第18話 vs松本呪蜘蛛

 全日本ハンター連盟の本部ビルには戦闘訓練フロアがある。

 何もない、真っ白な壁で囲われた広い空間。

 本来であれば召喚サモンカードで呼び出したモンスターとの戦闘訓練を行う場所だが、そこで僕はシュクモと向き合っていた。


「プロフェッサー、本当にシュクモちゃんと模擬戦をするんですか?」

「ああ、上杉ハガネ、貴様の実力を見ておきたいのでな。このフロアはスキルによって頑丈に作られている。ヒーラーも待機しているのでな、存分に暴れてくれて構わない」

「でも、シュクモちゃん、まだ小学生ですよね?」


 僕はちらりとシュクモのほうを見る。

 どう見ても子供だ。僕が得意とする徒手空拳の戦闘スタイルだと非常にやりづらい相手だった。


「シュクモは十歳である。なんだ貴様、女子供は殴れないとでも? かの有名なタックルラビットを笑顔で殴打する動画のハンターと同一人物とはとても思えんな。吾輩、あの猟奇的絵面がかなり好きでいいねしたのである」

「いいねありがとうございます。でもちょっと僕の人物像に誤解があるようです」


 見た目が可愛いだけのモンスターを殴ることに躊躇いは無いが、仲間のハンターを殴るのにはかなり心理的抵抗があった。

 嫌そうな顔をしている僕を見て、プロフェッサーはため息をついた。


「貴様、一時期は香介に弟子入りしていたというではないか。ならば対ハンターの模擬戦にも慣れているはずである。屈強な男が殴れて、何故女子供が殴れない?」

「ぐ」


「答えは簡単、貴様が心のどこかで差別しているからである。男と女、大人と子供、このカード社会において全く意味の無い属性を根拠に、仲間のハンターを平等に扱っていないのである」

「ぐぬぬ」


「シュクモはあれで既にランクBハンターである。自分よりも格上と対峙して相手の心配をするとは、人を見た目で判断する愚か者の典型であるな?」

「ぐぬぬぬぬぬ」


 プロフェッサーの説教を受けて、僕は猛省した。

 確かにシュクモの実力を知らずに戦闘訓練を躊躇っていたのは、他ならぬシュクモに失礼だったかもしれない。

 僕は観念した。


「分かりました。模擬戦をやらせていただきます。本当に大丈夫なんですね?」

「もちろんである。貴様が例えシュクモを腹パンしようとも、吾輩が咎めることは一切無い」

「あんた僕を何だと思ってるの?」



 ◇◇◇



「よろしく、シュクモちゃん」

「よろしくお願い致します。ハガネ様」


 戦闘訓練フロアでシュクモと向き合う。


「勝負は有効打を一撃当てたほうの勝ちだ。吾輩が判定を行う。始めたまえ」


 プロフェッサーの開始の合図と共に、僕は速攻を仕掛けた。

 ランクDダンジョンに潜り続けることで装備やアクティブスキルの永続カードを数種類手に入れていたが、それでも僕は好んで素手での戦闘スタイルを多用していた。十年間の研鑽が体に馴染んでいるのだ。


 即座に距離を詰めようとした僕に対して、シュクモは迷わず後方に下がった。


 ――早い。


 四季寺との戦闘以降も僕はランクDダンジョンに潜り続けており、ステータスはさらに上昇している。

 速度値は2500程度だったものが5000を超えるぐらいにまで上がった。その速度を持ってしても、なおシュクモに追いつけない。これがランクCハンターとランクBハンターの隔たりか。


 ――プロフェッサーの言う通りだった。全力を出さないとすぐに負ける。


 全力で戦う覚悟を決め、両拳を握りしめてさらにシュクモを追う。


 先に仕掛けてきたのはシュクモの方だった。

 後方に下がりながら、ふぅっ、と口から糸のようなものを吐き出す。

 僕は両手でその糸を振り払い、直後にその判断が間違いだったことに気付いた。


【名前】レンの蜘蛛の糸

【ランク】B

【カテゴリ】アクティブスキル・拘束

【効果】

 対象を拘束する。


 両腕に糸が絡まり、糸の先端が床に張り付き、僕を完全に地面に拘束する。

 全力を出して引き千切ろうとするが、全くびくともしない。

 拘束カテゴリのアクティブスキル!


