第26話 決意


 とりあえず今日は街で一番の宝飾店に行こう。

 そこで彼女に似合う品を作らせ、誕生日にそれを渡しつつプロポーズする。

 あんな適当に渡した指輪じゃなく新しいのを作らせてもいいかとも思ったが、結婚指輪が二つというのは不吉なのでやめておこう。

 夜会にもつけていけるよう、ネックレスとイヤリングにするか。

 店主に相談しつつフローラに似合うものを厳選しなければ。

 彼女は受け入れてくれるだろうか。嫌われてはいないと思うし感謝されているようだが、だからといって彼女も俺を好きとは限らない。

 俺はひどい男だったし、今でも女性の気持ちがわからない男だ。

 だが何もしなければあと十か月ほどでフローラとの生活は終わってしまう。今俺のことを好きじゃなくても、好きになってもらえるよう最後まで努力を続けよう。

 女性恐怖症も、フローラ限定かもしれないが良くなってきている気がする。

 初めて女性を抱きしめたいと思ったのだから。

 彼女を抱きしめたら、自分はどんな風に感じるんだろう。やはり恐怖を感じてしまうのか、それとも……。そして彼女はどんな反応を示すのだろう。

 いやそもそも告白すらしていないのにそんなことをするなんて許されない。それじゃあただの変質者だ。手順を踏まなければ。


 ふっと光が陰った気がして、つむっていた目を開く。

 そこにあったのは初めて惚れた女性の美しい顔……ではなく見慣れた老人の顔だった。


「なんだオウルか」


「なんだとはなんです。早朝から礼拝堂の長椅子に寝転がっている人にそんなことを言われたくありませんな。私はここの牧師ですぞ」


「牧師は趣味みたいなもので本職は家令だろう。腰はもういいのか」


 体を起こし、長椅子に投げ出していた足を下ろす。


「まだ本調子ではありませんが、いい休暇になりましたよ」


 うほほとオウルが笑いながら俺の隣に腰掛ける。

 相変わらず変な笑い方だ。


「腰を痛めたばかりだったのに無理して結婚式に出たりするからだ」


「じぃじじぃじと慕ってくれた可愛いアルフレッド様の結婚式ですからな。他の者に任せる訳にはいきませんよ。しかしそうして無理して出た結婚式があの有様とは……」


 オウルがじっと俺を見る。

 わかっている、わかっているからそんな目で見るな。


「フローラに対する扱いについて言いたいことがあるのはわかっている。俺はひどい男だったし反省している」


「本当ですかな」


「ああ。いくら背景にあの事情があったとしても、俺は男として最低だった。だから反省し、フローラに対しても丁寧に接している。彼女は素晴らしい人だし、今となっては尊敬している」


「ほうほう。女性に対して尊敬とは、いい傾向ですな。で……尊敬だけですかな?」


 またオウルが俺をじっと見る。

 俺はつい先ほど考えていたことを見透かされているようで、気まずくなって目をそらした。


「ふむ。この顔は」


「なんだ」


「スケベなことを考えいてる顔ですな」


「違う!」


 俺の大声が厳かな礼拝堂に響き渡る。


「まあまあ、この爺にはすべてわかっておりますよ」


「わかっていない」


「惚れてしまったのでしょう、フローラ様に。この爺にはお見通しです」


「……」


 今度は違うとは言えなくてうつむく。

 どうせ孫のシリルからも色々聞いてるんだろうが。


「良いことですよ。生きているうちにアルフレッド様が恋に落ちるのを見られるとは夢のようです。今までアルフレッド様も何かとつらいことが多かった方ですから、お幸せになってもらいたいものです」


 うほほと笑うオウルの笑い声が、耳に心地よく響く。

 どうもこの男の前だと俺は子供に戻ってしまう気がする。


「幸せ、か」


「好きだと思える人に出会えることも、その人が傍にいてくれることも幸せな奇跡なのです。その人が生きて隣で笑っていてくれることも」


 そう語るオウルの目は遠くを見ているようで、いまだに亡くなった妻のことを忘れていないのだとわかる。


「ですから、一日一日を大事にしなされ、アルフレッド様。そして愛する人と心を通わせられたとしても決して奢らず、誠実であること、互いに尊重しあうことを忘れてはなりませんぞ」


