356
「改めて、私は今、聖鷲道士を名乗っています。本日は父様、母様、それからエルフのキャラバン代表者、ケイレル様を長蛇公の下へご案内するよう仰せつかりました」
一つ咳払いしてから、僕らが知らぬ名を改めて名乗り、ソレイユは両手を胸の前で組んで、頭を下げる。
どうやら彼女は、僕らを案内する為に長蛇公に遣わされたらしい。
あぁ、それは実に気の利いた計らいだ。
今回、僕とアイレナが黄古帝国を訪れたのはケイレルに乞われ、長蛇公との会談に同席する為だったけれど、ソレイユに会えるかもしれないと内心では期待してた。
でもまさか、こんなにも早くそれが叶うなんて思わなかったから。
そう手配してくれた長蛇公には、自然と感謝の念が湧く。
恐らくはそれが目的なのだろうとわかってはいても、長らく会っていなかった家族との再会の喜びには、どうしたって勝てやしない。
それからソレイユが手を三度叩いて鳴らすと、通りの向こうから立派な鞍を付けた三頭の大きな馬がやって来て、僕らの前に並ぶ。
不思議な事に道行く人々はその馬に気付いた様子を見せず、なのに道を遮ったりもせずに避けていく。
またどうしてだろうか、その三頭は、三頭ともがジッと僕の顔を見詰めてた。
うん、可愛い。
思わず手を伸ばすと、三頭ともがその手に頭を擦り付けようとして、牽制し合うように止まる。
あぁ、ホントに可愛いな。
だから僕は大きく前に出て両手を広げ、右手と左手でそれぞれの端の馬を撫で、真ん中の一頭には顔に頬を寄せた。
もちろんこんなの、初めて会う馬にやる事じゃないのだけれど、何故だかこの三頭には、そうしても大丈夫な気がしたから。
この三頭はそれぞれ、毛色も違う。
白、黒、黄色がかった茶色。
なのに何故か、この三頭からは皆、覚えのある匂いがする。
そう、これは、……僕が以前に乗ってた馬、サイアーの匂いだ。
三頭ともが、勢いで僕を押し倒してしまわないように遠慮がちに、でも嬉しそうにその身を擦りつけて来た。
実に賢い。
僕は暫く彼らを受け止めてから、振り返ってソレイユに問う。
「ねぇ、ソレイユ、この子達って……」
確信はあった。
だけどそうなのだと、聞かせて欲しい。
「うん、父様が連れて来たっていう仙馬の子孫だよ。でも困ったな。この子達、普段はこんなじゃないんだけど、どの子が父様を乗せるかで揉めそうよね……。馬車を用意するから、それを牽いて貰おっか」
そうか。
やっぱりそうか。
僕はソレイユの言葉に頷いて、三頭の馬を順番に撫でる。
「じゃあ御者は、僕がやるよ。いや、僕がやりたい。道案内は、お願いしたいけど、いいかな?」
これは案内される客としては非常識な、案内する側には困るお願いだろう。
しかしそれをわかっていても、僕はもう少しこの三頭の馬と接したかった。
……あと、馬車を使うとなると御者台か屋根に乗らないと、僕は酔ってしまうし。
用立てて貰った馬車の御者台に腰掛け、馬達を歩かせる。
いや、歩かせるといっても、殆ど何もせずとも三頭の馬は思った通りにスルスルと動いてくれるから、僕は時折声を掛けるくらいしかしていない。
ソレイユが用意した馬車は前方が開けており、進行方向に正面を向けて座れるように客席が付いていた。
これならもしかすると、僕も客席に座っても酔わなかったんじゃないだろうか。
尤も、折角サイアーの子孫と触れ合えてるのに、わざわざ馬車の中に入ってそれを試そうとは思わないけれども。
そのまま僕がソレイユの道案内に従って馬達を歩かせ、港町を出ようとすると、
「一体、どこに行かれるのでしょう? 長蛇公が会談に使われている官衙は町中にあった筈ですが……」
ケイレルが疑問を口にする。
あぁ、そうなのか。
どうやらケイレルは、これまでにも幾度か、長蛇公と会った事があるらしい。
故に今から向かう場所が、これまで会談に使われた場所と違うと気付き、警戒心を抱いたのだろう。
