MORNING Monster

天笠愛雅

おはよう

カーテンの隙間から漏れる光に瞼をくすぐられて、私は興奮気味に目を覚ました。


今日は私の誕生日。十六歳になった。


自分の部屋から出て、木でできた不安定な階段を小走りに駆け下りる。


一段一段下りるたび、朝ご飯の良い匂いが強くなってくる。



「おはよう、お母さん!」



キッチンに立ち、シチューを煮込んでいる母の背中に挨拶をする。



「おはよう。お誕生日おめでとう!」



「うん!」



母が私の誕生日を祝福してくれた。それから私はダイニングにいる父にも挨拶をする。



「おはよう、お父さん!」



「おぉ、おはよう。誕生日おめでとう」



「ありがとう!」



誕生日だから気持ちはいつもとは違うけれど、こうやって挨拶していくのが私の毎日の流れだ。


朝の日課はまだ続く。


朝ご飯を食べる前に家を出る。


外に出て家を振り返ってみると風車が回っている。


そう、私の家は風車小屋なのだ。


今日も風に吹かれて自慢の風車がゆっくりと回っている。ただこの風は雨が降る前の嫌な風だ。風車小屋に住む私にはそのくらいすぐ分かる。


そして、家の目の前に目を向けると、そこにはお花畑が広がっていて、この星のように無数の花の中から毎朝一輪だけ摘んで家に持って帰るのだ。


今日何の花を摘むかは、昨日ベッドに横になって考えた時に決めていた。


ピンクのチューリップ。私が一番好きな花だ。


それをお花畑が知っていたかのように、私をピンクのチューリップが多く咲いている所まで導く。私はそこまで自然に走って行った。


一番可愛くて綺麗に咲いているチューリップを見つけるために、左右に顔を振って探す。


しばらく歩きながら探していると、隣り合って咲いている二輪のとても綺麗なピンクのチューリップがこちらを見ていた。私はどちらを摘もうか迷った。


でも今日は誕生日。両方摘んじゃえ!


そう思って、私は二輪のチューリップを摘んで手にした。


幼い頃からずっと花を摘んでいるけれど、やはりこの瞬間は気分が高まる。


なんとも言えない幸せが、花から漂ってくるのだ。


…そうだ。もう十六歳なんだし、洞窟に咲く花というものを見に行こう!


