五月の落ち葉の謎

畑中雷造の墓場

五月の落ち葉の謎

 宮村剛は警察官になるのが夢だった。だが父の敬一からは、危険な仕事だぞ、と常々言われていた。母の雅子からも、安全な仕事を選びなさい、と、はっきりいえば両親から警察官になるのを反対されていた。剛が生まれて間もないころまだ新人刑事だった敬一が、事件で指を落っことしてきたことがあったからだ。凶悪犯ともみ合いになり、刃物でやられたのだ。それでも敬一は、その犯人を気合で捕まえた。

 五歳のとき剛は初めてその話を聞いた。両親はそれを教えることで警察官にだけはなりたくないと思わせたかった。しかし、剛は逆に、「悪いやつを懲らしめたなんて、かっこいい!」といった。五歳児にとっては、指を失ったことより、怪我をしてでも犯人を捕らえたという話のほうに感動したのだった。それから剛は父の背中を追うようになった。

 

 春風の心地よい五月中旬、ゴールデンウィークが明けた翌週の日曜日、宮村家ではバーベキューが行われていた。ルーフバルコニーつきの一軒家なので、解放感がある。父の趣味でやっている庭は、次から次へと増えていく緑の木や花でたくさんになっていた。なかでも剛が生まれた時に同時に育て始めたポプラの木は、公園に生えているレベルの大きさだった。もう十七年になる。

「このお肉おいしい」

 母の雅子がトングを片手に、熱い肉を頬張りながら言った。細かいことは気にしない性格とはいえ、箸を使わずに食べるのはワイルドすぎる。

「行儀が悪いよ、母さん」

 マナーがなっていない雅子に、剛が注意した。その時、視線を向けたその母の足下に茶色い葉が落ちていることに気づいた。十枚ほどの落ち葉だった。それを一枚手に取り、剛は呟いた。

「なんでだろう、こんな時期に。しかもこんなに」

「どうした?」父の敬一がいった。

「いや、落ち葉ってこんな時期に見たことないな、と思ってさ」

 木や草は庭にたくさん置いてあるが、それらの葉の色は緑だ。五月の中旬に枯れ果てた落ち葉などあるはずがない。

 剛は、落ち葉がなぜこんな時期に存在しているのか気になった。夏が終わり、紅葉の季節が過ぎ、少し肌寒くなってくる時期に葉は落ちるのではないか。肉を食べながらも、自分の知識と照らし合わせてしばらく考えてみたが、やはりおかしいという結論に至った。

 バーベキューが終わったあと二階の部屋に戻った剛は、先程拾った一枚の落ち葉をベッドの上で眺めていた。彼は落ち葉の謎を解くべく、考えを巡らせ始めた。

 まず、春から夏にかけてのこの時期に、木から落ち葉が落ちるわけはない。たしか理科の授業でやったはずだ。春から夏は日照時間が長いから、光合成の効率がいい。だから木は春から夏にかけて、たくさん葉っぱを作り、栄養を蓄えて成長する。秋になって気温が下がり、日照時間も少なくなっていくと、もう葉っぱをつけておくメリットがなくなる。冬の寒さに耐えて次の春に備えるためにも、邪魔になった葉っぱをリストラさせるのだ。だから、落ち葉は秋から冬にかけて多くみられる。

 窓を開けて外の景色を見た。春の風で緑の葉が散った。やはり茶色い葉など、この五月にあるのは不自然だ。風の音にまぎれて、車庫のシャッターを開ける音が聞こえた。父さんがどこかに行くのだろう。

 剛は別の角度から思考し始めた。この落ち葉は今年のものではない。とすれば、去年の落ち葉の残りがどこかから風で飛んできたのではないか。道路に残った落ち葉が宮村家に入り込んだ可能性もある。虫に食われたり、掃除されていなかったら、案外残っているものなのかもしれない。だが、バルコニーに落ちていたのは一枚や二枚ではない。少なくても十枚くらいはあった。あれはどうみても不自然だ。意図的に誰かが家に持ち込んだとしか考えられない。だが、人の家に忍び込んで、わざわざ落ち葉を落としていく不審な人物などいないだろう。そんな悪戯をリスクを持ちながらやるのは、普通では考えられない。

 剛は風によって運び込まれたという説と、外部の人間の悪戯説を一旦頭の隅に追いやった。

 落ち葉を眺めながらベッドに横たわる剛が、うーん、と眉間に皺を寄せているとき、スマホが鳴った。高橋からの電話だ。

「もしもし」

「おう、剛。昨日はサンキューな」

「ああ。で、どうした?」

「お前んちに預けたクワガタなんだけど、今から取りにいくわ。旅行は行ったんだけど、親父が体調崩して半日早く帰ってきたんだ」

 高橋は昨日の朝、家族旅行に出かけるからと、飼っているクワガタの世話を頼みに剛の家に来たのだ。いいよ、と引き受けたが、来てみると予想以上に大きい飼育ケースで驚いた。大人が両手でぎりぎり持てるくらいの大きさだった。

