悪役令嬢な人生も悪くない

じょん

第1話:悪役令嬢の夜明け1

 見事な筆致によって美しい花の描かれたカップ。

 そこには僅かに湯気を立ち昇らせた真っ白な液体。

 カップの両側に小さな掌が添えられ、ゆっくりと持ち上がると、中の液体がたゆんと波打った。

 カップはやがて蕾のような愛らしい唇に触れる。

 僅かに傾けられたカップから、白い液体が唇に吸い込まれてゆく。

 こくりこくりと動く喉は液体が嚥下されている事を示していた。


 小さいながら整った鼻筋。

 やや細められた瞳は母親譲りの深いルビーアイ。

 父親譲りのブロンドヘアは、光の当たる角度によっては母親の持つワインレッドが見えることもあり、目の前の少女がかの両親の子であることをなるほどと納得させられる。


 ことり。


 いつの間にかカップは少女の唇から離れ、テーブルの上のソーサーに置かれた。

 余程喉が渇いていたのか、それとも美味しかったのか。

 後者であれば嬉しいと、あたしは思った。

 カップは空になっていた。

 少女は勢いよくこちらに顔を向けた。

 ややウェーブの掛かった髪がきらきらと輝き、少女のあとを追う。


 「美味しかったわ!!おかわりを頂けるかしら!」


 少女は満開の花を思わせる笑顔でこう言った。

 ああ、なんと素敵な笑顔なのだろうか。

 この笑顔が守られるのならば、あたしはどんな苦労も厭わないだろう。

 だがしかし。


 「もちろんですわお嬢様。ですがその前に」


 あたしはハンカチを取り出した。


 「素敵な淑女はミルクを嗜んでも、白いお髭は生やさないものですよ」


 そう言って少女の口元をやさしく拭った。

 少女は少し照れくさそうに微笑んだ。 


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 さて、二杯目のミルクを上手に(当社比)飲み干した私は、椅子から勢いよく飛び降りた。


 「お嬢様、どちらへ?」

 「お庭を散歩してから部屋へ戻るわ」

 「かしこまりました」


 使用人のメアリはそう言うと、いつの間にかティーセットを収納し終わったかごを手に、私の背後に立った。


 「庭の散歩にお供はいらなくてよ」

 「そうはまいりません」


 優しく、それで言って断固と譲らない口調のメアリ。

 私は溜息ひとつ。


 「わかりました。では、よろしく」

 「はい、お嬢様」


 私の不満顔に対しても、満面の笑みで返すメアリ。

 そんなに仕事が好きかと問いたいところをぐっと我慢し、歩き始めた。

 どうにか放っておいてくれないものかと、心の中で愚痴るだけに留めておく。

 このやり取りを今まで一体何回したことか。

 10回まで数えた記憶はあるが、それ以上は面倒になってやめた。

 それもメアリとの回数だけでそれ。

 他の使用人、どころか両親まで含めたらどうなることか。

 どうにも我が家は私に対して過保護すぎる。

 もっとも、それは私が貴族であり、この家唯一の実子で長女で4歳ということを考慮すれば、当然の対応なのかもしれない。


 私には、家族にすら打ち明けられない秘密がある。

 それに気付いたのはおよそ一年前、つまりは三歳のとき。

 私は大病を患って寝込んだらしい。

 らしい、というのは私自身にその記憶がなく、起き上がったのちにその話を聞かされたから。

 大病そのものの、苦しいとか辛いとかそういった記憶はないけれど、寝てるときに思い出したことがある。


 それは、私が私でなかったころの記憶。

 私でなかった私が、やや短い生涯を終えるまでの。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 私でなかった私、いや面倒なので私としておきましょうか。

 私の一回目の人生は、順風満帆とはいかないまでも、まあぼちぼちでした。

 あまり寄り付きたくない程度の実家から離れるためだけに、遠方の適当な学費の安そうな大学を選べる程度の地頭と成績があり、そのまま流れるように流されるように適当なブラックとも言い難い、ややグレーな会社に滑り込み。

 勢いで参加した、合コンという名の飲み会でお持ち帰りされて、そのままずるずる付き合った元彼は結構なダメ人間だったけど、まあこれはご愛敬。

 ちょっと愉快な同僚たちと、わりと顔も見たくない上司に囲まれて、それなりに有意義な社会人生活。

 幸い、食うには困らない程度のお給金は頂いておりました。


 客先で怒られたり褒められつつも、ときどきコーヒーショップでさぼるぐらいの余禄付き。

 どっかに手ごろな男落ちてないかしらと思いつつも、ダメ人間(元彼)の顔がちらつきもう恋なんてするもんじゃねえなあと、悟りを開いたり。

 こうやって人は老いていくのだろうかと、哲学に耽ってみたりしてたわけですよ。


 そんなある日。

 私は寝不足の目をこすりながら、クソ上司のしでかしたミスの尻ぬぐいをすべく、初夏の日差しの中、歩き続けていました。

 何で寝不足かって?

