第2章 神の試練

第16話 カード・プロフェッサー

 ――吾輩も所詮は人の子ということであるな。


 松本まつもと識蜘蛛しきくもにとってその少女は、いくつかの研究のうちの一つの成果、ただそれだけの存在、のはずだった。

 少数の人間を不幸にして、代わりに多くの人間を救ってきた。自身のその生き方に否やはない。これは識蜘蛛しきくもにしか出来ないやり方で、人類にとっても正しい道のりだったはずだ。


 しかし、少女と過ごした歳月は、識蜘蛛しきくもの考えを少しずつ変えていった。他にやり方は無かったのか、どうしても考えてしまう。

 その少女に欲しいものは無いのかと問うたのは、思うに、そうした心の軋みから発生した、贖罪だったのだろう。


「はい、お父様。わたくしめは――をしてみたいと存じます」


 それを叶えてやる気になったのは、同情によるものなのか、それとも何か別の感情なのか、識蜘蛛しきくもには分からない。



 ◇◇◇



 僕は妹のスチルの病室にお見舞いに来ていた。

 スチルはアイドルの姫香の大ファンということで、「姫香ちゃんと会いたいなあ」というおねだりを受け、姫香も連れてきている。


 苦渋の決断だった。姫香のことだ、最初の挨拶で「ハガネさんの婚約者です」なんてことも言いかねない。

 僕はスチルのおねだりと姫香の危険度を天秤にかけ、ギリギリでスチルのおねだりを聞くことにしたのだった。


「わあ、本当に姫香ちゃんだ!」


 病室に入るなり、スチルが喜びの声を上げた。

 兄さんもここにいるよ? スチルの視線を奪った姫香が妬ましい……。


 やきもちの目で姫香を眺めていると、姫香は美しい所作でお辞儀をして、スチルに自己紹介をした。


「初めまして、スチルさん。ハガネさんからよくお話は伺っています。私は新城姫香と申します。ハガネさんの婚約者で……痛あっ」


 スパアン!と小気味良い音を立てて、姫香の頭をハリセンが叩いた。

 ランクE装備カード・ハリセン。姫香の暴走を止めるために用意しておいた切り札である。ちなみにランクE装備カードで姫香にダメージが通るはずなどなく、本当に小気味良い音がするだけだ。


 しかし、姫香は頭の回転が早い。瞬時にこの状況を利用し始めた。


「ごめんなさい、ハガネさん。何でも言うこと聞きます。ちゃんと夜もご奉仕しますから、もう叩かないでください……」

「兄さん、婚約者にDVは駄目だよ!」


 およよと姫香はスチルに縋りつくように抱きつき、一瞬でスチルを味方につけた!

 流石は新城姫香、上杉ハガネの世間体を悪くすることにかけては既にランクAの領域に達している!


「ちが、ちがうんだスチル、これには事情があって……」


 姫香がからかいに飽きるまでの間、僕はスチルの前で狼狽え続けることになったのだった。



 ◇◇◇



「なーんだ、本当に姫香ちゃん、婚約者じゃないんだあ。兄さん、すぐ女の子を取っ替え引っ替えするから、今度こそ身を固めたのかと思ったのに」

「スチル? 僕の名誉のために言わせて貰うけど、毎回僕のほうがフラレて長く続かないだけだからね?」


 僕としては長く愛を育んでいきたいのに、向こうから別れを告げてくるのだ。

 僕が女遊びをしている、みたいな言い方は甚だ不本意であった。


 肩を落としていると、姫香が後ろから抱きついてくる。背中に感じる柔らかな感触。


「私に決めてしまいましょう、ハガネさん。私、優良物件ですよ? 可愛いし、お金もありますし。お父さんも全日本ハンター連盟の偉い人なのでコネも出来ますよ」

「そうだよー、兄さん。姫香ちゃんがお義姉さんになったら絶対楽しいよ。どうして駄目なの?」

「どうしてって……」


 うーん、どうしてだろう。

 姫香と初めてのキスを交わして以降の数週間、僕らの関係は進展していなかった。距離が縮まりそうになる瞬間はあったが、そのたびに僕が躊躇したのだ。


 来る者は拒まず、去るものは追わない。

 それが僕のスタンスだったはずなのに、なぜか姫香と関係を進めるのだけは、ひどく躊躇ってしまう。


 かつて、恋をして、そして離れていった彼女たちを思い出す。どうして彼女たちが去っていったかは分からないが、僕に原因があるのだけは確かだ。


 それでも、別れたあとも彼女たちは僕に良くしてくれている。適切な距離さえ保てれば、上手くやっていけるのだ。もし姫香と付き合ったとして、上手くいかなくても、きっとその後、お互いに納得できる距離を取った関係を作れるはずだ。


 想像してみる。付き合い、別れ、パーティを抜け、でもたまに会う時は優しくしてくれる姫香。


 ――もしかしたら僕は、姫香とのパーティが気に入ってるのだろうか。姫香と付き合った後に必ず来るはずの、それなりの別れが嫌で、今の曖昧な関係を良しとしているのか?


 考えても答えは出そうになかった。


「ごめん、スチル、姫香。今日はそろそろお暇するよ。四季寺の件で何か気になることがあるとかで、ハン連に呼ばれてるんだ」


 僕は逃げ出すように病室を出た。



 ◇◇◇



 今日は全日本ハンター連盟の四階、カード研究クランのクランマスターの部屋に呼ばれていた。

 近年のカード研究による医療分野への貢献は凄まじく、それが回り回ってスチルにも恩恵を与えていることを考えると、感謝の念に堪えない。

 僕に出来る限りの協力はするつもりだ。


 意気込みながらクランマスターの部屋をノックすると、「入りたまえ」との声がしたのでドアを開けた。


 そこには、クシャクシャの白衣を着た筋骨隆々の中年男性がいた。

 青みがかった髪は乱れ、目は血走っている。


「吾輩はカァァァァァァド・プロフェッサー! 松本まつもと識蜘蛛しきくもである! 畏敬を込めてプロフェッサーと呼ぶがいい! よく来たな上杉ハガネ。吾輩、貴様が来るのが楽しみすぎて一昨日の朝からこの部屋で待機していたのである! さあさあさあさあ、早く貴様の中身の全てを見せたまえ! 丸裸にしてやろう!!」

「失礼、プロフェッサー。部屋を間違えました」


 僕はそっとドアを閉めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る