 ほどなくして宮村家のインターホンが鳴った。わりいわりい、といいながら、高橋は剛とクワガタに謝罪した。クワガタのほうが時間が長かった。犬や猫ならわかるが、クワガタにまでこんなに愛着が湧くものなのか、と剛は思った。

 落ち葉のことを高橋に相談しようとも一瞬考えたが、クワガタに夢中すぎて適当な返事が返ってきそうだったのでやめた。

 クワガタと会話しながら帰っていった高橋を玄関先の門まで見送って、剛は家に入った。そのときふと、玄関の隅に土が落ちていることに気づいた。彼はため息をつき、「ちっ、高橋め」と毒づいた。おそらくクワガタの飼育ケースからこぼれたのだ。今すぐに高橋を追いかけて片づけさせようか迷ったが、そんなことに体力を使うのは無駄だ、と判断した。仕方なくほうきとちり取りを使って片づけ始めた。

 片づけながらも剛は、落ち葉がどこからきたのか、考えていた。思い返してみると、高橋が持ってきたクワガタの飼育ケースには、落ち葉が大量に入っていた。

「まさかあいつが犯人か」剛は急いで高橋に電話をかけた。

「高橋、おまえ、うちでクワガタの飼育ケースに入ってた落ち葉落としていかなかったか?」

「ん? いや、落としてないけど。なんで?」

「今玄関で土を見つけたからさ。あと、落ち葉もさっき見たから、お前が落としたのかと思って」

「それはないな。構造的にこの飼育ケースじゃ、土や落ち葉が落ちるとは思えないよ。それこそ、ひっくり返したりしないと。……え、まさかお前ひっくり返したりしてな――」

 面倒くさいので電話を切った。高橋はクワガタのことになるとうるさいのだ。とりあえず高橋が犯人ではないし、偶発的に落ち葉が落ちたわけでもなさそうだ。

 外部の人間の悪戯でも自然現象でもなく、クワガタの飼育ケースから落ちたわけでもない。そもそも、ふつう飼育ケースから落ち葉が十枚も落ちるわけがない。少し考えればわかることだった。

 一旦冷静になるために剛は部屋を出て、一階のバルコニーに行った。バルコニーから外を眺めると、庭に母がいた。土いじりをしているようだ。父の趣味である庭いじりに、感化されたらしい。午前中もしていたのに、また午後もやっているのか。

「母さん、土を触るのはいいけど、家に入れないでね」

 剛は玄関にあった土のことを思いだし、母にも注意した。

「はいはい、わかってますぅ」吞気な声で返してきた。

 その能天気な母の返答に、剛の頬が緩んだ。土をほじくっている雅子の背中をみながら、彼は手がかりになるものはなかったか、思い返してみた。

「落ち葉、クワガタ、玄関の土……。うーん」まだ落ち葉の謎は解けそうにない。

「バーベキューの時からうんうん唸ってるけど、何考えてるの?」雅子が聞いてきた。

「いや、落ち葉のことだけど」

「落ち葉? ああ、あの落ち葉ね」

「何か知ってるの?」

「いや、知らないけど……」雅子はニヤっと口角を上げた。

 その母の態度に剛はひっかかりを覚えた。母さんは何か知っているのか。

 しばし無言で考えていると、一つの可能性を見つけた。――これは俺を試すための推理ゲームなのかもしれない。いや、この反応からして、おそらくそうだろう。警察官になるための試金石といったところか。昔から剛が警察官になるのを反対していた母さんなら、こうした謎解きを仕掛けてきてもおかしくない。「そんなこともわからないなんて、警察官になれるのかしら?」と言ってくる母親の姿が目に浮かぶ。

 ぼんやりと考えるのはもうやめだ。剛は目の前の母親から意識を外し、部屋に戻った。証拠を見つけるべく、机に向かった。ノートを開き、落ち葉について、考えられることを書きだしていく。落ち葉が手に入るところはどこだ。

 今の季節に落ち葉を保管しているところなんて、あるんだろうか。剛はスマホで調べてみた。残念ながら落ち葉を保管して何かに使うのは、子供の工作の為、としかヒットしなかった。もしかしたら焼き芋屋が、などと思ったのだが、わざわざ焼き芋屋が芋を焼くのに落ち葉を使うとは思えなかった。

 落ち葉を保管している研究所とかはどうだ。そんなところがあるのかは知らないが、それでもくれないだろう。息子の推理力をチェックするためにください、などと言っても、貴重な保管サンプルを渡してくれるとは思えない。

 その時、書きだした『保管サンプル』という文字に、剛は何か引っかかりを覚えた。

「保管。サンプル。……なんだ? 保管……ん?」

 高橋の持ってきたクワガタの飼育ケースにあった落ち葉は、どうやって保管してるんだろう。年中入れっぱなしなのか。

 剛は高橋に電話した。

「お前のクワガタの落ち葉って、どうやって手に入れてるんだ? 秋に拾って、ずっと使ってるのか?」

「なんだよいきなり。……いや? わざわざそんなことしなくても、ネットで買えるよ」

「――えっ?」

 そんな簡単なことに気づかなかったなんて、と剛は自分の馬鹿さ加減を呪った。なんだよ、という高橋の声は剛に届かなかった。気づくと電話を切っており、スマホで『落ち葉 通販』と調べていた。昆虫ショップや、通販サイトで売られているものがヒットした。それを見て彼はため息をついた。