 よくぞ聞いてっくれました奥さん、え?奥さんじゃないって、まあまあ細かいこと言わずに話を聞いてくださいな。


 ことの起こりは十日前。

 登場するは愉快な同僚たちの一人、彼女のことは同僚Aとでもしておきましょうか。

 その日あたしは外回りを早めに終え、社食で優雅に昼食をもっちゃもっちゃと頂いていました。

 その日のメニューは確か親子丼だった気もします。

 うちの会社、給料は安いのに社食は美味いなーと謎の感心をしていたところ、私の目の前に座る影一つ。

 どんぶりから顔を上げると、そこには件の同僚Aの姿がありました。

 同僚Aはこちらも社食のカレーライスをひとすくい、口に含むと満面の笑顔。

 私は思わず、私もカレーライスにしとけば良かったかなと一瞬思ったものの、いやいやこちらの親子丼も中々のものよと謎の対抗心を燃え上がらせ、大きく一口頬張って笑顔を返してやりました。


 「相変わらず美味しそうに食べるわねー、がんちゃん」

 「がんちゃんはやめてよ小枝よ、こ・え・だ。で、何の用なの?折角の親子丼が不味くなる話題は無しよ」


 私がめんどくさそうに訊ねると、同僚Aは待ってましたとばかりに得意満面。

 隣の席に置いた鞄を漁り始めた。


 「ねえ、がんちゃん、これ知ってる?」

 「いや知らないし。見えないし」

 「せっかちさんだなぁがんちゃんは。あった、これこれ」


 ひとに見せるためなら出しやすいとこに入れときなさいよと思わないでもないが、一事が万事この調子の同僚Aに指摘するのも徒労に終わる事間違いなしなので静観。

 おもむろに取り出されたるは……ゲームソフト?


 「なにこれ?」

 「見てわかんない?ゲームだよゲーム」

 「いや、それは流石にあたしでもわかるわ。けどなんでゲーム?あたしゲーム機持ってないわよ」

 「そんなこともあろうかと。じゃじゃーん」


 同僚Aがさらに取り出したのはやや大きめの箱。

 それは私もかつて遊んだゲーム機の3世代ほど後継機の姿と名称が描かれていた。

 そういや大学の時、友人の家で夜通し遊んで壁ドンされたなあとか。

 友人以上にハマってバイトして買って単位落としそうになったなあとか。

 元彼に投げつけられて壊れたなあとか。

 懐かしくもほろ苦い青春が蘇ってくる気がした。


 「で、ゲーム機まで持ってきて何がしたいの?」

 「はい」


 いつの間にか鞄に仕舞われたそれらが、鞄ごと手渡される。


 「くれるの?」

 「流石にあげれないなー」

 「まさか、遊べと?」

 「だいせいかーい♪さっすががんちゃんだね」

 「いらない。重いし」


 その後の激しい攻防の末、見事に敗戦を喫した私は、重い荷物を抱えて帰宅することになった。

 来年の目標は『ノーと言える日本人になろう』ね。

 今まだ5月だし。

 鬼がへそで茶を沸かしそうだわ。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 「えっと、エターナル・ガーデン・パーティ?恋愛シミュレーション?ああ最近は乙女ゲーって言うんだっけこういうの。あ、この鶏皮いけるわね」


 あたしは近所のスーパーで調達した見切り品の焼き鳥に齧り付きながら、ゲームディスクのジャケットを眺めてみた。

 様々なタイプを彷彿させる5人の男性と、それに囲まれ画面中央に鎮座するのは恐らく主人公。

 黒髪ストレートってのは日本人に親近感沸かせるためかとも思うがちょっとあざとさを感じる。


 「それにしても最近のゲームはパケ絵も上手いわね。パケ絵詐欺とかまだあるのかしら」


 妙な所に感心しつつもジャケットを裏返す。


 「どんな恋もおもいのまま。目指せハーレムルート!隠しキャラもあります。っていつになっても変わらないわね、こういうのは。けど、ハーレムルートも隠しキャラもパケに書いといていいものなの?過保護すぎない?ま、いいけど」


