アッシュドスピアは笑えない

スヒロン

第1話 ゲーラーはゲラだから

 ゲーラーは、走った。

 封筒の文面は何度も確認した。

 駆ける、駆ける。

 背の高いゲーラーには、狭くるしい”灰と雪の国”は、走りづらい。

 

 国土面積が狭いのに、人口密集率も大陸一で、名産品の木材や芸術のためのキャンパスがあちこちに置かれているのだ。

「おうい、ゲーラーさん。何かいいことあったか?」

 武官学校の後輩、カリドラが声をかけてくれる。

 このせまっくるしい国には、大体みんな剣や短剣を武器にする者がほとんどだ。

 カリドラはちょうど、路上で裸で水を浴びている所だったようだ。

 フンドシ一枚で水浴び。気持ちよさそうだ。

「何をそんなに慌てて走ってるんです?」

 カリンドラは言う。

「聞いて驚け・・・実は」

 その時、黒髪の端正な顔立ちの女性が、その横を通り抜けた。

 ひゅるるる、と風切り音が鳴る程の素早さだ。

「あっ」

 カリドラが叫ぶと、ふんどしは、女性の起こす風で舞い上がっていた。

「うわー、でかいちんこ! キャッハハ!」

 近所の子供が笑った。

「あ、失礼」

 麗しい黒髪の剣士は振り返ったが、

「ぐっはは! カリドラ! お前、あんな美人にいきなりイチモツを見られて」

「ちょっと先輩。あんまりイチモツと言わないでください! それにこの人は…」

「がっはは! 美人さん、笑ってやってください」

 黒髪の剣士は羞恥に顔を歪めながら、

「こ、この不届きもの! 男児のイチモツを笑いものにするでない!」

と勇ましく言った。

 しかし、ゲーラーは一度笑いだすと止まらない。

「あんたもイチモツと楽しそうじゃないか! がっははは!そもそもあんたのせいなのに…ぐっはは!」

 美貌の剣士は、灰色の剣の柄を握りしめ、

「私は笑いだす者は嫌いだ…これ以上笑うなら」

「待ってください! シズカさん!? 大陸一の剣豪と名高い! 先輩はただ、笑い上戸なだけだ! カンベンしてください。狭い国で、槍ばっかり練習しているので、なかなか士官が決まらないんです!」

 カリンドラは平謝りだ。

「…そうか。まあ、イチモツがさらけだされたのも、私の神速のせいでもある。ヨシとしよう。つまらぬものを、剣の錆にすることもない」

 シズカという女性は、

「どうせ、お前とはもう二度と会うこともないだろうしな」

とゲーラーに言った。

「美人だが、けんかっ早い女だ。しかし、洗練された動きだ。ぷ、くく。言われなくても、あんな性格がキツイのは、家にいる妹だけで十分だ」

「先輩が、士官が決まらないのはその笑い癖のせいなんですからね!」

「それも、今日で終わりだカリドラ! じゃあな、俺はまず妹に報告せねば!」

 ゲーラーは笑いを抑えきれないように、駆けて行った。


 ボロアパートの二階へ上がって、自室にいる最愛の少女に言う。

「やったぞ! 妹よ」

 ゲーラーは体躯を縮めて扉をくぐりった。

 逸る鼓動。

 とんでもないスピードで、心臓を太鼓のように叩いているヤツがいる。

 それは俺、俺の興奮だ。


「あだっ」

 頭を盛大にぶつけた。

「兄さま! そこは兄さまの背丈だと、屈まないといけないと、何度言えば!」

 可愛らしい声がする。


「こんな頭などいくらでもくれてやる! これを見ろ!」

 ゲーラーは、紙を突き出した。


「俺の士官が決まった、ミルカン! 執政官ユリシア様にお仕えするのだ!」

 ゲーラーの視線の先には、水に髪を浸している灰色の髪の少女がいた。

 くるんとしたつぶらな瞳。

 ミルカンは、驚いたように水浴びの手を止めた。

「まあ、お兄様! おめでとうございます!」

 ミルカンの黒髪で、水が弾けた。

「ワッハハハ! お前にも苦労をかけたな。俺が二十一まで士官できないばかりに」

 ずっと、槍の修行だった。

 スピア家に生まれたからには、槍を稽古するだけ。

 この狭い国では、剣の方が有利なのだが、ゲーラーは槍の道のみを求めた。


「苦労などありませぬ。ゲーラー兄さまを信じ続けて参りました故に。トム兄さまは、早々と魔道学の道へと行き、魔道の塔の次席に。そして、カイダム兄さまは、早々と剣に切り替えて、国王の側近に。そうした中で、ゲーラー兄さまだけが、馬鹿の一つ覚えのように槍だけを振るって何年も。まさに『バカの一つ覚え』とはゲーラー兄さまのことです。しかし、私は信じておりました。ゲーラー兄さまの馬鹿っぷりが、報われることを」


