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 死が間近となったなら、それを厭うて目を背けるよりも先に、聞かねばならぬ事がある。

「アイレナは、一体どこで眠りたい?」

 即ち、どこで最期の時を迎えるか。

 多くのエルフは、自らが生まれた森を出る事もなく、その森で、自分が愛した木の下で死を前にした時を過ごす。

 長い睡眠と、少しの覚醒時間をそこで過ごして、穏やかに死を迎えたならば、その木の下に埋められるのだ。


 しかしアイレナは、もうずっと以前に自分が生まれた森を出て、長く人間の世界に生きてきた。

 だからどこで最期の時を過ごし、どの木の下に眠るのか、彼女の望みを聞く必要がある。

 例えば最期の時は白の湖の前がいいと言うなら、ヒイロに乗って連れて行こう。

 その後に故郷の森で地に還りたいなら、僕が運ぼう。

 アイレナの死が近付いてる事を厭うよりも前に、彼女を思うならば、最期の願いを確認し、叶える必要がある。


 そう考えていたのだけれど、アイレナは首を横に振って、

「いえ、ここが良いです。土の上よりも、ベッドの上の方が気持ちいいですから。それにここの方が、エイサー様と最期までゆっくり過ごせます」

 なんて風に言った。

 エルフらしさとは無縁の物言いに、僕は思わず笑ってしまう。

 土の上よりもベッドの上の方が気持ちいいって、そりゃあそうだろうけれど、エルフとしては身も蓋もない。

 ただ、バタバタとあちらこちらに行かないのなら、アイレナとゆっくり過ごせるのは事実だ。


「埋まるのも、林の木を、エイサー様が選んでください。長く過ごしましたから、私はこの島が好きです」

 森ではなくこの島の、そんなに大きくない林の木々の下に彼女は埋まると言う。

 それは全くエルフらしくはない希望だけれど、……でもアイレナらしくはあるのかもしれない。


 あぁ、僕もこの島は好きだった。

 彼女がこの島で過ごしたのと同じ時間だけ、僕もこの島で過ごしてる。

 いやまぁ、一人で出掛ける事も多かったけれど、この島を拠点とした時間は同じだ。

 アイレナがここで眠りたいと言うなら、僕がそれに反対する理由はないし、……一緒に過ごした時間を大事に思ってくれている風に感じて、嬉しい。


 ここでいいなら、後はもう、ゆっくりとその時が来るまで、普通に過ごすだけだった。

 僕らはお互いにもう随分と長く生きてるから、今のうちにしておかなきゃならない事なんて、もう特に残ってはいないから。

 他愛のない話をして、食べたい物を食べて、少しでも長く一緒に居て、その時間を大切に過ごすだけである。



「次の生があるとしたら、アイレナは何になりたいの?」

 アイレナが起きてる時を見付けて、戯れにそんな事を聞く。

 僕が前世の記憶を持ってたって話は、実は彼女にはしてる。

 それは南の大陸を支援に行きたいって話した時に、どうして彼の地が焼けたのかを説明し、僕とその原因になったサピーと呼ばれたハイエルフが、前世の記憶を持っていた事も教えたのだ。


 以前なら決して口にしなかった前世の記憶の話だけれど、ハイエルフには時折だがそうした者が生まれるって、サリックスに聞かされたから。

 僕はこの世界の異物じゃないと知って、それを口にする事ができるようになった。

 まぁそれでも、アイレナに話す時はかなりの勇気が必要だったけれども。

 だが彼女は、ごく普通に僕の話を受け止めて、むしろ納得がいったという風に頷いてたっけ。


 そう、確か……、

『だからエイサー様は変わり者なんですね』

 なんて言葉を口にして。

 あぁ、もう随分と懐かしい。


 アイレナは長く生きて誰かに置いて行かれる事を恐れてたから、次の生があるとしたら、人間を選ぶんじゃないだろうか。

 人間としての短く密度の濃い時間を懸命に生きて、誰かと燃えるように愛し合い、子を残して老いて死ぬ。

 それが彼女の理想だろうと、僕は思ってた。


「そうですね。物凄く贅沢で、不敬な事を言いますが、次があるなら私もハイエルフとして生まれたいです」

 しかしアイレナの答えは、まるで模範的なエルフのようで、あぁ、いや、模範的なエルフは不敬だと思った上でハイエルフになりたいとは言わないか。

 ただそんなエルフらしい憧れを含んだ答えが返ってくるなんて、少しばかり予想外だった。


「だって、ハイエルフになったら、精霊になったエイサー様にあれこれ頼み事をできるでしょう? それって、凄く楽しそうです」

 でもアイレナはやっぱりアイレナだ。

 続く言葉に、僕は大いに笑ってしまう。

 そうかもしれない。

 今回の生では、僕がアイレナに頼み事をしっ放しだった。

 時には逆のケースもあったけれど、まぁ比率としては圧倒的にアイレナに助けて貰ってる。


 そっか、確かにアイレナがハイエルフになったら、僕が精霊として頼み事をされるかもしれないのか。

 あぁ、それは凄く面白い。

 エルフとしては飛び抜けて優秀だったアイレナの魂なら、次の生がハイエルフでも、決しておかしくはないだろう。

 もちろん可能性は小指の爪先程もない話だが、零でないなら妄想するくらいは許される。


「それは楽しそうだね」

 僕が笑いの止まらぬままに、目尻の涙を拭ってそう言えば、アイレナも笑みを浮かべて頷いた。

 本当に、そんな事があればいいのに。


「じゃあ、どんな事をお願いするか、今から考えておかないといけませんね」

 そう言って彼女は、また少しばかり眠る為に目を閉じる。

 徐々に、眠る時間は増えて行く。

 だけど僕らに、恐れはない。


 それからもアイレナは眠っては目覚めを繰り返し、やがて眠ったままとなって死んだ。

 心揺さぶるようなやり取りはなく、涙もなく、ただ穏やかな時間だけを過ごして、アイレナは逝った。

 彼女の身体は、その言葉通りに島の林に深く埋める。

 林の木々に、アイレナの眠りを守って欲しいと、そう伝えて。

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