた奴らにお宝を貢ぐために。そして結局は身体がぼろぼろになって死ぬのだ。
――なら早く死んでやつらの鼻をあかしてやる。
そう言っていた坑夫は、足を挫いてから十日もたたずに死んだ。坂道をころがるような衰弱ぶりだった。
その男だけではない。翔馬のまわりで実に多くの男たちがあっけなく死んでいった。体力よりも先に、生きる意欲が尽きてしまったのだ。
翔馬にしても、時に絶望の崖っぷちから一歩踏みだしそうになる。生への執着をかろうじて支えているのは、
――姉さんを捜しだすまでは死ねない。
という一念だけだ。おれが死んだら、誰が葉月姉さんを救いだすのだ。姉さんのためになんとしてもここを脱出しなくてはならない。
だがどうやって?
実のところ、看守の武器は衝撃棒だけで、見張りもいいかげんだ。石の壁はくずれやすくて登るのは難しいが、なにもそんな山を越えなくとも、輸送隊の出入口はがら空きも同然だ。
問題は、どこに逃げるかだ。
この遺跡の周囲は一木一草もない岩石沙漠だ。おそらく古顔の隊商夫が推理したようにキタン沙漠なのだろう。キタンの空白地帯に未発見の遺跡がいくつも埋まっているという噂は翔馬も耳にしたことがある。
そうだとしてもこの遺跡の正確な位置も、いちばん近い水場がどこにあるかも、いっさいわからない。砕石の山に登った者の話では、どちらを見ても荒れた岩肌が地平までつづいているという。看守の見張りが熱心でないのは、その必要がないと安心しているのだろう。ここにつけこむ隙があるかもしれない。
その日、縦坑を降りたところで翔馬はトゥムルと顔を合わせた。ふたりの班の交替時間が一致したのだ。
トゥムルは翔馬より二つ上で、背丈は並みだが肩の巾と胸の厚みがある。二の腕も太く、ただそこにいるだけで威圧感がある。
連れてこられたのは翔馬らのひと月ほど後で、それからふた月もたたぬうちに、彼の班の温情家だが優柔不断なところのあった班長は事故死し、彼が班長になった。
その後もつづけて三度ほど事故があり、不注意で何度もまわりの者を危険な目にあわせた男、恨みっぽい愚痴で皆の気力を腐らせていた怠け者、仲間から固形食を脅し取っていた男が死んだ。
前班長と最初の不注意男は、あるいは本当の事故死だったかもしれない。だが次の怠け者と恐喝男の事故の背後には間違いなくトゥムルがいる。しかも最後の恐喝男の場合、まだ息のあったのを、トゥムルは班の全員に
たしかにこの四人は班の厄介者だった。実際、彼らがいなくなることで班の採掘量は増え、少なくとも飢えることはなくなった。しかも、班の全員から恐れられ、憎まれていた恐喝男の死に皆を関わらせたことで、共犯意識が班の結束を固める結果になった。
翔馬はトゥムルの非情な統率力にひそかな感銘をうけた。
むろん、
――なにも殺さなくても。
と非難する者はいる。だがこの状況で班員を多く生きのびさせようとしたら、他に方法があったか。
きっと誰もが心の奥ではそれを承知していながら、トゥムルのようには踏み切れずにいるのだ。翔馬は、やはり踏み切れそうもない自分の心を省みてそう思う。
翔馬がトゥムルと初めて言葉を交わしたのは、トゥムルが班長になって半月ほどした頃だった。
騒音が突然減ったのであたりを見まわすと、枝穴の一つから明りが漏れていない。配管や導線、鋼材を切り出す班だ。送電がとまっているらしい。
「ちょっと様子を見てくる」
翔馬は班長に告げた。こちらにも影響のある事故かもしれない。
「どうかしたのか」
穴の口から声をかけた。非常灯のほのかな白色光に、沈黙した切断機を抱える男たちの眼が浮かびあがった。
「配電盤に異常があるらしいんだが、原因がわからない」
トゥムルが〈高原語〉でいい、すぐに訛りの強い〈草原語〉で言いなおした。
「みせてみろ」
翔馬は流暢な〈高原語〉でいうと、腰の袋を開けて工具を取り出した。
坑夫たちは採掘したお宝のうち、気に入った品、役に立ちそうな小物は差し出さない。他の坑夫のお宝と交換するか、そのまま収穫のない日にそなえて隠し持っている。この工具もそうして手に入れたものだ。
「上から照らしてくれ」
トゥムルは黙って仲間の手から非常灯を取り上げ、配電盤の前にかがみこんだ翔馬の手元を照らした。肩の上から男たちがのしかかるようにしてのぞきこむ。
「臭い息を首にかけるな」
翔馬はふりむいて〈草原語〉で追い払った。
配電盤の蓋を開けた。
原因はすぐにわかった。やはり短絡で、以前の修理がいいかげんだったのだ。
「直るか」
