第26話 アルバイトって大変
晶子は数日間の研修をこなし、店に出て仕事がスタートする。
晶子のバイトの仕事内容は主にウェイトレスとレジ等の接客だ、
ウェイトレスの内容は料理を厨房から客席に運ぶ仕事なので常に食べ物と接する。
摂食障害の晶子にとっては食べ物を見る仕事は苦痛だが仕事と割り切ってしまえば意外と平気だった。
注文はすべて各席にあるタブレットからメニューを選び、それぞれそこからお客さんが選ぶ方式なので注文を聞く必要がない。
これがもしも昔のように店員が注文を聞きに行くならお客さんが一斉に注文するメニューを言って結局聞き取れない、などのトラブルが発生したり、お客さんが注文したと思っているメニューが店員には聞き取れなくて注文されておらず「あれを注文したのになんで来ないの!?」などのミスが発生する心配もない。
現代の飲食店における注文が聞き取りではなくタブレット制でよかったと晶子は思った。
あとは厨房で出てきた品を各テーブルに持っていくことと客が帰った後のテーブルの片づけにレジ打ちなどであ。
このアルバイトに決まって一週間もする頃には晶子はすっかり仕事にも慣れていた。
特に今までのところトラブルもなく、全てが順調だった。
しかしある日、晶子は接客で問題と直面する。
この日は店も混雑するほど客が多く、そのうちの四番テーブルには仕事帰りのサラリーマン風の男性が数人話をしていた。
先ほどから仕事の打ち合わせなのかその席の客はやたら怪訝な表情で話しをしていた。
客の方も店に長居する為か複数のメニューを注文していたのでどうしてもウェイターはその席に何度か足を運ぶ必要があった。
「あの客、ずっとあのテーブルにいる。機嫌悪そうだし、あたしはあんまりあのテーブル近づきたくないな」
晶子より長くこのバイトをしている大学生の先輩の一人がそう言った。
本来接客業において店員が客をそうやって自分の気分で仕事をしない、など許されるわけないのだがバイトはあくまでも一時的に雇われているだけなのでどうしてもそうやって仕事を嫌がる人もいる、とは聞いていたがまさかこの職場にもいるのか、と晶子は驚いた。
この前初めてこの店に来て面接を受けた時間帯はこの店の店員は人柄がいい感じで笑顔で対応している人が多かったが今は夜の八時なのであの時いた店員とシフトで入れ替わっていた。
あの時の人柄のよさそうな店員たちはパートなので夜のシフトにはおらず、今は学生などのアルバイトのウェイターが多かった。
そう言って数人の先輩バイト達はそのテーブルへ注文の品を持っていくことは避け、やたら別のテーブルへの接客ばかりしていた。
晶子は新人なのでそういった先輩バイトのような客の選り好み許されるわけもなく、こういう面倒ごとは新人がやるべきなのか、周りがやろうとしないので仕方なく注文の品を持っていった。
そのテーブルの客はからあげを注文したので厨房で出来たからあげを持っていった。
「おまたせしました。こちら鶏のからあげになります」
研修でみっちり仕込まれたスマイルと接客態度で晶子はそのテーブルに品を持っていく。
注文したメニューが来て、同じテーブル同士で話していたお客さんの話し声は中断する。
重要な台詞を言おうとしていたのに肝心なところで話を割られたというのが気に入らんとばかりに客はチッと舌打ちした。
接客上なのでこれはいきなり注文を持っていった店員が悪いわけではなくとも客としては自分の言おうとしたことを妨害されていい気分ではないのかもしれない。
かといって無言で注文の品を持っていくなど接客として失礼な態度を取るわけにもいかない。
見た目からしガラの悪そうな客なので晶子は確かに先輩達が言うようにあまりこのテーブルには近寄りたくなかった。
しかしウェイトレスという立場な以上客が嫌だとかそんな個人のワガママは許されない。
仕事な以上どんなお客さんが相手でも接客をせねばならぬのだ。
長居するために次々とかなり品数豊富なメニューを注文したテーブルだったので何度も同じテーブルに足を運ぶ必要がある。
今度は件のテーブルにフライドポテトを持っていかねばならないのだ。
他の先輩バイト達はみんな他の仕事をしている為に厨房でできあがったメニューは新人で手の空いている晶子が持っていくしかなかった。
そして晶子が四番テーブルにフライドポテトを持っていき「お待たせしました」と言ってテーブルにフライドポテトを置くと先ほどからイライラしていた客はついに怒りを爆発させた。
「もう! 大事な話してんだからいちいち割ってくんじゃねえよ。一度に持ってきてくれない? さっきからこっちが重要な話してるのに、何回も話中断されて迷惑なんだけど」
そのテーブルの中で一番偉い立場なのかボスという風格を出したお客さんはいらついた口調で言ってきた
そもそもこのテーブルの客が多くの品を注文したからこのテーブルに何度も来るのは仕方がないことだった。
キッチンでは完成した注文からウェイターが運ぶ形式なので料理ができる順番はウェイトレスにはわからない。
