信長の1001回目の天下取り

鏡銀鉢

第1話 第六天魔王VS軍神毘沙門天

 女が泣いていた。

 綺麗な女だった。


 なのに、つややかな黒髪を赤で、黒真珠のような瞳を涙で濡らしていた。


 可憐な両手に握る刀の切っ先は、俺の胸板を貫き、背中へと通り抜けている。


 酷薄な金属の感触が、肺腑から生命の源である血潮を根こそぎ奪っていくのがよくわかる。両手に自分の血を受けて、その鮮やかな色と熱さに驚いた。


 魔王と蔑まれる自分も、どうやらただの人らしい。


 ここは戦場。

 万を超える人々が銃声と硝煙に包まれながら殺し、殺されている。


 なのに……闘争の咆哮が遠い。

 俺の耳には、彼女の哀愁が滲む嗚咽しか聞こえない。

 俺の目には、彼女の泣き顔しか映らない。


 日本中の武将から常勝不敗の軍神として恐れられ、質実剛健を貫徹してきたはずの彼女、上杉謙信は、触れれば泡沫の如く消えてしまいそうなほど、はかなく泣いていた。


 形の良い眉を頼りなく垂らし、大きな瞳からはとめどなく透明な滴をあふれさせ、ふさぐことのできない桃色のくちびるからは、涙声が漏れている。


 そんな、あまりにも切ない姿で、彼女は俺を刺し貫いていた。


 俺は、誰かに問わずにはいられなかった。


 嘘だろ……どうしてこんなことになっているんだよ? なんで……なんでこいつがこんなにもボロボロになっているんだよ……。


 上杉謙信は、乱世の花だった。


 果てのない殺戮と謀略が際限なく続くこの世でただひとり、誰も裏切らず、貶めず、辱めず、弱き人々を救うべく、苛烈に、そして凄絶に戦い続けた。


 美しかった。

 誰よりも、誰よりも、誰よりも、この世の誰よりも強く、そしてただ美しかった。


 正義の味方ではなく、彼女自身が正義そのものだった。


 その彼女が、涙におぼれて死んでしまいそうな顔で俺を見上げてくる。


 俺の内臓を貫く刃を通して、彼女の絶望が流れ込んでくるようだった。


 心が痛くて、胸が張り裂けそうで、余命いくばくもない体で、どうしたらいいのかわからなかった。


 体が重く、鈍くなり、このまま膝を折ってしまいそうになると、


「……なぜだ」


 桃色のくちびるが、言葉を紡ぐ。


「なぜ、お前は……」


 言葉にできなくても、伝わるものはある。


 そうか、俺が……こいつを傷つけちまったんだな。


 感覚のない両手が自然と上がり、彼女の背中を抱き寄せる。


 刀身がより深く刺さり、血しぶきをあげると、彼女は小さな悲鳴をあげて刀から手を離した。


 華奢な背中を腕のなかに納めて、俺は自身の頬を彼女の黒髪にうずめる。


「……ごめんな」


 彼女の体が、わずかに強張るのがわかった。

 戦場の営みが遠い。

 俺の腕は、彼女の体温しか感じなかった。

 俺の鼻孔は、彼女の匂いしか感じなかった。

 体重を彼女に預け、俺は膝を折った。


「待て! 死ぬな! 死なないでくれ!」


 もう彼女の匂いも、顔もわからない。彼女が俺を抱きしめ、支えてくれていることだけはかろうじてわかるが、その感覚も薄れていく。


「頼む! 私を置いていくな! 私をひとりにするな!」


 悲痛な願いだけが、彼女の存在を俺に証明してくれる。


「お前のいない世界で、私はどうすればいいんだ……私は……私は‼」


 俺は意識を手放して、深い闇へと落ちて行った。


「私は……お前が好きだ……」


 世界とのつながりが消える直前、舌に愛しくて、やさしい味が広がった。



「失敗のようだな」



 激しい頭痛と共に、俺の意識は覚醒する。

 そして、目に映る光景に言葉を失った。

 そこは、何もない、空色の世界だった。


 雲ひとつない天上も、地平の果てまで続く彼方も、距離感を失いそうなほどに果てがなく、ただどこまでも青かった。


 上体を起こし、手を着いた地面を見下ろせば、そこは静かな海だった。


 波もなく、白い泡もない、海色の上に、俺は座り込んでいた。


「何が、起こっている?」


 周囲を見回しながら自問すると、またあの声が聞こえた。


「何と言われても、死んだだけだが?」


 いつからそこにいたのか、回した首を正面に戻すと、そいつは立っていた。


 地面まで長く伸びた、雪のように白い髪と肌。それに、血のように赤い瞳の女だった。肌と同じく、身にまとう着物も純白で、水晶のように透明な瞳はまばたきもせず、じっと俺を見つめている。


