もはや狂気


「わっふっ…ぐわっふっ……」

「全く。いい加減泣き止め! 変な鳴き声を出すな!」

「だって、だって……!!」



 怜とアオイは馬車に揺られ本邸へと向かっていた。

 クリス達へ報告と、人間の姿で対面する為だ。

 そして何故馬車なのか。

 アオイは夜会のとき馬に跨がり十分程で行き来していたではないかと、そう疑問に思うかもしれない。

 だが100年も経つと、少々馬の乗り方も忘れてしまうのだ。

 勿論、馬に乗ろうとした怜だが、野生の臭いが残っているのか、はたまた人間の姿に驚いているのか、別邸で飼育している馬がそもそも主を乗せようとしなかった。

 何とか跨がっても自身が乗馬を忘れていたのだ。

 なにせ今まで山犬の脚で駆けた方が早かったから。


(それはそうと……)

 怜は小さく溜息をついて、ちらりとアオイを横目で見た。

 朝食のときから一向に泣き止まないのだ。

 着物を着付けているときも涙が止まらず、ヒトの手が器用すぎて、よりテキパキしてると嘆いていたらしい。

(いや、良いことではないのだろうか……? それに、こうして私の顔を見る度に泣かれては仏の心を持ってしても傷付く。これでも女を見つめるだけで落とせていたイケメンだぞ、全く)

 怜はまた小さく、溜息をついた。


 ──そうして馬車で四十分掛け、やっと着いた本邸。

 馬車のまま御邸の前まで行くと、窓から見えるのはいつも通りニンマリとしたクリスの姿。

 先ず、怜が馬車から降りると、クリスの細くなった目が少しだけ開いた。



「貴方が? 大伯父様?」

「あぁそうだ。見ての通り、呪いが解けた」

「確かに、聞き慣れた声ですね……」



 クリスは、お付きの警備人三名と、メイド長のコニー、執事のナウザーを確認して、今までのニンマリ顔が嘘のようにスン─、と顔がほどけた。



「あぁ良かった。これでもう無理に笑っていなくて済む。しかし聞いてはいたが、随分とお若い……、大伯父様と呼ぶのが可笑しいくらいだ……」

「そうだな、止まったままの人間の歳としては、二十三だからな」



 そう言うと、クリスは複雑そうな顔。

 それもそうだ。

 年齢が自分より二周り程違うのに、生きた年数は怜の方がずっと上なのだ。

 なんならクリスが生まれた時だって、クリスの父親が若い頃どんな遊びをしていたかだって、怜や別邸の皆は知っている。



「もう結界の外にも出れる。他の人の目もあるからな、これからは遠慮なく下の名で呼んでくれ」

「分かりました。では怜、様は付けた方が?」

「いや、要らんだろう。見た目の年齢差通りに呼んでくれて構わない。あと、これからは社交会にも顔を出すつもりでいる。クリスだけではないが……、色々と面倒を掛けた……」

「それは有難い! 娘との時間が増えるのは私にとって良いことだ。しかし……、今まで居なかった貴族が突然現れると言うのも……」



 貴族は噂好きだ。

 王子同士の王座争い真っ只中、更に国と国との関係も良いとは言えないこの状況で、知らぬ貴族がポッと出たものなら噂が転じて最悪の場合、牢獄行きもあり得る。

(まぁ、うちの優秀な執事を舐めてもらっては困るがな)

 澄ました顔でナウザーを見ると、姿勢の良い紳士な執事。



「その件に関しては、うちのナウザーに任せておけ」

「はい。また手筈が整い次第ご連絡いたします」



 ナウザーの言葉にそれならばとクリスが納得したところで、「まぁ! そちらが……もしかして、怜様……?」と、ひょこっと顔を出したのは、アリスとそれから栗鼠だ。

 栗鼠は匂いで分かったのか、尻尾を振り、姿を見るなり怜の足元までご挨拶。



「これはまた……、すごく御綺麗な方で……。本当に犬の雰囲気そのままです……」

「嬉しいお言葉ありがとう、アリス嬢」



 栗鼠は怜への挨拶が終わると当然アリスの元へ帰っていくが、クリスは相当に犬が苦手なようで、表情がまたニンマリ顔になり掛けている。

 アリスは動物が好きであるから、怜にも好意(勿論動物に対するだぞ?)を抱いていたようだが、それがまたクリスにとって気に入らなかった。

 恐怖を隠すのと娘への愛情からきた表情のニンマリ顔。

(だとしても、あんな上っ面だけの笑顔は気味が悪いから、出来れば止めて頂きたいものだ……)



「あ、あの……、呪いが解けたと言うことは……アオイ様と……?」



 顔を赤らめ聞くアリス。

 彼女には申し訳ないが、それに関しては是非ともアリスに解決していただきたい。

 と言うか猫の手も借りたい狼森家別邸一同である。



「それがそうとも言い切れなくてな……」

「? どう言う意味でしょう……」

「まぁ見れば分かる。アオイ、そろそろ出てきたらどうだ? アリス嬢も会いたがっているぞ」



 何の事かと首を傾げるアリスは、仕方無しに出てきたアオイを見てギョッとした。



「うえっふ、えぐっ……うっ」

「な! い、一体どうしたと言うのですか!?」

「どうしたもこうしたもッ! 見てよ……! 人間になっちゃったんだよ!? 私の可愛いもふもふもは……? なんでっ! も、もふっ……わたっ、もふっ……!!」



 「あらまぁ……」と呟くアリスに、怜はお手上げなんだとジェスチャー。



「はっ! 人間に戻って何が不満だというのかね。これ以上良いことは無いだろうに。そもそもモフモフだのなんだの空中を浮遊するしかないゴミのくせして一体なんの価値があるというんだ」