「普通に売ってるのかよ。なにが推理ゲームだ。ただ母さんが落ち葉を買ってきて置いただけじゃないか」


 リビングでテレビを見ていた雅子のもとに剛は行った。

「あら? 落ち葉の謎解けたの?」そんなに悩むことあったの、と言わんばかりの顔をしている。

「ああ、解けたよ。母さんは、通販であの落ち葉を買い、バーベキューの準備のどさくさにまぎれてあれを俺の目につく所に置いたんだろ」

 剛は強く言い切った。雅子がソファに沈んだまま、腕を組んでうんうんと頷いている。

「え? 違うけど。何いってるの剛?」

「は?」

「落ち葉がどうのこうのって、母さんは知らないわよ?」

 剛は当惑した。だって、あの時落ち葉のことを聞いた時、母さんは何か知ってそうな顔をして笑ったじゃないか。もう一度彼は雅子に確認した。

「本当に、母さんが落ち葉を置いたんじゃないの?」

「違うよ。母さんは何も知らないよ。ほんとのほんとに。ただ、剛が落ち葉を見て難しい顔してたから、何か知っているフリをしてみただけ。なんかこういうのってミスリードっていうんだっけ? 面白いよね」

 雅子の返答に呆然とした。いかに自分が思い込みの激しいやつなのかを知った。まさか母さんに謀られるなんて。

 推理が外れたことにしばらくぼうっとしていると、鍵を開ける音が聞こえてきた。父の敬一が帰ってきたのだ。

「その様子じゃ、意気揚々と謎を解いた気になって母さんを疑い、違うとわかって自分の馬鹿さ加減を思い知ったってとこか」

 敬一はこの場をちらと見ただけですべてを悟ったらしい。いや、仕組んだのは父さんだったのかもしれない、と剛は思った。

「まあ、自分の弱点を知るってことは大切なことだ。もっと大事なのは、そこから反省し、次に生かすことだ。そして、それは推理においても同じこと。一度推理ミスをしたからといって、凹むことはない。次に生かし、次は確実に犯人を捕まえる。それが出来るのが一流の刑事だ」尊敬する敬一が剛に言葉をくれた。

 剛はその言葉を身に染みわたらせるように真剣に聞いた。

 

 剛はその後警察官になるために必死に勉強した。勉強だけでなく、体力、そして頭脳も鍛えた。学校で起こる些細な日常の謎や、父が教えてくれた昔の事件のことについて深く考え、着実に推理力を上げていった。

 大学を卒業した後、剛は警察官になった。積極的に事件に関わっていく姿勢が評価され、今では難事件も担当している。もはや捜査班のブレーンとして認められるようになっていた。

 そんなある時、担当していたヤマが片付いたので、剛は久々に実家に帰った。

「あの時の落ち葉の謎さ、じつはあの後すぐにわかったんだけど、聞きたい?」

「なんだ。言ってみろ」

 父と子で、酒を飲みながら話した。

「あれは、オーストラリアの落ち葉だったんだ。オーストラリアは日本と真逆の季節だよね。だから五月のあの時、向こうでは秋だった。それを父さんが荷物と一緒に持ち帰ったんでしょ?」

「なぜそう思った?」

「父さんはゴールデンウィークの初日、仕事で海外に行ってくると言っていた。パスポートを見させてもらったら、オーストラリアに行ったことはすぐにわかったよ。それであの落ち葉を図鑑で詳しく調べてみたら、バオバブの葉だということがわかった。バオバブは日本でも観賞用として育てられるけど、それは自然の中では難しいんだ。気候がオーストラリアとは違うからね。育てたとしても、現地のように巨大にはならない。だから、あの落ち葉はオーストラリアのものだと断定できたんだ」

「やるじゃないか。そこまでは正解だ。だが、証拠はあるのか」

 剛は頷き、続けた。

「もちろん確たる証拠もあるよ。父さんの旅行バッグのなかに付着していた落ち葉の残りカスだよ。これは多分父さんがヒントとして残してくれたんだろうけどね。そしてさらに重大な証拠として、父さんの書いている日記の中に、『この落ち葉で息子を試す』とも書いてあったしね」

「おお、さすが俺の息子、いい推理だ。その通り……なに!?」敬一は思わぬ証拠に驚いた。

「まさか、あの日記を読んだのか……」

「うん。だから、父さんがオーストラリアで不倫したこともバッチリ知ってるよ」

 瞠目した後、首を項垂れる敬一。大きなため息をつきながら額に手を当て、剛に向かって言った。

「そんなところまでわかっていたとは……。おまえはまだまだ化けるよ、剛」


 おわり

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