第八話

 ベルとルドベキアがルサティア地方を訪れてから二週間ほど経った頃。葬儀屋本社の入り口前でベルが箒を片手に落ち葉を掃いていた。トライアンフ湖からは肌寒い風が吹きつけている。ベルが枯葉を道路脇に寄せ集めていると、遠くから巨漢の男性がベルの元へと近づいて来た。

「こんにちは、ベルさん。」

「ごきげんよう、ルドベキア様。」ベルが手を止めてお辞儀をする。「生憎ですが、デュランは後三十分ほどで戻ってきます。応接間までご案内致しますので、お待ち頂ければ幸いです。」

 ベルの対応に、ルドベキアが首をかしげる。

「いや、今日はベルさんに用事があるので葬儀屋を訪れたのですが……。」

「私に?」ベルも首をかしげる。

「あれ? デュラン社長から話が通っているかと……。」

「ルドベキア様が訪問する件など、デュランからは伺っておりません。」

 ベルが首を横に振ると、ルドベキアは頭を抱えながら溜め息を吐いた。

「ベルさんと個人的に話したい事があったので、事前にデュラン社長へ連絡していたのですよ。今日ならばベルさんの予定も空いていると聞いたので、こうして葬儀屋を訪れたのですが……。急な話になってしまいましたが、ご都合はよろしいですか?」

「大丈夫です。応接間までご案内致します。」

 ベルが箒を片手に葬儀屋本社の玄関をくぐる。受付の女性に応接間を使う旨を伝えると、ルドベキアを応接間へと案内し始めた。箒を持ったまま前を歩くベルに聞こえないほど、小さな声でルドベキアが呟いている。

「デュランのヤツ、次に会った時は覚えとけよ……。」


 先に応接間へ通されたルドベキアがソファに腰かけていると、ベルがティーセットを片手に入室してきた。ベルが応接間のテーブルにティーセットを並べ始める。ベルが二つのティーカップに紅茶を注ぎ終わると、ルドベキアが雑談を始めた。

「そういえば、ノウゼンさんは無事にポランへと帰りましたよ。今後は生まれ変わった母国の復興に尽力するそうです。ベルさんにお礼を言っておいてくれと、伝言も預かっています。」

「そうですか。それは良かったです。」

 ベルの返答を聞いて、ルドベキアが微笑みを浮かべる。彼は大きな取っ手のティーカップをつまむと紅茶に口を付けた。ベルガモットの爽やかで落ち着きのある香りが鼻孔を突き抜ける。ルドベキアのティーカップがソーサーの上に置かれた事を確認すると、ベルが話を切り出した。

「それで、私へのご用件とは何でしょうか?」

 ルドベキアは背筋を伸ばすと、右手でピースサインを作った。

「……二つあります。一つは私からの質問。もう一つは貴女への相談です。」

「ルドベキア様から私への〝質問〟……?」

「はい。単刀直入に聞きます。貴女は一体、何者なんですか?」

「葬儀屋『Black Parade』出張部門に所属している社員の一人です。」

「いやいや、そういう意味では無くてですね……。」

 困惑した表情を見せるルドベキアをよそに、ベルは紅茶を口にした。彼女の長い黒髪が揺れる。ルドベキアは両手を組むと、前かがみの態勢でベルの紅い瞳を見た。

「拳銃を、ましてや大口径の銃を片手で撃つなんて……。それも、横っ飛びをしながらですよ? オマケに、二百メートル以上離れた位置にいる対象物を狙撃していましたよね? 人間業ではありませんよ。」

 ベルはティーカップをソーサーに置くと、冗談めかすように言った。

「『人形』や『天使』みたいだと言われたことはありますよ。」

「……確かに貴女ほどの容姿ならば、その様に形容する方がいるのも納得できます。ですが私が気になるのは、ベルさんがその業を会得するまでに至った経緯です。」

 ルドベキアからの視線を逸らす様に、ベルは窓の外に広がる湖へ視線を向けた。湖の上空で一羽のとびが弧を描きながら飛翔している。湖の水面に魚の影が映ると、とびが上空から急降下し魚を捕獲した。何気ない自然の光景に、ベルが目を細める。