私はその花を見たことがない。話では言い伝えのように聞かされているのだけれど、私はその花は必ずあると信じている。


洞窟はここから近い。


ただお母さんには、洞窟には魔族がいるから行ってはいけないと言われている。


でも十六歳になったしな…


魔族というものこそ作り話の言い伝えだろう。


そんなもの小説とかの本でしか見たことない。普通に考えて魔族などあり得ないだろう。


そして私はその花を見てみたい。


親に反抗心がある訳ではない。あるのは冒険心と言ったところだろうか。


こっそりと両親に見つからないように家へと戻り、家の外の物置にある懐中電灯を引っ張り出した。まだ電池は残っている。


私は、右手に懐中電灯、左手に二輪のチューリップを持ち、お花畑を抜けて洞窟へと走って向かった。


洞窟の場所は知っている。昔に一度だけ両親とその入り口まで行き、例の言い伝えを聞いたのだ。


私の中での十六歳というものは、少し大人になって、色々なことを一人でも挑戦できる年齢だと思っている。


もしかしたら、今私がしようとしていることは少し飛躍し過ぎているのかもしれない。


しかし、私の脚はもはや誰にも止めることが出来ない。


私は常に花に導かれているのだろうか。



 小川を越え、背の高い草むらを抜けると、太陽の光は赤から白へと変わり始めていた。


両親は心配しているだろうか。でも、そんなに時間を掛けるつもりはない。すぐ帰れば大丈夫。



「…あった。ここだ!」



その洞窟の入り口は、私が昔に見た時よりも狭く感じた。私が成長した証拠かもしれない。


洞窟に下りるための足場の岩は湿り、まばらに草が生えている。


その周囲には、長く手入れがされていないような枯れかけの広葉樹が数本、私を見下ろしている。


陽の光は入り口までしか届いておらず、奥は真っ暗だ。


私はチューリップを右手に持ち替え、懐中電灯と一緒に持った。


足を滑らせないように左手で岩壁に掴まりながら、注意して岩場を少し下りる。


そして懐中電灯を点け、洞窟の奥を照らしてみる。


直線的に洞窟の内部が照らされたが、中の道は曲がりくねっているため、光はすぐそこの壁に当たった。


太陽の見えない場所に行くのは少し怖い。


でも行くしかないと私は決心して歩みを進めた。


暗闇に咲く花を見てみたい…


その一心だった。




 洞窟の曲がった道を進んでいくと、当然すぐに入り口は見えなくなった。


そして、陽の光も一切なくなった。


石がゴロゴロ転がっていたり、水溜りがあったり、かなり足元は状態が悪い。


ぽつっ、ぽつっと水滴が壁面や頭上から滴り、少し湿った匂いもする。


どこか不気味な雰囲気が漂う。


確かに得体の知れないものが存在していそうではある。


ただ、そんな環境に臆せずに私は冒険を楽しんでいた。



 何分歩いたかも分からない。足場に気を取られているうちに開けた場所に出た。



「あれ、ここ…どこ?」



来た道は闇に飲まれ、もはや見たことのない道と化していた。


私はいつの間にか洞窟の中で迷子になっていた。


街で迷子になるのとは訳が違う。


周りには誰もいない。上も下も岩だ。懐中電灯を消せば漆黒に包まれる。


お母さんの言うことを守っていれば…


これまで歩いていたと思われる道を改めて見返した。


しかしそこを本当に歩いてきたのか確証がない。


どこも同じような景色だからだ。


私は、いまだかつて経験したことのない恐怖と孤独感に包まれた。


吹いていないのにどこからか冷え切った風が吹いてきたように感じた。


だけど私は、冒険心だけは忘れていなかった。


もちろんここから脱出することが最優先だ。


でも花も見たい。存在するか確かではないけれど。


私は、勘だけを頼りに回れ右をして再び歩き始めた。


なんとなく見たことあるような石の雰囲気を感じる。


と思えばすぐにその既視感は途絶える。


懐中電灯の光が弱くなってきた。電池がもうすぐなくなりそうだ。


もしこの光がなくなれば永遠に闇の中に取り残される。


洞窟に朝は来ない。


足を石ころで捻りそうになりながらも少し進むスピードを上げる。


光が弱くなっていくのと同時に焦りを感じてきた。


そして私は、不確かな点と点を糸で結ぶような歩みを続けた。



 五分ほど歩いただろうか。私はふと立ち止まり、後ろを振り返った。


嫌な予感がしたのだ。その予感の通りだった。


この開けた空間はさっきいた場所だ。確実に。


私は絶望を感じ、懐中電灯の光を消し、そしてしゃがみ込んだ。


朝起きてから何も飲んでいない。喉が渇いた。


それとは反対に目からは涙が溢れる。


コツン…コツン…


幻聴?


私はそう思った。


どこからか、足音が聞こえてきたのだ。


まさか…!


