オリオンを貫く

銀河

オリオンを貫く

 12月も折り返したため、0時を回るとコートを着ていても寒さが身に染みる。川沿いの道は遮蔽物がないため川を下る風も相まって寒い。

「もうこの辺で良くね?」

 すぐ前を歩く兄貴に声を掛ける。

「まだこの辺は街灯明るいから。もうちょい行くと殆ど真っ暗になる」

 兄貴の提案で今夜に極大を迎えるという「ふたご座流星群」を見るために外へ出た。受験本番を1ヵ月後に控えたこの時期に風邪を引く訳にはいかないし、何よりこんなことに時間を使っている場合でもない気がする。ただ良い結果が出るなら何でも良い。ここまで来たら神頼みでも何でもしようと思い、兄貴についてきた。

 ここも星を見るだけならじゅうぶんに暗いけどなと思いながら、黙って歩く。空を見上げると、都市部ながらそこそこ多くの星が散っていた。この辺りは駅前の繁華街から離れている上、川があるので空が広い。ここでも見えるものだなぁ。

 右手にオリオン座を見つけた。形を結べる星座はそれだけだが、夜ながら冬の澄んだ空は星々をより美しく魅せる。既に流星が見られるのかもしれないが、すぐ脇が土手のこの道は、足元が不安なので長く見上げていられない。兄貴が立ち止まった。

「この辺にするかな」

 あたりは随分と暗かった。すぐ横の兄貴の表情が見えない。星を見るならこれくらい暗くないといけないのか。兄貴が土手に腰を下ろしすぐに横になった。草の上に横になるのは気が引けたので俺は兄貴の左に座る。


「ちょうど正面にオリオン座があるな。お前わかる?」

 兄貴は大学で天文同好会に入っている。あまり活動はわからないがこの間の月食の時は写真を撮りに出掛けていた。

「それは俺でもわかる」

「じゃ、冬の大三角はわかる?」

「え、あの一番明るい3つじゃないの」

「名前3つとも言える?」

 急に試してきたな。

 …思い出せない。中学でやったけどな。

「あれか。デネブとかアルタ…なんとかみたいな」

「それは夏のな!中学でやっただろ~受験生しっかりしろよ」

 やったのは覚えている。言われてみれば夏の大三角は七夕の織姫と彦星だった。3つのうちどれがどれかはわからないが。

「文系だから関係ないし。忘れたけどシリウスみたいなの無かったっけ」

「あ思い出したか。そう、あの明るい中でも一番明るい青白い感じのがシリウス。オリオン座の右肩…こっから見て左側の赤いのがベテルギウス。もっと左にあるのがプロキオン。この3つ」

 兄貴が指さしながら解説してくる。

「あー名前は聞いたことあったわ」

 知っている星の名前を適当に言ったら当たった。こういうのは受験でもあるから回答は埋めるに限る。ベテルギウスはオリオン座だったのか。プロキオンは言われてもピンとこなかった。星は点でしかないが、明るさはそれぞれ違うし何となく色も違う。ベテルギウスとシリウスの赤と青ははっきりとしている。


 星は綺麗だが早いところ流れ星にお願いだけして帰りたいところだ。神頼みもそこそこに勉強するか寝るかにしたい。受験は苦しくて仕方がない。こんな大変な時期は早く過ぎてしまえば良いのに。

「で、ふたご座流星群ってどこ見てればいいの。こっち見てて見つかるの?」

「よく勘違いされるけど、流星群ってどこ見てても見られるんだよ。ふたご座の方角から離れるように四方八方に向かって流れる感じになる」

「へぇ」

「ふたご座どれかわかる?」

「大三角間違えた奴をまだ試すのかよ~」

「ごめんごめん。お前ふたご座だからわかるかな~ってさ」

 そもそも5月6月誕生日の星座が冬に見えるのも変な話だと今更思った。兄貴が説明を続ける。

「大三角の上の2つ並んでる明るいののあたりがそうで、右側のが


「「あっ!」」


 思わず2人で声をあげてしまった。兄貴が指していたふたご座の横を、超高速で小さい閃光が右に走った。飛行機だと言われればそうとも思えてしまいそうな、儚く小さな小さな流星だった。流星自体はテレビか何かで見たことはあったが、こんなにも速いのか。「あっという間」という言葉があるが、2人のあっ!の方が少し長いくらいだと思う。

「えぇ~こんな短いんじゃ願い事できないじゃん。何のために時間取って来たんだよ~」

思わずため息をつく。別にこんなことで合格が出来る訳じゃないとこくらいわかっている。少し気が紛れればと思って来てみたが、時間の浪費だった。急に焦りのようなものも感じた。