「お父様っ!?」

「な、なんだいアリスよ……だってそうだろうに……」

「全く。今ここで言う事じゃありません。そしてゴミじゃありません。次言ったら許さないからね」

「アリス……!」

「ふんっ! さ、怜様も皆さんも。取り敢えず中へ入りましょう? アオイ様は私と」

「う、うむ。また一段と元気になったようで何より。ではアリス嬢……、後は頼んだ……」



 *********



茉莉花ジャスミン茶です。リラックスできますから」



 怜と別れ、お茶を数口飲んだら少し落ち着いた様子のアオイ。



「私、まず謝らないといけない事があって……」



 こんなに犬が好きなのに呪いが解けてしまったらどうするのだろうと思っていたアリスだが、アオイの姿を見て思った。

(やはり犬のままの方が……なんて、お父様にも怜様にも言えないけれど)


 人間だと言う事実を先に知っていれば、もっと違う結果があったのだろうか。

 知っても尚、アオイは巨犬の怜を愛しただろうか。

 だがそんな事を今更思ったって、過去は変えられないのだ。

 謝ることしか出来ない。



「……何でしょう?」

「知っていたんです。怜様が人間だってこと」

「えっ……?」



 ほんの少しだが、アオイの眉間にシワが寄った。

 それもそうだろう。

 なんで教えてくれなかったのと、そう思われるのが普通の反応だ。



「本当にごめんなさい……。狼森家に代々伝わる守秘義務なのです。真に呪いを解くのに必要だから。その見た目に惑わされず、呪いを解く為に……」

「っ……いや、アリス様は悪くないもの。それに……、ここに居る誰が悪いって訳でもないですし……」

「え?」



 冷静なアオイの言葉に、思わずアリスは聞き返した。



「私もね、呪いが解けて本当に良かったと思ってるの」

「……?」



 では何故そんなにも泣いているのだろうと、アリスと御付きのメリー、そしてコニーは其々目を合わせながら揃って頭にハテナマークを浮かべる。



「コニーも、ナウザーも、別邸に居るみんな、元の姿を変えられて、結界の外にも出れず、他人とも関わりを持てず、家族や親戚に友達、みんなみんな自分達より先に死んでいく。どれだけ辛くて寂しいか。考えなくたって、十分に分かってる」



 コニーはほろりと涙を流す。

 過去を思い出してなのか、それとも、アオイの寄り添う優しさに涙してなのかは分からない。

 涙ぐみながらも優しく微笑むコニーを見て、アリスは思わず自分と重ねてしまう。

 病気で満足に身体を動かせない時に、(あぁ、会いたいなぁ、みんなどうしているかなぁ、なんで私だけ……)と、悔しくて悲しくて恨めしかった。

 それが100年も続くのだ。

 しかもヒトでは無くなっているのだから。


 それにね、とアオイ。



「怜は……、自分のせいで、皆を巻き込んじゃったんだ。責任だって感じてると思うし、このまま、戻れなかったら……、きっと、もっと、苦しい思いをしてしまう。だから、呪いが解けたのは、本当に良かったよ」



 「そう、ですね……」と、一同良い感じに感動しかけたのだが、アオイは「けど……!!」と、強く握り締めた拳で己の太腿ふとももに、ドンと気持ちを込めた。



「けどね! ッぱり! やっぱり……!!」

「「「え……?」」」

「あの……!! あのもふもふもを……!! 二度とこの身体で感じれないって思うと……!! 涙が出ちゃうのよ~~……!!」

「「「へ……??」」」



 そしてまた「うわぁ~~~~~ん!」と泣き始めてしまった。

 アワアワと皆でちり紙を渡していると、アオイは怜への愛を勝手に語りだし、

「普通に犬は好きだったけど出逢ってしまった」「やっと運命の犬を見つけたと思った」「あれ程までに優しく包んでくれたのに」「優しくて美しくて一生眺めたいし触れたい」「鼻の下の筋触りたい」「肉球の間の臭い嗅ぎたい」「あの立ち耳でまるで垂れ耳遊びしたい」「尻尾の根元掴んであたかも尻尾フリフリしたい」「ちょっと甘噛みして欲しい」「もう剥製でも良い」「とにかく毛に埋もれたい」etc……


 もう最後の方は意味が分からなさすぎて、一同揃って思うのは、(うん。取り敢えず早く泣き止んで??)だった。

 まぁ巨犬への愛は、皆に十分、いや、十二分に伝わったのは間違いない。


 そうしてやっと落ち着いた頃には、アオイは泣き疲れ、アリスとメイド二人は聞き疲れ、若い女性が集まっているとは思えぬ行き詰まった会議さながらの空気感に、迎えに来た怜はドン引いたのだった。

(はぁ……。淑女レディとしてお恥ずかしい……お恥ずかしいけど、そんな事はどうだっていい……怜様……、兎に角もう……山犬に戻って下さい!)

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