私は、恐る恐る懐中電灯を点けた。


コツン…コツン…


懐中電灯は、目の前の人の脚を照らした。



「ひぃ!」



私は驚きで変な声が出た。



「大丈夫?泣いてたみたいだけど…」



視線とともに明かりを上げ、その声の主の顔を見上げる。私と同い年くらいの女の子が心配そうに私を見ていた。そして、その彼女の声は優しかった。



「大丈夫…」


「もしかしてここの人じゃない…?」


「ここの人…?」


私は当然、突然と現れたこの女の子に困惑しているが、同様に彼女も私という存在に戸惑っているような表情だった。


「じゃあ地上の人間か!?」


「そうだけど…」


その瞬間、私の脳裏を横切ったのはお母さんの言っていた言葉。魔族…

確かに、彼女の容姿は普通の人間だとは思えなかった。肌は雪のように白く、赤い模様が顔や腕に入っている。


「もしかして、魔族?」


私はその単語を思わず言ってしまった。考えればすぐに分かる。そんな質問をするべきではないと。

けれど、彼女はこう答えた。


「あなたが魔族なんでしょ?」


私は彼女がふざけているのかと思った。でもその表情は真剣だった。


「私は人間だよ」


私はそう答える。


「違う、私が人間だ」


彼女もそう言う。


「もう…」


意味の分からないことを言う女の子に私は痺れを切らしそうになった。

しかしその時、彼女を照らしていた私の懐中電灯がとうとう息絶えた。


「あっ。切れちゃった…。どうしよう、出られない」


私はすぐそこにいるはずの女の子すらも見えなくなり、私はパニックに陥った。


「外に出るなら一緒に行きたい」


女の子の声がまだ聞こえる。そのことに安心はしたが、懐中電灯がなければ行動ができない。


「いいけど明かりがないとどうしようもないよ…」


「明かりならある。来て」


彼女の冷たい手に手首を急に握られて一瞬びくっとした。だが、暗闇の中で導かれる安心感は一人では得られないものだ。

漆黒の中、彼女を頼りに突き進む。周りは何も見えない。脚だけを動かしているような感覚だ。

彼女のペースに合わせて洞窟の中を駆け巡っていると徐々に息が苦しくなってきた。

ただ、進むにつれてなぜだろうか、次第に明るくなってきた。


「外?」


私は訊いた。


「違う」


突き当たった岩壁を右に曲がるとその明るさの正体が分かった。

地下とは思えない空間、教会くらいの広さだろうか。そこの壁に、光るものが地面や壁に付いているのだ。銀河そのものを見ているかのようだ。


「この花を摘んでいけば、ある程度の時間なら光源になる」


「花?もしかしてこれって光る花!?」


そう、この一面を照らしているものこそが、洞窟に咲く花だったのだ。

私は感動でその場から動けなかった。

まるで夢を見ているようだった。まさにおとぎ話の世界の中だ。

しかし、肌身離さず持っていたピンクのチューリップが、現実であることを物語っている。

だが、女の子は、浮かれていた私を、異世界のような現実に引き戻した。

私は言われるがままに、近くの地面に咲いていた大きめの一輪のその花を、丁寧に摘み取った。

それは、近くで見ると小さなユリのようで、花弁が白く優しく、だが強く、確かに光っている。


「ここまで連れてきてくれてありがとう。お礼にこれあげるよ」


私は女の子により綺麗な方のピンクのチューリップを選んで一輪手渡した。

彼女は戸惑った表情をしていた。

私は言った。


「行こう!」


「う、うん!出口はこっち!ついてきて」


私は彼女の背中に張り付くようにその場所を後にし、出口へと急いだ。

洞窟の住人は道を熟知している。

懐中電灯とは違って、光る花は上下前後左右を照らす。その照らされた道を彼女は迷わず突き進む。私は離れないようについて行く。


「私は外に出たかった。太陽を見てみたかった」


洞窟を駆けながら、彼女は口を開いた。


「太陽?」


「うん。あなたが地上に住んでいるのなら知ってるよね」


「太陽なんて当たり前にあるからね。私にとっては、この花があなたにとっての太陽なんだ」


「そっか」


この女の子が私の探し求めていた花のある場所を教えてくれた。

あの感動をこの子にも体験してほしい。


「もうすぐ」


彼女がそう言うと、すぐに明かりが見えてきた。紛れもなく、温かい太陽の光。

そしてここは確実に、この小さな大冒険の始まった入り口だ。

柔らかな光が私と前を走っていた女の子を包むと、私たちは立ち止まった。


「ここに来たのは初めてじゃない。けどいつもは真っ暗だった。何で今日は明るいの?」


「それは夜だったからだよ」


「よる?」


「そう、夜はあの太陽が隠れちゃうの。だから暗いの」


私は、岩と木の隙間から白く輝く太陽を指さして言った。

私も女の子も暗闇に目が慣れていたので眩しく感じ、薄目でいた。


「でも朝って言うのは必ず来る。太陽が顔を見せてこの世界を明るくするんだ。それで私たちは、今日も頑張ろうって思うんだ」


「あさ…。よる…」


私は、自分と女の子の手で静かに眠っているチューリップを見てふと思った。


「見せたいものがあるんだ。来てよ!」


今度は私が彼女の手を握って洞窟を後にした。

彼女は私と同じような表情をしていた。冒険心に満ちた顔。

今朝、私が来た道を戻る。

草むらを抜けて小川を渡る…

するとほのかに漂ってくるのは花たちの香り。

彼女の目にも映っているだろう。お花畑が。

でもそれは、私にとっても初めて見る景色だった。いつも一人で朝早くに見るものとは違う。


「何これ…」


彼女はまさに開いた口が塞がらないといったようだった。

私が光る花を見た時と同じ。

緑の画用紙に塗られた、搾りたての赤、黄、橙、白、桃の絵の具。

その全てが太陽によって祝福を受けている。

手を繋いだまま、その絵画の中を私たちは巡った。


「これ、同じのだ」


女の子は、私があげたチューリップを摘み取った場所でそう言った。弾けるような笑顔とともに。


 魔族だの人間だのどうだっていい。同じ花を見て同じ気持ちになれる。住む場所が違ったって見た目が少しばかり違ったって、手を繋いで同じ時を共有できるのだから。

私の十六歳の初めての朝は、とても綺麗で美しいものになった。


 それから毎日のように私たちは洞窟の入り口で会うようになった。


「おはよう!」


私は洞窟から姿を見せた彼女に呼びかける。


「うん、おはよう…」


彼女は恥ずかしがりながら覚えたての挨拶を返してくれる。

私は、朝に「おはよう」と言う人が増えた。それは多ければ多いほど幸せな気持ちになれる。

そして私たちは摘みたての花を交換する。

私はこの瞬間が大好きだ。

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