かといってキッチンから出てきた品をそこですぐに運ばずに温存してしまうと次々と料理が完成するのに料理人には順番がわからなくなるので出来上がった順からすぐに持っていかねばならない。
すぐに運ばないと料理が冷めていき風味が落ちるのでそれもまた完全に美味しい状態でお客様に提供するということができなくなるのだ。
重要な話をしてるというのならば、何品も料理を注文しないでほしい、とも思った
そっちが注文したくせに、運ぶ為に話を中断されるのが嫌なら、なぜ頼むのか。
自分は悪くないのに、と理不尽な気もしたがここでは接客と言う立場な以上お客様の言うことは絶対だ。
「大変失礼しました。なるべく同時にお持ちしますよう気を付けます」
気に入らない、とばかりにクレームを言う客に晶子は謝った。
「あんた新人? 前までこの店にいなかったよね? 初めて見る顔だし。高校生? いい年こいてなんで空気読めないの? さっきから見てればこっちが仕事で大事な話してんの分かるでしょ? 空気くらい読んでちゃんと対応してよ。それともこの店はそういうこときっちり研修で教えてないわけ?」
さらに客は難癖をつけてきた。
同じテーブルのの客数人は何も言わずにその客の言うことを止めることもなく「うんうん」とうなずく。
どうやらこのテーブルの客もみんな同意見なのをこの客が代表して伝えているということなのか、それとも同じ仕事のグループで来ていてこの文句を言ってる客が上司で回りは部下なので上司が店員に文句を言ってることに対して誰も口をはさめないということなのだろうか。
晶子はこういう状況になった場合の話は研修で聞いていなかった。
マニュアル通りに動いていてもクレームを入れてくる客はいるのだ。
「どうせあんたもこの後、バイト仲間とかでむかつく客がいた。とか俺らの陰口言うんでしょ?」
陰口はたたいていないが確かにこの店の今のシフトに入っている先輩店員たちはこのテーブルの客たちのことを非難していた。
そういう店員の態度も直接顔に出さなくとも店の雰囲気で客に伝わってしまうのかもしれない。
「いいえ。そんなことしません」
「店員のくせにお客様に口答えすんの? まるでこっちが悪いみたいじゃん。どうせあんたも小遣い稼ぎでバイトしてんでしょ? いいよねバイトは、俺らが一生懸命社会で働いてるっていうのにどうせバイトのやつらなんて普段が学校で遊んでるバカばっかなんだから。あんたもどうせ高校生くらいだよね?いいよねー子供は。親がしこたま働いてきた金をあっというまに消費するだけだから楽だよねー」
客はこちらが店員という都合上何も言い返せないことをいいことに言いたい放題言ってくる。
お客さんから見れば晶子も年齢上「今時の高校生」としか見られてないのだ。
アルバイトを探す時にも「高校生」という年齢はやはり十八歳以上と比べて世間や社会からは「子供」としか見なされていないのだ。
いくら晶子にとっては高校生でアルバイトができるから大人びてきた、と思ってもそれは晶子の中だけでしょせん晶子も社会からは子供としか見られていないのだ。
晶子はこうなるからやはり男性は苦手だと思った。
男性はきつい言葉を口にする。
しかし女子高へ行ってもそれは同じだった。女子高でもきついことを言う人はいた。
どっちにしろ世の中きついことを言う人は多いのである。
先ほどから先輩たちがこのテーブルへ行くのを避けていたのはこういったトラブルがあることを見抜いてだったのだろう。
「この店もさあ、メニューはたいしてうまくもねえのに金は高いし、わざわざ金払って食いに来ている客の立場にもなってくれっつーの。わざわざ来てやってるのにサービスもしねえし」
客は好き放題言い始めた。
晶子は新人だったためにこういう状況になった場合の切り抜け方を知らなかった。
陰口を言われる辛さは晶子は以前の学校で散々経験したので決して人の噂や陰口をするなんて絶対したくなかった。
晶子は客にどんなことを言われても耐えていたが初めてのクレームにどう対応していいかわからなかった。
むしろ理不尽なことをきつい口調で言われて涙が出そうだった。
しかしウェイトレスという立場な以上、客の前で泣くなんて許されるはずもなく、晶子はただじっと耐えた。
テーブルで困っている晶子に見かねてかたまたま通路を通りすがった店長がテーブルに来た
「大変失礼なことをしたようで申し訳ありません」
店長は客に謝罪の言葉を述べ、対応した。
そして晶子の耳元にそっと告げた。
「ここは俺がなんとかするから、清野さんは他の仕事いって」
面倒な客の相手は結局店長が引き受けることになった。
結局晶子の力ではお客さんに対するうまい対応の仕方などわからなかったのだ。
晶子は厨房に戻り、涙が出そうになりながらもこらえながら耐えた。
こっちも仕事の上で仕方ないのに、と客の言いように理不尽で仕方がなかった。
「はい、七番テーブル持って行って」