「……ああ」


 オウルは目を細め、いい子だと言わんばかりに俺の頭を優しく撫でた。

 いい年をした辺境伯に身内でもない家令がすることではないが、やはり不快じゃない。

 俺はいつまで経ってもこの人の前では小さな子供なのだなと苦笑した。

 だがこうして子ども扱いしてくれる人がいたからこそ、親があんなでも人の心を完全に失わずに済んだのかもしれない。


「俺はもう行く。仕事は無理するな。また腰を痛められてはかなわない」


「うほほ、まあほどほどに頑張りますよ。アルフレッド様が愛する奥様との時間をなるべくとれるように」


 俺は赤くなったであろう顔を見られないよう、それには答えず足早に礼拝堂を後にした。

 また、オウルの笑い声が聞こえた気がした。



 今日はまだ少し時間の余裕があるから、剣と弓の訓練でもしていこう。街に行くのはその後だな。

 そう思って訓練所に向かったが、先客がいることに気づいた。

 弓の練習をしているのは、カインと……フローラ!?

 なぜこの二人が。いや、よく見るとラナも少し離れた場所にいるので二人きりというわけじゃないが。

 二人は少し離れた場所で的に向かって弓を射ているが、時折カインがフローラに近づいてアドバイスらしきことをしていた。

 落ち着け。

 弓の訓練をしたいとフローラは言っていた。

 弓の名手であるカインが教えていたってなんの不思議もない。

 だが二人はわざわざこの時間に待ち合わせて訓練をしているのか? フローラのことを探るのはやめにしようと彼女のことをもう報告しなくていいとラナに伝えていたが、それが仇になったか。


 俺はどうしたらいい。「何をしている」と二人の前に出ていくか?

 いや何をしているというか弓の訓練なんだが。そんな見ればわかることをわざわざ訊いてどうする。

 そんなんじゃ「訓練をしていただけなのに嫉妬に狂って邪魔をしにきた夫」になってしまう。

 ただでさえいろいろ格好悪いのに、これ以上そうはなりたくない。

 なんてことを考えているうちに、フローラが休憩のためベンチに腰掛けた。

 俺は気配を殺して茂みの陰に隠れる。この位置からだとフローラの横顔が見える。

 くそ……フローラに片思いしてつけ回す怪しい男だ、これじゃあ。あながち間違っていないが。

 カインが水筒からコップに水を注ぎ、フローラに手渡した。

 くっ、相変わらずマメで気が利く男だ。


「ありがとうございます、カイン卿」


「どういたしまして。奥様は日に日に上達されていますね」


「ふふ、そうだといいのですが」


「失礼ながらここまで懸命に取り組まれるとは思っていませんでした。狩りのために弓を?」


「そうですね。クロスボウは連射ができませんし、弓より壊れやすいので」


「かなり真剣に考えておられるのですね。……クロスボウを扱えるのなら狩りには十分かと思いますが。生活の糧とするわけではないでしょうし」


 カインの言いたいこともわかる。

 貴族のいわゆるお遊びの狩りなら、クロスボウを扱えれば事足りると言いたいんだろう。

 だがフローラはおそらく俺と別れた後のことを見越して新たな技術を身につけようとしている。

 生活の保障はすると言ったのに、完全に自立することを考えているのか。


「そうですね。たしかにクロスボウを扱えれば十分かもしれません。ですが、できることが多いに越したことはないので」


「……。もしや、あの噂……」


 カインが口元に手を当て、考え込むような仕草をする。


「噂、ですか?」


「……いえ。今後、何か困ったことがありましたらご相談ください。いえ……頼ってください。必ず力になります」


「? はい、ありがとうございます」


 噂とはなんだ。フローラに関することか? シリルに調べさせるか。

 いつまでも隠れてコソコソ見ているのもなんだしそろそろ立ち去ろうと腰を浮かせたとき、カインがフローラに甘い笑みを向けた。そして訓練に戻っていく。

 フローラを見ると……うつむいて頬を染めている!?

 心臓がどくどくと嫌な音をたてる。

 フローラも訓練に戻るが、弓を引くその姿をカインが時折ちらりと見ていた。

 ただのフォームのチェックなのかもしれない。だが、そうじゃないのかもしれない。

 もしかして二人は、俺の知らないところで……惹かれあっている?

 痛む頭に手をやりふと顔を上げると、いつの間にか近くにいたラナが茂み越しにこちらを見ていた。


「……」


「……」


 ラナが俺から目をそらし、フローラのほうを向く。 

 なんだ言いたいことがあるなら言え、俺が茂みに隠れて二人を見ているのがそんなに滑稽か。……滑稽だろうな。

 男として情けないな、俺は。

 もういい。誕生日など待っていられない。

 誕生日には宝飾品を用意するとして、告白だけ先にしてしまおう。今夜にでも。

 ほかの男に奪われるのを黙って見てなどいられない。

 フローラは俺の妻だ。誰にも渡さない。

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