 その幻想的な姿に俺が言葉を失っていると、そいつは繊細なくちびるに隙間を作った。


「問おう。信長、お前は選べる。輪廻の輪に乗り、異なる時代、異なる地に産まれるか、それとも人生をやり直し、また、お前として産まれるか。どちらにせよ、今世での記憶は消えるがな」

「……貴様はなんだ?」


 問いには答えず、睨むようにしてそう尋ねた。


「……お前らの知らない存在、仮に観測者とでも呼んでくれ。私は死んだ人間の意向を尋ね、そして観測するものだからな」


 まるで頭のなかに直接響くような、それでいて不快にはならない、不思議な声だった。


「やり直しだ」


 即答する。こいつが神か仏か物の怪か。それはわからない。だが、この人生をやり直せるというのであれば、こいつが誰であっても構わない。


 だが、俺の返事を聞くと、観測者の顔がわずかに歪む。


「……また、やり直しか。そろそろやめにして欲しいな」

「また、だと?」

「そうだ。やり直しのたびに、記憶はなくなるからな。お前はいつもいまこのときが一度目の人生だと思い、九九九回も人生をやり直してきた。今世では千度目の天下取りに挑み、そして失敗した」


 観測者の言葉が、俺の胸を深く抉る。


「歴史とは不安定なものでな、やり直すたび、お前を取り巻く人間の年齢、性別、来歴は変わり、結果として死ぬ者、裏切る者は変わるが、お前の死因は、すべて味方の裏切りだ。これで解っただろう。お前に天下取りは、不可能だ」


 その残酷な言葉は、俺を打ちのめすには十分だった。それでも、


「それでもだ……九九九回やり直したなら、次が千度目の、いや、一〇〇一度目の正直だ」


 千度目の人生。こいつの世迷言が本当なら、なお諦められなかった。


 それはつまり、俺は千度も仲間の気持ちに気づいてやれなかったということなのだから。


 観測者の目が細められ、わずかに息を漏らす。


「こちらとしても、代り映えのしない人生を千度も観測させられて、うんざりしているのだ。尋ねはしたが、もうお前のやり直しには飽きた。早く次の人生へ行ってくれ」


 観測者は視線を逸らし、俺に背を向けようとした。

 引き留めるように、俺は声をかける。


「代わるし映えるさ。こうすればな!」


 意を決した俺は、右手で腰の小刀をつかみ引き抜くと、一息に右の眼を刺し貫いた。


「グッ! あぁあああ!」


 頭を貫くような激痛と衝撃。その後にすぐ訪れる、焼けるような痛みを嚙み殺して、俺は観測者を睨みあげる。


「仲間の気持ちも見抜けない節穴の目なんていらねぇ! 俺は忘れない! この痛みと共に、この時代のすべてをな‼」


 やはり、この人外にも感情があるらしい。


 観測者の瞼は、よく見なければ気づかないほどだがわずかに上がり、透き通るような瞳を硬直させているように見える。


「転生前に、そんなことをする輩がいるとは……織田信長、そこまでの覚悟か……いいだろう。次の世では、記憶を継承させてやろう。ついでに、私の眼もやる。私の干渉した世界の観測など無意味だが、貴様のせいで何万年も退屈な想いをさせられたのだ。たまには享楽に浸るのもよかろう」

「そいつは悪かったな」


 物言いは失礼極まりないが、話の流れは悪くない。今世の記憶を引き継げるなら、来世はかなり優位に天下取りを進められるのだから。


「だが、お前が有利になりすぎてもつまらないからな。逆境を用意させてもらおう。では受け取れ、人生、千回分の記憶をな」


 千回分? 引き継ぐのは、今世の記憶じゃ……。


 確認しようと口を開いた瞬間、俺の体は支えを失い落下。観測者の姿が遠ざかっていく。


 落ちた先は、真っ暗な闇のなかなどではない。


 俺の記憶が、人生が絵巻物のように描かれ、それが無数に飛び回る世界だった。


 記憶が、津波のように頭のなかに流れ込んでくる。


 何万年分もの記憶が、千度の死因が、感情が溢れて、俺は脳髄を引きずり出されるような激痛を、悲鳴と共に吐き出して絶叫した。


 そのまま、俺の意識は抗えない力に飲み込まれ。すべての感情が泡沫のように散った。


   ◆


 「さてと、では戦国の魔王よ、お手並み拝見といこうか……む? ほう、次は貴様か……貴様に問おう。転生か、やり直しか」


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