1. 朝凪海という女の子(4)

 詳しい予定は改めて朝凪さんから連絡をもらうということで、休み明け。

、アンタ今、なんて言った? おかしいわね、お母さん、耳がおかしくなっちゃったのかしら……念のため、もう一回言ってくれる?」

「聞こえてたろ。言っとくけど、幻聴じゃないから」

「わかってる、わかってるから。お願い、もう一回聞かせて」

「ったくもう……」

 朝、出勤前の母さんに今週末の件について話すと、よほど予想外のことだったのか、口を半開きにさせて驚いている。

「だからさ……その、週末の放課後、友達と二人で外に遊びに行くことになって……それでもうちょっとだけお金増やして欲しいっていう相談、なんだけど」

 食事も外で済ませる予定なので、電車代+食事代+遊び代と考えると、二千円+残り少ないポケットマネーではさすがに心もとない。なので母さんにお願いするしかないわけで。

「今までそんな素振り一切なかったのに……実は悪いヤツに金をせびられてたりとか、そんなんじゃないわよね?」

「違うよ。ちゃんとした人だって」

「イマジナリー的なやつでもなく?」

「なく」

 いきなりの話なので、母さんの心配も当然だろうか。見るからに喜んでくれているのは確かなので、その反応を見ているとなんだかむずがゆい。

 まだ秘密だが、もし、その友達が女の子であることを知ったら、母さんの驚きはいかほどのものになるだろうか。そこは、ちょっとだけ気になる。

「えっと、あ、そう、お金ね? もちろんいいわよ。はいこれ」

「は? いやいや一万て……こんなにいらないよ。あと一、二千円ぐらいあれば十分だから」

「そう? でも、もしおかわりが必要ならいつでも言いなさいよ。そのぐらいなら問題ないんだから」

 これでひとまずお金の問題は解決。後は、朝凪さんからの連絡待ちだ。

 その後、案の定『友達』の情報を聞き出そうとしつこく追及してくる母さんを何とか職場へと追い出して、学校へ行く準備をすることに。

「通学時間にはちょっと早いけど……まあ、たまにはいいか」

 いつもは憂鬱でしかなかった月曜日の朝の時間だが、今はほんの少しだけ気が楽になったような気がする。

 ……俺、現金なヤツだ。

 普段より人通りの少ない通学路をゆっくり歩きつつ、早速、俺は朝凪さんに連絡をいれるべくメッセージアプリを開いた。

 内緒の友達関係を守るため、学校ではまず会話を交わさない俺と朝凪さんの、唯一のコミュニケーションツールだ。

『(前原) おはよう、朝凪さん。今大丈夫?』

『(朝凪) ん。おはよ』

『(朝凪) お金、ちゃんともらえた?』

『(前原) うん』

『(朝凪) あ、ごちそうさまでーす』

『(前原) 割り勘でしょ』

『(朝凪) へへ。とりあえず、また後で連絡するから』

『(朝凪) それじゃ、学校で』

『(前原) うん』

 週末以外は、こんな感じでメッセージをやりとりしている。といっても、用事がある時ぐらいしか送信しないので頻繁にというわけでもないが……まあ、それでも俺にとっては大きな進歩と言えるだろう。

