19話
笑った。ゲラゲラ笑って、笑い過ぎて背中にダメージを負って蹲った。痛い。
人の不幸を笑う者にはそれ相応の不幸が訪れるというが、人の趣味を賛美したのに痛みを伴うとは理不尽極まりない。
たしかに笑いのネタにはしたが、嘲笑った訳ではないというのに。
笑う門には福来るはずなのに、なぜ痛みしか来ないのだろう。宝くじで3等が当たる程の幸福が欲しい…。
ちょっぴりセンチメンタルになりながら、那緒はチャンネルを変えた。
情報収集に本腰を入れただけだ。決して忘れていたわけではない。痛みで我に返ったわけでもない。
カラフルな画面が簡素な色味に、ファンシーなキャラクターがお天気お姉さんに変わるのをぼんやりと見る。
軽快な音楽と子どもたちの無邪気な声は、重量のある硬いものへと色を塗り替えた。
『○○会社の前で会社員が刃物を持った男に刺され死亡した事件ですが、未だに進展は見られないようです』
『白昼堂々の犯行でしょ?もう日本でも防弾チョッキ着て歩かなきゃいけない時代なのかもしれませんね』
『さすがに毎日は無理でしょう』
『防弾ガラスみたいな感じで、外見は変わらないのに強度はある服とか出来ませんかね』
『たしかに!夏場とか助かるかもぉ!』
硬い声色で告げられた内容に次々と返答がされる。
それは呆れたものから、茶化すようなものまで様々。だが共通してどこか現実味がない。日本の都市部で真昼間に起きた事件なのに、まるでどこか遠くの戦争について語られた者の反応だと那緒は思った。
『ナイフの方を改良するのはどうです?刺そうとすると柔らかくなるみたいな』
『おもちゃのナイフみたいな?』
『そうそう!』
『それだと日常的には使えないから、切れるけど刺せないやつがいいよね』
『たしかに』
どれも事件と関係の無い話ばかりが流れていく。そのくせ、日にちが経った今でも色褪せること無くニュースで取り上げるのだから不思議だ。
関心が有るのか無いのか分からない。
少なくともコメントを求められた芸能人たちの関心は買えなかったようで、困った末に話の幅を広げようと四苦八苦していた。
(水増しした珈琲を飲んでるみたい )
薄い。薄くて薄くて、もはや水だ。まるで黒い水を飲んでいる気分だ。
被害者が死亡(仮)し身辺調査が行えなかったとしても、すでに加害者は拘束されている。個人情報など掘り起こし放題のはずなのに、それすら無いのはなぜなのか。
首を傾げる。
関心が高いのに情報が少ない。少なすぎる。
( まるで誰かが先に底をコンクリートで固めて、その下に土があることすら気付かせないようにしたみたいな........ )
固い地面をスコップで叩いていればそのうち下の層を覗くことができるだろうが、そもそも掘り下げられるほど土が見えないから薄いのではないのか。
いや、考え過ぎだ。
事件が起きてから日も経っている。その辺りのネタはすでに使い古してネタにされないだけ。次に盛られる土の予定が未定なだけだ。
犯人が口を割っていないだけ。
那緒は浮かんだ疑念を追い払うようにチャンネルを変えた。跳ねるような笑い声が、好奇心に濡れた声に変わった。
『痴情のもつれと報道されてましたが、その後の調べで被害者との接点はまるで無かったことが分かりました』
『被害者の同僚の証言なんですが、悪質なデマだったということでネットでは批判が殺到していますよね』
『自身のSNSでも被害女性を非難していまして、警察が彼女の自宅を訪れていたとの情報も上がっています』
『童裊容疑者から未だ証言が取れないとの話もありますからね。これを口実に、関係者から有力な情報を引き出そうとしているのかもしれませんね』
『デマ流してた方から有力な証言なんて取れますかね』
『それだけ切羽詰まっている、ということではないでしょうか』
『国民の関心が高いですからね。逮捕したとはいえ都市部での無差別殺人に不安の声が上がっていますから、警察には原因究明を急いでもらいたいですね』
「……
コミカルな雰囲気から一転する。
作り笑いを浮かべたアナウンサーが、固い声で事件について話していた。返答するコメンテーターは呆れたように腕を組んでいる。
こちらは憶測や誤情報を潰しているらしい。
死人に口なし。死者を敬うどころか、冒涜するような
だが、那緒の欲しいモノはこちらも少ない。
( 犯人の名前は分かったけど、他にめぼしい情報は無いか.......。やっぱり黙秘してるって考えた方が自然かな )
犯人の動機については、取り上げるだけで結論は憶測の域を出ないまま10分足らずで別のニュースへと切り替わってしまった。
チャンネルを変える。
気難しそうなコメンテーターが多い。質問を投げかけたアナウンサーに、机をトントンと叩いたひとりが首を傾げながら口を開いた。
『被害者は運ばれた病院から離れた場所で亡くなったそうですが、どのような理由があるとお考えですか?』
『マスコミもそうだけどさ、警察とかも情報が欲しいから追求がキツイじゃない。仕事だから仕方ないけど怖かったんじゃないの?急に知らない男に刺されたわけでしょ?』
『疑心暗鬼になって隠れようとしたと』
『可能性は高いよね。怪我してるわけだし、そっとしておいた方が良かったと思うね』
「え、」
初耳である。
適当に理由をでっち上げて死亡したことになっているとは思っていたが、まさか病院に運ばれていたとは。
宇久森は言った。
不特定多数の人間が病室に押し寄せる危険性を考慮して、那緒を死亡したことにし自宅に匿ったと。
だがそれは作り話で、事件現場から直接宇久森宅に拉致されたと考えていた。元から拉致するつもりなら病院から連れ出すよりも、病院に連れて行くという名目で運んだ方が危険性が低くて効率がいいからだ。
嘘ではなかったのか、と那緒は驚く。
( 保護っていうのは本当だった…..? )
まだ、分からない。
足りない足りない、とチャンネルを変えた。
ピッ。
旅番組がやっていた。
ピッ。
チャンネルを変える。
通販番組でまな板を宣伝していた。
これでチャンネルは全てだ。
那緒は手を広げて、ぽふりと柔らかいソファに背を預けた。息を吐いて、テレビをBGMにしながら目を閉じる。
( 圧倒的に情報が足りない!)
