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 それから更に二年が経ってパドウィンは十四歳に、僕が六百二十歳になった年。


「エイサー様、ラドレニアのカウゼル法王から返事が届きました。委細承知した。これより教会は件の神術を宿せし者に対しての一切の手出しはせず、エルフのキャラバンが所有する地の民に対する能力開発にも協力するとの事です」

 待っていた決着が、ようやくついた。

 それも、およそ望みうる最良の形で。

 少しはごねられるかとも思ったけれど、上手くいったなら何よりだ。


 パドウィンを執拗に狙っていたのは東中央部で、或いは今や北の大陸でも最大の宗教組織となった、豊穣神を崇める教会だった。

 とはいえ、教会の全てがパドウィンを狙っていたという訳ではない。

 以前にも、といっても随分と昔の話になるけれど、僕に彫刻を教えてくれたマイオス先生が、大理石の輸出を巡って脅かされた騒動の原因が、教会内の派閥争いにあったように、豊穣神を崇める教会といっても一枚岩ではないのだ。

 特に今ではライバルのクォーラム教が消えた事で、西中央部も教会が手中に収めているから、当然ながら内部の派閥はあの頃よりも増えている。


 今回、パドウィンを狙っていたのはシンセック大司教という、西中央部を統括する三人の内の一人を担いだ派閥だった。

 正直、僕は教会内の派閥に関してはあまり興味がないので細かい事はさておくが、まぁそれなりの大物だろう。

 シンセック大司教がパドウィンをどんな風に扱う心算で欲したのかはわからない。

 単に強力な神術の使い手を教会の外に置いておきたくなかったのか、自身の出世の為に利用したかったのか。


 しかしいずれにしても、この数年間で証拠を残さぬようにはしつつも、幾度となく後ろ暗い手を講じてきた事から、僕はシンセック大司教の排除を決める。

 けれども今回は、以前ビスチェーア大司教の権威を失墜させた時のような手は使わない。

 教会内の事は、教会内でケリを付けて貰う。

 その為に狙いを付けたのが、教会で最も大きな権力を握る人物、カウゼル法王だ。


 もちろんカウゼル法王とて、パドウィンに手を出さないで欲しいと言われたところで、はいそうですかと頷いてくれる筈はない。

 そもそも神術の使い手を教会内で管理したいのは、カウゼル法王だって同じであろう。

 故にカウゼル法王にこちらの望みを聞いて貰う為には、彼が大いに喜ぶであろう贈り物が必要だった。


 贈り物は二つ。

 一つはエルフのキャラバンからで、もう一つは僕からだ。


 エルフのキャラバンからの贈り物は、カウゼル法王が率いる派閥への協力。

 教会で最大の権力者であるカウゼル法王にも、敵はいる。

 その敵を排除、または牽制し、自分の権力を保つ為には、巨大な商会であるエルフのキャラバンの協力は、喉から手が出る程に欲しいだろう。


 そして僕からの贈り物は、カウゼル法王が身に付けられる宝冠だった。

 ちなみにその宝冠の製作者は、全てのドワーフが認める、ドワーフの王に並ぶ名工という事になっている。

 少しばかり大仰な肩書きだけれど、……東中央部のドワーフの国では一応そういう扱いだし、半分くらいは嘘じゃない。

 時間と労力を惜しみなく注いだ品だから、実際にドワーフが見ても認めてくれるだろうとは思う。


 また、宝冠の地金の中には、擦って小さくなった黄金竜の鱗の欠片を埋めてある。

 その為か、この宝冠は不思議と人の目を集める、強い威厳を纏う品となった。


 長らく東中央部は争いが絶えず、それを仲裁できない教会は、権威の低下を囁かれている状態だ。

 たとえ西中央部を手中に収めようと、地盤である東中央部が揺らぐようでは、西中央部の教会組織が現地で分派、独立を試みかねない。

 しかしこの宝冠は、法王が身に着けて活用できれば、低下した権威を補えるだけのポテンシャルを秘めている。

