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 そして僕は、今は黄金竜の背に乗って、南に向かって飛んでいる。

 何故なら、当たり前の話だけれど、北の大陸の近くで黒檀竜を迎え撃つ訳にはいかないからだ。

 あぁ、いや、実際には、どこであっても真なる竜がお互いに全力でぶつかり合えば、大陸を焼くだけの終焉とは違って、本当の意味で世界が壊れてしまいかねない。


 だが本来の役割が世界の守護である真なる竜が、自ら世界を壊すような真似はしないだろう。

 それは北の大陸を焼きに来る黒檀竜であっても同じだった。

 故に黄金竜と黒檀竜が世界を壊してしまわないように、互いに抑え込み合えば、決着をつけるのは僕ともう一人のハイエルフになる。


 同胞を殺され、けれども生き延びて黒檀竜を目覚めさせ、南大陸を焼き払ったハイエルフ。

 修羅場を潜っているだろう彼、または彼女は、決して侮れない相手だ。

 ただそれでも、真なる竜を相手に挑む事に比べれば、ずっと気持ちは楽である。

 相手がどれ程の経験を積んでいても、勝ち目はなくて傷付けるのが精いっぱい、とはならないだろうから。


 それにしても、やはりアイレナが遠出をしていて良かったと思う。

 一緒に居たら、絶対について来ると言っただろうけれど、エルフである彼女を、ハイエルフと戦わせるのはとても残酷だ。

 アイレナは、もちろんそれでも僕の味方をしてくれる事は間違いないが、きっと傷付いてしまうから。

 盛大にやらかした同類の後始末なんて、僕一人でやればいい。


「黄金竜、確認するけれど、他の真なる竜は動かないんだね?」

 僕は最大の懸念を、黄金竜に問い掛ける。

 昔、黄古帝国の地下で、僕は黄金竜から、真なる竜は全部で四体いると聞いた。

 もし、黄金竜と黒檀竜以外の二体が今回の件に関わって来るなら、全ての前提が崩れてしまう。


『友よ、もちろんだ。北の大陸は我が守護する地。それを守ろうとする行動は、我らの役割に反しない。他の二竜が敵対するような事はないだろう』

 でも黄金竜は、その心配はないと保証してくれた。

 それは、うん、実に助かる。

 少なくとも他の真なる竜に敵対される事がなければ、僕と黒檀竜を目覚めさせたハイエルフが決着をつけるという構図は変わらない。


 思わず安堵の息を吐いた僕に、

『しかし友よ。どうか他の二竜だけでなく、黒檀竜も悪くは思わないでやってくれ。奴もまた、己の役割に従って人間を排除しようとしているに過ぎない。南の大陸で、人間がハイエルフを殺したのは事実なのだ』

 黄金竜はそんな事を言い出す。

 これから戦おうとする相手を、悪く思わないで欲しいと。

『我とて友と出会ってなければ、或いは黒檀竜の要請を受け、北の大陸を焼いただろう。我らはそういうものである。黒檀竜を嫌うなら、どうか我を含めた全ての真なる竜を嫌ってくれ』