「そうか。お前、願い事しに来てたんだな」

 意外半分、予想通り半分のトーンで兄貴が言う。この時期だし当然でしょ、と答える。がっかりが過ぎて、愚痴っぽく続けてしまう。

「やっぱおかしいなと思ったんだよな。神頼みとかそういうの嫌いな兄貴が流星見るとか言うからさ~。これは神頼みにもならんわなぁ」

 もう草のことを気にせず俺も土手で横になった。一気に寒さと疲れが襲ってきた。

「…お前、必死だな」

「そりゃそうでしょ」

「まぁお願い事も、できないことはないんだけどな。さっきのよりもっと長い時間流れることもあるよ」

「じゃそれに期待しない程度に期待しとくわ。合格合格合格だったら1秒以内に言えそ


「「あ」」


 また流れた。今度はふたご座から天頂に向かってさっきより明るく流れた。2つめでも反射で声が出た。相変わらず「あ」という間であったが、より鮮明に見ることが出来た。これなら飛行機ぽくはなく、流れ星らしさがあって良い。およそ願い事なんてできるものではなかったが。

 

 しばらく沈黙が流れた。流星もない。川の音が遠く聴こえる。夕方にこの道を通るときにはランナーが多いのだが、この時間となると人の影もない。

 兄貴が身体を起こす。2つ見てもう満足なのだろうか。それならそれでいいか、帰って明日に備えよう。俺も起きようとした時、兄貴が口を開いた。


「受験とか、結果出すことに必死なのもすげぇ大切だけどさ」

 兄貴が一度伸びをする。

「なんか、今を楽しめって訳じゃないけど、完全に今を捨てて苦しみながら突き進むのは勿体ないなって思うわ」

 受験がどうとか言っているから、ポエムという訳でもなさそうだ。

「どゆこと」

「ほら、勉強とかって大事だけどさ。18歳の青春っていうかそういうのは今だけな訳じゃん。だから勉強せず遊べとかじゃないけどさ、結果だけ考えて生きていたら、今が何にもならないというか。その歳は生きることそのものが価値あるというか、華やかなんだし」

 俺も身体を起こす。兄貴の方を見る。

「例えば、部活でも体育祭とか文化祭みたいな学校行事でも、最後の優勝とか賞だけ考えて突き進む節があるじゃん。良い結果が出た時は最後にそれも良い思い出だけどさ。出せなかった時、本当に優勝だけに一番の価値があるとしたら、全力は尽くした、だけでは納得できないし。実際に意味のある過程も、負け惜しみで無理して意味あることにしているみたいになるんだよね」

 兄貴の言葉の輪郭はなんとなく掴めた。

「文化祭は準備を楽しめたもの勝ちってことか」

「近いかも。最後の美しさに囚われて、より大事な過程の部分が忘れられそうだなって」

「あー」

「さっきお前も言ってたけどさ、前まで神頼み嫌いで神社とか嫌いでさ。けど、今年は神社行ったんだよ。結果のためのお願い事じゃなくて、頑張るぜって宣誓するみたいな感じに考えてさ」


「…ちょっと急だったからビビったけど、兄貴がこんなこと言うのは、俺が受験の結果ばっかり考えてるから?」

「んーそれもあるけど


「「うわぁっ!!!」」

 

 とても明るく長い流星が走る。ベテルギウスよりもシリウスよりも明るい閃光は、天頂からオリオン座の中心を射抜くように突き進む。大きく青白い光は長い尾を引きながら次第にブレーキをかけ山の向こうに消えた。時間にして2秒以上はあっただろう。消えた後もまだ痕跡が目に焼き付くような眩しさだった。


「…これか、長い流星って」

「そうだな。俺もこんな長い火球は初めてかも」

 

 2人して長い余韻に浸る。サークルで何度も流星を見ているであろう兄貴ですら驚いているんだ。これはだいぶラッキーなのだろう。寒さではなく手が震えた。ここで、俺はやっと兄貴の言っていたことを理解した。今度は俺が口を開く。


「受験のことばっか考えて、合格しないと意味ないとか、今は願い事が出来ないと意味ないとか考えてたけど」

 兄貴がこちらを見る。

「流星は、願い事を書く短冊にしては勿体ないな」

 あの巨大火球が流れている間は、受験のことなどすっかり忘れていたのだ。願い事なんてできなくても、今一番欲しいものが受験の結果であったとしても、あの流星はただそれだけで最高に美しかった。その上大きいものだけでなく、注意していれば小さい流星も見ることが出来る。それも十分美しい。

 

 普段ならあんなキザなことを言った兄貴を茶化すところだが、その気にはならなかった。

「わかってもらえたなら良かったわ」

 兄貴は満足そうにそう言った。

「だったらこんな直前じゃなくてさ、もっと早く夏とかに言ってくれれば良かったのに」

「…確かにそうだなぁ」


 受験にしても合格だけでなく、成長していく自分とか18歳にして一つの試練に立ち向かうこととかに目を向けられたら、少しは楽しくなりそうだ。…まだやっぱり結果はほしいけど。

 それでも何だか心が軽くなった。例えこの受験に落ちても、それは失敗とは言わずに済むだろう。もちろん負け惜しみではない。あのオリオン座を貫いた流星のように、誇らしく美しい過程が残るのだから。

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