第六話
野原にポツンと立っている教会の横に、立て札だけの簡素な墓標が無数に整列している。そんな教会の前に一台の軍用車が停車した。ベルはきつく縛られていたノウゼンの縄をほどくと、ノウゼンを置いてそのまま車外へと飛び出す。ノウゼンはベルの行動に驚いたが、他に行く当てもないので二人に付いて行くことにした。
ふと、車を降りたノウゼンが灰被りの白い教会を眺める。年増もいかない子どもたちたちが複数人、教会の窓から顔を覗かせていた。ノウゼンの様子に気付いたベルが教会の事情を説明し始める。
「この教会は孤児院も併設されているそうです。」
「だからガキどもがあんなに大勢いるんだな。」
「子どもたちへ食料を寄付することも、今回の目的に含まれています。」
「ま、戦争直後だと孤児も大勢増えるか……。」
三人が教会の入り口に向かうと、年老いたシスターが出迎えてくれた。
「お待ちしていましたよ、ルドベキア様。」
「シスター、少しの間お邪魔します。」ルドベキアが頭を下げる。
「そちらの方たちが例のお連れ様ですか?」
「葬儀屋『Black Parade』出張部門所属のベル・テトラテーマです。」
ベルがお辞儀を行うと、ノウゼンも軽く頭を下げた。イツ語が分からないノウゼンだが、ベルが自己紹介を行っていた事は分かったようだ。ノウゼンがベルに自己紹介の翻訳を頼もうとした時、ルドベキアがノウゼンを紹介し始めた。
「こちらはノウゼン・オレアンダーさんです。ポランの方ですが、残留兵としてイツに取り残されていたみたいです。今は訳あって我々に同行しています。」
ルドベキアの言葉を聞き、シスターは改めてノウゼンの全身を確認した。髪も顔も軍服もボロボロに汚れている。軍服の上からでも分かる程に体がやせ細っていた。
「これはこれは、さぞ大変だったでしょう。よろしければ奥にシャワー室があるので、お使いください。衣服は神父用の予備があるので、用意しますよ。」
シスターの話す言葉が分からず、ノウゼンは疑問の表情を浮かべている。そんなノウゼンに対し、ベルがシスターの言葉を翻訳して伝えた。
「——————————、————————————。」
「———!」
ノウゼンがシスターに礼を言っているようだ。彼は軽く頭を下げると、シャワー室へと向かった。廊下を歩きながらガッツポーズをしている。その様子をシスターが微笑ましい目で見ていると、子どもたちがシスターの元へと駆け寄ってきた。
「シスター、もうすぐごはんのじかんだよー。」女の子がシスターに声を掛ける。
「あれー? お客さん? こんにちわー。」男の子がベルに挨拶した。
「ごきげんよう。」ベルが挨拶を返す。
「お昼時ですし、ルドベキアさんたちもお腹がすいたでしょう? ノウゼンさんが水浴びをしている間に、食事の用意をしてきますよ。」シスターが微笑む。
「私もお手伝いさせていただきます。」ベルが子どもたちにスカートの裾をぐいぐいと引っ張られながら応える。
「私は車に積んでいる食料を運んでおきますね。」ルドベキアも応えた。
「ありがとうございます。子どもたちも喜びます。」
食事を終えると、ベルとノウゼンは礼拝堂で子どもたちと遊んでいた。ベルが子どもたちに黒いドレスと白い頬をつつかれている横で、ノウゼンがやんちゃ坊主たちの相手をしている。そんな様子を、ルドベキアとシスターが礼拝堂の椅子に腰かけながら見守っていた。
「食料の寄付だけでなく、子どもたちの相手までして頂いて……。本当にありがとうございます。」シスターが頭を下げる。
「お礼ならあの二人に言ってください。それに、私も驚いています。ノウゼンさんがあんなに面倒見がよい事に。」
ノウゼンが一人の男の子を締め上げていると、別の男の子から思い切り飛び蹴りを食らっていた。手を離したノウゼンが大声で捲し立てると、男の子たちが一目散に逃げ出す。彼は全速力でやんちゃ坊主たちを追いかけまわしていた。
「言葉も通じないのに仲良くしてくださって……。良い方ですね。」
「えぇ……。ただ、彼を見ていると……」
ルドベキアが神妙な面持になる。ノウゼンが笑っている光景を目にすると、ルドベキアはそのまま口を紡いだ。彼は諦めたかのように笑った後、別の言葉を口にした。
「いえ、何でもありません。忘れてください。」
暫くの間、ルドベキアとシスターの間に沈黙が訪れる。ルドベキアが立ち上がろうとした時、シスターが口を開いた。
「ルドベキアさん。貴方は誇り高き軍人です。ですが、貴方自身もイツの誇りであることを自覚なさっていますか? そんなイツの誇りを、私たちイツ国民にも守らせてください。貴方が先の戦争で自身の誇りを守ったように。」
シスターが慈愛に満ちた表情でルドベキアを見ている。何かを感じ取ったルドベキアは椅子に座り直した。木造の椅子がギシリと軋む音が響く。ルドベキアは大きく息を吸った後、心の内を語り始めた。
「ノウゼンさんを見ていると実感しますよ。〝敵〟だと一括りにして目をそらしていたものが、自分たちと何も変わらない〝人間〟だったということを。」ルドベキアが息を吐く。「その〝人間〟を、何人も手に掛けたことを……。」
ルドベキアが苦悩の表情を見せる。彼は自分の掌をジッと見つめると、肩が震えるほど握りしめていた。溜め息を吐き、両手を組みながら俯く。
そんな一人の軍人に対し、シスターは優しく言葉をかけた。
「相手の事なんて知らない方がよかったと、そう思いますか?」
「その方が楽に生きられたと思います。」
「それは間違いないでしょう。」シスターがうなずく。「ですが、貴方は相手の人間を知る事が出来た。これは幸運なことです。命の重みを知らない人間が、本当の意味で他者の希望になることなど出来ませんから。貴方が人知れず苦悩している事、イツ国民は感じ取っていますよ。だからこそ、皆が貴方を『英雄』と呼ぶのです。」
シスターがルドベキアの大きな肩をポンポンと優しく叩く。ルドベキアは俯いた顔をゆっくりと上げた。黄色いノコギリソウの花を象ったステンドグラスが目に映る。
「『英雄』…か。」ルドベキアが呟く。
「ルドベキアさん、忘れないでください。貴方を恨む人以上に、貴方に感謝している人たちがいることを。私や子供たちも、ルドベキアさんに感謝している人間の一人だということを。」
ルドベキアとシスターの間に沈黙が流れる。礼拝堂には相変わらず子どもたちの笑い声が響いていた。ルドベキアは口角を上げるとその場から立ち上がり、シスターに向かってお礼を述べる。
「シスター、ありがとうございます。」
「いえいえ。これぐらいお安い御用です。」
ルドベキアは軽い足取りで子どもたちの輪へと向かった。中心には花冠を被せられているベルが、ステンドグラス越しの淡い光を浴びている。目の前で繰り広げられているお人形遊びの様な光景に、ルドベキアは思わず笑ってしまった。ベルの前でルドベキアが片膝をつき、淑女をエスコートするかのように片手を差し出す。彼は冗談交じりに声を掛けた。
「お姫様、そろそろ墓地の方へと向かいます。ご協力をお願い致します。」
映画のワンシーンを切り取った様な光景に、女の子たちが歓声を上げている。そんな歓声をよそに、ベルは表情一つ崩さずにルドベキアの手を取った。
「承知致しました。」
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