そんな晶子にいつまでもそうしてられない、と言わんばかりにさっそく厨房からは次の仕事が入った。
そうだった、今はまだ仕事中なのだ、と晶子は正気に戻った。
何かあったからと止まってはいられない。
仕事とはトラブルがあったとしてもそこで動きを止めたり、嫌になったからと勝手に途中でやめたり放棄して帰ったりしてはいけないのだ。
改めて学校と仕事の違いを感じる。
学校では教師や大人に守られていて家では保護者に守られている立場なのだ。
晶子は今までは大人の手の中で守られてきていた過保護な籠の鳥のような状態だったのだと知る。
それが仕事の場合は誰も守ってくれない、自分の身は自分で身を守らねばならない。
それが仕事の厳しい部分なのである。
辞めたいと思う時もあったがここを辞めたら他に高校生募集の店がない。
数少ないこの地域での十八歳未満募集の店を探して苦労してようやく見つけたバイト先なのだ。
漫画やドラマなどでは「バイトが気に入らなければやめればいい。他のバイト探せばいい」といいうシーンがあるがそれは現実では通用しない。
晶子にとってはバイトを探しまくってようやく最後の砦として見つけたバイト先なのだ。
ここを辞めたら他に行く場所がない。
どんなに辛いことがあってもここで我慢して頑張るしかないのだ。
晶子は泣きそうだった顔を手でこすると「今は仕事に集中だ」気合を入れなおし再び厨房のメニューを配膳する仕事に戻った。
フロントに出れば先ほどのテーブルをちらっと見るとまだ店長はその客と話していた。
客としても言いたいことは多々あったようで、店長は対応している。
もう五分ほどは話しているだろうか。
接客とはトラブルがあるとそうやって店の責任者が時間がかかってでも謝罪の対応をせねばならない。
晶子は別の仕事に集中していると十五分は経過しただろうか。
ようやく店長がテーブルから離れ厨房に戻ってきた。
そして晶子に言った。
「あのね、お客さんによっては店で大事な話とか仕事の打ち合わせの為に場所を借りてついでに食事するって目的の人も多いから」
店長は先ほどまで聞いていたお客さんの事情を話した
「あのお客さん達、明日もう出張に行かなきゃいけなくて今日は仕事が立て込んでてどうしても今夜中に打ち合わせを済ませなきゃいけなかったんだって。あの人が仕事のグループの代表だったからみんなに一から説明しなきゃいけないけどうまくいってなくて。だからどうしてもここでするしかない話が重要だったから、部下へ説明している重要なやりとりに何度も水を差されるのが本当に嫌だったと言ってたよ」
「そ、そうだったんですか」
晶子は初めて客の事情を知り、そんな時だったのに自分は何度もメニューを持っていくという重要な話を割る行動をしてしまったのか、と悪いのは自分の方だったと気づかされた。
晶子は先ほどまで自分の都合でしか考えていなかった。
配膳の仕事としては仕方なかったことだと思っていたが、お客さんにはお客さんの事情があるということをちっとも考えていなかった。
お客さんにはそれぞれ様々な利用目的があってお店に来るのだ。
飲食店ならただ料理を注文して食べるだけでなく仕事の都合で仕方なく場所を借りる。
飲食店のメニューの料金にはその「場所代」も含まれていての値段なのでお客さんはちゃんと利用料金を払っている上でその場所を使用しているのだ。
自分の都合ばっかりでお客さんがどういう気持ちでここを使っているのかまでに考えがいたらなかった。
晶子はつい先ほどまで「こっちだって仕事でやっている」という上から目線な気持ちだった。
しかしお客さんからすればお客さん側の事情だってあるのだ。
あの客だって好きでクレームを入れたかったわけではなかったのかもしれない、どうしても重要な話を割られたことにいら立っていたのかもしれない。
飲食店は食事をする場所だからこそあの客達は料理が食べたくて複数のメニューを注文していた。それはれっきとした飲食店の利用目的だ。
あの客達はグループで重要な打ち合わせがあるので店内に長居することが申し訳ないと思っているからこそ多くの品を注文することで店の売り上げに貢献しようとしていたのかもしれないのだ。
晶子は店員としての自分の気持ちばっかりで客の気持ちなんてちっとも考えられなかったのだ。
晶子は改めて自分の幼稚さを実感した。
「でね、できれば今後はそういうお客さんがいたら空気読んでなるべくお客さんに合わせて料理はまとめて持ってくとかしてくれないかな。一回一回注文の品ができる度に持っていくんじゃなくてなるべく複数同時に運ぶとか。今日はまだ初めてだったから知らなかっただろうし、きちんとそれを教えなかったこっちも悪かったけど。お客様が気持ちよく店に来てくれるようにするってのも俺らの仕事だからね」
晶子はその言葉を聞いて、接客業とはそれもまた学べる場所なのだ、と思った。
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