第9話 戦いの星

Side ルフラン


 柔らかく構えられたアルメディアさんを見て、試合の開始が既に始まっていることに気付きます。

 雅な装衣からゆらりと立ち上る黄金こがね色の闘気。

 気品の上に塗り固められた妖艶な眼差し。

 ただそこに相対するだけで瞳を奪われてしまいそうな、美しくもおぞましい美貌。


 その魅力は戦いにおいて強大な魔力。

 背徳心すらを掻き立てる劣情は、過密された戦闘時間の中では邪魔にしかなりません。


 さあ、奮い立て、ルフラン。

 ただ飛び込め、戦いの螺旋らせん、そのうずの中へ。


「へえ、ここで笑うのかい」


 自分では意識しなかった笑みを相対するアルメディアさんに指摘されます。

 そうですか、自分は笑っていましたか。

 いいですね、集中できている証です。

 胸を借りるつもりでしたが、やっぱりやめました。

 一発当てれば合格?


 ――――はっ、ふざけるな。


「勝たせてもらいます」

さえずるなよ、小童こわっぱ


 嬉々とした笑みを浮かべたアルメディアさん。

 それはどうしようもない挑発。

 やれるもんならやってみろと、その瞳は獰猛に語ります。


 言われるまでもない。


「後悔しないで下さいね」


 大地を踏み蹴り、一直線での突撃を仕掛けました。

 Lv上昇によるステータス補正か、黒頭巾と戦ったときよりも速い。

 拳を構えながらそれでも視線はアルメディアさんへ。

 彼女の一挙手一投足にまで意識を集中、僅かな動きの変化すらも逃さない。


 しかし。


 眼前にまで迫っても尚、アルメディアさんに動きはなし。

 見えていないわけではないでしょう。

 ――おそらく見定められている。

 でも、流石にこの間合いまで近づかせたのは悪手では?


 既に右拳の届く射程。

 この距離、その態勢から、私の攻撃を防ぐ術が――。



 ――蹴られた。


「――――がっ!?」


 視界が丸ごと書き換えられます。

 世界が反転し、無自覚の浮遊感に襲われて――。

 血液が逆流するかのような嘔吐感、臓腑を叩き潰されたかのような激痛――。

 回る視界の中で捕えたのは、遥か下方にて天を貫かんとばかりに脚を振り上げたアルメディアさんの姿。


「格上相手に駆け引きなしの正面衝突――」


 無動作ノーモーションからの蹴り上げ。

 遥か空中へと投げ飛ばされた私の耳に届いたのは、風の音の中に混じる美女の忠告。


「――流石にそれは下策過ぎるだろう?」


 にやり、と笑ったのが見えました。

 次いで、私の身体は激しい水音を上げながら泉へと落ちていきます。

 全身の痛みを根性で噛み殺して、私は水中から這い出ました。

 ズキズキと痛む腹部は、おそらく骨を何本もやられている。

 かはっ、と飲んでしまった水と共に血を吐きだしました。


「……冗談、でしょう……?」


 一撃で与えられた衝撃に、この世界がゲームであることを忘れて戦慄します。

 ちらりと目に入ったHPバーは、もはや残っているのかもわからないほどにゲージが減っていました。


 これは、勝てない……。


 翼もなしに空を飛べとか、死んだ者を生き返らせろとか。

 そういった実現不可能な命題に自分が挑んでしまったのだと理解しました。


「不思議だねぇ」

「……何が、です、か……?」


 両手両膝を着いたまま、顔を上げ、視線だけはアルメディアさんへと向けました。


「君は《プレイヤー》だろう? プレイヤーは痛みを感じない、もしくは軽減する奇跡を授かっているのではないのかい? アタシが手合わせしたプレイヤーはそうだった。なのに君はいまアタシの一撃を受けて苦しんでいる、痛がっている。とても痛みを軽減しているようには見えないさね」


 彼女が言っているのは痛覚調整ペインアジスメントのことでしょう。


「……私は、痛みを、軽減させていません、ので……」

「どうしてだい?」

「……どう、して……?」


 言われ、私は考えます。

 誤解なきように言っておくと、私はマゾヒストなわけではありません。

 痛いのは嫌ですし、嫌なことはしたくありません。


 ならば……なぜ?


 もし、痛覚調整ペインアジスメントを適用しておけば現在進行形で感じている、このどうしようもない激痛を感じなくて済んだはずです。

 呼吸をするたびに軋む骨も、ふとした時に襲う嘔吐感も、目眩するほどの絶望も。

 この全てをないものにできたはずです。


 ならば……どうして?


「……戦い、とは…………」


 頭の中に廻る妄執をよそに、口が答えを紡ぎ出します。

 きっとそれは考えて出るものではなかったのでしょう。


「……乗り越えなければ、いけない、ものです……」


 滔々と漏れ出す本能。

 戦いとは勝利するためにあるのではないです。

 ただ勝つことが好きなのであれば、ひたすらに格下を相手取っておけばいいのです。

 でも、それで得られるものは何でしょうか?


「……痛みの中で、それを、実感、したかった……」


 痛みとは恐怖であり、だがそれは敗北による言い訳にはなり得ません。

 恐れを感じながらも前へ踏み出した勇気、それこそが勝利のための執念。

 何かを望み、勝ち取ろうとするためだけに消費される空間。

 恐れがあるからこそ、達成する喜びあり、心沸き立つ世界がそこに広がっているのです。


「……だから」


 痛みがあるからこそ。

 そこには悲劇があり。

 そこには物語があり。

 そこには興奮があり。

 そして、そこには栄光がある。


 なんの障害もない道を進んだ先に、光など待っていない。

 いばらの中を突き進み、格好悪くても伸ばした手の先で。

 そうして掴み取った勝利にこそ、真の価値がある。


 だから……。


「まだ、倒れるわけにはいかないんですよね……」


 地面を踏み込み、立ち上がります。

 不敵に笑ってみせながら私はくいっと眼鏡を直しました。

 相対する相手は最早考えるのが馬鹿になるくらいド直球に最強の存在です。


 だから、燃えるというものでしょう?


「――――ははっ」


 口からの吐血を袖で拭った私に対して、アルメディアさんは飄々ひょうひょうとした声を漏らします。


「そうかそうか。君も戦いの星で生まれたのか」


 戦いの星。

 ああ、そうかもしれません。


「男に生まれたからには最強を目指したいものでしょう?」

「悲しいことを言うな。女だって目指してもいいじゃないか」


 熱を帯び、喜色に染まる自分の身体。

 どうやら、あと一回の攻防くらいは付き合ってくれそうです。

 なんだか痛みも感じなくなってきましたよ……うん、これは別にいいことではないですね。


「最後の一撃です」

「受けて立つさ」


 脳を回転させて勝利のためのプロセスを模索します。

 考えて、想像して、思考して……うん、ダメですね。

 勝つためのビジョンが全然浮かび上がりません。

 ならもう、あれですね。

 とりあえず、もっかい突っ込んでみましょうか。


 至った結論に従って、私は駆け出しました。

 拳を構えて、ただひたすらに。

 前へ、前へ――。

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