 私は誰に聞かせるでもない独り言でツッコミつつ、ゲームディスクのジャケットを鞄に戻した。


 「さて、焼き鳥冷めたらもったいないしね」


 と、自己弁護をして夕食に真面目に向き合った私は、ふた缶目の安酒を飲み切るころにはエターナル・ガーデン・パーティのことなどすっかり忘れ去っていたのでした。


 そして翌日。

 笑顔でスキップかましながら私の机までやってきた同僚Aに、正直に遊んでないことを離したら、いろいろ言われた。

 社会人なんだからそんなに暇じゃないのよと口答えしたら、時間は生まれてくるものじゃない、作るものなんだと妙に素敵な言葉までいただいた。

 全くもって、解せぬ。

 その日の晩、しみじみと面倒だなあと思いつつも同僚Aの絶望したような顔が浮かんできて、渋々ゲーム機を取り出しテレビに繋いでみた。

 これでテレビに繋がらなかったら言い訳も立つなと思いながらも、そうなったら翌日にはモニタまで押し付けられそうな気もしたので、無事に繋がったときはほっと胸を撫でおろした。

 弁当箱より少し大き目なゲーム機。

 私の買ったのは随分大きくて重かったのになあと技術の進化に感心した。

 ジャケットを開いて私は目を見張った。


 「ゲーム機、ちっさ」


 私の知っているゲームじゃない!

 メモリーカードの大きさしかないそれを、指で摘まんでしげしげと眺める。


 「昔は円盤だったのになあ。すごいね、これは」


 そしてテレビの前に置かれたゲーム機を見ると、なるほどこのサイズのゲームならゲーム機も小さくなるわけだと納得せざるを得ない。

 この瞬間、私の中でパラダイムシフトが起こったことは間違いない。

 つまりは人類としてのステージを一つ登ってしまったわけだ。

 ゲームを終わるどころか始めもせず、すでに何かを成しえたような達成感に酔いしれる。


 「……ところで、これどうやって遊ぶんだ?」


 目の前の弁当箱より少し大き目なゲーム機を、あっちこっちひっくり返しながら独り言を呟いた。


 「しょうがない、取説読むか」


 遊びに出かける前に宿題を思い出したみたいにテンションがだだ下がっていく。

 取説読むって、面倒よね。


 さらに翌日。。

 出社するなり同僚Aの勤務するフロアに直行し、彼女の机にばしんと手を突いた。


 「なんなのよ、あれ!!」 

 「どう、面白かったでしょ?」


 私の怒りなど右から左へどこ吹く風よとさらりと流してにやりと笑う同僚A。


 「っ!!なわけないでしょ、ク〇ゲーじゃないのっ」

 「まぁ、お下品ねがんちゃんは。そこはお上品にう〇こゲーとでも言わないと、ね」

 「何がね、よ。操作性悪すぎ。なんなのあのレスポンスは。画面見づらすぎ。どいつもこいつもクズしかいないじゃないの主人公含めて。最近の乙女ゲーとやらはそういう流行りなの?わけわかんないわ」


 静かなる怒りをぶちまける私に対し、同僚Aはわざとらしく顎に指を当て首を傾げた。


 「けどさ、公爵令嬢は可愛かったでしょ?」

 「こうしゃく——ああ、終盤に婚約破棄される子?可愛かったっていうかいたたまれないわね、不憫で」

 「悪役令嬢って言うんだってさ、ああいうの。いわゆる主人公の当て馬ポジ?」

 「悪役——なるほど分かる気がするわ。けど、その悪役令嬢しかまともなキャラいないってのはどういう事よ。それに、もしかしてどのルートでも彼女って酷い目に遭うの?」

 「そそ。婚約破棄くらいならまだ可愛いわよ。他にもいろいろとね——」

 「いやいい。聞きたくないわ」


 婚約破棄がましとは一体。

 しかしクズキャラに囲まれて踏んだり蹴ったりなんて、ゲームとはいえあんまりだわ。

 私が製作者ならきっと。


 「悪役——公爵令嬢が救われるルートはないの?」

 「当時、噂はあったんだけどね。結局見つからずじまい。そもそも評判最悪で販売数もさっぱり、予定してたDLCも出なかったしね」

 「散々ね。ところでさ、そのク〇ゲーをなんで私に薦めてきたのよ」

 「がんちゃんの元彼そっくりな奴がいたの思い出してね。あ、勿論ビジュアルは1億倍かっこいいわよ」

 「うーわー」 


 人見知りのDV野郎かー。


 「それは、ゲームでも会いたくないわね」

 「キャラ名教えておいてあげようか」

 「いらない。てかそこまで遊ぶつもりもないし。あ、時間だわ」


 午後の始業時間寸前になり、私は慌てて自分の部署に戻っていった。

 結局その日一日お互いの時間がかみ合わず、私と同僚Aは顔を合わすことはなかった。

 まごうことなきク〇ゲーにもかかわらず、なんとなく続きが気になって再開してしまったのが運の尽き。

 気付けば夜も更け縮まる睡眠時間に大慌てで出社する日々に。

 そしてついてないときは重なるもので、数日はかかりそうな外回りの要件が振られてしまったため、同僚Aに愚痴ることも出来ず悶々とすることになった。


 そして十日後、運命の日。

 連日の見事な寝不足と欲求不満、といってもアレがアレしてアレなわけじゃないのよ念のため。

 件のク〇ゲー、えたぱことエターナル・ガーデン・パーティに悪い意味ですっかりハマった私は、明け方意識を失うまで画面とにらめっこ。

 面白いなどとはとても言えず、ただただ公爵令嬢の不遇と不憫と不満をせっせと積み上げただけ。

 このやるせない思いをせめてぶつけねば気が済まないと、同僚Aの元へ訪れました。

 しかし、なんと、同僚Aは今日この日に限って有給かましてやがりました。

 あとで長文恨みごとメッセでも送ってやろうかと思いつつも、仕事に駆けずり回る羽目に。


 「ねむーい、あといっけーん、あつーい」


 5月の日差しは既に初夏どころか、真夏の様相。

 容赦なく私の身体を照りつけてきやがりました。

 あー、アイスコーヒー飲みたーい、生ビール飲みたーい。

 昼間だというのにコーヒーショップで優雅に過ごすお嬢様方に羨望と嫉妬の眼差しを向けながらも、欲望に負けない私エライ!と心の中でぐっと拳を握りしめたり。

 私はふらふらになりながらも本日最後のお客様の元へと歩き続けました。

 いつの間にか、周囲は妙な喧騒に包まれていました。

 まわりを見れば、空を見上げてるひとの群れ。

 皆がなにか口々に叫んでいましたが、私にはよく聞き取れませんでした。

 その時、ポケットのスマホが急に震えました。

 私はスマホを取り出そうとしましたが、眠気と焦りのせいかスマホを落としてしまいました。


 かつんこつん……ころ、ぽて。


 跳ねるように前方に転がったスマホを追いかけました。

 誰かが私向かって叫んだような気がしました。

 上空を指さし、私の方へ駆け寄ってきます。

 その動きが妙にスローモーションで滑稽だったのを覚えています。

 私はゆっくりと空を見上げました。


 「あ」


 次の言葉が声になったかどうかは、もはや私には分かりません。


 「おんなのこだ」


 目の前、つまりは私の真上に女の子。

 制服?学生さんかな。

 綺麗な、そして少しだけ悲しそうな、笑顔が近づいてきた。

 その笑顔が驚きに変わり、そして。  


 ぐしゃ。


 こうして私、岩清水小枝いわしみずこえだの短い一生は、たぶんここで終わったのでした。

 ぽくぽくぽく、ちーん。

 せめて落ちてきた女の子が無事でありますよう。

 ク〇ゲーがゲーム機ごと同僚Aの元に戻りますよう。

 えたぱの全クリぐらいはしておきたかったなあ。

 ついでに、折角だから元彼くたばれ。


 私が——私になる前の私が最後に目にしたのは、歩道に残ったままのスマホに表示されたメッセージありの文字。

 差出人は——元彼。

 うん、元彼マジくたばれ。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 そして、目覚めれば今生。

 かつて岩清水小枝いわしみずこえだであった私の名は——。


 「おーい、ティア!今帰ったよ」


 私はその声に振り返る。

 花が咲き誇るような笑顔で。


 「お父様、お母様、お帰りなさいませ」


 私は声の主に向かって駆けてゆく。

 小さな靴をぱたぱたと鳴らしながら。

 私の名は、レイティア・グランノーズ。

 今現在、グランノーズ公爵家唯一の実子であり長女。

 えたぱことエターナル・ガーデン・パーティの悪役令嬢になる女。

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