 真なる竜という存在は、己の役割に従って世界を焼き、今は人間の排除を行おうとしているのだと。


 なるほど。

 黄金竜の言葉に、僕は思わず笑ってしまう。

 そんな事で、僕は真なる竜を嫌いはしない。


 確かに、真なる竜が世界を焼こうとするならば、無謀な戦いを挑むだろう。

 でもそれは、別に真なる竜が悪いとか、嫌いだとかいう感情があるからじゃない。

 彼らは彼らで、世界を守る為に、彼らなりの理屈でそうするのだって事くらいはわかってる。

 単に僕は、それでも世界が好きだから、できる限りの手を尽くしたいだけだった。


 だから僕が真なる竜に難癖をつける要素といえば、……飛び方が荒々しくて、乗り心地が不死なる鳥のヒイロに比べて酷く悪い事くらいだ。

 大きく羽ばたく度に、乗ってる背中がうねるように揺れる。

 吹く風を感じられるからまだいいけれど、そうでなければ馬車に乗った時以上に酔ってるだろう。


 もちろん、僕の為に味方になって、南に運んでくれてる黄金竜にそんな事は言わないけれども。

 まぁ要するに、そのくらい他には別に文句もないのだ。


「大丈夫。わざわざ味方になりに来てくれた黄金竜の事は大好きだけれど、だからって敵対する黒檀竜を嫌ってる訳じゃないよ。今は利害が一致してないだけだからね」

 黒檀竜とも他の二竜とも、機会があればゆっくり話してみたいなぁとは思う。

 今はそれどころじゃないけれど、僕はこの戦いに勝つ心算だし、命を落とす予定もないから、そのうち機会はあるかもしれない。

 あぁ、そう言えば、ふと思い出したが、もう一つ聞いておきたい事があった。


「ねぇ、黄金竜。もう一つ聞きたいんだけど、これをハイエルフの僕が聞くのもおかしな気がするけれど、……どうしてハイエルフを多く殺した種族を滅亡させるの?」

 昔、魔力によって変化した人々、魔族を絶滅させ、今回、銃を得た人間を滅ぼそうとするのは、一体何故なのだろうか。

 危険ではあるのだろうけれど、……ハイエルフ側にも油断があるというか、もっと熱心に戦う為の訓練を積めば、それで対処できる気もするのに。

 精霊はともかくとして、巨人、不死なる鳥、真なる竜は、何故そんなにハイエルフに対して甘いのか。

 僕はどうにも、そこに疑問を感じてしまう。


 ハイエルフだってその気になれば、身を守れるくらいの力はある。

 いや、過剰なくらいの力はあるのだ。

 油断せずに戦いの技を鍛えれば、魔族だの銃を持った人間だのに、無様を晒すなんて事がないくらいに。

 僕は魔族と直接対峙はしていないが、巨人から得た知識によれば、仙人程の力はなかったという。

 つまりその程度なら、竜が動いてまで殲滅する必要は、僕には感じられなかった。


 他の古の種族が好いてくれる事は嬉しく思うが、だからといって殊更にハイエルフに甘いのもどうなのだろうか。

 僕がそう問いかけると、黄金竜から返って来たのは苦笑い。

 空を飛ぶ黄金竜の表情は、その背からは見えない。

 あぁ、仮に見えたとしても、竜の表情の判別は割と難しい。

 だけど僕には、黄金竜が苦笑いを浮かべた事を、雰囲気ではっきりと感じ取る。


『あぁ、友の言葉は尤もだろう。だが我々は、この世界で主役たる存在がいるとすれば、それはハイエルフだと思っているのだ。またハイエルフが滅ぶ事は、この世界が滅ぶのと同じであるとも』

 それから紡がれた黄金竜の言葉は、僕にとっては納得のいかない物だった。

 曰く、ハイエルフは創造主により、唯一この世界で自由に暮らすようにと、限りのある肉体を与えられた存在だ。

 つまり創造主が生み出した、ただ一種の人である。


 極論を言えば、この世界は精霊とハイエルフさえいれば、創造主が望んだように変化、進化を続けるだろう。

 巨人は記録、不死なる鳥は輸送、真なる竜は守護の役割を担うが、それらが欠けてしまったとしても、世界が終わる訳ではない。

 だがハイエルフが居なくなれば、精霊を導きこの世界に変化を齎すものが消える。

 それは単にハイエルフが精霊に指示を出すという事だけでなく、肉の衣を纏って生きた経験を持つ精霊が、新たに生まれなくなるという事だ。


 もちろん、別にそれですぐさま世界が終わったりはしない。

 ハイエルフがその生を終えて精霊となる以外にも、精霊はこの世界に発生する。

 しかし変化は止まり、精霊達はただ自然の力を運行し、流れるままに自我を薄れさせていく。

 精霊の存在は不滅である。

 けれども自発的に物事に反応しなくなってしまった精霊は、もはや力の塊と変わらない。

 全ての精霊がそうなれば、世界は元の形に、全てが入り混じった混沌に還るだろう。


 わかり易く、スケールを小さくして話すならば、湯には熱を加え続けなければ、何時かは冷めて水に戻るって事だ。

 湯を世界、熱を精霊への刺激、水を元の渾沌として考えればいい。


『我らはそう考えるからこそ、弱き肉の衣を纏って生きるハイエルフを殊更に愛しく感じ、護らねばならぬと思うのだ』

 なんて戯言を、黄金竜は口にする。

 あぁ、いや、思念で伝えてきてるから、言葉を口に出した訳ではないのだけれども。

 本当にそれは戯言だった。


 何故なら、黄金竜の言う世界の形だったのは、遥か昔の事だから。

 今はもう、精霊に刺激を与え、世界を変化させているのは、ハイエルフだけじゃない。

 黄金竜から見れば、ハイエルフの真似事のように感じるのかもしれないけれど、エルフも精霊と語り合ってる。


 もう随分と前の話だけれど、エルフのアイレナは水の精霊と語り合い、彼女に愛しい子と呼ばれた。

 草原に生まれた風を崇める部族の巫女は、風の精霊が、僕に守ってやってくれと頼む程に愛されていた。

 大切にされた炉に宿る火の精霊は、時に鍛冶師の仕事に力を貸している。

 不思議と地の精霊が集まって過ごす像を彫ったのは、人間の彫刻師だ。


 良き事ばかりではない。

 鉱毒混じりの水を流され、水の精霊が怒った事もある。

 魔族が設置したという霧の結界に近付いた風の精霊は、驚く程に元気がなかった。


 でも良くも悪くも、今の世界に生きる人は、多くの影響を精霊に与えているのだ。

 仮にハイエルフが滅んだとしても、世界が原初の形に戻ってしまうなんて事はない。

 僕はそれを知ってるし、黄金竜にだって七年間も掛けてそれを語った筈である。

 或いは黄金竜は、自身だけでなく、他の真なる竜を含めた古の種族の感覚を説明してくれたのかもしれない。

 だとしても、それはあまりに古い、今の世界を理解してない、戯言だった。


 ……あぁ、黄金竜は僕がそう思うのもわかっていたから、苦笑いを浮かべたのだろう。

 もちろんハイエルフだってそんなに簡単には滅ばないし、この世界は彼らが言う程に弱くない。

 ただその世界を焼く事を役割としてる真なる竜には、どうしたって弱く感じてしまうのかもしれないけれども。


「黄金竜、前に話した時から色々とあったから、今回の件が終わった後、またゆっくり、沢山の話をしよう」

 それでも僕を友と呼ぶ黄金竜には、それを理解して欲しいと思うのだ。

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