 仮にも法王となれた人物ならば、宝冠を一目見ればそれを理解しただろう。


 正直、小さな欠片とはいえ黄金竜の鱗を使うかどうかは悩んだが、それでパドウィンの、若者の未来が買えるなら、決して高い対価ではないように思えたから。

 それに、教会の権威が補われたなら、東中央部の状況も少しは穏やかになるかもしれないし。


 まぁこの二つの贈り物で、カウゼル法王はエルフのキャラバンからの要求を全て飲むとの返事をくれた訳である。

 一体、どちらの贈り物をより気に召したのかはわからないけれど、パドウィンが狙われる事はなくなり、エルフのキャラバンも神術の使い手を育成し、雇用できる可能性が出てきた。

 尤も神術の使い手の育成や雇用に関しては、仮に教会に拒まれても、西部の獣人を頼るって手段もあったのだけれども。



「あの、エイサー様、一つ聞いてよろしいですか?」

 僕が結果に満足して、少し良いワインを開けようとしてると、ふとアイレナが問うてくる。

 当然、僕がアイレナからの問い掛けを拒む筈もない。

 大体、何を聞いてくるかも想像はつくし。


「どうしてエイサー様は、以前のように、教会に対して力をお使いにならなかったのですか?」

 頷いた僕に発せられたアイレナの問い掛け。

 恐らく彼女も、僕がそうしなかった理由くらいは察しているとは思う。

 だがそれでも問うてくるのは、酒の肴の会話のネタであり、答え合わせのようなものだ。


「まぁ、理由は二つだよ。一つは教会の権威がまた下がったら、争いが大きくなるかもしれないでしょ」

 答えながら、僕はワインを二つのグラスに注ぐ。

 グラスは西部から運ばれて来た品で、結構お高い代物だ。

 僕も普段は雑に扱える木のジョッキで気楽に酒を飲む事を好む。

 でも今日のワインは、このグラスで飲みたかった。


 争いを止める側である教会の権威の低下は、争いが大きくなる事に繋がりかねない。

 人間は争う生き物で、それはもう仕方のない話である。

 けれども僕の行動が原因で争いが大きくなり、人が死んでしまうかもしれないのは、どうしたって気分が悪いだろう。


 以前、僕が教会に対して力を振るった時は、東中央部の争いは終わってた。

 けれども今は、そうじゃない。

 これが僕が教会に対して力を振るわなかった理由の一つだ。


「それからもう一つは、……パドウィンの未来を、力で買う真似はしたくなかったんだよ。或いは力で奪いたくもなかったんだ」

 グラスに口を付けてワインを飲み、僕が笑ってそう言えば、アイレナも笑みを浮かべてグラスを傾ける。


 パドウィンの未来を勝ち取る為に、暴力は似合わない。

 これが二つ目の理由であった。

 それに万一、パドウィンが何かの切っ掛けで信仰心に目覚め、教会に属する事を決めたとしよう。

 仮に僕が力を振るって教会に要求を突き付けていたら、当然ながらパドウィンの立場は悪くなる。


 気の回し過ぎと言われればその通り。

 パドウィンが教会に属する可能性なんて、小指の爪先程にあるかないかといったところだろう。

 でもそんな小さな可能性であっても、僕はパドウィンから奪いたくなかったから。

 だからあの宝冠を作ったのだ。

 パドウィンの未来を買う為の仕事は、中々に楽しくてやりがいがあった。


 もう一年もすれば、パドウィンは一人前の大人として扱われる。

 僕が彼に何かをしてやれる事も……、あぁ、何か好きな武器を打ってやるって約束はあるか。

 まぁそれくらいだろう。

 随分と深く関わったが、それでもパドウィンは、単なる隣人、顔見知りの子供だ。

 大人になれば、あれやこれやと世話を焼くような真似はしない。


 僕はこの結末に満足で、今日飲むワインは美味かった。

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