トゥムルがたずねた。保守員を呼んで修理させていたら、今日の分の採掘ができない。
「まかせろ。危ないからおれに触るなよ」
修理そのものは簡単だが、強い電流が流れているので細心の注意が必要だ。翔馬は絶縁工具を持つ指先に神経を集中した。
「アキツ、早く来い! いつまで怠けているんだ」
いきなりラモンの怒鳴り声が響いた。
「やかましい! おれの分の食糧はみんなにくれてやるから、邪魔するな」
あやうく感電しかけた翔馬は、声をふるわせて叫んだ。
ラモンはトゥムルの仲間たちに詰め寄られ、慌てて逃げていった。
翔馬は深呼吸をして指の震えがとまるのを待ち、修理をつづけた。
一斉に灯りがついた。
「直った」
と翔馬は蓋を戻した。
「ありがとう。おれの名はトゥムルだ。この借りは忘れないぞ」
「おれはアキツ。気にしないでくれ。あんたは、もしかしてガルダン族か」
〈高原語〉は遊牧民の共通語である。標準語ではないが、天山山脈の南方と東方では〈草原語〉より広い領域で使われている。
「そうだ。馬を運ぶ途中、野営地を襲われたんだ。乗っていた馬が殺されて捕まってしまった」
「ブハラにも馬を運ぶことがあるのか」
翔馬はさりげなくたずねた。
「おれの氏族はそっちの方面とは取引がないが、よその氏族が運んでいるかもしれない。それがどうかしたか」
「知り合いが、ブハラでガルダン族から名馬を手にいれたと自慢していたのを思い出したんだ」
「名馬なら、おれの氏族でも育てている。天馬になるかもしれない馬だ」
と眼を細めた。
以来、顔をあわせば言葉をかわす仲になっている。
運搬車からおりると、トゥムルが防護帽を指で叩いた。
「当たった」
「おれもだ」
翔馬はうなずいた。
この坑道は頑丈な建物の中をくりぬいているので、いわゆる落盤というのは起きないことになっているが、壁や天井の削り残した岩が掘鑿の振動によって剥がれ、落ちることはある。危険なのでそうした箇所は、少量の発破を仕掛けて落としてしまう。ここもそろそろその時期のようだ。
「いつ落とそうか」
とトゥムル。
翔馬は天井を見て考えた。小規模な爆破でも、事前に送気管や電線、照明器を待避させなくてはならず、爆破の後も粉塵がおさまるまで少なくとも三時間は待たなくてはならない。その間、この坑道を利用しているすべての班が作業できなくなる。思いついてすぐ、というわけにはいかないのだ。
「つぎの交替は四時間後だな。今から各班長に連絡して、二時間後に準備を始め、四時間後に爆破、八時間後に作業を再開するのはどうだ」
「わかった。それじゃあ二時間後にまた」
掘削作業を開始してから間もなく、それは起こった。
翔馬が掘削機の震動を肩で受けながら岩を削りとっていると、突然闇になって掘削機が止まった。次の瞬間、衝撃が坑道を
すぐに我に返ったが、真っ暗闇のままだ。防塵面をとって眼に手をあててみる。ふさがってはいない。
心臓が跳ね上がった。大変だ! 眼がみえなくなった。
待て、掘削機の音がしない。ということは……なんだ、停電で照明が消えただけだ。
ほっとしたとたん、胃を氷の手でつかまれた。崩落だ。地の底に閉じ込められてしまった。
頭上に数億トンの暗黒がのしかかって、体が縛りつけられたように動けなくなった。
「落盤だ!」
誰かが叫んだ。怒声、悲鳴、喚き声が闇の中に爆発した。
とたんに翔馬は肩を突きとばされてころがった。横で柔らかいものが壁に激突する鈍い音。そしてうめき声。
危険だ。みんなを落着かせなくては。
しかし皆が叫んでいるときに一緒になって叫んでも効果がない。
翔馬は手袋をとり、勢いよく手を
銃声のような音に、一瞬闇の中の動きがとまった。すかさず叫んだ。
「動くなっ、走ると岩にぶつかるぞ」
みんなが聞いている手応えがある。つづけた。
「安心しろ、換気装置の音がしている。送気管は無事だ。たすかるぞ」
耳を澄ませている気配がする。換気装置の安定した唸りがこれほど頼もしくきこえたことはない。
闇の中に張りつめている恐怖がゆるむのを肌に感じた。
「みんなその場に坐れ。坐ったら落着いて自分の持物をさぐるんだ。誰か非常灯を持っているはずだ」
落着きがよその穴にも広がり、ようやく混乱がおさまっていった。
「あったぞ!」
叫び声とともに淡い光がともった。
沈黙、そして狂ったような歓声。明りがこれほど心強いものだったとは。
「よし、崩落した場所を調べよう」
非常灯を先頭に翔馬たちは坑道を戻った。
途中で他の非常灯が合流し、現場につくころには光は十をこえていた。
