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 子供の成長の面白いところは、できる事がどんどんと増えていく事だ。

 昨日までは僕らの手を借りなければできなかった何かを、今日は気付けば一人でやっている。

 そんな事が何度もあって、そしてその度にソレイユの世界は少しずつ広がって行く。

 

 ソレイユが六歳になったある日、彼女はまた一つ、自分の世界を広げようとした。

 恐らく以前から興味を持ってはいたのだろう。

 朝、僕が起きた後に日課として行っている剣の修練を、ソレイユは度々眺めていたから。


 でもその日、彼女はどこから持って来たのか、自分の腕の長さ程の棒切れを手にやって来て前に立ち、僕の動きを真似てそれを振り始める。

 実に不器用に、不格好に、でも一生懸命に。


 多分、きっとそれはほんの気紛れなのだろう。

 僕が前々から何をしてるのかが気になっていた。

 丁度良さげな棒切れを見付けた。

 だから少しだけ早起きして、僕の真似をしてみてる。

 一体、これの何が楽しいんだろうと思いながら。


 さて、僕はどうしようか。

 そんな事をしなくてもいいと言っても、それはそれで構わない。

 だって精霊を見る目を持つソレイユは、剣を握らずとも自分の身を守れる。


 或いは、そうじゃなくてこう振るんだよと、教えても構わない。

 僕は剣を振って過ごした時間はもう随分と長いが、剣を誰かに教えた時間もそれなりに長かった。

 正しい剣の振り方を教える事はできるし、妙な癖がつく前の、最初の教えは割と重要である。

 だけど少し興味を持っただけの今、正しい剣の振り方を教えられて、果たしてそれは楽しいのだろうか?


 僕はそんな事を考えながら、一番わかり易い振り方を、ゆっくりと見易く繰り返す。

 するとソレイユはやっぱり僕を真似て、不思議そうに、それから不満そうに首を傾げた。

 どうやら、僕と同じように振れないのが、不思議だし不満らしい。

 あぁ、だったら、少しだけ教えてみようか。


 僕は剣を握るところから見せて、持ち方が違う事を、言葉には出さずに指摘する。

 所詮は棒切れであっても、きちんと持てば多少は振り易くなるだろう。


 それから僕がもう一度剣を振れば、ソレイユも同じように剣を振って、先程との違いに驚いた顔をした。

 何だか、少し楽しそうだ。

 さて、次はどうしようか。

 続けたいのであれば彼女の身体に合った大きさの木剣を用意するけれど……、剣の修練は、地味だし楽しい事ばかりじゃない。


 具体的にはまず遠からず、手の皮が剥けて痛くなる。

 いやまぁ、その前に飽きるかもしれないけれど。

 興味を持ってくれるのは嬉しいが、剣の修練をソレイユに楽しませてやれる自信はあまりなかった。


 ……そういえば、ウィンは何で剣を、ヨソギ流を学んだのだっけ?

 思い返せば、ウィンが剣を握るようになったのは、周囲の皆がそうしてたからだ。

 カエハも、シズキもミズハも、道場の弟子達も、カエハの母であるクロハを除けば、皆が剣を振っていた。

 そんな環境にあったからこそ、ウィンもまた、何の疑問も抱かずに剣を握ったのだろう。


 でもここはそうじゃない。

 剣を振るのは僕一人だ。

 さて、僕は一人で、ヨソギ流の道場のような、自然と剣を握らせる環境をつくれるのだろうか。


 いや、まぁ、そんな事を考える時点で、僕はソレイユに剣を、ヨソギ流を教えたくなっている。

 単に途中で飽きられたり、嫌がられてしまうと悲しいから、予防線を張ってるだけか。


「ソレイユ、とりあえず、その棒を振り回してるとすぐに手が痛くなるから、先にちゃんとした木剣を作ろうか」

 僕が手を止めてしまった事で、同じく止まったソレイユから棒切れを取り、手の具合を確かめた。

 すると褒めて欲しかったのだろうか、彼女は僕に抱き着いて来たので、頭を撫でてから抱え上げる。

 最初の頃に比べれば、随分と重くなった。


 人間の成長は、本当に早い。

 あと何年かしたら、こうして抱き上げる事も嫌がるようになるだろう。

 いや、あと何年かどころか、明日にだってそうなるかもしれない。


 それは実に寂しいが、どうしようもなくて、同時に喜ばしい事であるとも、僕は既に知っている。

 これまで何度も、多くの人の成長に関わってきたから。


「父さま、手、もう痛い」

 僕に抱き上げられたソレイユは、自分の掌を確かめて、少し悲しそうな声を出す。

 そりゃあそうだ。

 何しろ彼女がさっきまで振り回してたのは、持ち手も整えてない本当に単なる棒切れだもの。

 当然の結果ではあるけれど、それでもやっぱり可哀想に思う。


「そうだねぇ。剣の練習をしてると、最初の頃は手も痛いね。慣れてくると身体も強くなって、そのうち平気になるんだけど、もうやめとく?」

 別に無理をする必要はない。

 剣で身を守らなくても、他に手段はあった。

 精霊だって助けてくれる。

 いやむしろ、別に身を守る力がなくたって、生き方は幾らでもあるのだ。


 けれどもソレイユは、少し考えた後に首を横に振り、

「今日はもう嫌だけど、また明日、父さまと一緒にやるの」

 自分の望みを主張した。


 なるほど、どうやら彼女は、僕と一緒に剣を振りたいらしい。

 あぁ、学び舎に通うようになって、ソレイユにも友達ができたそうだ。

 今ではあの鷲以外にも、他に遊び相手が増えて、その分だけ、僕やアイレナと過ごす時間は減っていた。


 だからだろうか、恐らく彼女は僕と一緒に何かをしたいのだろう。

 別に剣でなくともいいから、何かを。


 うぅん、だったら精霊術、精霊に助力を頼むやり方を教えるのでも良かった気はするけれど……、あぁ、でもその役割は、アイレナに任せた方がいいかもしれない。

 アイレナなら、人間であるソレイユにだって、上手くそのやり方を教えられるだろうし。

 その役割は譲ってあげよう。

 僕にはわかり易く剣の修練の時間があったが、アイレナと一緒にやる何かを、ソレイユが見付けるのは少し難しいかもしれないし。


 何度も繰り返しになるけれど、人間の成長は本当に早い。

 ソレイユはどんどん何かを身に付けて、自分の世界を広げていく。

 昨日よりも今日、今日よりも明日、彼女の世界は確実に広かった。

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