第40話 姉妹


 ライトブラウンの髪に、淡い緑色の瞳。私より少し年上とおぼしき男性。

 見覚えがあるような、ないような。

 近くのテラスに人がいるとはいえ、男性と二人きりでテラスにいる状態は避けたい。周囲によけいな誤解をされてアルフレッド様に迷惑をかけたくない。

 「失礼しますね」とホールに戻ろうとすると。


「久しぶりだな、フローラ」


 ……? 私を知っているの?

 どなただったかしら。私をフローラと呼ぶ人なんてそう多くはない。

 私と久しぶりに会う、少し年上の男性。

 ……あっ。


「ペ……アーサー様」


「ペ? まあいい。何年振りかな、見違えたよ。以前からきれいだとは思っていたけど、まさかこんなに美しくなっているとは」


「ありがとうございます。私はホールに戻りますね。ライラもホールにいましたよ」


 では、と彼の横を通り抜けてホールへのガラス扉を少し開けたところで、彼が私に向かって手を伸ばしてきた。

 それを一歩下がって避ける。


「……相変わらず勘がいいな」


「私は辺境伯の妻、あなたは妹の婚約者です。触れようとなさらないでください」


「辺境伯の妻、ねえ。それもあと数か月で終わりだろう?」


 ライラからかほかの人からかはわからないけど、そういう話を聞いたのね。

 ホールで私たち夫婦の様子を見ていたはずなのに、まだそう思うのかしら。


「あなたの勘違いです」


「まあそう言うしかないよな」


 人の話を聞いていらっしゃるのかしら。


「なつかしいよ。おにーさまおにーさまと僕のあとを慕ってついてきてくれる君はとても可愛かった」


「五歳くらいの頃はそういうこともあったかもしれませんね」


「辺境伯領を追い出されたら、君は生活にも困るだろう? 伯爵が引退すれば伯爵家の財産はある程度僕の好きにできる。だからさ……僕が君を助けたいんだ」


 アーサー様が口元に笑みを浮かべる。

 整ったつくりのその顔は、欲ゆえか歪んで見えた。


「結構です。辺境伯領を追い出されることはありません。私のことはお気になさらず、どうかライラの幸せを考えてくださいませ」


「僕がライラと婚約したのを怒ってるんだろう? あれは仕方がないことだったし、僕も辛かった。僕は君をずっと好きだったんだよ?」


 思わず笑ってしまいそうになる。

 私のことをずっと好きだったわりには、後継者がライラになると見るやすぐにライラに乗り換えたし、小屋を訪れたことも一度もなかったと思うのだけど。

 でもそれを指摘するのすら面倒だわ。


「いずれにしろ過去のことです。あなたの助けは不要です」


「そう意地をはらずにさ。不自由はさせないから」


 はっきりと口にはなさらないけど、愛人にでもなれと仰りたいのかしら。最低ね。

 アーサー様ってこんな方だったの?

 少なくともお母様が生きていらっしゃる頃はもっと紳士でいらした気がするのだけど、そう見えるようにふるまっていただけなのかしら。

 そもそも伯爵家の財産などもうないというのに、やはりアーサー様も何もご存じないのね。


「もう失礼しますね。ついてこないでくださいませ」


「待っ……ぶっ!」


 アーサー様が再度私に手を伸ばした瞬間、ガラスの扉が勢いよく開いて、アーサー様に思い切りぶつかる。

 扉を開けたのはアルフレッド様だった。

 アーサー様を見据えるその瞳は、氷のように冷たい。


「まさか私の妻に無礼を働く無法者が王宮のパーティーにいるとはな」


「……ガ、ガーランド辺境伯」


「アル」


 ぴりぴりしていた心が一瞬で柔らかくほぐれる。

 笑みが自然に浮かんだ。


「そこの無礼者は知り合いか? 何があった、フローラ」


「妹の婚約者ですが、たいしたことではありません。何か誤解をされているようです」


「ああ、例のアレか。私は嫌がる君にその男が触れようとしているところをこの目ではっきりと見た。辺境伯夫人に強引に触れようとするとは、どこぞの伯爵令息殿は身分と立場というものが理解できていないらしい」


 アルフレッド様が不愉快そうに目を細める。

 それだけでアーサー様は震え上がった。


「ちょうど妻に無礼な言動をする者には決闘を申し込むと決めたばかりだ。君がその最初の相手か」


「いえ、その……」


 アーサー様が蒼白になる。

 その様を見ても少しも気の毒には思えなかったけど、姉の夫と妹の婚約者が決闘ともなればよからぬ噂の的になりかねない。

 

「アル。あまり大ごとにはしたくはありません」


 アルフレッド様がため息をつく。


「愛する妻の頼みだから今回は聞き入れよう。だが次はフローラがなんと言おうと許さない。二度と妻に近づくな、失せろ」


「は、はい、失礼いたしました」


 アーサー様がそそくさと逃げていく。 


「あんなのが君の婚約者だったとは」


「以前は紳士でいらした気がするんですが……あれではライラが心配です」


「妹の心配をするとは、君は優しすぎる」


 そう言われて苦笑してしまう。


「ご学友とのお話の最中でしたでしょうに、申し訳ありません」


「別に今日じゃなくてもいつでも会える連中だ、気にしなくていい。君が何より大事だ」


 少しの照れくささとたくさんの幸福感が胸を満たす。


「戻ろうか」


「はい」


 アルフレッド様がガラスの扉を開けてくれ、促すように私の肩にそっと手を添える。

 その手が温かくて心地いい。

 ホールの中に入ってふと横を見ると、不満そうな顔をしたライラが立っていた。


「……アル。少し妹と話をしたいと思います」


 大丈夫か? というように私に視線を向けるけれど、私は安心させるようにうなずいた。

 そこらじゅうに人がいるし、そもそもライラは私に手を出そうとしたことは一度もない。


「わかった。また後で」


 アルフレッド様が優しい笑みを向けてくれる。


「はい、ありがとうございます」


 アルフレッド様が人の輪の中に戻っていく。

 ライラは相変わらず不満そうな顔をしていた。


「……お姉様」


「なあに?」


「今さらアーサー様は渡さないわよ」


 やっぱりライラはアーサー様のことが好きなのね。

 さっきのやりとりもどこかから見ていたのかしら。


「私はアルフレッド様の妻なのだから、アーサー様とどうにかなることなんてないわ」


「でも一年で終わるんでしょ?」


「そういうことにはならないわ」


 ライラがはぁ、とため息をはく。


「たしかに二人の雰囲気を見てればそんな感じよね。友達もキャーキャー言ってたわ。女性嫌いや同性愛者なんてただのうわさで、結局お姉様を気に入ったってことなのね」


 つまんない、とぼそりと言った。


「結局お姉様ってそうよね」


「?」


「きれいで、品が良くて、賢くて、優しくて。おまけに最高の男まで手に入れるんだから」


「え……?」


 ライラの口から出た意外な言葉に驚く。

 私のこと、そんなふうに思っていたの?

 ライラが視線を伏せた。


「伯爵家の屋敷に引き取られた頃は、よく比べられてたわ。フローラお嬢様こそ本物の伯爵令嬢だ、ライラお嬢様はやっぱり妾の子だと。すべてにおいてフローラお嬢様にはかなわないと」


「そんなことを言う人がいたの!?」


「そこまであからさまなことを言った使用人はお父様とお母様がすぐにクビにしたけどね」


「そうだったの……」


 お父様に愛される天真爛漫なライラがうらやましいと思っていたけど、そんなことがあったなんて。

 私の知らないところで、ライラはたくさん傷ついてきたの?

 だからお父様はあんなにもライラを守るように愛したのかしら。


「残った使用人だってクビが怖くて口に出さないだけでみんなお姉様が好きだし、お姉様こそが後継者にふさわしいのにといまだに思ってるのよ。でもアーサー様だけは違った。私こそ後継者にふさわしいと言ってくれたし、私のいいところをたくさん見つけてほめてくれた。たとえそれが口先だけで、私に取り入るためだったとしてもね」


「……」


「アーサー様はお姉様に未練があるくせに手助けもしなかった意気地なしだし、人妻になったお姉様にちょっかいをかけるだけじゃなくほかの女の子ともこっそりデートする女好きだし、私が後継者になったとたん私に言い寄った小狡い小物よ。でも、今でも私をほめてくれるし私を悪く言ったりはしないわ」


 だから彼が好きなのね。

 あまり誠実とは言えない人なのかもしれないけど、ライラにとってアーサー様は大事な人なんだわ。


「そんな顔しないでよね。同情なんて絶対にやめて。後継者が私になったときもアーサー様が私の婚約者になったときも、お姉様が小屋に追い出された時ですら私はほっとしたしうれしかった。ざまあみろとまで思ってたんだから」


 思わず苦笑してしまう。


「そう……。でも困ったわね。私、あなたのことを嫌いだったことは一度もないのよ」


「……! や、やめてよ!」


「でも、あなたは私に暴力を振るおうとしたり私のものを盗もうとしたことは一度もないでしょう? 私に対して優しかったとは言わないけど、最初はお姉様お姉様と慕ってくれたのを覚えているわ」


 ライラが私に嫌味を言ったり馬鹿にするような態度になっていったのは、お父様やイレーネ夫人が私をそのように扱うのを見てそうなったと思っていた。

 けれど、そうじゃなかった。ライラは比べられて苦しかったのだわ。


「お人よしもほどほどにしないと腹が立つだけよ」


「そうよね。ごめんなさい」


 ライラが長い溜息をつく。


「お姉様には何を言っても無駄だって思い出したわ」


 思わずクスクスと笑いがもれる。

 お人よしと言われても、ライラのことは少しも憎くないということに変わりないもの。

 数回とはいえ小屋に来てくれたのはマリアン以外ではライラだけ。ちょっとした嫌味を言うためではあったけど。

 ああ、そういえば動物をさばいている時に来て悲鳴を上げて逃げ帰ったこともあったわね。

 そして私が嫁ぐ日に見送りにきてくれたのも、やっぱりライラだけだった。


「でも私も聖人ではないのよ。あなた以外の家族に対しては、思うところが多々あるわ」


「……」


 そう、家族。 

 のんびり話をしている場合じゃなかったわ。


「ところでライラ、イレーネ夫人は?」


「領地で用事ができたからって私をタウンハウスに置いて帰ったけど……」


「その用事の内容は?」


「聞いてないけど、なんなのいったい。お父様も領地に戻ったきり帰ってこないし。……まさかシルドランで何かあったの?」


「……それは」


「何か知ってるなら教えてよ。シルドランのことなら私に無関係なんてことないんだから」


 それはそうよね。

 幼子相手なら心配をかけまいと大人が複雑な事情を黙っているのもわかるけど、ライラは婚約者もいる大人で、シルドランの後継者だもの。

 それなのになぜイレーネ夫人はライラに事情を告げて一緒に帰らなかったの? ……なんだか胸騒ぎがするわ。


「わかったわ。落ち着いて聞いてね」


 私は扇子を広げ、ライラの耳元に顔を近づける。

 私の言葉を聞いて、ライラの目が大きく見開かれた。

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