「えぇ、普段の会談は、長蛇公は港町の官衙を使われています。……ですが今回、キャラバンの方々は黄古帝国にとって最も重要な客人をお連れになられましたので、長蛇公は官衙ではなく、ご自分の庵に招くと申されております」
でもソレイユが、僕やアイレナに対する物とは違う、丁寧な言葉でケイレルの疑問に答えを返す。
……まぁ、その客人とは間違いなくハイエルフ、黄古帝国の仙人達の言葉を借りるなら真なる人である僕の事だった。
何だかソレイユが仙人の側に立って、僕を重要な客人だなんて風に称するのが、違和感を感じてたまらない。
今の彼女の立場を考えれば仕方のない話だけれど、何となくあんまり面白くないと思ってしまう。
ただ僕の個人的な感情はさておいても、ケイレルが長蛇公との会談に同席させようと僕を連れて来たのは、もしかすると失敗なんじゃないだろうか。
今回の会談は、エルフのキャラバンの代表者であるケイレルと、青海州の統治者である長蛇公との会談だった。
なのに今の流れでは、黄古帝国の仙人として僕を迎える事に重きが置かれてる。
このままだと、エルフのキャラバンの外側にいる僕と、長蛇公の会談になりかねない。
もちろん頼まれて黄古帝国まで来た以上は、取り成しくらいはするけれど、僕とエルフのキャラバンの利害は多くの場合一致するが、それでも部外者である事に変わりはないのだ。
長蛇公との舌戦を行ってまでエルフのキャラバンの利益を追求する立場かと問われれば、決してそうではなかった。
けれどもこんな時に頼りになるのは、やはりアイレナである。
「エイサー様は、長蛇公への取り成しと会談の同席はするけれど、話があるのはこのケイレルなの。それに私達が来た理由の半分以上は、もしかするとソレイユ、貴女に会えるかもって思ったからよ」
ちゃんとこの一行の主役は、僕じゃなくてケイレルである事を強調した。
この辺りは、やっぱり元々はエルフのキャラバンを率いてただけあって、単に困ってるだけの僕よりも対処が上手い。
まぁケイレルも大きな組織の代表だから、放っておいても自分でどうにかしたのかもしれないけれども、アイレナは自分の後継者を手助けしてやりたかったのだろう。
「はい、母様。あの、もしよければ、会談が終われば一緒に町に出ませんか? 母様にも、この国の服を試して貰いたいんです」
その言葉に頷いたソレイユは、それから遠慮がちにアイレナを買い物に誘ってた。
遠慮がちなのは、やっぱり久しぶりに会ってるからだろうか。
喜びの感情は胸に満ちれど、それを素直に言葉に出すのは難しい。
だけど表情を見れば、その気持ちはちゃんと伝わる。
ただ少しだけ面白く思うのは、パンタレイアス島に居た頃はアイレナの仕事を手伝う事も多かったソレイユは、エルフのキャラバンの内情にもそれなりの知識があるだろう。
もしも仙人の道を選ばなければ、恐らくエルフのキャラバンの仕事に携わって糧を得ながら生きてた可能性が高かった。
けれども今、ソレイユが立つのは長蛇公の側だ。
縁とは、本当に不思議な物である。
ケイレルは、僕とアイレナの家族だからか、ソレイユに対して遠慮がちな様子だが……、もしかすると今のままでは、長蛇公に会う前に、ケイレルはソレイユに足元を掬われてしまうかもしれない。
そうなった場合、僕はソレイユを褒めてやるべきなのだろうか。
僕が少し考えこんだからか、馬達は速度を緩め、チラチラとこちらを振り返る。
どうやら心配をさせているらしい。
まぁ、なるようにしかならないし、考え込んでも仕方ないか。
どの道、僕には商人、役人、貴族、そういった人種の会話の機微はわからないのだ。
遠く離れていても家族であるソレイユが仕事を頑張ってるなら褒めるし、ケイレルには求められた通りに長蛇公との会談に同席して、多少の口添えもするとしよう。
僕には、そのくらいしかできやしないのだから、できる事をすればいい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます