第9話 謎の女性フローラ


 一年限定の妻を娶ると決めたとき、嫁いでくるのは何かしら訳ありな女性だろうと思っていた。

 あんな条件を出しているのだから、普通の貴族の令嬢なら敬遠するだろう。大事にされないことがわかりきっている。

 そもそも貴族の子供は早いうちに婚約者を決めている場合が多い。

 特に爵位継承者は争奪戦になるから幼い頃から婚約の打診が山ほどくる。継承者はあぶれることはないから、十代後半になってから自分で婚約者を決めるという者もいる。

 俺のように二十歳を過ぎても婚約者を決めない男はほぼいないだろうが。

 逆に女性側の婚約事情は厳しく、爵位継承者と婚約できなかった場合は貴族の次男三男あたりや裕福な商家の息子などと遅くとも十七歳までには婚約を決める場合がほとんどだ。

 だからこそ、婚約者もおらず結婚もしていない十八歳以上の女性など、何かがあるに違いないと踏んでいた。

 逆に言うと、何かがある女性でないとあんな条件の結婚は受け入れないだろうと思っていた。

 こちらも貴族の身分があり条件を飲んでくれる女性なら別に誰でもよかった。どうせ一年で離縁するのだから、性格や容姿がどうであっても関係ない。金目当てでも一向にかまわない。

 法律が廃止されるまでのつなぎだ。


 婚約者のいない娘を持つ数少ない貴族を事前に下調べし、王宮で行われた新年祝賀パーティーで結婚について探りを入れた。

 最初に声をかけた子爵は病弱な娘をとても大事にしていて、最後まで面倒を見てやりたいと言っていた。

 これは無理だなと思って次に声をかけたのがフローラの父だ。同じく娘は病弱とのことだったが、言葉の端々に金持ちと結婚させたいという気持ちが表れていた。

 ならばと思い徐々に突っ込んだところまで話していったところ、伯爵はあっさり了承した。

 そんなにも早く契約結婚の相手が見つかったのは意外だったが、こちらとしては願ったりかなったりだ。領地に戻ってから、手紙のやりとりで話を進めていった。

 同性愛者の噂まである俺と原則一年だけの結婚になるがそれでもいいのかと問えば「病弱で身なりも構わないほど心も病んでいる娘だから結婚は諦めていた。一年でも幸せに暮らさせたい」ととってつけたようなことを言っていた。

 だが本当に幸せを願うならこんな条件では嫁がせないだろう。

 金目的か、というのが結論だった。

 結婚後の娘の扱いについても噂の真相についても気にもしていない様子だったしな。まあ噂は俺自身が流したんだが。


 そうして嫁いできたのが、あのフローラだった。


 迎えに行ったシリルが本当にほぼ身一つで来たと鳥で連絡を寄越してきたから、身体的特徴を記したその紙をもとにラナに既製の服や身の回りの品などを慌てて買いに行かせた。

 護衛騎士どころか侍女ひとり連れてきていないというから驚いたが、身一つでとこちらが言ったのだからまあいいかと納得する。

 だが、フローラと会ったときにさらに驚いた。

 第一印象は「痩せている」だ。

 頬がこけているとまではいかないが、コルセットなんていらないんじゃないかと思うほどの細い腰に、細い手足。

 病弱だと伯爵が言っていたのは本当だったのか。

 だが嫁入り前の貴族女性ではありえないほどの短い髪が気になる。ぱさぱさとした質感でろくに手入れもされておらず、手も荒れている。

 心を病んでいて身なりを気にしないとは言っていたが、それならなぜ手が荒れているのだと疑問に思った。心を病んでいるのに自分で家事でもしていたというのか。貴族の娘が?

 もしかして平民の替え玉でも送ってきたのではないかと疑ったが、一度そういう事例があって以降、貴族の替え玉婚は重罪となったし、何より彼女の言葉遣いや所作に貴族らしさがある。

 顔立ちも、上品な美しさがある。髪をどうにかしてもう少しふっくらすれば、神秘的な紫の瞳とあいまってさぞ美しい令嬢……いや妻になるだろうと思った。

 結婚式当日に着ていたドレスは貴族が着るような生地ではなく、どこか手作り感もあった。ネックレスだけは美しかったが。

 シルドラン伯爵領の経営状態が悪いのは知っていたが、準備金一千万オルドがあればドレスくらいまともなものを用意できたはずだ。


 ならば考えられる可能性は。


「シリル」


 デスクの向こうに立つ、幼馴染である執事に呼びかける。


「なんでしょう」


「フローラは、虐待されていた娘だと思うか?」


 シリルの眉がぴくりと動く。


「……。たしかにその可能性はあります」


「そうだろう。あまり大事にされている娘ではないだろうと思っていたが、まさかあそこまで……。ただ、虐待されていたにしては悲壮感がないというか、飄々としているというか。いまいち読み切れない」


「気になさっても仕方がないでしょう。一年で手放す方です。僕とラナに奥様を監視させているんですから、それでいいではありませんか」


 感情を感じさせない返事に、ため息をつく。

 フローラを監視させていることにあまり納得がいっていないのだろう。シリルは俺には厳しいが女性には優しいからな。特につらい過去を持つ女性には。

 ラナはシリルよりもっとあからさまに嫌な顔をするが。

 シリルとラナにフローラの行動を報告させているのは、一年限定とはいえ、グランヴィル家に害をなすような女では困るからだ。

 魔獣からとれる魔石について探ろうとする貴族もいる。外から来た者に対しては油断できない。

 俺が続き部屋を使っているのも、彼女の動向を把握するためでもある。

 自分の体で俺の心を得ようとするような女でなかったのは、ひとまず安心だが。

 昨夜扉をノックされたとき、扉を開けたら彼女が裸で立っていたらどうしようかと恐ろしかったものだ。


「お前が契約上の妻を迎えることを良く思っていないのは知っている」


「自分だけ善人ぶるつもりはありませんよ。僕も納得しています。諸々の事情を考えれば、他に方法がありませんでしたから」


「お前はあのフローラをどう見る」


「……まだ数日ですが、お優しい方だと思います。あなたの言う通り虐待されていたのではないかと思うのに、いややっぱりそうじゃなかったのかもと思わせるほど明るいし、少し変わっている方です」


 ふ、とシリルが笑みを浮かべる。

 フローラを気に入ったのか? こんなに短期間で誰かを気に入るとは珍しい。


「城が最も北に位置する理由をお話ししましたが、怯えるどころか代々の辺境伯様に魔獣から守っていただいて頭が下がる思いだと仰っていました」


「……」


 女性なら城が危険な位置にあると知れば怯えるものだと思っていたが。

 肝が据わっているのか、実感がないだけなのか。

 だが、そんなふうに感謝してくれるのは、素直に好感が持てる。


「そういえば一緒に散歩をしたんだったな。どうだった」


「楽しかったですよ」


「だろうな。会話までは聞こえなかったが三人でキャッキャウフフと楽しそうだった」


「後をつけてきたんですか? うわぁ……引きますね」


 だんだん素が出てきたな。


「つけていたわけじゃない。城壁の点検をしていたら声が聞こえてきただけだ」


「へぇ……」


「おかしな目で見るな、俺が彼女に興味を抱くはずがないとわかっているだろう。で、何を話していた」


「領地の話や食べ物の話ですね。ああ、よくそこらへんに生えている野草を見てあの草はゆでて食べるとおいしいと教えて下さいました」


「野草がおいしい?」


「ちなみに試しに食べてみましたがゲロマズでした」


「……。ほかには」


「愛らしい小鳥を見ておいしそうと仰っていました」


「おいしそう!?」


 ズキズキと頭が痛む。

 フローラの人物像が謎すぎる。

 一体何なんだ、あの娘は。


「食事は毎食きっちりと供給しているよな?」


「当然です。痩せているのが心配だ、もうちょっと太らせたほうが健康にいいだろうから栄養のあるものをできるだけ食べさせろというあなたの指示のもと、ちゃんと奥様が好みそうなものを適量より少しだけ多めにご用意しています。奥様は毎食完食なさっています」


「ならなぜ小鳥がおいしそう……」


 普通の女性なら「かわいい」と言うところだろうそこは。

 虐待で食事を抜かれていたのだとしても、今は食事をじゅうぶんにとっているのだから、生きている小鳥を見ておいしそうという発想にはなかなか行きつかないと思うんだが。焼かれて皿に盛りつけられているならともかく。


「ほかに気づいた点は」


「病弱ということでしたが、少しお痩せになっている以外は心身ともに健康に見えます。それと、おそらく奥様は女性ながら狩りをたしなまれるのではないかと」


「狩りだと? 小鳥がおいしそうだからか」


「それもありますが。購入の許可を求められました」


「何の」


「クロスボウです」


「クロスボウ!?」


「辺境伯様を暗殺するつもりではないのでご安心ください、部屋には持ち込みませんとのことでした」


「……」


 女性がクロスボウだと?

 虐待されていたかもしれない女性がどこでそんなものの扱いを?

 いろいろとちぐはくで、印象が定まらない。一体どういう女性なんだ、あのフローラは。

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