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夕方近くまで粘ってどうにか夕食分の釣果を得た僕は、釣竿を担いで家への道を急ぎ足に歩く。
別に陽が沈んでも夜目の利く僕は歩く道には困らないけれど、今日は夕食を作る予定だから、アイレナが既に帰っていたらお腹を空かせているかもしれない。
尤も夕食を作るとは言っても、そんなに手の込んだ物にはならないけれど。
アイレナはエルフのキャラバンの仕事が忙しく、僕も鍛冶なり何なり、やる事は色々とある。
だから普段は人を雇って家事を頼んだり、港の酒場や料理店に出掛けて外食したりしてるのだけれど、時折こうして、相手の為に自分の手で料理を作りたくなる日が、互いにあった。
もちろん純粋に美味しい物が食べたいならば、専門の人を雇ったり、外食するのが一番だ。
僕も肉の焼き加減にはそれなりに自信があるが、味で人を喜ばせる事を生業にしてる専門家は、やっぱり別格である。
でもそうじゃなくて、時々なら、相手の事を考えながら食材に向き合ってみる時間も、それはそれで楽しく思う。
まぁ、これが毎日ともなると、日々の忙しさに押し潰されて、或いはそれが当たり前になってしまって、疲れが滲み出て来るのかもしれないけれども。
「おぉ、エイサーさん、今日は釣りだったのかい。で、釣れましたかな?」
家までの道中、僕はすれ違う人たちから幾度も声を掛けられる。
以前、島の近くに現れた魔物を、海の上を駆けて行って仕留めて以来、僕は割と人気者だ。
といっても、エルフのキャラバンからパンタレイアス島の出張所の支配人を任されてるアイレナとは、比べ物にならないけれども。
だって、このパンタレイアス島を整備して管理してるのはエルフのキャラバンなので、その出張所の支配人である彼女は、実質的なこの島の領主といっても過言じゃない。
実際、パンタレイアス島の治安はエルフのキャラバンが雇ってる私兵が守っているし、島で起きた犯罪に対する裁判権も、今はアイレナが有しているのだ。
「ギリギリ、今晩食べる分くらいは釣れたから大丈夫。お裾分けはできなくて申し訳ないけれど、ね」
僕が笑ってそう言えば、向こうも笑ってこちらの肩を軽く叩く。
彼はエルフのキャラバンが雇ってる若い私兵の父親で、荒れる大陸本土、東中央部にいるよりはと、一家でこの島に越してきて、色々と仕事を手伝ってくれていた。
以前は石工をしていたらしく、数年前に拡張した港から伸びる石畳は、彼と僕が中心となって敷いた物だ。
あの時は割と苦労をしたから、彼とはちょっとした戦友のような気分でもある。
ちなみに彼の奥さんは、僕らの家の掃除や洗濯にも来てくれていた。
「次回は期待しとりますよ」
気安く手を振って去って行く彼に、僕も再び歩き出す。
なるほど、期待されたなら、次回はきっと大漁だろう。
そうして辿り着いたのは、数本の木に囲まれた一軒家。
僕はともかく、アイレナの身代からすればあまりに小さな建物だけれど、これが僕らの家だった。
鍛冶場や彫刻の工房は、少し離れた場所に建っている。
エルフのキャラバン、その本部からもっと大きな屋敷に住むようにと何度も言われているが、それは僕らの性に合ってない。
いや、正直、この大きさの建物でも二人で住むには持て余すくらいだ。
私的な友人が泊まりに来る事があるから、雇った家事の手伝いに通って貰って家を維持してるけれど、そうでなければもう二回りは小さく、部屋の少ない家でいい。
当然ながら公的な客人は、エルフのキャラバンの出張所で歓待するから、こちらに招く事はなかった。
しかし大きな屋敷を構えると、そんな公的な客人すら家に招く場合も出て来るだろうから、それは実に面倒なのだ。
さて、家に辿り着いたけれど、アイレナはまだ帰ってないらしい。
だったら焼くのは帰って来てからで、他の調理は今の間に済ませてしまおう。
他の家は火を使うにはそれなりの準備が必要だけれど、僕は火の精霊が宿れるくらいの何かがあれば、後は好きに大きくできる。
パンは買ってきたものがあった。
ふっくらとした白パンではなく、無発酵の平たいパンだが、僕は結構これが好きだ。
この島の欠点は新鮮な野菜が手に入り難い事で、食べるのは専ら塩漬けして保存期間を長くした野菜になる。
だがこのままでは塩辛い野菜も、薄い塩水に浸しておくと、ゆっくりと塩分が抜けて食べ易くなった。
真水ではなく薄い塩水というのが面白いところで、真水だと野菜の外側の塩分ばかりが抜けるのだとか。
そしてこれに、辺りで採取してきた食べられる葉を数種類、綺麗に洗って刻んで加え、食用のオイルをかけてサラダに。
魚は鱗を取って頭を落とし、内臓も抜いてから三枚に切った。
身と骨と身で合わせて三枚だ。
切れ味を重視した自作の包丁は、魚の身もスルリと切れる。
血合いもこの時に取っておく。
別に食べてもいいんだけど、何となくそういう気分だ。
切った身には塩を振り、少し待って水気が出て来たらこれを拭き取ると、魚の臭みが消えるらしい。
何故なのかはさっぱり知らないけれど、そうした方が美味しくなるのであれば、やらない理由は特にないだろう。
後はアイレナが帰って来たらこの魚を焼くだけだ。
料理といってもこの程度で、先程も述べた通り、本当に美味しい物が食べたければ外食か、もっと料理の上手い人を家に呼べばいい。
だけど僕もアイレナも、たまに取るこんな食事が、何故だかとても好きだった。
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