三十六章 最も金に詳しい人
353
更に三十年程が経ち、僕が五百三十二歳になった夏の事。
「エイサー様、何卒、我らと長蛇公の会談に同席をお願いしたく……」
パンタレイアス島を訪れて、僕に深々と頭を下げたのは、一人のエルフ。
名はケイレルといい、今はエルフのキャラバンの代表者を務めている人物だ。
つまり簡単に言えばアイレナの跡を継いだエルフなのだけれど、僕は彼の事を、実はそんなに良く知らない。
もちろんアイレナがまだキャラバンの代表者だった頃、その補佐をしていたケイレルとは何度か顔を合わせてる。
ただその時も、他のエルフのように僕と親交を持とうと、何かと話しかけてきたりはしなかったから。
逆に印象には残ってるけれど、人柄を詳しく知る機会はなかった。
そしてケイレルが代表者になった後も、僕はエルフのキャラバンとは何度も関わってるけれど、当然ながら彼はとても忙しい。
何しろ北の大陸の全土、あぁ、最近では南の大陸も復興してきて固有の香辛料等が産出されるようになったから、エルフのキャラバンが交易する範囲は世界中に広がっている。
またそんな組織に、碌に商売に関する知識もないのに、ハイエルフという権威だけはある僕が口を出せば、彼らを無駄に混乱させてしまうだけだ。
だから僕は、エルフのキャラバンに用事がある時も、彼らをよく理解しているアイレナを通していて、直接的に関わる事は殆どなかった。
なのに今、そんなエルフのキャラバンの代表者であるケイレルは、僕の前で頭を下げたまま、返事を待って動かない。
どうやら、余程の事情があるのだろう。
……それにしても、長蛇公か。
「そうだね。エルフのキャラバンには何度もお世話になってるから、別にそれくらいは構わないけれど……、でも、やっぱりまずは詳しい事情を聞かせて欲しいな」
東部で最大の国、黄古帝国。
あそこは仙人達が支配、統治する国である。
黄古帝国でも東に位置する、海に面した青海州は、商業の発達した豊かな場所だ。
その青海州を統治する仙人が長蛇公であり、彼は恐らく、この世界では最もお金を理解してる個人だった。
エルフのキャラバンと長蛇公が会談をするとなれば、それはもう、確実に商売、お金の話になるだろうから、僕は門外漢も良いところである。
なのに何故、ケイレルは僕の同席を求めるのか。
理由がわからなければ、幾ら何度も世話になってるからといっても、怖くて安易には頷けない。
そりゃあエルフのキャラバンも、長蛇公も僕を罠に嵌めるような相手じゃないけれど、自分が求められる役割が何であるのか、把握くらいはしておきたいから。
僕が引き受ける前提で問うている事は察したのだろう。
頭を上げたケイレルは僕を真っ直ぐに見据えて、少し眩しそうに目を細めた。
……エルフには、ハイエルフが光って見えると言うけれど、そんな風な反応をされたのは初めてで、少し戸惑う。
「ありがとうございます。ご存じの通り、我らキャラバンは海洋貿易に関わり始めた当初から、エイサー様のご縁で黄古帝国と大きな取引を行う事ができました」
ケイレルが口にしたそれは、少しばかり懐かしい話だった。
エルフのキャラバンが一気に大きくなったのは、活動の場を東中央部から他の地域にまで広げたあの時だ。
それまでは本当にその名の通り、エルフしか所属していないキャラバンだったが、人間の船乗りを雇い、人間の商会を傘下に収め、ヴィレストリカ共和国の名家の一つを吸収して、規模が何倍どころじゃなく膨れ上がってる。
しかしエルフのキャラバンが、それでも同胞の為の組織であるという本質を変えずに成長できたのは、ひとえに代表者であったアイレナの手腕と、彼女を補佐したエルフ達の結束力の賜物だろう。
確かにあの時、僕は色々と伝手を紹介したっけ。
ただその伝手も、僕には活かせなかった代物で、それを活かせたアイレナとエルフのキャラバンが、凄かったんだと思うけれども。
「これはキャラバンが拡大した大きな原動力であり、今なおキャラバンを支える柱の一つとして重要な位置を占めています。……ですがここ数年ですが、黄古帝国側がキャラバンとの取引の規模を徐々に縮小し始めたのです」
あぁ、でも納得した。
それで長蛇公か。
黄古帝国との取引といっても、その窓口は青海州だ。
ならば取引規模の縮小も、長蛇公の意思が絡む可能性は非常に高い。
故にケイレルは僕に、以前に伝手を紹介した時と同じように、長蛇公への取り成しを期待しているのか。
なるほど、まぁ、それならば、僕が動く事に然したる問題はないだろう。
幾度も世話になってるエルフのキャラバンに、多少の恩を返せるならば、黄古帝国に足を延ばすのも悪くはなかった。
もしかすると、彼の地でソレイユに、僕とアイレナの血の繋がらぬ家族とも、再会できるかもしれないし。
でも一つだけ気になるのは、長蛇公はエルフのキャラバンとの取引を縮小したなら、僕が動くとの予測は最初からしている筈。
だとすれば、僕が動く事が必ずしもエルフのキャラバンの利に繋がるとは限らない。
青海州を統治する長蛇公は金儲けが得意だと、他の仙人は言っていた。
しかしその金儲けは、蓄財を意味する言葉じゃない。
長蛇公が本当に得意とするのは、価値の操作だ。
金、物、情報、人、命。
この世界に存在する全てには、何らかの価値がある。
そしてその価値は、決して一定しない。
例えば金は、この東中央部で流通する金貨をそのまま黄古帝国に持ち込んでも、価値を低く見られてしまう。
足元を見られている訳じゃなくとも、流通してない金貨を渡されても、向こうの住人にしてみれば扱いに困るのだ。
もちろん地金そのものに一定の価値があるから、全く使えない訳ではないけれど。
道端に落ちた馬の糞だって、それに集る虫には意味がある。
またこれが大草原に生きる民ならば、それを乾かし燃料に使っていた。
戦争が起きるという情報は、早めに知れれば食料や武器を仕入れて大きな儲けを得られるだろう。
時間が経って戦争が起きれば、既に食料も武器も値上がりしていて、儲けに繋げる事はもう難しい。
今の北の大陸では、エルフは発言力もあり、多くの場所で丁寧な扱いを受けられる。
しかし二、三百年前までは、エルフが奴隷にされる事も珍しくない地域があった。
命だって同じだ。
平和な時代は命の価値が重く、戦争が起きれば軽くなる。
それが正しい、間違っているという話ではなく、どうしてもそうなってしまう。
長蛇公はこれら全ての価値を把握し、操作するのが得意な仙人らしい。
だとすれば、エルフのキャラバンとの取引を縮小した事も、決して無意味ではない筈なのだ。
尤も、それでもその真意を確かめる為には、実際に会ってみるより他にないけれど。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます