マルタなる友に寄せて

小鹿

第一話

 私は毎日、学校から走って帰った。私の家は、呉服屋の並ぶ大通りからは数本下った下町にあり、軒瓦の低く連なる店々の間で文房具屋を営んでいた。間口二間半の小さな店だが、表には二尺四方の硝子を嵌めてショウ・ウィンドウが備えられる。白木の枠の中には、万年筆の金のペン先が夕映に光っていた。

 暖簾を跳ね上げるように見世へ駆け入ると、帳場では半纏を着た母が火鉢を握っていた。母は青白い頬に笑窪を浮かべて、私を迎えた。

「実比古や。お前、また姉さんおいて帰って来て、まぁ」

「お友達とおしゃべりばっか、全然早う歩かれんだもん」

「お前もおしゃべりしてきたら良いがね。走って。お鼻が真っ赤だ。ほれ、こっち来て、当たりんさい」

 私は母と火鉢の間に挟まると、母の湯呑みから生姜湯をもらった。

「母さん、今日はどっこも痛くなかったかん?」

「なかったよ、ありがとう」

「手、お貸しんさい、温めてあげます」

「おやおや、お前の方がずっと冷えとるわいのぅ。霜焼けはどうだかねぇ、悪うなっとりゃせんか?」

 母は肉のない骨張った手で、私の両手を検分し、何度も摩った。そのうち、姉も帰るころには、学校終わりの児童たちが鉛筆やノートを求めて店が賑わいだした。姉と母が共に小さなお客たちの相手をするあいだ、私は帳場の奥の階段を机に勉強していた。

 内気な私は幼い頃から人と交わることが苦手で、商人には向かないと見定められて、墨水堂の次代は、早いうちから姉に決まっていた。姉は一つ年上だったが、私が一学年飛び級していたために、同級生でもあった。

 翌春を待たず、母は亡くなり、店は父に代替わりした。父は芸達者な人で、茶道に俳句、能楽に浄瑠璃など、接待に適した才能と人柄を有しており、それのみを買われて縁談が決まったのだ、とよく冗談を言っては笑っていた。

 ところが、人を疑わない性格が災いして、代替わりも間もなく、卓上洋燈を卸す英国商人に騙され、粗悪な高額品を売り付けられた末に、代金未払いで裁判に掛けられた。調停のため店を閉めることが重なるうちに、醜聞を恐れた父は示談金に応じることになった。自身の無学が損益を招いたと悔いながら、それでも、恨み言は聞かせなかった。

「お前たちは、人をよう見れるよにならんといかん。よう見るためには、物事をよう知らんといかん。のぅ、人を恨まんで済むように、強うならんとのぅ」

 生活は一時より苦しくなったが、父は子どもたちの教育費を削りはしなかった。英国の児童書を買い与えては英語に親しませ、月ごとの小遣いとは別に、本代を惜しみなく渡してくれた。

 私は言い付けの通り、よく勉強して、本を読んだ。母のいない寂しさを紛らすためでもあったので、その嗜好は、哲学や実学方面ではなく、ロマンスなどの文芸小説へ向かっていった。それでも、父は口を挟まなかった。

 中学校に上がるころには、姉弟の蔵書で貸し本をするまでに増えていた。商機を見た姉は、少女向けの冊子も並べた。また、父に付いて仕入れに出かけ、高等小学校の級友たちが喜ぶような可愛らしい便箋や箱入りの色鉛筆などを安く揃えた。お陰で、店には少女たちが絶えず訪れた。

 私は階下から軽やかな笑い声が聞こえれば、そっと階段の格子窓まで降りて彼女たちの様子を眺めた。胸高に締めた帯、サテンのリボン、白く柔らかげな手。美しいと思っても、それ以上は近付けなかった。


 明治三十七年。私は愛知県立第二中学校へと進学した。学校は、市街地から停車場まで南北一里ほどの街道のおよそ中程にあった。田んぼの間を行く通学路には、馬車鉄も敷かれていたが、ほとんどの生徒は徒歩で通学していた。

 入学当初、世は対露宣戦布告がなされて間もなく、教室一番の話題は広瀬中佐の殉死だった。背面黒板には戦報の切り抜きが重ねられ、旅順の閉塞作戦の動向を日々伝えた。

 軍人は皆の憧れで、体力知力に自信のある者は揃って兵学校を志した。同級生の間で一番のステイタスと支持される進路だった。

 北条篤敬ほうじょうあつのりくんも、四年次には海軍兵学校を受験すると宣言していた。海軍少佐の一人息子で、横浜に生まれ育った彼は、袴姿の級友が多い中、いつも絹のシャツを着ていた。国語の教科書をそのまま読み上げたような話し方は、しかし、気取ったところがなく、教室の中では常に級友に囲まれて談笑していた。

 対して、私には、ひとつのステイタスもなかった。運動は苦手で、背は一番小さかった。学力だけは年上の同級生たちの中でも劣っていなかったが、代わりに視力を悪くしていた。眼鏡を掛けては私の貧弱を更に知らしめてしまうので、いつも目を凝らして黒板を写していた。

 彼と私とは、違う。文武に秀で、友人に囲まれて、父と同じく海軍を志す彼は、雑誌に載っているような健やかな少年そのものだった。世に望まれる人格は、いくつものステイタスを有する。取るに足らない私などは、話しかけることなど出来なかった。

 ところが、図画の最初の課題で学校内の風景を描くことになった四月の中旬。墨水堂へと画材を買いに来た彼に、制帽から中学生と気付いた店番の姉が声をかけた。彼が私と同じ組だと知ると、帳場の上がりに彼を座らせ、私が学校で上手くやっているかどうかを尋ねた。

 会話は弾んだらしい。姉は彼を気に入って、私と仲良くしてくれるように頼んだ。今、弟はこんな本を好んで読んでいるのだと、私が買ってきたばかりの泉鏡花いずみきょうかの『高野聖こうやひじり』を彼に持たせた。

 その日の夕食、話を聞かされた私は、耳まで熱くなるほどの恥ずかしさを覚えた。お節介焼きの姉を恨んだ。頼みごとの内容もさることながら、よりによって彼を選ぶとは。

 彼は私に話しかけても良いが、私は彼に話しかけられない。姉はステイタスを有する側の人間だから──よく発言して、成績が良く、友人も多い北条くんと同じ側の人間だから、わからないかもしれないが、ステイタスは教室内の規律だ。無視することは許されない。

 彼が約束など忘れているか、その場のお付き合いで請け負っただけであることを念じて、私は翌朝、学校へと向かった。ところが、代掻しろかきと水入れが行われる水田の道で、私の後ろ姿を見付けた彼は、駆け寄って話しかけた。

「おはよう。君はなかなか面白い本を読むんだね、実比古くん」

 振り向いた私は、「あ」と小さな声を発したきり、固まっていた。彼の右手には、『高野聖』が掲げられていた。

「僕はあまり小説を読まないけれど、この本は美しくて良いね」

 彼に微笑まれ、私は一気に上気した。何か返答をしなくてはいけない。彼は私に期待している。私が彼に微笑み返すこと。この本の感想を彼に語って聞かせること。

 相対する人に寄せられる期待は、私が交友を苦手とする所以だった。緊張が身体中を支配して、言葉は浮かび来ない。目を逸らせもしないので、私には彼の困惑がよくわかった。

 何か更に問いかけるべきか、もしくは、もう少し私の返答を待つべきか。彼の喉が小さく上下する。私たちが黙り合っている脇を何人もの生徒が通り抜けて行く。誰も私たちの奇妙な小空間に気を留めはしなかった。

 私がようやく「その本は」と言いかけたとき、学校の方から、けたたましい鐘の音が立った。始業の十分前になると、校門前に立つ用務員の老人が手振りの鐘で報せて、牛でも追いやるかのように生徒たちを急かすのだった。立ち尽くす私を追い越して、生徒たちが走っていく。振り返れば、用務員の老人が渋い顔で私たちを見ながら、重ねて鐘を振っていた。まず私が背を向けて歩き出し、遅れて彼も駆け寄って、隣へと並んだ。

「その本、本屋の店主が僕にて、探して仕入れしとくれたもんなんだ」

 そう言いたかった。さっきは驚いてしまってね、と笑い飛ばせたら、彼も一緒に笑ってくれるだろう。彼だって、軽く話しかけた相手に沈黙されとは、思ってもいなかっただろう。彼の表情を確かめる勇気がなかった。

 私は悔しく、けれども、やはり嬉しかった。彼は一晩で本を読んできてくれた、感想も語って聞かせてくれた。ステイタスがどうだと、私が思案に過ごした夜を、彼は私へと話しかけるために費やしてくれた。

 それなのに、幸運にも与えられた機会を無為にした。幼児のような人見知り癖を出して。私たちの間にあったのは、それぞれに響く駒下駄と鐘の音だけだった。

 教室に入ると、数人の級友たちが声を揃えて彼を呼び、輪に迎え入れた。私は一人、後ろの窓際にある自分の席へと着いた。 教室に、私たちを交わらせるものはなかった。

 彼らは、橋の南に新しく出来たミルクホールの女給が可愛らしいから声をかけに行かないかと話していた。十四歳になる赤く丸い頬をした娘だという。まだ初心うぶな少年たちは、それを隠すような一丁前の口調で娘の品位について語り合っていた。

 私は彼らよりも更に初心であったことには違いない。私は妙に規範に従順で、少年らしさに拘りがあった。良い子たらんと努めていた。そのため、彼らの話など何も聞こえない顔で教科書を開いた。

 彼らは幼い顔付きで精一杯大人びた表情を作り、高い声のままで、清らでない話題を話す。そのちぐはぐは、私を不愉快にさせた。先程、全く話せなかった自分への苛立ちが含まれている自覚はなかった。

 聞くのみだった彼が、いたずらっぽく笑いながら、こちらを指差した。何人もの顔が示された通り、振り向いた。不機嫌な顔が彼の目に留まったのかと汗が引いたが、違った。

「ご覧、今からは紳士の時間だ。先生がお越しだよ」

 窓の外を見れば、朝礼を終えた先生方が職員室からの渡り廊下を早足に歩いて来ていた。

「さあ、解散したまえ」

 彼の言葉に、皆がそれぞれの席へ向かった。 やはり彼は良い少年だと思われた。

 彼の机の上には『高野聖』が置かれる。あの本が、元は私の部屋にあったとは信じがたい。私は改めて校門前の道を描き、彼の呼びかけに応えた。想像の中でなら、私はよくしゃべれていた。彼の目を見て、読んでくれたのか、嬉しいよ、と微笑み返せた。

 君の言った通り、この物語は美しい。幻想的だからだ。僕はこの前、父に連れられて観た能の『恋重荷こいのおもに』を思い出したよ。あの曲も美しい女人が──。

 そこまで言葉が浮かんだとき、冷や汗と共に、彼の机上を見た。赤い紐の栞は、私が挿したままの頁にあった。僧侶が女に帯を解かれながら身を捩る場面。ここに初めて官能の実感を味わった私は、寝る前に密かに読み返しては、その甘さに浸っていた。

 私は世の女性を二つしか知らなかった。一つは、妻や母親などの家の役割を持った、家内と呼ばれる女。もう一つは、私の姉のような少女、もしくは少女未満の女児。文字の上でのみ知る、家内と少女との間に位置するらしい女人の存在は、私を内側から刺激した。その熱が秘匿されるべきとは、よくわかっていた。

 彼はあの栞の意味に気付いただろうか。もし彼がその種の情慾を既に見知っていたのなら、彼は私の少年らしからぬ部分を気取ったに違いない。もし知らなかったのなら、私は新たに与えてしまったかもしれない。なんという罪だろうか。

 私の熱を帯びた目線は、栞によって紙面に留められている。あの本を、少年らしさそのものである彼の手が触った。密かに、染みゆくように、私の官能の気が彼の手から伝わって、彼を侵食しているかのように感じた。

 羞恥心と罪悪感と、そんな居心地の悪い心情のまま、一日を過ごした。しかし、その日の帰り道、彼が例のミルクホールの勝手口で丸い頬の女給と話しているのを見た。

 折り畳んだ小さな紙を手渡された女給は、丸い頬をまた丸くして笑い、何かを言った。聞き取れはしなかったが、赤い唇の断続的な動きは彼に向かって示されているとわかっていながらも、私を強く惹きつけた。

 女給を前にした彼の顔には、一片の恥じらいや緊張も見られず、かといって、いつものような少年らしい明朗さもなかった。妙に落ち着きのある余所行きの笑顔だった。教室でのいつもの笑い方を思い出して、私は彼女に彼の詐りを暴いて見せたくなった。

 結局、私は何も関わらず、殿橋とのばしへ至った。市街地を東西に横切る菅生川は、傾き始めた日を照り返す。欄干にもたれて、牛や稲藁を積んだ運搬の小舟を見下ろしながら、浮かび続ける言葉を流していった。

 なんだ、紳士の顔をして噂話を止めたくせに、ラヴ・レタアなんか渡して、随分と懇意そうじゃないか。つまり、君は既に少年ではなかった。少年らしい振る舞いを偽装していたんだな。

 裏切られた。失望だ。それでいながら、欄干を握り続けたのは、彼もまた、この橋を渡って帰ると知っていたからだ。もう一度、話しかけられたなら、今度こそはきっと笑顔で応えようと思っていた。しかし、川面に浮かぶ夕日がどれだけ色濃くなろうとも、私に声をかける者はなかった。

 翌日、彼は本を返しに来て、今度は父の俳誌を持っていき、その次は古紙の英字新聞を借りていった。二、三日置きに彼が店を訪れるようになると、私も『高野聖』や例の女給のことは忘れ、本貸しのやり取りを通して少しずつ話すようになった。


 五月の写生会にて、私は北条くんと同じ班になった。私たちは、六所ろくしょ神社を選んだ。城跡から見て辰巳たつみの丘の中腹に位置する名所で、急峻な石段の上には、朱塗りの楼門がそびえた。

 彼は、絵を描くには構図決めが重要だと説いて、境内を一周歩いてから、楼門の影に腰を下ろして、拝殿を斜めから見上げる構図に定めた。私も隣に座って、けれども、同じく拝殿を描いては、構図を吟味した彼に申し訳ない気がしたので、拝殿の北にある二間四方の神楽殿を描いた。

 時折、彼の画板を覗き見れば、力強く迷いのない線にて、獅子像の波打つたてがみや、菊花の彫り物が描かれていった。彼も振り返って、余白の多い私の画板を見た。隠そうとすると、上手だと優しく笑うので、私はなお恥ずかしかった。

 午前中に線描きを終えて、弁当を広げた。彼のブリキの弁当箱には、大きな混ぜ込みの握り飯が二つと、卵や海苔やそぼろなどが詰め込まれていた。祖母が朝早くから起きて作ってくれたらしい。

「君のと比べると子どもっぽくて困るなぁ」

 彼がはにかんだ。私のといえば、杉箱に麦混じりの握り飯二つと沢庵たくあん二枚、至って簡素だ。妙に腹の出ながらも辛うじて三角形を保った麦飯の塊を彼に突き出した。

「見てみん、不恰好なもんだわ。自分で握っとるでのぅ」

「え、実比古くん、自分で作ったのかい?」

「炊いたのは父さんだけんどの。父さんが中学上がったんだで、自分で握りんさいって言わったで、頑張ってみとるけんど、全然、上達せんわ」

「君、お母さまは……?」

「二年、半になるかの、亡くなっとる」

 母の不在は寂しい事実だが、惨めとは思っていなかったので、つい軽く話してしまった。ところが、彼は大きな目に涙を薄く張ったまま、私を見つめて黙った。悪いことを聞いただなどと思わなくてよいと伝えようとしたが、沈黙を受けた私もやはり何も言えずに、下を向いてしまった。

 青葉を揺らす涼やかな風が、手水場ちょうずばからの水音を連れて、楼門の石段を駆け抜ける。注連縄が大きく揺れた。

 彼は弁当箱の蓋を被せて、手帳を開いて見せた。家族写真が貼られていた。白い軍服の男性が北条少佐だ。彼の凛とした目鼻立ちは父親譲りだと知った。少佐の隣に座る線の細い夫人を指して、半年前に死んでしまったと言った彼は、見知らぬ小さな少年に見えた。

 快活で学業に秀で、身体も強く愛国心に燃える。幸福な少年は、まさにこの写真のような家庭で育てられるものだと思っていた。確かに、父も母も彼を愛したが、母は八つの年に病で倒れてから、療養のため実家へ戻っており、父とも二年以上会えていなかった。

 彼は私の顔を見ずに話を続けた。その言葉は、彼自身に向かっている気がしたので、私は極力簡素な相槌のみを打って聞いた。

 伯父の許で育てられたが、伯父自身も海軍将校で屋敷にはいなかったこと。義理の伯母、従姉二人と共に暮らしたが、女所帯には馴染めなかったこと。中学進学を期に岡崎へ移り、母と暮らすはずだったが、母は進学前に亡くなった。そのまま、祖父母と伯母の四人で暮らしていた。伯母には婿がいたが出征中で、子もなかった。

 後々聞いた話だが、彼はその父もまた亡くなったとき、祖父から伯母夫婦の養子になることを勧められたという。しかし、彼は断った。北条の苗字を失いたくなかったからと言っていた。 彼が私を「実比古くん」と呼ぶように、私たち級友同士は専ら下の名前で呼び合っていた。そのなかで、彼が自身を北条と呼ばせていたのも、殊更、父の苗字に愛着と誇りがあったからだろう。

 彼の絵は学級賞を取り、昇降口の廊下に吊るされた。他の作品が軽い筆致と淡い色彩で初夏の風景を描く中、鋭い色合いで陰を表す彼の絵は人目を惹いた。彼の筆は強い陰影で、飾り彫の入り組んだ輪郭を支える。旧時代のカーヴィングに、彫り物同士の互いに溶け合わない独立性が見えた。

 これが、寂しい声を漏らした彼の絵。私は登下校のたびに、美しいと思いながら見ていた。

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