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 野牛の群れを追い始めてから数日で、僕は水場の近くに潜む三人の狩人を見付けた。

 尤も狩人といっても、彼らは弓を持ってない。

 その代わりに携えているのが、一人は石斧、もう一人は先を尖らせた木製の槍だ。

 最後の一人に至っては、何も持たない素手である。


 僕からすればとても狩りを行う姿には見えないけれども、恐らく彼らにはそれで十分なのだろう。

 何故なら三人の狩人は、誰もが黒い獣の毛皮を身に纏い、仮面を被っていたから。

 それはウィンからの手紙に記されていた獣人の、有牙族の特徴だった。

 獣人の中でも戦いに長けるという有牙族なら、素手で野牛を仕留める事もできるのかもしれない。


 向こうはまだ僕に気付いておらず、今、正面から接触しようとすれば、彼らが狙う野牛にも気付かれて狩りの邪魔になる。

 かといってこのまま気配を消して近付けば、向こうを驚かしてしまうだろうし、それどころか敵対者だと誤解されかねない。

 故に今は、彼らの狩りが終わるまでは、その手並みをこのまま拝見するとしよう。



 暫くすると、水場で水分補給を終えた野牛達が、次に餌の草を求めて移動を始めた。

 しかし中には余程に喉が渇いていたのか、長々と水を飲み過ぎて、群れの移動に少し遅れる野牛が数頭出る。

 そしてその数匹を狙って、潜んでいた狩人達も動き出す。


 彼らの最初の行動は、群れから遅れはしたがそれでも固まってる数頭を、木製の槍を近くに投げて驚かせ、バラバラに散らして逃がす事だった。

 その目的は、多分だけれど、必要以上の数を狩ってしまわない為なのだろう。

 何故ならすぐさま、石斧を持った獣人がそれを振り回して、散った野牛が先を進む群れの方へと逃げるように追い立てているから。

 彼らが狩ると決めた、ただ一頭を除いて。


 逃げれなかった一頭の前に立ったのは、何の武器も持っていなかった素手の、狩人の最後の一人だ。

 自分が逃げる為にはその狩人が邪魔だと悟った野牛は、瞳に怒りを浮かべて、角と体当たりで敵を排除しようと頭を下げて突撃を行う。

 けれどもその狩人は、自分の何倍も体重があるだろう野牛の突撃に恐れる事無く構え、突き刺されそうになる角を手で捕まえて、……大きく捻る。

 ボキリと、野牛の首の骨の砕ける音が、少し離れた場所に潜んだ僕にまで、ハッキリと聞こえたような気がした。


 あぁ、なるほど。

 これが獣人の、有牙族の狩りなのか。

 必要以上は狩らず、また狙った獲物も無駄に苦しめずに的確に仕留めてる。

 なのに彼らの狩りは完全に自らの武勇のみを頼りとして行われたのだ。


 いやはや、実に興味深い狩りだった。

 同じ真似は、……僕の身体能力じゃ難しい。

 ドワーフなら、頑健かつ腕力の強い彼らなら可能だろうか?

 或いは黄古帝国の黒雪州に住む地人にも、似た真似はきっとできるだろう。


 つまり獣人、有牙族の身体能力は、流石に地人程じゃないにしても、これまで見てきた種族の中でもかなり高い部類に入る。

 武器を用いるならともかく、素手同士の殴り合いなら、僕に勝ち目は薄そうだ。

 これは是非とも、機会があれば一度は喧嘩をしてみたい。


 とは言え今は、うん、流石にそんな時じゃないから。

 僕は彼らが仕留めた獲物をばらし始めたのを確認してから、姿を現して三人に近付く。


 すると狩人達は僕の姿を見ると警戒を露わに手を止めて、

「そこのエルフ、止まれ。俺達に何用だ。まさか人間の奴隷じゃないだろうな?」

 誰何の声を発した。

 敵と決めつける訳でなく、さりとて気を許す訳でもないその反応に、僕は首を横に振る。


「いや、旅人だよ、精霊の力を借りて見せようか? 連合軍に知人がいてね。会いに行く際中なんだ。でもここらには不案内だから、色々と話を聞かせてくれないかな」

 敵意がない事を示す為に両腕を広げ、手の平を相手に向けた僕の言葉に、獣人達は互いに視線を交わす。

 どうやら三人のリーダー格は、さっき野牛を仕留めた素手の狩人のようで、他の二人は彼に判断を委ねるようだ。

 リーダーである素手の狩人はほんの少し悩んだようだが、やがて意を決し、自らの仮面を取って素顔を僕に見せた。

 多分それは、有牙族にとっての戦闘状態の解除、要するに僕に敵意がない事を示す行為なのだろう。


「俺は有牙族、黒熊の氏族のガウバ。お前の言う連合軍に参加せず、後方の守りに就いている程度の未熟者だが、それでも良ければ俺達に気配を悟らせなかったお前の技に敬意を表し、この地の案内をさせて貰おう」

 獣人達は獣を祖霊として祀る風習があるらしい。

 どうやらガウバの氏族が祖霊として祀るのが黒熊で、彼らが身に纏うのはその毛皮なのだろう。

 有牙族では、祖霊たる獣と一対一で戦って倒し、その血肉を喰らい、毛皮を身に纏う事で祖霊の魂を己の身に宿して、一人前の戦士になるそうだ。


 だからガウバは、彼自身が口にしたような未熟者では決してない筈。

 ガウバ自身が本気でそう思っているのか、それとも僕がその言葉で彼を侮るかどうかを試されているのか、それはわからないけれども……。

 後方を、自分達の住処や家族を守る信頼できる誰かがいるからこそ、前線の戦士は憂いなく実力を発揮して戦える。

 恐らくガウバは、前線に赴いた戦士達にとって、その信頼できる誰かなのだろうと、僕は思う。

 だってあんなにも見事に己よりも遥かに体重のある野牛の突撃を、受け止めて首を折れるガウバを未熟者扱いできる集団なんて、考えるのも恐ろしい話だし。


 まぁいずれにしても、道や話を聞くだけの心算だったのに、案内までして貰えるというのだから、僕に文句があろうはずもない。

 僕も名乗りを済ませ、ガウバ達が野牛の解体を終えるのを待ってから、獣人の有牙族、黒熊の氏族の集落を目指して、彼らと共に歩き出す。

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