「どこか、棘のある言い方に感じるがともかく、決まったぞ!」

「はい。私もこの家に留まった甲斐がありました。トム兄さまの家に行けば、風呂入り放題、カイダム兄さまの家でなら、焼肉食べ放題だという所を、ゲーラー兄さまの槍バカっぷりを見守ろうと決めたのです」


「今日はいくらでもお前の毒舌を聞くぞ」

 ゲーラーは言った。

「けれど、執政室での勤めというのが、少し気がかりです」

ミルカンはそう言った。


「何がだ? この国での問題を、一手にまとめるのが執政官ユリシア様だ。十七歳にしてだぞ」

 天才執政官のユリシアの名は有名だ。

 王族の中からしか選ばれぬ、そして何千ページもの法律を覚え、高い魔術の腕を持つ者のみがなれるのが執政官である。

 王位継承権第七位のユリシアが、十七歳にしてその座についたということは有名である。


「いえ、ユリシア様ではなく、ゲーラーお兄様が心配なのです」

 ミルカンはそう言ってから、


「ゲーラー兄様は、笑い上戸ゲラなんですから」


・・・・


 ゲーラーは髪をセットし、灰色の甲冑を着て赤い絨毯の上を歩いていた。

 重厚な木製のドアを開ける。

「お待ちしておりましたよ、ゲーラーさん」

 その美しい銀髪の少女は光を放っていた。

 比喩や暗喩じゃない。

 執政官ユリシアは、本当に体から光を放っている。

 美しくも温和な顔立ちで、髪はポニーテールに結えてある。

 執政官の黒と白の入り乱れた衣服を着こなしている。

 前もって聞いていた通りだ。

 跪いて、

「ユリシア様! お会いできて、そしてお仕え出来て光栄です!」

 

「まあまあ、面を上げてください、ゲーラーさん。あなたは年上なんですから」

 ユリシアは光を放ったままで、笑った。

「いえ、しかし」

 年下と言っても執政官は、国の最上級職。

 これより上の職は、格大臣と国王その人だけである。

 しかも、ユリシアは王位継承権を持っているのだ。

 しかし、彼女は、

「私は、ただ生まれに恵まれただけの子供。聞けば、ゲーラーさんは、大陸無双の槍術士だとか? 狭い国では不利な槍を極めて、ここに士官してくれた。私はあなたを誇りに思います」

 ゲーラーは、思っていた。

 この命果てるまで、ユリシアを守り続けようと。


「ユリシア様、ゲーラーは確かに強いようですね」

 ユリシアの隣の黒髪の女剣士が言った。

「シズカ?」

 ユリシアはその名を呼んだ。

「私はシズカ・コマチ。東洋の剣士だ! 灰のアッシュドソードの異名をユリシア様から授かった」

 短い茶髪の下からは、ツンとした鼻立ちの端正な顔。


「どうも、高名な剣士、シズカに出会えて光栄だ」

 二度と会いたくないとお互い思ってたはずなんだがな、とゲーラーは思っていた。

「ユリシア様、私はどうも奇妙な噂を聞くのです」

 シズカはそう言った。

「まあまあ、失礼は許しませんよ? 私の新たなる騎士に、何の疑いですか?」

「なんでも、このゲーラー、とんでもない笑い上戸ゲラのため、常に相手を怒らせてしまうとか」

 ぎくり、とゲーラーの胸は鳴った。

「まさか! ゲーラーがゲラなはずがありません! そんな人が、ここへ士官応募にくるはずがない」


 ユリシアは咳ばらいをし、

「この国の執政室の掟は一つ、『笑えば、即処刑』それだけなんですよ! それを知らずに、士官に来るはずがありませんから。ねえ、ゲーラーさん」

 ゲーラーは深くお辞儀をし、

「無論にございます、神聖な事件を裁くこの部屋、笑いはご法度ですからね」

と答えた。

(実は、夕べ妹から教えてもらったばかりだけどな)

 ゲーラーは心中で思った。


 そこに騎士が入ってきて、

「執政官! そろそろ、今日の一人目の”裁き訴え”が来ます!」


 ユリシアは頷き、

「通しなさい! ゲーラー、貴方の最初の任務は、”裁き訴え”を最後まで聞くことと、私の相談役になること。それが灰のアッシュドスピアになる条件です」


 ゲーラーは頷いた。

(今日が人生最後にはさせない。士官まで何年かかったと思っている)

 シズカは、

「ゲーラー噴出した瞬間、切るぞ?」

と、剣の柄に手をかける。

「まさかな、俺がこんな早くに笑うはずが…」


 部屋のドアが開けられた。

「ふんごお! おいらの尻に女房がモップを突っ込んだんでふんご! 取れないでごおお! おいらの浮気を勘違いした女房が、尻にふんごおお!」

 ピエロの恰好をした、お腹たぷたぷの中年の男が、妙なしゃべり方で尻の穴にモップを突き刺した状態で走ってきた。


「ぶっ、ぐほおおおっ! ぐはははは! げっはは!」

 ゲーラーは盛大に噴出していた!

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