すぐにこの明りをともせばあれほどの混乱にはならなかっただろう。しかし動顛して頭が働かなくなるのは、今さっき翔馬自身が経験したばかりだ。
坑道の空気の流れが妨げられていないことから推測したとおり、崩落は小規模なもので、天井まではふさがれていない。
「どうする、アキツ」
闇の中で誰かがたずねた。
翔馬はいつのまにか自分がこの場の指導者になっているのに気づいた。ここは乗るしかない。
ふんぞり返って、ここまで歩きながら考えていたことを怒鳴った。
「明りが足りない。作業は危険だ。電気が回復するまで昼寝でもしていろ」
あるいは全員で声をそろえて歌でも歌わせるか。恐怖と緊張を忘れるならなんでもいい。
「回復しなかったらどうする。ここでくたばるのか」
泣くような声が叫んだ。
「落着けよ。看守がおれたちを放っておくはずないだろう」
翔馬はなるべく声に気楽な調子をもたせていった。
「お宝がとれなければ、やつらの命が危ないんだ。今ごろ必死になって復旧作業をしているさ」
トゥムルの力強い声が響いた。
「アキツのいうとおりだ。どのみち発破で落とす予定だったんだ。手間がはぶけたってもんだ」
二時間ほどで断線は修復された。送気管が無事だったので粉塵が吹き払われ、爆薬を使った場合より早く作業を再開できた。
「おまえのおかげで大事故にならずにすんだ」
地上にでてからトゥムルがいった。
頭から毛布をかぶって陽の光を浴びているのに身体が震える。
「みんなに大声で歌わせて気持をひきたてたのもよかった。あんな状況でよく冷静でいられたな」
「おれだって動顛したさ。きっとまわりに人がいっぱいいたから、正気にもどるのが早かったんだな。それにおれがやらなくたって、おまえがみんなを静めていたさ。そうだろう」
「あるいはな」
トゥムルはうなずいた。
「だが、実際にやったのはおまえだ」
数日後、穴からあがってきた翔馬は、トゥムルに声をかけられた。
「ちょっと陽にあたらないか」
ふたりは他の坑夫から距離をとりながら、陽当りのよい場所を歩いた。
「ちょっと小耳にはさんだんだが」
トゥムルが前を向いたままささやいた。
「おまえの脱走計画を密告しようというやつがいる」
「おれの?」
「こっちを向くな。本当に計画しているかなんてどうでもいいんだ。先日の一件でおまえは注目された。大物の仲間入りをしたんだ。脱走計画の首謀者としてふさわしい男になったわけだ。わかるだろう」
「ああ」
そういうことか。翔馬は唇を噛んだ。三カ月ほど前にも、グラレフによる脱走計画がラモンの密告で発覚したことがある。
実のところ計画はでっちあげだったのだが、その真偽は問われることなく、グラレフの班への食糧の支給は二十日間、半減された。生きのびたかったら倍のお宝を採掘しろということだ。
グラレフは班長として坑夫たちをよく統率し、平均以上の成績をあげている。こうして圧力をかければさらに発掘量が増すと看守たちは判断したのだろう。
ラモンはこの手柄で看守になった。看守になりたい連中がそれを見て、今度は翔馬を密告しようとたくらんだとしても不思議はない。
しばらく考えてから翔馬はいった。
「八日前、おれたちの班長が死んだ」
「知っている。かなりの古顔だったそうだな」
翔馬はうなずき、
「おれは生きのびるために班長を見習ってきた。しかし結局はこうなる。粉塵だ。あんな安物の防塵面、つけていたところで二年もしないうちに肺は粘土のようになってしまう。窒息死だ」
ふたりは冷酷な現実を前に沈黙した。
おれはこれまで何のために生にしがみついてきた。翔馬は自問した。姉さんに会うためじゃないか。だがこのまま脱出の機会を待ちつづけても、残された時間が減るだけだ。だったら思い切って踏みだすべきではないのか、このトゥムルと力を合わせれば……。
翔馬は大きな賭けを迫られた。トゥムルを信じていいのか。いざとなったら頼りにならない見かけ倒しのはったり屋だったらどうする。
そっとトゥムルの顔を見た。〈高原語〉で〝鉄〟を意味するその名のごとく、眼に不敵な光をたたえている。
翔馬は心を決めた。
「トゥムル、おれはここを出るつもりだ。一緒にきてくれないか」
「計画はできているのか」
トゥムルは静かな声で訊いた。
「できている。しかしおれ独りじゃ無理だ」
「いいだろう。おまえに命をあずけた」
トゥムルはあっさりと言った。どんな計画かたずねようともしなかった。
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