分かっていた。理解はしていた。予想もしてはいた。しかし、個人の力よりも集団の力が優勢だと考えるのは人間として当然のことであって、いくら宇久森が優秀であれ大なり小なりメディアが情報をキャッチしていると思っていたのだ。
だっていっぱいいるのだから。
甘かった。テレビで情報が得られると考えていた己も、宇久森の優秀さも甘く見ていた。野放しになっている時点で、自由にテレビが視聴できる段階で気付くべきだった。
相手にしている存在が普通でないことに。
( いったいどんな手を使って丸め込んだんだろう。わたしの情報すらほとんど無い)
最初は偶然だと思った。
思い過ごし、考え過ぎ、悪い冗談。
だがそれでは誤魔化しきれないくらいに、画面の向こうで垂れ流される会話の中に那緒の影は薄かった。普通ではありえないくらいに。
犯人ーー童裊は那緒を狙って刺した。
決して無差別ではなく明確な理由を持って、あの日無防備な背中に刃を突き立てた。2人の関係性を疑うのは当然のこと。
だが、そんな話はまったく流れてこない。
まるで“無差別殺人“が前提のように話は進み誰もそれを疑おうとしていない。
動機は聞き出していないと言っていた。ならばなぜ、多方面から疑わないのか。考えられる可能性はひとつ。宇久森の圧力 。
「………ないわ」
言って、鼻で笑った。
あり得ないと一掃する。スペックが無駄に高いから、偶然の出来事を彼が起こしたと錯覚しているだけだ。接点らしい接点が無いから、警察側が無差別殺人と判断しただけ。那緒はそんな頭のオカシイ殺人鬼の最初で最後の可哀想な被害者として処理されたに過ぎない。そうだ、そうに違いない。
喉奥まで湧き上がった疑心を、オレンジジュースで腹底へと流し込む。
隔離することで那緒を無遠慮な他人から守った宇久森を、都合よく大きく見ようと心が動いた。那緒をコンテンツの一部に仕立て上げた外への不信が、宇久森を己の味方であると都合よく解釈しているだけ。結果的に守られてしまったから、余計に。
( 軟禁中なのに自由に部屋を行き来できたりとか、結構緩いから馬鹿になってるのね )
未だに背中に痛みが走る。
僅かな移動だけで息を切らす。
だが、手首の鎖を破壊することはできた。家主不在の今ならば、例え監視されているとしても壊して外に出ることは出来るのだ。這ってでも玄関を抜けて、同じ階の住人のインターホンを押すだけで保護される。いや、そもそも、そんなことをせずとも窓は簡単に開く。駆け寄って外に向かって大声で助けを乞えば良いだけ。それだけで、那緒はこの家から解放されるだろう。
自由は案外簡単に手に入る。
決断するだけで、いとも簡単に。
「はぁ……」
内臓を吐き出すくらい深く息を吐いた。安直な考えが二酸化炭素に混じって空気に溶けていく。身体が重い。手枷だけがひどく軽く感じられる。こんなものはただの飾りだ。アクセサリーのようなものでしかない。
それでも那緒が外に出ないのは、彼の言葉の信憑性が否定できるほど低くないからだ。
ここでの生活が未確定な現状で逃げ出そうとするほど、劣悪ではないからだ。
つまりは、逃げるのに動機が足りない。
動機が判明しないから閉じ込められたのに、逃げ出す動機が無いからここから出られない。
「とんだ皮肉ね」
見えない鎖に絡め取られているのを理解しながら、那緒はただ見逃し続けるしかないのだ。動機を手にするその時まで。
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