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 そして僕らはようやくそこに辿り着く。

 どこまでも続く真っ白な大地を歩き続けて、そこに大きく口を開いた、雲の下が見られる大穴に。

 この雲の下には海が広がっている。

 あぁ、確かに真上から見下ろせば、この大穴は白い大地の中に水を湛えた、大きな湖に見えるだろう。


 昔、世界が竜の炎に焼かれた時、新しい人が絶えてしまわぬようにと、一部が巨人の手によって雲の上に匿われた。

 だが人は、どこまでも続く白だけの世界で、心を壊さずに生きられるようにはできていない。

 故に巨人は、自分達の世界である雲に大きな穴をあけ、人でも下を覗けるようにしたのだ。

 もちろん雲の縁まで行けば下なんて幾らでも見られるけれども、……この雲はあまりにも広大だから。


 ……実際のところ、白いのは雲であって穴から見える光景じゃない。

 だけど人は巨人の心遣いに感謝して、この場所を白の湖と呼んだ。

 雲の上にやって来た人にとって、巨人を象徴する色は、この雲の白さだったから。

 その話がエルフの間には残ってて、今でも語り継がれている。


 でも、この場所に用事があるのは僕じゃなかった。

 白の湖に来たかったのは、冒険をしていた仲間達と、この場所を見付けたかったアイレナだ。

 彼女は本当に色々な想いを抱えて、この場所に来たのだろう。


 だから僕の役割はここまでで、ここから先はアイレナの時間である。

 そこに割って入ろうと思う程、僕は野暮じゃない。


 僕の雲の上での用事は、彼女をここに連れてきた事で全て終わった。

 緊張が解け、達成感に包まれながら、僕は雲の上にごろりと転がる。

 この雲の上にやって来て、最初の一歩を踏んだ時から、ずっとこうしたかったのだ。


 雲は硬くなく、しかし柔らかすぎず、僕の身体を受け止める。

 あぁ、想像通り、やっぱり実に心地好い。

 僕は白の湖、大穴の縁に佇むアイレナの姿を確かめてから、ごろごろと雲の上を転がって、それからゆっくり目を閉じた。

 日差しは些か近いが暖かく、風は涼しく、雲の寝心地は上々だ。

 昼寝をしない理由はないだろう。


 

 竜と語り、不死なる鳥を孵し、巨人にも会った。

 僕はハイエルフで、精霊は常に共に在る。


 そして僕は思う。

 僕らを生んだ創造主は、一体どんな存在だったのだろうかと。

 竜も、不死なる鳥も、巨人も、ずっと以前から変わらずに存在してる彼らは、もちろん創造主を覚えている筈だ。

 精霊の中にだって、創造主を知り、忘れてない精霊はいるだろう。

 何だか僕は、それが少し羨ましい。


 旅はまた一区切りした。

 僕は多くを知ったが、でもまだ知らぬ事も沢山ある。

 この世界への干渉を禁じられた神々は、一体どこにいるのだろうか?

 彼らは一体何を考えていたのだろうか?


 ……恐らく、神々もきっとこの世界を愛していたのだろう。

 だから何か、この世界に関わって残したかった。

 だって、竜も不死なる鳥も巨人も精霊も、それからハイエルフ、僕だって、この世界をとても愛してる。


 それ故、この世界への興味は尽きない。

 知ったところで何も変わらず、或いは知るべきでない事だってあるとは思う。

 でも何も知らなきゃ、その判断すらできないから。



 ふと、隣に気配を感じ、僕は目を開く。

 太陽は沈みかけ、雲が朱に染まってる。

「へぇ、ここも赤くなるんだね」

 上体を起こし、僕は隣に座るアイレナに声を掛けた。


 彼女は僕の言葉にくすりと笑い、

「えぇ、そうですね。来て見るまで、知りませんでした」

 そう言って沈む夕日を眺めてる。


 もう気は済んだのか、なんて野暮な事を聞きはしない。

 気が済む筈なんてないのだ。

 白の湖に辿り着いた所で、共にそれを喜び合う仲間は、もうアイレナの傍らには居ないのだから。


「エイサー様が居なかったら、絶対に見られなかった光景です。……知らなかったとはいえ、私達の目標は本当に無謀でしたね」

 今、彼女がどんな気持ちでその言葉を口にしたのかも、僕は問わない。

 アイレナは僕に感謝してくれていて、それがわかるから、連れて来た甲斐はあった。


 夕日も沈み切ってしまえば、雲の上の世界にも夜がやって来るだろう。

 世界が赤く染まる時間は、そんなに長い間じゃない。

 風は少し、冷たさを増してる。


「ありがとうございました。ここに来る前にも言っちゃいましたけど、改めて、嬉しかったです。……ですが、もう一つだけ、お願いをしてもよろしいでしょうか?」

 礼の言葉に頷けば、どうやらアイレナにはまだ何か願いがあるらしい。

 一体、僕に何をして欲しいのか。

 思いもしなかった展開にアイレナを見れば、彼女の表情は夕陽に朱く照らされて、あまり良く見えなかった。


「あの、エイサー様が良ければなんですが……、もちろんキャラバンを後任者に任せた後の話ですが、私はどうしたってエイサー様よりも先にこの世界を去ってしまう身ですが、それでも、どうか残りの時間を、貴方の傍に置いていただけないでしょうか?」

 ですが、ですがと重ねて、言い淀みながらだけれど、アイレナはハッキリそう言った。

 あぁ、そうか。

 それもいいかもしれない。

 いや、そうしてくれると、僕は嬉しい。


 繰り返しになるけれど、もう気は済んだのか、なんて野暮な事を聞きはしない。

 亡くなった大切な人への想いが、完全に消えてしまう事はきっとないのだ。

 時と共に薄れても、ふとした拍子に思い出す。

 例えば僕が剣を振る時、技に宿るカエハを想うように。


 だが、それでも区切りをつける事はできる。

 想いを引き摺ったままに旅に出た僕が、カエハの墓に手を合わせた時、一つの区切りをつけたように。

 だから次の旅立ちは、新しい目的に向かう物にすることができた。


 以前の僕達なら、一緒に居ても傷を舐め合うだけの関係になっただろう。

 でも、今ならもう、きっと違う。

 そしてアイレナは、今の世界で僕を一番理解してくれている。

 自分で言うのも何だけれど、こんなにも面倒臭くてややこしい僕を。


「うん、そうだね。それはとても、嬉しいよ」

 僕は、アイレナにそう言葉を返して、でも何だか照れくさくて、立ち上がって自分の尻を手で払う。

 雲の上では、座っても寝転んでも、そこに土なんて付かないけれど。


 ただ……、でも参ったな。

 どうしようか。

 実は僕は、この雲の上から戻ったら、アイレナには西部のエルフのフォローも頼む心算だったのだ。

 西部の戦争が終わり、実際にエルフのキャラバンがあちらに赴き、西部のエルフ達の手助けをするのは、まだまだ先になるだろうけれども。

 だからこそ事前の準備は忙しくなる。


 キャラバンを後任者に任せた後、僕の傍に居たいという彼女に、より忙しくなる話を持ち掛けるなんて、物凄く気まずい。

 怒るかなぁ?

 怒ってくれればいいのだけれど、悲しまれると困るというか、嫌だ。

 だとすれば、暫くの間はキャラバンにくっ付いて行くしかないか。


 あぁ、うぅん。

 まぁでも、よし、その事は後で考えよう。


「よろしくね」

 僕はそう言ってアイレナに手を差し出す。

 すると彼女は、今回はそこに額を付けるなんて真似はせず、僕の手を握って立ち上がった。


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