「申し訳ございません。私にも理解し難い過去なのです。」

「……気に障ったのならば謝罪します。」

 ベルは窓の外を眺めたままピクリとも動かない。漆黒の天使を描いている絵画が、ルドベキアの眼前に映し出されていた。黒いオペラグローブに包まれている華奢な両手が、やけに印象的に見える。ルドベキアが目の前の光景に見とれていると、ベルが視線をルドベキアの方へと戻し一言つげた。

「構いません。」

 彼女の紅い瞳に何が映っているのか、ルドベキアには分からなかった。


 ルドベキアがどこか申し訳なさそうな表情をしている。そんな彼の事を気にする様子も見せずに、ベルは紅茶に口を付けていた。彼女の行動につられたかのように、ルドベキアも慌てて紅茶に口を付ける。ルドベキアの表情が少し穏やかになると、ベルは思い出したかのように話を切り出した。

「ルドベキア様。もう一つの〝相談〟とは何なのでしょうか?」

「ああ、そうでしたね。」

 ルドベキアは腰に携えているホルスターから青紫色の回転式拳銃を取り出すと、机の上にそっと置いた。銃に施されている花の装飾が、窓から差す太陽の光を反射して光り輝いている。

「これは〝トリテレイア〟と名付けられた銃です。私が士官学校を卒業する際に、無理を言って友人に貸してもらいました。〝箔〟が付いた時に、その友人に返却すると約束を交わしていたのですが……。」ルドベキアが目を伏せる。

「『英雄』と呼ばれているルドベキア様が携帯している銃ならば、十分に〝箔〟が付いているかと思われます。ご友人様には返却なさらないのですか?」

「……戦争が終わった時に、その友人が亡くなった事を知らされました。彼には家族がおらず、両親も既に無くしています。トリテレイアにはかえる場所がありません。」

 ルドベキアは何かを諦めた様な、それでいて悲しそうな表情で青紫色の装飾銃を眺めている。一度目を閉じて心を落ち着けると、決意を込めた様子でベルを見た。

「ベルさん。この銃を、トリテレイアを受け取ってくれませんか?」

 ルドベキアの言葉を聞いたベルが、その場できょとんとしている。

「ルドベキア様にとっても大切なご友人の形見を、なぜ私に?」

「本来、銃は命を〝奪う〟為に使用する道具です。ですが、ベルさんは命を〝守る〟為にこの銃を使いました。これは貴女だから出来た事ですよ。」

「ルドベキア様は私の事を過剰評価なさっています。」

「そんなことはありません。もしも私がこの銃を使っていたならば、ノウゼンさんの命は無かったでしょう。そもそもベルさんが居なければ、私はノウゼンさんに撃たれていました。今この場所に私が居ることは無かったと思います。」

 ルドベキアが目を伏せる。応接間に置かれた時計の秒針が一歩進むごとに、ルドベキアの心臓が静かに脈打つ。彼は装飾銃の銃身を優しくなでると、言葉を続けた。

「ベルさん。貴女の過去に何があったのか、私には分かりません。ですが、ルサティアで貴女と共に行動したことで確信しました。貴女ならばこの銃を、人を救うために使うことが出来ます。かえる場所を亡くしたこの銃を、受け取ってくれませんか?」

 ルドベキアがベルの紅い瞳を真っすぐに見る。ベルはこの真っすぐな瞳に見覚えがあった。何か大切な事を託すような——あのときのレオントと同じ瞳をしていると、そう思った。

 目の前のルドベキアに対し、ベルが一言だけ返答する。

「かしこまりました。」

 ベルの短い返答を聞き、ルドベキアが安堵の息をつく。ベルはトリテレイアを手に取ると、片手でくるりと一回転させていた。青紫色の花が少女を守護するかの様に光り輝いている。

 ルドベキアは形見の銃を友に返せたような、そんな気がした。




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