 もがいてる僕を見て、シュクモが距離を詰めにきた。

 いつの間にか、忍び装束の手袋が外れ、その小さな両手が露出している。


 僕はその両手を見て戦慄した。

 青白い手の肌の表面に、いくつもの黒い帯のようなものが走っている。

 遠目に見るだけで邪気が伝わってくる、高い魔力濃度を伴った呪いの塊。

 間違いない。あれがシュクモの切り札だ。


 ――触れられたら終わる。


 僕は即座にファイアボールを起動した。


「アクティベート、”ファイアボール”。対象、


 僕の両腕に自身のファイアボールが直撃し、激痛と共に両腕と糸が燃え盛る。

 糸が燃え落ち、僕は完全に拘束から解放された。


 燃焼した両腕は大量枚数のHP常時回復によって瞬時に回復する。僕の所持する手持ちのスキルの中で、この回復速度は頭一つ抜けている。上位ハンターの拘束を瞬時に抜け出したことで、見た目以上に応用が効くことを確認できた。


 プロフェッサーが歓喜の声を上げる。


「素晴らしいぞ、上杉ハガネ! 超回復を利用した自殺スーサイドビルド! 貴様、良い感じに壊れているな!」


 ――ここで決める。


 ここで拘束が解けることはシュクモにとって完全に予想外だったはずだ。

 迫るシュクモの手よりも先に、僕の右拳が当たるほうが早い。

 魔力を込めた右拳でシュクモを殴りつけ、


「詰みでございます。ハガネ様」


 瞬間、ここまでの展開を読んでいたシュクモのトリガーカードが発動した。


【名前】バインドシャドウ

【ランク】C

【カテゴリ】トリガースキル・拘束

【発動条件】攻撃対象が指定位置に触れた時

【効果】

 攻撃対象を拘束する。


 地面から生えた縄のような影が僕の右腕を完全に拘束する。

 苦し紛れに左拳を出すが、もう間に合わない――!


 シュクモの禍々しい両手が、僕の両頬を優しく包んだ。


【名前】七つの呪い

【ランク】A

【カテゴリ】パッシブスキル・ユニーク・呪い

【効果】

 触れたものに極大の呪いを与える。


 そうして、触れたもの全てに等しく呪いを与える神性のユニークカードが発動し…………なかった。


「え?」「え?」


 何も起こらない。

 お互いに呆気にとられたまま、苦し紛れに出していた僕の左拳が、シュクモの小さな小さなお腹にカウンターで突き刺さった。


 青ざめ、激痛で脂汗を流すシュクモ。

 よろよろと後退し、お腹をさすり、ぷるぷると数秒我慢するも、そのまま崩れ落ちる。

 ケホッ、カホッ、と咳き込み、「痛いです」とポツンと呟き、お腹を抱えたまま、スンスンと静かに泣き始める。


 人生でここまで罪悪感を覚える瞬間はそうない。トラウマになりそうだった。


「わー! プロフェッサー! シュクモちゃんが! 早くヒーラー呼んでくれヒーラー!」

「貴様ァァァ! 女子小学生を腹パンするとは真性のクズである! 人の心が無いのかね!?」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」


 冷静に考えるとこれはプロフェッサーが始めた模擬戦なのだが、その時の僕は謝罪の気持ちで頭が支配されており、完全にいいなりになっていた。


「吾輩の娘をキズモノにしたからには、責任を取ってもらうのである!」

「はい、はい、すみません。何でも言うことを聞きます……」

「責任を取ってシュクモと同棲したまえよ! 住居はこちらで用意する!」

「はい、はい、分かりました。責任を取ってシュクモちゃんと同棲します……」


 …………え? 今なんて?

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