「おはよ夕ちん、ねえ、昨日のアレ見た?」

「おはよニナち~。見た見た! あそこの場面、主人公めっちゃカッコよかったし、ヒロインも可愛かったよね~」

 教室に向かうと、すでに天海さんたちのグループは楽しく談笑している。

 もちろん、朝凪さんも一緒だ。

「ん? あー、ごめん。私昨日はリアタイできなかったんだよね」

「そうなの? 海にしては珍しいじゃん」

「ちょっと調べものしててさ。気づいたら時間過ぎてた」

「調べもの? なんか課題とか出てたっけ?」

「いや、別に出てないけど……まあ、優等生ですから、私」

「うわ出た、朝凪の自慢」

「でも事実だし」

 談笑しながら、朝凪さんが俺に向けて小さくピースサインを作った。

 グループの皆が気づかない程度のさりげないアピールだが、一瞬とはいえ、バレやしないかとドキッとしてしまう。

「? 海、今なにかした?」

「あー、ちょっと腰のあたりがかゆくて。虫さされかな?」

 そう言って、朝凪さんは堂々としらをきる。

 俺に話しかけた時といい、距離の詰め方といい、朝凪さんの度胸は素直に尊敬する。

 と、俺が自分の席についたタイミングでメッセージが届いた。

『(朝凪) ね? バレなかったでしょ?』

『(前原) いや、ギリギリだし。結構ヤバかったんじゃないの?』

『(朝凪) こういうのは度胸だから。じゃ、今週末もそんな感じで』

『(前原) マジで大丈夫かな……』

 正直、今から心配でしょうがない。

 ……それと同じぐらい楽しみでもあるけど。

 そうして、バレた時の言い訳を考えるのに午前中の授業を丸々費やし、昼休み。面倒な授業から一時解放され、ほんのわずかな安らぎを得る時間だ。

「さて、と……」

 学食や購買に急ぐクラスメイトたちの波が過ぎたところを見計らい、俺は霧のように気配を霧散させて教室を後にした。

 早朝のうちに手早く仕込んだ弁当を持って向かったのは、自転車通学の生徒や車通勤の教師たちが利用している駐車場そばに建てられた倉庫の物陰。日中はほとんど人の来ない、俺にとってはオアシスのような場所だ。

「……ふう」

 ここに来る途中の自販機で買ったパックのお茶をストローでじゅるじゅるとすすりながら、秋晴れの白い雲をぼーっと見つめる。

 こうして一人で過ごす時間はいい。朝凪さんと友達になって騒がしくするのも楽しいが、初めての友達付き合いということもあり、気疲れのようなものも同時に感じていたり。

「……ちゃんと朝凪さんの友達やれてんのかな、俺」

 やはり疲れているのだろうか。無意識のうちにふと、そんなことが口に出てしまう。

 もうちょっと気を遣ってゲームをすべきか、俺の手持ちの話題が少なくて、朝凪さんばかりにしやべらせすぎではないだろうか。

 初めてできた友達で、人付き合いの楽しさを教えてくれた恩人。

 だからこそ、この関係を長く維持していくために、もっと上手に付き合っていきたい。

「……ちょっと早いけど、教室に戻るか」

 弁当の残りをお茶で流し込んで、俺は立ち上がった。

 昼休みはあと三十分以上ある。いつもなら時間ギリギリまで一人うとうとしているのだが、今日はなぜだかそんな気になれなかった。

 色々考えすぎなのだろうが、友達付き合いはやっぱり難しい。

 ──で、先輩、どうしたんですか? こんなところで用なんて。

 ──うん。実はちょっと話したいことがあって。

「……ん?」

 教室に戻るために物陰から出ようとしたところで、そんな声が聞こえてきた。声が遠いので誰かはわからないが、男子と女子の二人組で間違いないだろう。

 こんな場所で話がある……となれば、俺でもなんとなく想像がつく。

 出るタイミングを逸して、俺は再び元の場所に収まった。

 偶然居合わせたに過ぎないので俺に非はないはずだが、しかし、こうしているとなんだか盗み聞きしているような気分になる。

「遠回りしてここから離れるか……いや、それだと職員室の前を通り過ぎなきゃいけないし……」

 先生に見つかって一人で何をこそこそしているのかとかれるのも面倒だ。まさか、他人の告白をのぞいていましたなんて言えるはずもないし。

 ということで、身をかがめてじっと息をひそめていると。

「──ほら、こっちこっち。あんまり足音立てると気づかれちゃうよ」

「う、うん……でも、ここ足元が滑って……わひゃっ!?」

 俺が行くのにちゆうちよしたルートからやってきたのか、こちらへと近づいてくる声が。

「ん? あれ? もしかして、前原君?」

「! 天海さん……」

「え? なになに? 夕ちん、その人のこと知ってるの?」

「え? もう、ニナちってば。知ってるも何も同じクラスじゃん。前原真樹君」

 俺の目の前に現れたのは、天海さんとにつさんのクラスメイトの女子二人……だが、どうして二人がこんな何もない場所にいるのだろう。俺が教室を出る時、朝凪さんも含めた三人でそれぞれの弁当を囲んでいたはずだが。

「まあ、なんにせよちょっとどいてもらっていい? そこにいられると朝凪の様子がわからないから。ほら夕ちんもこっち」

「あ……ごめんね、前原君。ニナち、いつもは普通なんだけど、こういう時に限って周りが見えないというか」

「いや、それは別にいいけど……」

 そんなことよりも気になっているのは。

 天海さんと新田さん、二人の後ろから首を伸ばし、話をしている男女二人組を見る。

「朝凪ちゃん、よければ俺と付き合ってくれないかな?」

「…………」

 二人が来た時点で嫌な予感はしていたが、告白を受けている女子は、やっぱり朝凪さんだった。

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