第三話

もり総理に内閣改造はやらせない」

 葛西のこの発言は党執行部に速報された。葛西かとう圭一こういちが、料亭に招いた政治評論家らの目の前で発言したというのである。招待された評論家連中のなかに内閣官房参与が出席していたため、執行部に葛西の発言が洩れ伝わったものであった。もとより葛西とて、くだんの内閣官房参与が出席していることなど先刻承知の上でこの発言に及んでいるわけだから、これは葛西から林内閣に向けられた実質的な宣戦布告であった。

「赤プリ五人組」などと揶揄されたごく少数の談合で党総裁に推され、誕生した林内閣は発足当初から厳しい世論に曝されていた。眉間に縦皺を寄せ、いかにも大物政治家然とした恰幅のある林の風体も、この場合は悪い方に作用した。

「エラそー」

「ふんぞり返ってる」

 など、謂われなき誹謗中傷を呼んだのである。

 加えて本人による舌禍も不人気に拍車をかけた。

「日本はまさに天皇を中心とした神の国であるぞ」

 いわゆる「神の国」発言が政教一致として批難されたのである。

 これは林総理が神道政治連盟国会議員懇談会に出席した際のスピーチであり、場所柄に応じた単なるリップサービスに過ぎなかったのだが、その程度の発言でさえもヒステリックに批判された背景には、やはり林内閣誕生にまつわる国民の強い嫌悪感があった。

 林内閣は支持率低迷に苦しみ追い詰められつつあったが、その政権与党のなかでも葛西、山端やまさきは反主流派として追い詰められ、その末に蹶起したのである。

 先の宣戦布告によって、

「葛西は野党が提出する内閣不信任案に同調するのではないか」

 との観測が党内に流れた。

 野党が内閣不信任案を提出するのは風物詩とでもいうべき国会の恒例行事であったが、与党側の内紛により意図せずして可決されてしまい、準備不足の野党が本音では望まぬ戦いに打って出なければならなくなったと言う笑えない話も過去にはあった(ハプニング解散)。葛西は野党の内閣不信任案提出の動きに同調する気配を漂わせ、

「私の携帯電話には(野党第一党である進歩党みんしゅとう幹事長)かんさんの電話番号が入ってる」

 などと発言し、自権党執行部をざわつかせること一再ではなかった。

 これに対し与党内の大物政治家が

「葛西は熱いフライパンの上でネコおどりさせておけば良い」(旗本はしもと倫太郎りゅうたろう

 とやり返して両者は決裂した。

 なお「ネコおどり」発言は、林総理の不人気に反比例して国民的人気の高かった葛西に向けられたものとあって、世論から大いにバッシングされたことは附言しておこう。

 この造反もいえる葛西の動きに憤懣やるかたなかったのはなにも林総理や旗本倫太郎だけではなく、尾長もそのひとりだった。

(葛西がこんな俗物やったとは思いもよらなんだ。権力欲に取り憑かれて……)

 前述の総裁選で尾長が葛西に立候補断念を迫ったのは、元はといえばその見識に惚れ込み、敗北することで政治生命が断たれることを惜しんだからであった。葛西圭一こそ国家百年の大計を語るに相応しい政治家と信じたからこそ、一身を顧みず救おうとしたのである。

 それを、一度ならず二度までも……。

 一連の反党行為は尾長個人に対する裏切りでもあった。自由じゆう民権党みんしゅとう幹事長尾長のなか勉務ひろむにとって、葛西はもはや明確な敵となった。尾長はこの叛乱を、迅速かつ徹底的に鎮圧しなければならなかった。

 その尾長を一瞬虚しさが襲う。

「日本という国を、戦争をしなくてもよい国にする」

 葛西にこの願いを託す尾長の夢は破れた。尾長はいまから、かつて自分が夢を託した男の政治生命を、他ならぬ自らの手で断たねばならないのである。たとえるなら我が子を自らの手にかけようという父親の気分だった。

 そう考えればこれほど残酷なこともあるまい。どうしてこのようなことになってしまったのであろうか。

 しかしかぶりを振って感傷を振り払う尾長。いまの自分にできることといえば、目の前で刻々と進展していく事態にひとつひとつ対処していく以外、そう多くない。理念を同じくするからというだけで葛西に同調し、事態を複雑化させることではないはずだった。葛西はこのたびの叛乱で失脚するのだ。他ならぬ俺自身の手で失脚させるのである。葛西だけでなく俺まで倒れてしまったならこの国はどうなる。大義しんを滅するとの本文ほんもんもあるではないか。

 だから葛西よ安心しろ。お前の首は俺が洗ってやる。それがせめてもの供養ともなろう。

 尾長はもう迷わなかった。

 

 さてここで当時の勢力分布を整理しておこう。

 まず衆院は全四八〇議席だから過半数は二四一議席だ。

 さらに衆院で与党が当時占めていた議席は二七二。過半数を三一議席上回っているが、今回蹶起した「叛乱部隊」(葛西派四五名、山端派一九名の計六四名)全員が不信任案賛成に回れば、反対(与党)二〇八、賛成(野党+叛乱部隊)二七二で可決されることになる。叛乱部隊六四名のうち三三名を帰順または投降させなければならない計算だ。

 尾長には勝算があった。葛西派には、葛西の見識に惚れ込み生死を共にすることも厭わぬ狂信的グループもあるにはあったが、それは派内のごく一部であった。同派閥には総理経験者で党重鎮ともいえる宮川みやざわ啓二きいちをはじめ曽我こがまことなど党長老クラスも在籍していた。これら派閥実力者は、表面上は葛西の叛乱に同調しているが、内心はどう考えてるか知れたものではなかった。


 保守本流を自認する紘池会が自権党を割ってどうする。


 尾長の目には、いかにも好好爺然とした普段の柔和な顔をゆがめ、苦虫をかみつぶしたように呟く宮川の表情が見えるようだった。

 案の定、宮川曽我両名は早くも叛乱部隊と一線を画す姿勢だという観測が流れてきた。だからといってこれらと直接接触を図るほど尾長は単細胞ではなかった。安易に面会などすれば内応を疑われて事前に潰される恐れがあった。こういうときに多用されるのが電話であった。尾長は旧知の間柄だった曽我に電話をかけて、叛乱部隊を内側から切り崩すように依頼している。

 尾長にとって読みがたかったのは、宮川や曽我よりも、林総理の出身派閥である林派の会長でありながら、「YKK」などと呼ばれ、葛西や山端と個人的つながりの強かった古池谷こいずみ甚太郎じゅんいちろうであった。もし古池谷が一素浪人に過ぎなかったら間違いなく叛乱部隊に加わっていただろう。極端に清貧で、変人呼ばわりされることすらあった古池谷が、一派の親分としての立場を放擲して叛乱部隊に身を投じるのではないかとする観測も一部にあり、尾長はそれを恐れた。政策面では自身と対立するところも多い。

 当の古池谷は「YKK」のつながりを活かし、葛西山端派に出入りしては蹶起部隊の温度を直接測った。

「誰某の決意は固い。誰某は揺らいでいる」

 こういった具合に尾長に連絡してくることもあれば、自ら叛乱部隊の一員に帰順投降を勧めることもあった。

 総じて見れば古池谷は、党内主流派の領袖として相応しい行動を取ったといえよう。

 尾長と古池谷は叛乱部隊鎮圧という共通の目的を達成するために手を組んだがそれは一時的なものであった。後年、国民の圧倒的な支持を得て総理総裁の座に就いた古池谷に追い出される形で政界を去ることになるなど、このころの尾長には想像もできないことだったに違いない。

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