最終話
朝起きて、仕事に行って、夜道家に帰る。
日常だ。すべてが元通りとはいかないが、概ね変わらない日常が戻ってきていた。
カツカツカツ
そう、変わらぬ
カツカツカツ
変わらぬ日常が
カツカツカツ
「いい加減にストーカーするの止めてくれないかなぁ...」
そう、本当に変わらなかった。
足を止めて後ろを振り返る。
街灯の光だけがポツポツとあるだけで、周りは暗く足元すらはっきりとは確認できない。見えるのは電柱と街灯に群がる羽虫ばかり。だが那緒はいると確信して声をかけた。
電柱に向かって。
「隠れる気がないならいっそのこと声をかけて。跡をつけられるの気持ち悪いんだけど」
苛立ちを含んだ声にゆらりと電柱が動く。真っ黒な空間からまるで影のように一本の線が顔を出した。まるで影だけ分離したようだ。それはもじもじと身を捩ると、ゆっくりとした動作で光の元に姿を表した。
電柱のように高い身長。
素人でも高いと分かるスーツ。
暗がりでも陰ることのない端正な顔立ち。
闇を閉じ込めた瞳から刺さる粘着質な視線。
ストーカーが、宇久森真がそこにいた。
「昼ぶりです那緒さん」
「記憶を捏造するな。昨日ぶりだよ」
「いえ、昼ぶりですよ。自販機の前で畜生と戯れていらっしゃいましたよね」
「猫のこと畜生っていうの止めてもらえる?」
柔和な笑みを浮かべて小さく会釈する宇久森。お猫様になんたる無礼。一生撫でさせてもらえないぞ、と那緒は顔を顰めた。
「撫でるのはお好きですか?」
「(猫を)撫でるのは好きだね」
「でしたらぜひ僕を撫でてください!365日お呼びくださればいつでも何処でも駆け付けますので!頭皮が擦り切れようとも!ぜひ!僕を、僕だけを撫でてください!」
「怖い怖い怖い」
きらきらとした瞳をしていたかと思えば、首が取れる勢いで頭を下げて頭部を差し出す宇久森。止めろそのまま迫ってくるな、と手で頭を制する。
やわい感触。ちょっといい匂いがした。悔しい。
「お高いシャンプー使ってるんだから、大事にしなさいよ」
「あ、ななな那緒さんの手がぼぼぼ僕の頭に皮膚を伝って体温がっ!」
「聴いちゃいないし、撫でろって言うくせに触れただけで照れるのなんで」
宇久森の
むしろ悪化したように思える。
原因は那緒が開き直ったせいだ。
「知らない仲でもないんだし、付け回さないで直接会えばよくない?」
「え?」
「食事もするし、遊ぶし、連絡もするから関係性的には友達かな」
「え?」
「じゃあ、友達の宇久森さん。今日からよろしくね」
「え?」
関係改善のために行ったことだった。
那緒としては“友達未満で直接会えないからストーカーをする。それなら友達になればいい“という至極簡単な理由による案だった。
釣った魚に餌はやらない。
親しい間柄になってしまえば、もう機嫌を取る必要はないので価値が下がって見えるのではないかと考えたのだ。飽きれば自然と離れるだろうとも。
甘い、甘過ぎる。砂糖菓子に蜂蜜とメープルシロップをかけて追い砂糖をかけるくらいには甘い考えだった。
宇久森の執着がそんな生優しいもののはずがない。
あれは腐りかけの果実だ。ドロドロと歪で、口にすれば甘過ぎて顔を顰める類のもの。
価値が下がるなどありえない。
当然のように悪化し、隠密で行われていたストーカー行為がオープンになった。
那緒は頭を抱えた。
「なんで着いてくるの」
「心配なんです」
「何度も聴いたよ。でも大丈夫って言ったよね?」
「大丈夫に思えません」
「そんなこと言われてもなぁ」
「強姦魔が裏路地から飛び出して那緒さんを襲うかもしれないと思うと………はぁ、無理だ。想像しただけで殺意が抑えきれない」
「わたしは宇久森さんの方が心配だよ」
頭が痛い。
前科がある那緒は絶対とは言い切れない。今もこうして、ストーカー被害にあっていることを考えると強く否定できないでいた。
本当に、頭が痛い。
「だいたい一回刺されてるんだよ?監禁、人体実験、殺人未遂。これだけ連続して事件に巻き込まれてたら流石にもう無いわよ。一生分どころか来世の分まで回収した……………なんか、焦げ臭くない?」
最初に異変を感じ取ったのは鼻だった。
物が焼けるような臭いがして、鼻をスンッと啜った。魚でも焼いて焦がしたのだろうか。辺りを見渡すが香ばしい匂いは漂ってこない。
代わりに耳が騒がしさを拾った。酔っ払いが屯しているのか、家の方角が騒がしい。
いやだなぁ。
歩き出そうとして腕を取られた。
「なにーーっ!」
「バケツ持て!」
「逃げろ!急げ!」
「おい、消防車はまだか!?」
那緒のすぐ横を慌ただしく数人が駆けていった。
ぶつかりそうになったのを助けてくれたらしい。お礼を言おうと顔を上げて、黒い花弁が眼前を横切った。
払い除ける。するとそれは手の甲に黒い跡を残して散ってしまった。驚いて花弁の降ってきた空を見上げると、それは後から後から降ってくるではないか。
「なに、これ」
花弁は空からではなかった。
まるで太陽のように赤く染まったアパートから、風に乗って飛散していた。嘆くようにひらひらと。
まるで種を蒔くように火種をゆらゆらと。
黒い花弁は炭だった。
家を焼いて出来た真っ黒な炭。
太陽は文字通り燃えていて、既に一階から三階までをその業火で飲み込んでいた。
アパートが燃えていた。
家賃3万の外観お化け屋敷な我が城、那緒の住処が燃えていた。
「ええぇ………」
二度あることは三度あるとはいうが、まさか家が燃えると誰が思うだろうか。
煌々と闇夜を照らすアパートを、ただ唖然と見ていることしかできなかった。衝撃のあまり頭が働かない。力が抜けてふらついた身体を、後ろにいた宇久森が支えた。
「ごめん、ありが……」
「那緒さん。また一緒にいられますね」
ありがとうと言いかけて言葉をつぐんだ。
顔を上げた途端に、遠足前日の子どもみたいな顔をした宇久森に出会ったからだ。
喉から乾いた笑い声が漏れる。
不思議と怒りは湧かなかった。
ははっ、と那緒は笑った。
笑うしか、なかった。
死にかけたら国宝級イケメンに軟禁されたんだが、まだまだ受難は続くらしい。 お終い()
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